第38話 十八人の誘い
与党を離れた十八人が、新たな政治勢力を立ち上げた。
政権の座を狙う者。自分の議席を守りたい者。そして、本当に政策を変えたい者。
さまざまな思惑が交錯する中、黒崎玲司は思いがけない人物から一本の電話を受ける。
2036年2月16日、午前11時。
東京都千代田区、都内ホテルの大宴会場。
「我々は、古い政治を終わらせます!」
東条正臣の声が響いた。
壇上には十八人の衆議院議員が並んでいた。
新政改革連合。
国政自由党を離党した議員たちが結成した、新たな政治勢力だった。
会場には百人を超える報道陣。
東条は、力強く宣言した。
「増え続ける国民負担を見直し、行政改革を断行する。国民が豊かさを実感できる政治を取り戻します!」
カメラのシャッター音が鳴り続けた。
記者が手を挙げる。
「東条代表。国民会計の会との連携について、どのようにお考えですか?」
東条は笑みを浮かべた。
「黒崎玲司先生とは、政策面で共通する部分が多いと考えています」
そして続けた。
「ぜひ、共に新しい政治をつくっていきたい」
別の記者が尋ねた。
「黒崎議員には、すでに参加を打診されたのでしょうか?」
「以前、意見交換をしました。今後も協力を呼びかけたいと思っています」
東条は、カメラに向かって笑った。
「改革を志す者同士、手を取り合うべきでしょう」
その言葉は、昼のニュースで大きく取り上げられた。
* * *
同日、午後零時38分。
衆議院議員会館。
「……勝手に仲間みたいに言われてるぞ」
高瀬直樹が、スマートフォンを黒崎に見せた。
画面には、ニュースの見出しが並んでいた。
『新政改革連合、黒崎氏との連携に意欲』
『改革勢力の結集なるか』
『国民会計の会、合流の可能性』
黒崎玲司は、記事を読んだ。
「……合流するとは言っていないんだけどな」
藤原真琴が、苦笑した。
「報道では、かなり話が進んでいるように見えますね」
小野寺航は、資料を机に置いた。
「黒崎さん。早めに立場を明確にした方がいいと思います」
黒崎はうなずいた。
「そうですね」
高瀬が尋ねた。
「何て言う?」
「政策ごとの協力は否定しない。でも、合流する予定はない」
真琴が、すぐに文章をまとめ始めた。
黒崎は付け加えた。
「それと、東条先生の新団体を批判する必要もありません」
高瀬は顔をしかめた。
「向こうは、お前の名前を利用してるかもしれないんだぞ」
「それでも、政策が一致する部分まで否定する必要はないよ」
高瀬は天井を見上げた。
「……ほんと、敵を作るのが下手だな」
「敵を作るのが仕事じゃないからね」
黒崎がそう答えると、真琴が小さく笑った。
* * *
2036年2月18日、午後3時25分。
東京都新宿区。
「……三万円が出るって聞いたんですけど」
黒崎の目の前で、一人の女性が封筒を握りしめていた。
四十二歳。
スーパーのパート勤務。
高校生の娘と二人暮らしだった。
地域の生活相談会に参加した女性は、遠慮がちに尋ねた。
「私も、もらえるんでしょうか?」
黒崎は、持参した政府資料を確認した。
「今回の給付案は、住民税非課税世帯などを中心に検討されています。ただ、まだ制度は決定していません」
女性はうなずいた。
「そうなんですね」
「差し支えなければ、今の収入を教えていただけますか?」
「去年は、百九十万円くらいです」
黒崎は手元の資料を見た。
住民税の課税状況や扶養関係など、確認すべき条件がある。
収入額だけでは判断できなかった。
「……今の情報だけでは、対象になるか分かりません」
女性は、少し困った顔をした。
「ニュースでは、生活が苦しい人に三万円って言っていたので……」
黒崎は言葉に詰まった。
女性は続けた。
「私、三万円あったら、娘の制服を買い替えたいんです」
黒崎は顔を上げた。
「制服ですか?」
「はい。もう小さくなっていて。でも、まだ着られるからって、娘が言うんです」
女性は笑おうとした。
うまく笑えなかった。
「私がもう少し働けばいいんでしょうけど、そうすると今度は税金とか、いろいろ変わるでしょう?」
