第33話 総理が恐れた七人
内閣支持率の急落によって、永田町の空気が変わり始めた。
政権を守ろうとする者。
次の総理を狙う者。
そして、どちらにも属さない七人の議員。
黒崎玲司は、初めて総理大臣から直接呼び出される。
東京都千代田区、首相官邸。
「支持率、二十八パーセントか」
内閣総理大臣、相馬孝一は新聞を机に置いた。
就任から二年。
国政自由党を率い、七月の衆議院選挙でも政権を維持した。
しかし、物価高と社会保障負担への不満は収まらなかった。
官房長官が口を開いた。
「与党内からも、政策の見直しを求める声が出ています」
「知っている」
相馬は、窓の外を見た。
「減税案を出しても、支持率は上がらない」
「低所得者への支援が不十分だという批判があります」
相馬は、ため息をついた。
「それも知っている」
官房長官は、一枚の資料を差し出した。
『次の政権に期待する政治家』
その調査で、黒崎玲司の名前が上位に入っていた。
相馬は、眉をひそめた。
「……この男は、まだ一期目だろう」
「はい。今年七月に初当選したばかりです」
「それが、なぜここにいる?」
官房長官は答えた。
「政府案を一律に否定せず、修正を求める姿勢が評価されているようです」
相馬は、資料を見つめた。
黒崎玲司。
七人の小さな会派を率いる新人議員。
選挙前は、ほとんど無名だった男。
「……会ってみるか」
官房長官が顔を上げた。
「黒崎議員に、ですか?」
「ああ」
相馬は、静かに言った。
「何を考えている男なのか、直接聞きたい」
* * *
2035年12月8日、午後3時17分。
衆議院議員会館。
「……総理大臣から?」
黒崎玲司は、電話を終えた小野寺航を見た。
「はい。明日、官邸で面会したいとのことです」
高瀬直樹が、椅子から立ち上がった。
「総理が玲司を呼んだのか?」
小野寺はうなずいた。
「正式な申し入れです」
藤原真琴は、すぐに手帳を開いた。
「面会の目的は?」
「社会保障と税制改正について、意見交換したいそうです」
高瀬が、笑った。
「すごいじゃないか。七人でも総理を動かせるんだな」
しかし、黒崎は浮かない顔だった。
「……どうして今なんでしょう」
小野寺が答えた。
「政権の支持率が下がっているからでしょう」
真琴も、うなずいた。
「黒崎さんと協力する姿勢を見せれば、政権にとっても意味があります」
黒崎は、少し考えた。
「……利用される可能性がある、ということですね」
「はい」
高瀬が言った。
「じゃあ、断るか?」
黒崎は首を振った。
「いいえ。行きます」
そして、静かに続けた。
「政策を前に進められるなら、会うべきだと思います」
* * *
2035年12月9日、午後2時。
首相官邸。
「黒崎先生。お待ちしていました」
相馬孝一は、立ち上がって黒崎を迎えた。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
黒崎は、深く頭を下げた。
相馬は、笑顔を浮かべた。
「ずいぶん若いですね」
「三十五歳です」
「私が三十五歳の頃は、まだ地方議員でしたよ」
相馬は、ソファに腰を下ろした。
黒崎も、向かいに座った。
同席したのは、官房長官と久世隆臣財務副大臣だった。
相馬が口を開いた。
「黒崎先生。最近の活動は、よく見ています」
「ありがとうございます」
「政府の減税案を評価していただいたそうですね」
「はい。ただし、追加支援については修正を求めています」
相馬は、うなずいた。
「承知しています」
そして、少し身を乗り出した。
「今日は、一つお願いがあります」
黒崎は、姿勢を正した。
「何でしょうか」
相馬は、静かに言った。
「来年度の税制改正について、政府と国民会計の会で協力関係を築きたい」
黒崎は、黙った。
相馬は続けた。
「あなた方の提案を、政府の検討にも取り入れたいと考えています」
黒崎は、顔を上げた。
「……具体的には?」
久世が、資料を差し出した。
「税制改正に関する与野党の政策協議です。国民会計の会からも、代表者に参加していただきたい」
黒崎は、資料を読んだ。
政府との協議。
政策の修正。
七人の会派にとって、大きな機会だった。
しかし、資料の最後に、一つの項目があった。
『協議期間中は、政府案への対外的な批判を事前に調整すること』
黒崎は、手を止めた。
「……総理、一つ確認してもよろしいでしょうか」
