↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
支持率0%の男が、日本を作り直すまで  作者: 霜月 七日
第1章 怒れる納税者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/100

第4話 誰も聞かない演説

正しいことを言えば、誰かが聞いてくれる。

そんな考えが通用するほど、現実は甘くありません。

政治経験も知名度もない男が、初めて街頭に立ちます。

2035年5月5日、午前10時03分。

東京都新宿区、新宿駅西口。

「……本当に、ここでやるんですか?」

桐生美月(きりゅうみづき)は、駅前を行き交う人々を見ながら尋ねた。

「そのつもりです」

黒崎玲司(くろさきれいじ)は、折り畳み式の小さな台を地面に置いた。

マイクはない。

スピーカーもない。

あるのは、手書きの看板と、百枚の資料だけだった。

看板には、こう書かれている。

『あなたの手取り、なぜ増えない?』

美月は腕時計を確認した。

「今日は祝日です。人通りは多いですが、立ち止まってもらえるとは限りません」

「分かっています」

「それと、駅前の使用条件は確認しましたか?」

「道路使用許可が必要になる場合があるので、警察に確認しました。今日は通行の妨げにならない場所で、拡声器なしの活動です」

「分かりました。人の流れが変わったら、すぐ移動しましょう」

美月は看板の位置を少し直した。

黒崎は資料を持ち、深呼吸した。

「……緊張しますね」

「今なら、帰れますよ」

「帰りません」

「では、始めてください」

黒崎は、通行人に向かって声を上げた。

「皆さん! 少しだけ、お話を聞いてください!」

誰も振り向かなかった。

「毎月の給料から、税金や社会保険料がどれだけ引かれているか、ご存じでしょうか!」

足早に歩く会社員。

スマートフォンを見ながら歩く学生。

大きな荷物を持った旅行客。

誰一人、立ち止まらない。

黒崎は声を張り上げた。

「私は、国民が払ったお金の使い道を、もっと分かりやすくするべきだと考えています!」

その瞬間。

「邪魔だよ!」

通りかかった男性が、吐き捨てるように言った。

黒崎は慌てて頭を下げた。

「すみません!」

男性はそのまま歩き去った。

美月が静かに近づいてくる。

「黒崎さん」

「はい」

「今の声、少し大きすぎます」

「……すみません」

「それから、最初の言葉が長いです」

黒崎は資料を見た。

そこには、国の予算制度や税負担についての説明が並んでいた。

「でも、正確に説明しないと」

「正確さは大切です。ただ、誰も聞いていなければ、説明していないのと同じです」

黒崎は黙った。

美月は看板を指さした。

「まず、質問から始めましょう」

「質問?」

「はい。答えたくなる質問です」

黒崎は、しばらく考えた。

そして、もう一度通行人に向き直った。

「皆さん!」

少し間を置く。

「去年より給料が上がったのに、生活が楽になっていない方はいませんか!」

数人が顔を上げた。

だが、立ち止まる人はいなかった。

黒崎は苦笑した。

「……難しいですね」

美月は表情を変えなかった。

「まだ、始めて十分です」

* * *

2035年5月5日、午前11時27分。

東京都新宿区、新宿駅西口。

「百枚持ってきて、残り九十四枚か」

高瀬直樹(たかせなおき)が、資料の束を数えた。

一時間半で配れたのは、六枚。

そのうち二枚は、近くのゴミ箱に捨てられていた。

黒崎は、回収した資料を見つめた。

「……俺の説明が悪いんだろうな」

「まあ、正直に言えば」

高瀬は苦笑した。

「ちょっと難しい」

「そうか」

「『財政支出の検証』って言われても、普通の人はピンとこないぞ」

黒崎は資料の見出しを見た。

確かに、その言葉が書かれていた。

美月が横から口を開いた。

「黒崎さん。三分間だけ、演説を止めてください」

「え?」

「今から、通行人が何に反応するか観察します」

三人は、少し離れた場所へ移動した。

駅前では、さまざまな人が活動していた。

商品の試供品を配る人。

飲食店の宣伝をする人。

募金への協力を呼びかける人。

人々は、ほとんど立ち止まらない。

しかし、一人の若い男性が配っていたチラシには、時折、通行人が手を伸ばしていた。

『ランチ500円』

大きな文字。

分かりやすい写真。

説明は、ほとんどない。

美月は黒崎に尋ねた。

「違いが分かりますか?」

「……何が得られるか、一瞬で分かる」

「そうです」

黒崎は自分の資料を見た。

『行政支出の透明性向上に向けた提言』

長い。

難しい。

