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支持率0%の男が、日本を作り直すまで  作者: 霜月 七日
第1章 怒れる納税者

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第3話 政治家になると言った日

何かを変えたいと思うことと、実際に行動することは違う。

知名度も資金もない、ごく普通の会社員。

そんな男の前に、思いがけない出会いが訪れます。

2035年4月29日、午前9時12分。

東京都新宿区、喫茶店。

「政治家になる?」

高瀬直樹(たかせなおき)は、コーヒーを吹き出しかけた。

向かいに座る黒崎玲司(くろさきれいじ)は、真剣な顔でうなずいた。

「そうだ」

「昨日の電話、冗談じゃなかったのかよ」

「冗談で供託金を調べるか?」

黒崎はノートを開いた。

そこには、立候補に必要な手続き、資金、政治団体の設立方法が細かく書き込まれていた。

高瀬はページをめくり、眉をひそめた。

「……本気なんだな」

「本気だ」

「で、いくら持ってる?」

「二百七万円」

「選挙に必要な金は?」

「少なくとも、それ以上」

「勝てる見込みは?」

「今のところ、ない」

高瀬はノートを閉じた。

「じゃあ、無理だろ」

黒崎は反論しなかった。

無理だと言われる理由は、十分に分かっている。

「だから、まず仲間を集める」

「仲間って、誰を?」

「……お前とか」

「俺を巻き込むな!」

店内に声が響いた。

近くの客が振り返る。

高瀬は慌てて声を落とした。

「いいか、玲司。俺は資料作りを手伝うとは言った。でも選挙なんて経験ないぞ」

「俺もない」

「それが一番怖いんだよ」

黒崎は笑った。

高瀬はため息をつき、ノートをもう一度開いた。

「まあ、最初にやることくらいは調べてやる。でもな」

「何だ?」

「政治家になるなら、税金を下げるって言うだけじゃ駄目だぞ」

黒崎は顔を上げた。

「分かってる」

「本当に?」

高瀬はノートの一行を指さした。

『国民の手取りを増やす』

「これ、どうやって実現するんだ?」

黒崎は答えようとして、口を閉じた。

税金の使い道を調べる。

無駄を減らす。

その先の具体的な政策は、まだ十分に整理できていない。

「……考える」

「それじゃ政治家じゃなくて、ただの文句を言う人だ」

高瀬の言葉は厳しかった。

だが、黒崎はうなずいた。

「その通りだな」

高瀬は少し驚いた顔をした。

「怒らないのか?」

「正しいことを言われて怒ってたら、政治家なんかできないだろ」

その時だった。

「すみません」

隣の席から、女性の声がした。

「少し、お話を聞いてもよろしいでしょうか」

* * *

2035年4月29日、午前9時38分。

東京都新宿区、喫茶店。

女性は、落ち着いた紺色のジャケットを着ていた。

肩まで伸びた黒髪を後ろでまとめ、手には薄い手帳を持っている。

「突然すみません。お二人のお話が聞こえてしまって」

黒崎は軽く頭を下げた。

「こちらこそ、騒がしくしてしまって」

「いえ」

女性は、黒崎のノートに目を向けた。

「本当に、政治家を目指していらっしゃるんですか?」

「……はい」

「失礼ですが、今は何をされているんでしょうか」

「会社員です。システム関係の仕事をしています」

「政治活動の経験は?」

「ありません」

「後援会は?」

「ありません」

「資金は?」

「……足りません」

女性は一瞬、黙った。

高瀬が横で小さく笑う。

「ほらな」

しかし、女性は笑わなかった。

「では、なぜ政治家になろうと思ったんですか?」

黒崎は、少し考えた。

そして、鞄から一枚の紙を取り出した。

給与明細だった。

「これが理由です」

女性は目を丸くした。

「給与明細、ですか?」

「毎月、これだけ税金と社会保険料を払っています。でも、そのお金が何に使われて、どんな成果を出しているのか、普通の人には分かりにくい」

黒崎は続けた。

「もちろん、税金を全部なくせるとは思っていません。社会保障も必要です」

「はい」

「ただ、国民に負担を求めるなら、政府はもっと分かりやすく説明するべきだと思うんです」

女性は、静かに聞いていた。

「だから、国の予算を誰でも理解できるようにしたい。無駄があるなら見直したい。そのうえで、働く人の手取りを増やしたい」

黒崎は一息ついた。

「……まだ、具体的な方法は考えている途中ですけど」

女性は手帳を閉じた。

「正直ですね」

「格好つけても仕方ないので」

「では、一つ質問しても?」

「どうぞ」

「もし、あなたが政治家になったとして、最初に何をしますか?」

黒崎は答えた。

「国の予算を調べます」

「今も調べられますよね?」

「……そうですね」