相馬は、うなずいた。
「どうぞ」
「この事前調整というのは、私たちの発言について政府の了承が必要という意味でしょうか?」
久世が答えた。
「政策協議を円滑に進めるためのものです」
黒崎は、静かに言った。
「……それでは、参加できません」
部屋の空気が変わった。
相馬が、顔を上げた。
「なぜですか?」
黒崎は、まっすぐに答えた。
「政府の政策に賛成することも、反対することも、私たち自身で判断したいからです」
相馬は、黙った。
黒崎は続けた。
「協議には参加したいです。ただし、発言を事前に制限する条件は受け入れられません」
久世が、静かに言った。
「黒崎先生。政府との協力には、一定の信頼関係が必要です」
黒崎は、うなずいた。
「はい」
そして、続けた。
「だからこそ、意見が違う時にも、率直に話せる関係でありたいと思っています」
相馬は、しばらく黒崎を見つめた。
やがて、少し笑った。
「……なるほど」
そして、久世に視線を向けた。
「その条件は、外そう」
久世が、わずかに驚いた。
「総理?」
相馬は、静かに言った。
「意見を言えない相手を呼んでも、意味がない」
黒崎は、顔を上げた。
相馬は続けた。
「黒崎先生。協議への参加を、改めて検討していただけますか?」
黒崎は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。会派の仲間と相談します」
相馬は、うなずいた。
「それで結構です」
* * *
2035年12月9日、午後4時28分。
首相官邸、総理執務室。
黒崎が退出した後。
相馬は、ソファに深く腰を下ろした。
久世が口を開いた。
「総理。事前調整の条件を外して、よろしかったのでしょうか」
相馬は、静かに答えた。
「構わん」
「しかし、黒崎議員は政府を批判する可能性があります」
相馬は、少し笑った。
「するだろうな」
久世は、黙った。
相馬は続けた。
「だが、批判を恐れて協議を拒めば、こちらが逃げたように見える」
官房長官が、うなずいた。
相馬は、机の上の資料を見た。
黒崎玲司。
七人の会派。
そして、与党議員五人との共同提言。
「……あの男は、敵に回すと厄介だ」
久世が、少し笑った。
「以前から、そう申し上げています」
相馬は、静かに続けた。
「だが、味方にしても厄介だろう」
官房長官が尋ねた。
「……では、どうされますか?」
相馬は、少し考えた。
そして、はっきりと言った。
「政策で競争する」
久世が、顔を上げた。
相馬は続けた。
「黒崎の案より、良い案を政府が出せばいい」
そして、静かに笑った。
「それができなければ、我々が政権を担う資格はない」
* * *
2035年12月10日、午後6時36分。
衆議院議員会館。
「……総理が、条件を外したんですか?」
水野彩香が、驚いた。
黒崎は、うなずいた。
「はい」
七人の会派による会議。
黒崎は、前日の面会内容を説明した。
宮原奈緒が、資料を読んだ。
「それなら、政策協議に参加する意味はありますね」
森田悠介も、うなずいた。
「ただし、政府案を支持する義務がないことは、文書で確認した方がいいでしょう」
片岡誠司が言った。
「与党側からの圧力も考えられます」
佐伯健太郎は、静かに答えた。
「それでも、協議の場に入れるなら、地方財政への影響も直接伝えられます」
橘拓真が、身を乗り出した。
「中小企業の負担についても、議論したいです」
黒崎は、六人を見た。
「……参加しても、いいでしょうか」
水野が、少し笑った。
「黒崎さん」
「はい」
「もう、あなた一人で決める会派ではありません」
黒崎は、少し驚いた。
水野は続けた。
「だから、みんなで決めましょう」
黒崎は、うなずいた。
「……そうですね」
議論は、一時間ほど続いた。
そして。
七人は、政策協議への参加を決めた。
ただし、政府案への賛否は各議員が判断すること。
協議内容のうち、公開できる情報は積極的に公表すること。
そして、国民会計の会としての独立性を維持すること。
黒崎は、決定事項を確認した。
「……では、この条件で回答します」
全員が、うなずいた。
* * *
2035年12月12日、午後7時14分。
東京都千代田区、衆議院議員会館。
「……黒崎さん、少しだけ時間ありますか?」
仕事を終えた桐生美月が、事務所を訪ねてきた。