しかも、それを読んで自分の生活がどう変わるのか、すぐには分からない。

「……これじゃ、誰も読まないな」

美月はうなずいた。

「内容が悪いわけではありません。でも、最初の一秒で興味を持ってもらう工夫が必要です」

黒崎は資料を裏返した。

白紙の部分に、太いペンで文字を書いた。

『手取りを増やすには?』

その下に、小さく一文。

『税金の使い道から、一緒に考えませんか』

高瀬がのぞき込んだ。

「お、いいじゃん」

黒崎は首を振った。

「いや、まだだ」

「何が?」

「これだと、手取りが必ず増えるみたいに見える」

黒崎は最後の一文を書き直した。

『国の支出を調べ、負担を減らせる方法を探します』

美月が微笑んだ。

「その方が、あなたらしいですね」

黒崎は資料を持ち直した。

「もう一回、やってみます」

* * *

2035年5月5日、午後0時46分。

東京都新宿区、新宿駅西口。

「お兄さん、ちょっといい?」

黒崎が顔を上げると、五十代くらいの男性が立っていた。

「はい!」

「さっきから聞いてたんだけどさ」

男性は、黒崎の看板を指さした。

「手取りを増やすって、どうやるの?」

黒崎は資料を差し出した。

「まず、国の支出を――」

「それは分かった」

男性が言葉を遮った。

「で、いくら増えるの?」

黒崎は答えに詰まった。

「……現時点では、具体的な金額は出せません」

男性は眉をひそめた。

「じゃあ、何も決まってないじゃないか」

「はい。まだ、調べている段階です」

「そんな状態で政治家になるって言ってるの?」

周囲の数人が、足を緩めた。

黒崎は視線を感じた。

「はい」

男性は笑った。

「正直だね。でも、それじゃ票は入らないよ」

黒崎は、静かにうなずいた。

「そうかもしれません」

「普通はさ、減税します、給料上げますって言うもんだろ」

「できるか分からないことを、できるとは言いたくありません」

男性は、少し驚いた顔をした。

黒崎は続けた。

「ただ、国民に負担をお願いするなら、政府には説明する責任があると思っています」

「……まあ、それはそうだな」

「だから、まず調べます。何にいくら使われているのか。必要な支出なのか。減らせるものはないのか」

黒崎は、男性の目を見た。

「その結果、減らせないものは、減らせないと説明します」

男性はしばらく黙っていた。

そして、手を差し出した。

「資料、一枚ちょうだい」

黒崎は慌てて渡した。

「ありがとうございます!」

男性は資料を受け取ると、笑った。

「期待はしてないけど、嘘をつかないなら話くらい聞いてやるよ」

そのまま歩き去っていった。

黒崎は、男性の背中を見つめた。

高瀬が横から声をかける。

「……今の、結構すごくないか?」

「何が?」

「お前の話、最後まで聞いてくれたぞ」

黒崎は、少しだけ笑った。

「……そうだな」

その時。

「すみません」

今度は、三十代くらいの女性が近づいてきた。

「私にも、資料を一枚いただけますか?」

黒崎は、すぐに差し出した。

「もちろんです!」

女性は資料を受け取った。

「さっきのお話、聞いていました」

「ありがとうございます」

「私、子どもが二人いるんです」

黒崎はうなずいた。

「最近、食費も教育費も高くなって、毎月のやりくりが大変で」

女性は、少し困ったように笑った。

「でも、何にお金が使われているかなんて、考えたこともありませんでした」

黒崎は答えた。

「私も、つい最近まで同じでした」

女性は資料を見た。

「これ、家で読んでみます」

「ありがとうございます」

女性が立ち去った後、黒崎は資料の残りを数えた。

八十七枚。

まだ、ほとんど残っている。

それでも、午前中とは違っていた。

誰かが、話を聞いてくれた。

誰かが、自分の生活について話してくれた。

黒崎は、もう一度声を上げた。

「皆さん! 税金の使い道について、一緒に考えてみませんか!」

今度は、少しだけ自信があった。

* * *

2035年5月5日、午後3時18分。

東京都新宿区、喫茶店。

「本日の結果です」

美月はノートパソコンを開いた。

画面には、簡単な表が表示されていた。

配布資料、二十七枚。

立ち止まって会話した人、十一人。

連絡先の交換を希望した人、三人。

「……三人か」

黒崎はつぶやいた。

美月はうなずいた。

「三人です」

「百人まで、あと九十七人ですね」

「いいえ」

美月は首を振った。

「今日の三人が、全員支援者になるとは限りません」

黒崎は苦笑した。

「厳しいですね」

「数字は、正確に扱いましょう」

美月は画面を切り替えた。

『支援者数 0人』

黒崎は、思わず笑った。

