第28話 手取りを増やす七人の反撃
七人の仲間を得た黒崎玲司。
しかし、国会では依然として圧倒的な少数派だった。
そんな中、政府が検討する新たな社会保障負担が、働く人々の生活を揺さぶり始める。
黒崎が選んだのは、反対を叫ぶことではなく、政府に代わる具体的な政策を示すことだった。
2035年9月22日、午前8時47分。
東京都千代田区、衆議院議員会館。
「……年間、三万六千円?」
黒崎玲司は、資料を見つめた。
小野寺航が、うなずいた。
「報道されている案の一つです。仮に月三千円の追加負担となれば、年間三万六千円になります」
黒崎は、顔を上げた。
「対象は?」
「現時点では確定していません。所得に応じて負担額を変える案もあるようです」
黒崎は、資料を机に置いた。
「……まだ決まっていないんですね」
「はい。ただし、政府内で検討が進んでいるのは事実のようです」
その時、高瀬直樹が部屋に入ってきた。
「玲司、これ見てくれ」
ノートパソコンには、ニュース番組の街頭インタビューが映っていた。
『物価も上がっているのに、これ以上引かれたら困ります』
『給与が上がっても、手取りが増えない』
『社会保障が必要なのは分かるけど、何に使われるのか説明してほしい』
黒崎は、画面を見つめた。
数か月前。
自分も、同じことを考えていた。
給与明細に並ぶ控除額。
毎月、口座に振り込まれる金額。
働いても、お金が残らない。
その現実を変えるために、国会議員になった。
黒崎は、静かに言った。
「……七人を集めてください」
小野寺が、顔を上げた。
「今日ですか?」
「はい」
黒崎は、はっきりと答えた。
「政府に反対するだけではなく、こちらから提案を出したいです」
* * *
2035年9月22日、午後1時14分。
衆議院議員会館、会議室。
「社会保障の追加負担には、反対です」
橘拓真が、真っ先に口を開いた。
「中小企業も、働く人も、もう限界に近い」
宮原奈緒が、静かに答えた。
「でも、社会保障に必要なお金が不足している問題もあります」
橘は、うなずいた。
「それは分かっています」
宮原は続けた。
「負担を増やさないなら、別の財源を示さなければなりません」
佐伯健太郎が、資料を広げた。
「地方自治体への影響もあります。国が負担を減らして、その分を地方に押し付けるような政策には賛成できません」
森田悠介が、腕を組んだ。
「まず、政府がどの程度の財源不足を見込んでいるのか、数字を確認する必要がありますね」
水野彩香は、全員の意見を聞いていた。
そして、黒崎を見た。
「黒崎さんは、どう考えていますか?」
黒崎は、少し考えた。
「……私は、追加負担をできる限り避けたいです」
宮原が、顔を上げた。
黒崎は続けた。
「ただし、必要な医療や介護を削ってまで手取りを増やすのは違うと思っています」
宮原は、うなずいた。
「そこは同じです」
黒崎は、資料を開いた。
「だから、三つのことを提案したいです」
全員が、黒崎を見た。
「一つ目。政府が想定している財源不足の根拠を公開すること」
森田が、うなずいた。
「必要ですね」
「二つ目。既存の制度や事業の見直しによって、どこまで財源を確保できるか検証すること」
佐伯が、資料に目を落とした。
「はい」
「三つ目」
黒崎は、一度言葉を切った。
「負担を増やす案だけではなく、働く人の手取りを増やす案も、同じ条件で比較することです」
会議室が静かになった。
橘が、顔を上げた。
「……それです」
黒崎は、橘を見た。
橘は続けた。
「政府は、いつも不足するお金をどう集めるかを議論する。でも、国民の生活がどう変わるかは、後回しになりがちです」
宮原が、静かに言った。
「ただし、手取りが増えても、必要な医療を受けられなくなったら意味がありません」
黒崎は、うなずいた。
「はい」
そして、全員を見た。
「だからこそ、両方を比較できるようにしたいんです」
水野は、少し笑った。
「……ようやく、七人でできる仕事が見えてきましたね」
* * *