黒崎は、顔を上げた。
「もちろんです」
二人は、廊下の窓際に移動した。
美月は、少し考えてから口を開いた。
「最近、すごく忙しそうですね」
黒崎は、苦笑した。
「……そうですね」
「ちゃんと休めていますか?」
「……あまり」
美月は、ため息をついた。
「やっぱり」
黒崎は、少し笑った。
「美月さんも、仕事が終わってから手伝ってくれているじゃないですか」
美月は、うなずいた。
「はい。でも、私は好きでやっていますから」
黒崎は、静かに答えた。
「……ありがとうございます」
美月は、窓の外を見た。
そして、少し声を落とした。
「……黒崎さん」
「はい」
「私、少し考えていることがあるんです」
黒崎は、顔を上げた。
「何でしょう?」
美月は、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「今の会社を辞めて、黒崎さんの仕事を本格的に手伝おうかなって」
黒崎は、驚いた。
「……え?」
美月は、少し笑った。
「まだ、決めたわけじゃないです」
黒崎は、黙った。
美月は続けた。
「でも、最近思うんです。今の仕事も大切だけど、黒崎さんたちがやっていることを、もっと近くで支えたいなって」
黒崎は、少し考えた。
「……嬉しいです」
美月は、顔を上げた。
黒崎は続けた。
「でも、無理はしてほしくありません」
美月は、うなずいた。
「分かっています」
黒崎は、静かに言った。
「もし本当に考えるなら、仕事内容も待遇も、ちゃんと整理しましょう」
美月は、少し笑った。
「……黒崎さんらしいですね」
黒崎は、首をかしげた。
「そうですか?」
「はい」
美月は、笑った。
「そういうところ、好きですよ」
黒崎は、一瞬言葉を失った。
美月は、少し顔を赤くした。
「……仕事の話です」
黒崎は、慌ててうなずいた。
「……はい」
二人の間に、少しだけ沈黙が流れた。
その時。
黒崎のスマートフォンが鳴った。
小野寺からだった。
『黒崎さん。国会で大きな動きがありました。至急、戻ってください』
黒崎は、画面を見た。
「……すみません」
美月は、うなずいた。
「行ってください」
黒崎は、急いで会議室へ戻った。
* * *
2035年12月12日、午後7時32分。
「……与党の中から、総理の退陣を求める声が?」
黒崎は、小野寺を見た。
小野寺は、うなずいた。
「はい。国政自由党の複数の議員が、党執行部に対して政権運営の見直しを求めています」
高瀬が、驚いた。
「……総理を辞めさせようとしてるのか?」
小野寺は、静かに答えた。
「現時点では、そこまで一致していません。ただし、党内の対立は深まっています」
真琴が、ニュース画面を見せた。
『国政自由党内で首相責任論』
『内閣支持率低迷、党内の不満が表面化』
『来年度予算編成にも影響か』
黒崎は、画面を見つめた。
数日前。
自分は、その総理大臣と直接会った。
政策について話し、協議への参加を求められた。
しかし今。
政権の足元が揺らいでいる。
小野寺が、静かに言った。
「黒崎さん。もし政権が変われば、現在の政策協議も白紙になる可能性があります」
黒崎は、うなずいた。
「……そうですね」
高瀬が尋ねた。
「どうする?」
黒崎は、少し考えた。
そして、はっきりと答えた。
「……今できることを進めましょう」
小野寺が、顔を上げた。
黒崎は続けた。
「総理が誰であっても、国民の生活を良くする政策は必要です」
真琴が、うなずいた。
黒崎は、静かに言った。
「政権が変わっても続けられるように、提案を形にしておきたいです」
その時。
真琴のスマートフォンに、新しい速報が届いた。
『国政自由党、臨時の党役員会を開催へ』
『首相の進退を巡り、週明けにも協議』
黒崎は、画面を見つめた。
政権が揺らぐ時。
国会の力関係は、一気に変わる。
そして、その変化は、七人の小さな会派にも無関係ではなかった。
黒崎は、静かに息を吐いた。
「……大きな動きになりそうですね」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、黒崎が初めて総理大臣と直接会談しました。
政府との協力を進めながらも、発言の自由と会派の独立性を守る。その判断が、七人の結束を強めます。
次回は、与党内の対立が表面化し、政権の行方を左右する動きが始まります。