「政治家にならなければできないことは、何ですか?」

黒崎は黙った。

女性は責めるような口調ではなかった。

むしろ、答えを待っているようだった。

「政治家になることが目的になっていませんか?」

その言葉は、黒崎の胸に突き刺さった。

高瀬も、何も言わなかった。

しばらくして、黒崎は口を開いた。

「……確かに、そうかもしれません」

女性はうなずいた。

「でも、あなたの考え方には興味があります」

「え?」

「自分の知らないことを、知らないと認められる人は、意外と少ないので」

女性は名刺を差し出した。

「申し遅れました。桐生美月(きりゅうみづき)と申します」

黒崎は名刺を受け取った。

そこには、都内企業の社長室勤務と記されていた。

「以前は役員秘書を担当していました。今は社内の調整業務をしています」

「秘書……」

「はい。ですから、政治には詳しくありません。ただ、人が何かを実現するために、どれだけ準備が必要かは少し分かります」

美月は、黒崎のノートを見た。

「もし本気で政治家を目指すなら、まず『何を変えるか』を一枚にまとめてみてください」

「一枚、ですか?」

「はい。専門家ではない人にも伝わるように」

黒崎は、思わず笑った。

「昨日、似たようなことを言われました」

「それなら、なおさらですね」

美月も微笑んだ。

「では、失礼します」

彼女は立ち上がった。

黒崎は慌てて声をかけた。

「あの!」

美月が振り返る。

「完成したら、見てもらえませんか?」

少しの沈黙。

美月は名刺を指さした。

「会社の連絡先ではなく、こちらのメールアドレスにお願いします」

名刺の裏には、手書きの個人用メールアドレスが記されていた。

「ただし」

「はい」

「遠慮なく、厳しいことを言いますよ」

黒崎は笑った。

「その方が助かります」

* * *

2035年4月30日、午後10時14分。

東京都内、黒崎の自宅。

『国民の手取りを増やすために』

黒崎は、パソコンの画面に表示されたタイトルを見つめた。

美月に言われた通り、政策の方向性を一枚にまとめていた。

しかし、何度書き直しても、納得できなかった。

『税金を減らす』

それだけでは、財源が分からない。

『無駄遣いをなくす』

それだけでは、何が無駄なのか説明できない。

『政治を透明にする』

それだけでは、生活がどう変わるのか伝わらない。

黒崎はキーボードから手を離した。

「……難しいな」

その時、スマートフォンが鳴った。

高瀬からだった。

『今日の女の人、すごかったな』

黒崎は返信する。

『ああ。完全に負けた』

『でも、お前には必要なタイプだと思うぞ』

黒崎は少し考えた。

そして、画面に向き直った。

まず、難しい言葉を消した。

次に、長い説明を削った。

最後に残ったのは、三つの約束だった。

一つ。

国民が払ったお金の使い道を、分かりやすく示す。

二つ。

税金の使い方を検証し、必要なものと見直すべきものを区別する。

三つ。

財源を確認したうえで、働く人の手取りを増やす政策を提案する。

黒崎は、それをPDFに保存した。

ファイル名は『最初の約束.pdf』。

そして、美月のメールアドレスに送信した。

件名。

『先ほどの件について』

本文。

『桐生様

本日はありがとうございました。

ご指摘いただいた内容を踏まえ、考えを一枚にまとめました。

お時間のある際に、率直なご意見をいただけますと幸いです。

黒崎玲司』

送信ボタンを押した。

時刻は午後十一時を過ぎていた。

返信は、明日以降だろう。

そう思っていた。

だが、十五分後。

新着メールの通知が表示された。

差出人、桐生美月。

黒崎は驚いてメールを開いた。

『黒崎様

資料を拝見しました。

前回より、ずっと分かりやすくなっています。

ただし、三つ目の約束については、具体的な数字が必要です。

それから、もう一つ。

本当に政治家になるおつもりなら、今の仕事を続けながら、どのように活動するのかも考えてください。

理想だけでは、人も組織も動きません。

桐生美月』

黒崎は苦笑した。

「……厳しいな」

しかし、メールには続きがあった。

『もしよろしければ、次の土曜日にもう一度お話ししませんか。

私も、少し興味が湧いてきました。』

黒崎は、その一文を何度も読み返した。

政治家になると決めてから、まだ数日。

知名度はない。

資金も足りない。

政策も未完成。

それでも、確かな変化が起きていた。

自分の考えを、真剣に聞いてくれる人が現れたのだ。

黒崎は返信した。

『ぜひ、お願いします。』

* * *

2035年5月3日、午後1時06分。

東京都千代田区、貸会議室。

「……ここを借りたんですか?」

美月は、部屋の中を見渡した。

十人ほどが座れる小さな会議室。

中央には長机が二つ。