2035年9月24日、午後3時26分。
東京都千代田区、国会記者会館。
「私たちは、政府が検討する社会保障の追加負担について、代替案を提示します」
黒崎の声が、会見場に響いた。
背後には、六人の議員が並んでいた。
記者たちが、一斉にカメラを向けた。
黒崎は、資料を掲げた。
『国民の手取りを守るための緊急提言』
内容は、四項目だった。
社会保障財源の不足額と算定根拠の公開。
既存事業の効果検証。
追加負担による家計への影響試算。
そして、負担増を回避・縮小する代替策の比較。
記者が質問した。
「黒崎議員。つまり、追加負担には反対ということですか?」
黒崎は、うなずいた。
「現時点では、反対です」
「なぜですか?」
「必要な財源の規模や、他の選択肢が十分に示されていないからです」
記者は続けた。
「では、財源不足が明らかになった場合は、負担増を認める可能性もあるのですか?」
黒崎は、少し考えた。
「……その場合は、国民に選択肢を示す必要があると思います」
会場が、少しざわついた。
黒崎は続けた。
「私は、負担を増やさないと言えば、すべて解決するとは思っていません」
そして、はっきりと言った。
「ただ、国民に負担を求める前に、政府が何を検証したのか。その説明は必要です」
別の記者が尋ねた。
「七人の会派で、政府の方針を変えられると思いますか?」
黒崎は、少し笑った。
「……正直に言えば、簡単ではありません」
記者たちが、ペンを走らせた。
黒崎は続けた。
「でも、議席が少ないから何もしないという選択はありません」
そして、静かに言った。
「七人でできることから始めます」
その言葉は、その日の夕方のニュースで取り上げられた。
* * *
2035年9月25日、午前11時08分。
東京都内、ある中小企業。
「……社長、また保険料が上がるんですか?」
従業員の男性が、不安そうに尋ねた。
社長は、新聞を見ながら答えた。
「まだ決まったわけじゃないらしい」
「でも、上がる可能性はあるんですよね」
「そうだな」
男性は、ため息をついた。
「去年、給与を上げてもらったんですけど……」
社長が、顔を上げた。
「うん」
「物価も上がって、結局あまり余裕がなくて」
社長は、黙った。
自分も、従業員の給与を上げたい。
しかし、会社が負担する社会保険料も増える。
原材料費も、電気代も上がっている。
簡単な話ではなかった。
男性は、新聞の別の記事を指さした。
『無所属七議員、手取りを守る緊急提言』
「……こういうの、実現するんですかね」
社長は、記事を読んだ。
そこには、黒崎玲司の名前があった。
社長は、少し考えた。
「……分からない」
そして、静かに続けた。
「でも、ちゃんと議論してくれるなら、期待したいな」
* * *
2035年9月26日、午後2時42分。
東京都千代田区、衆議院議員会館。
「黒崎さん。政府から回答が来ました」
小野寺が、資料を差し出した。
黒崎は、受け取った。
政府は、追加負担策について、現時点で具体的な制度改正を決定していないと説明した。
一方で、社会保障の持続可能性を確保するため、複数の財源確保策を検討しているという。
黒崎は、資料を読み進めた。
「……家計への影響試算は?」
小野寺は、首を振った。
「公表されていません」
「代替案との比較は?」
「現時点では、具体的な資料が示されていません」
黒崎は、静かに息を吐いた。
「……まだ、足りませんね」
その時。
美月が、部屋に入ってきた。
「黒崎さん。久世副大臣から面会の申し込みです」
黒崎は、顔を上げた。
「……久世さんから?」
「はい」
小野寺が、少し考えた。
「今回の提言についてでしょうか」
黒崎は、うなずいた。
「おそらく」
そして、静かに言った。
「お会いしましょう」
* * *
2035年9月29日、午後4時03分。
東京都千代田区、財務省。
「黒崎先生。今回の提言、拝見しました」
久世隆臣は、穏やかに言った。
黒崎は、頭を下げた。
「ありがとうございます」
久世は、資料を机に置いた。