「ゼロですか」

「はい。連絡先を交換しただけでは、支援者とは言えません」

高瀬が横からのぞき込んだ。

「俺は?」

「高瀬さんは、協力者です」

「じゃあ、一人じゃん!」

美月は少し考えた。

そして、表を修正した。

『活動協力者 1人』

『継続的な支持を表明した人 0人』

高瀬は満足そうにうなずいた。

「よし」

黒崎は笑いながら、コーヒーを飲んだ。

しかし、次の瞬間。

美月の表情が変わった。

「……黒崎さん」

「はい?」

「今日の活動、少し気になることがあります」

「何でしょう」

「途中で、写真を撮っていた人がいました」

黒崎は顔を上げた。

「写真?」

「はい。あなたの演説を、ずっと撮影していた男性です」

高瀬が首をかしげた。

「通行人じゃないの?」

「そうかもしれません」

美月はスマートフォンを取り出した。

「ただ、先ほどSNSを確認したら、こんな投稿がありました」

画面には、黒崎が駅前で演説している写真が表示されていた。

投稿文。

『また変な政治家志望が出てきた。税金下げるって言いながら、具体策ゼロ。こういうのが一番信用できない。』

黒崎は、画面を見つめた。

投稿から、まだ二時間も経っていない。

それなのに、すでに数百件の反応が付いていた。

「……なるほど」

高瀬が顔をしかめた。

「ひどい書き方だな」

美月は黒崎を見た。

「どうしますか?」

黒崎は、しばらく考えた。

「何もしません」

「本当に?」

「批判されるのは仕方ありません。実際、具体策が足りないのは事実です」

美月は黙っていた。

黒崎は続けた。

「でも、税金を下げると断言したわけではない。それだけは、誤解されたくないですね」

「では、説明しますか?」

「はい。ただし、相手を攻撃するのではなく、今日話した内容をそのまま公開します」

美月はうなずいた。

「分かりました」

黒崎は、ノートパソコンを開いた。

そして、短い文章を書き始めた。

『本日、新宿駅前で税金と社会保険料についてお話ししました。

私は、現時点で具体的な減税額を約束していません。

まず国の支出を検証し、必要な財源を確認したうえで、負担を減らせる方法を考えたいと思っています。

ご意見やご質問があれば、ぜひお聞かせください。』

美月は文章を確認した。

「問題ないと思います」

黒崎は投稿した。

数分後。

最初の返信が付いた。

『で、結局何ができるの?』

黒崎は苦笑した。

「……手厳しいな」

さらに返信が続いた。

『普通の会社員が政治家になれるわけない』

『口だけなら誰でも言える』

『でも、税金の使い道を分かりやすくするのは賛成』

『具体策ができたら見たい』

黒崎は画面を見つめた。

批判ばかりではない。

興味を持っている人も、確かにいた。

「……美月さん」

「はい」

「これ、全部返信した方がいいですか?」

美月は、少しだけ笑った。

「全部に返信していたら、仕事が終わりません」

「そうですよね」

「ただし、質問が多いものは、まとめて回答しましょう」

黒崎はうなずいた。

「分かりました」

その時、高瀬がスマートフォンを見ながら声を上げた。

「おい、玲司!」

「何だ?」

「この投稿、もう千人以上に見られてるぞ!」

黒崎は驚いた。

「千人?」

高瀬は笑った。

「駅前じゃ、誰も聞いてくれなかったのにな!」

黒崎は、画面に表示された数字を見つめた。

千人。

その全員が、自分の話を聞いたわけではない。

支持してくれたわけでもない。

むしろ、批判の方が多い。

それでも。

今朝まで、誰にも知られていなかった自分の存在が、少しずつ広がり始めていた。

美月が静かに言った。

「黒崎さん」

「はい」

「今日の活動は、失敗ではありません」

黒崎は顔を上げた。

「ただし、成功でもありません」

美月は、ノートパソコンの画面を閉じた。

「ここからが、本当の始まりです」

黒崎は、ゆっくりとうなずいた。

「……そうですね」

その夜。

黒崎のスマートフォンには、見知らぬアカウントから一通のメッセージが届いた。

『あなたの考えに興味があります。』

続けて、もう一文。

『ただし、今の政策では、絶対に勝てません。』

黒崎は、画面を見つめた。

差出人の名前は、表示されていなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

自分の考えを人に伝えることは、想像以上に難しいものです。

本作では、主人公が失敗や批判を経験しながら、少しずつ前へ進んでいく姿も描いていきます。

続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。