ホワイトボードと、古いプロジェクターが置かれている。

黒崎は、少し照れくさそうに笑った。

「喫茶店より、落ち着いて話せるかと思って」

「お金は大丈夫なんですか?」

「二時間で三千円です」

「そういうことではなくて」

美月はため息をついた。

「これから政治活動をするなら、小さな出費も管理しないといけません」

「……はい」

黒崎は素直にうなずいた。

美月は鞄からノートパソコンを取り出した。

「では、始めましょう」

「何をですか?」

「あなたの政治活動の計画です」

黒崎は目を丸くした。

「手伝ってくれるんですか?」

「まだ、手伝うとは言っていません」

美月はきっぱりと言った。

「今日は、あなたが本気なのか確認しに来ました」

「本気です」

「では、質問します」

美月は画面を開いた。

「あなたは、いつまでに政治家になるつもりですか?」

「次の衆議院選挙を目指したいです」

「選挙区は?」

「東京です」

「具体的には?」

「……まだ決めていません」

「資金計画は?」

「これからです」

「支援者は?」

「高瀬という友人が一人」

美月は、キーボードを打つ手を止めた。

「黒崎さん」

「はい」

「今の状態では、選挙に出る以前の問題です」

黒崎は苦笑した。

「ですよね」

「でも」

美月は、静かに続けた。

「始めることはできます」

黒崎は顔を上げた。

「政治家になるための準備は、今日からでもできます」

美月はホワイトボードに三つの言葉を書いた。

『政策』

『資金』

『仲間』

「この三つを、順番に整えていきましょう」

黒崎は、その文字を見つめた。

「桐生さん」

「はい」

「一つ、聞いてもいいですか?」

「どうぞ」

「どうして、ここまでしてくれるんですか?」

美月は少し考えた。

そして、窓の外を見た。

「……私も、同じことを思っていたからです」

「同じこと?」

「働いても、生活が楽にならないことです」

美月は、小さく笑った。

「役員秘書をしていた頃、会社の経営会議で、何億円もの予算が決まる場面を見てきました」

「はい」

「その一方で、社員の給与を数千円上げるだけでも、何度も議論が必要でした」

黒崎は黙って聞いていた。

「会社と国は違います。でも、お金を出す側の人間に、もっと分かりやすく説明するべきだという考えには共感します」

美月は黒崎を見た。

「だから、あなたが本当にそれを実現できる人なのか、見てみたいんです」

黒崎は、ゆっくりとうなずいた。

「分かりました」

「では、最初の目標を決めましょう」

「何を?」

美月は、ホワイトボードに大きく数字を書いた。

『100』

「まず、百人です」

「百人?」

「あなたの考えを聞いて、もう一度話を聞きたいと思ってくれる人を、百人集めてください」

黒崎は数字を見つめた。

百人。

数万人の支持を得なければ、選挙には勝てない。

それでも、今の自分にとっては大きな数字だった。

「……やってみます」

「やってみる、ではなく」

美月はペンを置いた。

「いつまでに?」

黒崎は少し考えた。

「一か月です」

美月はうなずいた。

「では、五月末までに百人」

「はい」

「達成できなかったら?」

黒崎は答えた。

「原因を調べて、方法を変えます」

美月は初めて、はっきりと笑った。

「いい答えです」

黒崎も笑った。

その時、会議室の扉が開いた。

「悪い、遅れた!」

高瀬が息を切らして入ってきた。

「仕事の連絡が長引いてさ。で、何から始めるんだ?」

美月は、ホワイトボードを指さした。

「まず、百人の支援者を集めます」

高瀬は数字を見た。

そして、黒崎を見た。

「……百人?」

「そうだ」

「今、何人いるんだ?」

黒崎は指を折った。

「俺と、お前と……」

美月を見る。

美月は首を横に振った。

「私は、まだ支援者ではありません」

高瀬は笑った。

「じゃあ、二人かよ!」

黒崎も笑った。

だが、その笑顔には、以前とは違うものがあった。

無謀な夢を語るだけではない。

具体的な目標がある。

期限がある。

そして、その目標を一緒に考えてくれる人がいる。

黒崎はホワイトボードの前に立った。

「よし。始めよう」

この日、まだ名前すらない小さな政治活動が、本格的に動き出した。

日本中の誰も、その存在を知らなかった。

だが、黒崎玲司の人生は、確実に変わり始めていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

大きな目標も、最初は小さな計画から始まります。

本作では、政治改革だけでなく、登場人物たちの出会いや信頼関係、時には意見の衝突も描いていきます。

次回もお楽しみいただければ幸いです。

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