黒崎は黙って聞いた。
「難しいことは分からないんです。ただ、働いた分だけ少しでも楽になったらいいなって」
黒崎は、ゆっくりとうなずいた。
「……おっしゃるとおりだと思います」
女性は、封筒を握り直した。
「政治家の人って、いつも何万円配るって言うけど、結局、自分が対象なのか分からないんですよね」
その言葉が、黒崎の胸に刺さった。
『働いても、お金が残らない。』
自分が政治を始めた理由。
それを、目の前の女性が口にしていた。
* * *
同日、午後7時10分。
衆議院議員会館。
「……これ、見てくれ」
黒崎は、高瀬にメモを渡した。
高瀬が目を通す。
「給付対象の判定?」
「うん。制度が決まった時、自分が対象かどうか、できるだけ簡単に確認できるようにしたい」
高瀬は椅子を引き寄せた。
「JAPAN LEDGERに追加するのか?」
「できる?」
「制度が確定して、判定条件が公開されればな」
高瀬はパソコンを開いた。
「ただし、税情報を入力させるなら注意が必要だ。個人情報を集める仕組みにはしたくない」
黒崎はうなずいた。
「入力内容をサーバーに送らず、端末内だけで計算できないかな」
「それなら設計できる。年収だけで確定判定はできないから、必要な確認項目も示そう」
高瀬はキーボードを叩いた。
「それと、制度が未成立の間は『対象になる可能性』までしか表示しない」
黒崎は、笑った。
「ありがとう」
高瀬は画面から目を離さずに答えた。
「礼は、実際に使えるものができてからにしてくれ」
* * *
2036年2月20日、午後1時。
衆議院議員会館。
七人の会派会議。
黒崎は、新宿で会った女性の話を共有した。
宮原奈緒が、資料を閉じた。
「……やはり、今回の給付だけでは不十分ですね」
水野彩香もうなずいた。
「自治体の窓口でも、似た相談が増えると思います」
森田悠介が言った。
「対象を広げるなら、財源をどうするかが問題です」
橘拓真は、腕を組んだ。
「働く人が対象から外れる仕組みは、やっぱり納得されにくいですよ」
佐伯健太郎が答えた。
「ただ、今回の給付を急いで届けることも大切です。制度を複雑にしすぎると、支給が遅れます」
片岡誠司は、全員を見た。
「緊急支援と、恒久的な制度改革を分けて考えるべきでしょう」
黒崎はうなずいた。
「私もそう思います」
そして、ホワイトボードに二つの項目を書いた。
『緊急支援――早く届ける』
『恒久改革――働く人の手取りを増やす』
黒崎は振り返った。
「政府の三万円給付案は、財源と対象が確認できれば、緊急支援として支持したいと思います」
宮原がうなずいた。
「その上で、給付付き税額控除などの制度を比較する」
「はい」
黒崎は続けた。
「三月に予定されている政府の比較結果を待つだけではなく、私たちも独自に案を作りましょう」
森田が尋ねた。
「いつまでに?」
黒崎は、時計を見た。
「……二週間で、たたき台を作りたいです」
橘が苦笑した。
「二週間ですか」
黒崎も笑った。
「厳しいですか?」
「厳しいですよ。でも、やりましょう」
* * *
2036年2月24日、午前11時40分。
東京都千代田区、立憲未来党本部。
「黒崎が、独自の制度案を作るそうです」
秘書の報告に、神谷蒼士が顔を上げた。
三十四歳。
昨年の衆議院選挙で、黒崎に敗れた男。
現在は立憲未来党の政策研究員として、社会保障政策の立案に携わっていた。
「……給付付き税額控除か?」
「はい。政府の臨時給付案とは別に、恒久制度を検討するようです」
神谷は資料を読んだ。
そして、少し笑った。
「やっと、そこまで来たか」
秘書が尋ねた。
「黒崎議員の政策を評価されるんですか?」
神谷は首を振った。
「まだ分からない。制度の中身次第だ」
そして続けた。
「所得をどう把握するのか。働き方による不公平をどう防ぐのか。財源をどう確保するのか」
神谷は、机に置かれた資料を指さした。
「そこまで示して、初めて政策になる」
秘書がうなずいた。
神谷は、少し考えた。
「……黒崎に連絡を取ってくれ」
「面会ですか?」
「ああ」
神谷は立ち上がった。
「今回は、討論会じゃない」
そして、静かに言った。
「一緒に制度を検証したい」
* * *
2036年2月26日、午後6時15分。
衆議院議員会館。
「……神谷さんから?」
黒崎は、小野寺の話を聞いて驚いた。
「はい。政策協議の申し入れです」
高瀬が顔を上げた。
「選挙で戦った相手だろ?」
黒崎はうなずいた。
「うん」
「何か裏があるんじゃないか?」
黒崎は、少し考えた。
「……話を聞いてみないと分からないよ」
小野寺は続けた。
「神谷さんは、社会保障政策の専門家として、制度設計上の問題点を指摘したいそうです」
黒崎は、すぐに答えた。
「ぜひ、お願いしましょう」
高瀬は、ため息をついた。
「……お前、本当に誰とでも話すな」
黒崎は笑った。
「政策の話ならね」
その時、真琴が入ってきた。
「黒崎さん。もう一件、連絡があります」
「何でしょう?」
真琴は、少し緊張した表情だった。
「国政自由党の若手議員三人が、国民会計の会への参加を検討したいそうです」
黒崎は、顔を上げた。
「……三人?」
「はい。東条さんの新政改革連合には参加せず、与党にも残らない方向で考えているそうです」
小野寺が、眉をひそめた。
「離党するということですか?」
「まだ正式には決めていないようです」
黒崎は、黙った。
七人。
これまで、政策ごとに協力してくれる議員はいた。
しかし、会派そのものへの参加を希望する議員が現れたのは、初めてだった。
高瀬が、興奮した声を上げた。
「玲司! 三人入ったら十人だぞ!」
黒崎は、うなずいた。
「……そうだね」
「すごいじゃないか!」
黒崎は、少し考えた。
そして言った。
「でも、まずは話を聞こう」
高瀬が、笑った。
「またそれかよ」
黒崎も笑った。
「人数だけ増やしても、意味がないからね」
* * *
2036年2月28日、午後8時。
東京都中央区、会社帰りの人々で賑わう駅前。
黒崎は、桐生美月と並んで歩いていた。
「……三人も、会派に入りたいって?」
美月が驚いた。
黒崎はうなずいた。
「まだ、決まったわけじゃないけど」
美月は、少し笑った。
「すごいですね」
黒崎は首を振った。
「正直、少し怖いです」
美月が足を止めた。
「……怖い?」
黒崎は、駅前を行き交う人々を見た。
「人が増えれば、できることも増える。でも、考え方の違う人も増えると思うんです」
美月は、うなずいた。
「そうですね」
黒崎は続けた。
「七人の時は、全員と直接話せた。でも、十人、二十人、百人になったら……」
美月は、少し考えた。
そして、黒崎を見た。
「黒崎さん」
「はい」
「全員が黒崎さんと同じ考え方になる必要は、ないんじゃないですか?」
黒崎は、顔を上げた。
美月は続けた。
「大事なのは、意見が違っても一緒に考えられることだと思います」
黒崎は、しばらく黙った。
そして、笑った。
「……そうですね」
美月も笑った。
「七人の時と、同じですよ」
黒崎は、うなずいた。
その時。
スマートフォンが震えた。
小野寺からのメッセージだった。
『黒崎さん。先ほどの三人について、追加情報です』
黒崎は、画面を開いた。
そこには、三人の名前と経歴が記されていた。
そして、最後に一文。
『うち一人は、昨年の内閣不信任決議案で賛成票を投じた議員です』
黒崎は、足を止めた。
美月が尋ねた。
「……どうしました?」
黒崎は、画面を見つめた。
「……少し、難しい話になりそうです」
与党を離れようとする三人。
政権への不信任を表明した議員。
そして、独自の政党結成を考え始めた七人。
黒崎玲司の政治活動は、次の段階へ進もうとしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、政府の給付案をきっかけに、黒崎たちが緊急支援と恒久的な制度改革を分けて考え始めました。
また、かつて選挙で戦った神谷からの協議申し入れと、新たな議員の参加希望によって、国民会計の会にも変化が訪れます。
次回は、会派への参加を希望する三人の議員との面談が行われます。