「国民の手取りを守りたい。その考えは理解できます」
黒崎は、うなずいた。
「はい」
「しかし、社会保障には安定した財源が必要です」
「そのとおりだと思います」
久世は、少し驚いた。
「……では、なぜ追加負担に反対するのですか?」
黒崎は、静かに答えた。
「必要性を判断するための情報が、まだ十分ではないからです」
久世は、腕を組んだ。
「情報がすべてそろうまで、政策を止めるわけにはいきません」
黒崎は、うなずいた。
「はい。だから、期限を決めて比較することを提案しています」
久世は、少し考えた。
「……具体的には?」
黒崎は、資料を差し出した。
「年内に、追加負担案と代替案の家計への影響を比較して公表していただきたいんです」
久世は、資料を読んだ。
そこには、所得階層別の負担額、事業主負担、社会保障サービスへの影響など、比較すべき項目が整理されていた。
久世は、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「……悪くない提案です」
黒崎は、少し驚いた。
「……本当ですか?」
久世は、うなずいた。
「ただし、政府として受け入れるかどうかは別です」
黒崎は、うなずいた。
「承知しています」
久世は、少し笑った。
「黒崎先生。あなたは、以前より政治家らしくなりましたね」
黒崎は、首をかしげた。
「……そうでしょうか」
「ええ」
久世は続けた。
「以前は、政府に説明を求めることが中心だった」
黒崎は、うなずいた。
「はい」
「しかし、今回は政策の比較方法まで提案している」
久世は、静かに言った。
「……そこは評価します」
黒崎は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
しかし。
久世は、続けた。
「ただし、一つだけ申し上げておきます」
黒崎は、顔を上げた。
「何でしょう?」
久世は、まっすぐに言った。
「政策を実現するには、国民の支持だけでは足りません」
黒崎は、黙った。
「国会で、賛成する議員を集めなければならない」
黒崎は、うなずいた。
「……分かっています」
久世は、少し笑った。
「七人では、まだ足りませんよ」
黒崎は、静かに答えた。
「……はい」
そして、続けた。
「だから、増やします」
久世の表情が、わずかに変わった。
黒崎は、まっすぐに言った。
「政策に賛同してくれる議員を、もっと増やしたいと思っています」
久世は、しばらく黒崎を見つめた。
そして、静かに笑った。
「……なるほど」
* * *
2035年9月30日、午後7時18分。
東京都千代田区、衆議院議員会館。
「……七人では足りない、か」
高瀬が、椅子にもたれた。
黒崎は、うなずいた。
「そうだな」
真琴が、資料を整理しながら言った。
「でも、今回の提言で、会派の存在感は大きくなりました」
小野寺も、うなずいた。
「政策協議を希望する議員から、問い合わせが増えています」
黒崎は、顔を上げた。
「……本当ですか?」
「はい」
小野寺は、資料を差し出した。
そこには、複数の議員の名前が記されていた。
与党。
野党。
無所属。
所属は、さまざまだった。
黒崎は、資料を見つめた。
「……こんなに」
美月が、少し笑った。
「黒崎さん。七人になったことで、話を聞いてくれる人が増えたんですね」
黒崎は、静かにうなずいた。
「……そうですね」
その時。
真琴が、スマートフォンを見た。
「黒崎さん。速報です」
黒崎は、顔を上げた。
「何でしょう?」
真琴は、画面を見せた。
『政府、社会保障財源の追加負担策について年内に複数案を公表する方針』
黒崎は、記事を読んだ。
政府は、追加負担策と代替策について、家計への影響を含めた比較資料を年内に示す方向で調整しているという。
高瀬が、目を丸くした。
「……これ、黒崎たちの提案じゃないか?」
小野寺は、静かに答えた。
「政府内でも以前から検討されていた可能性があります。私たちの提言だけが理由とは言えません」
黒崎は、うなずいた。
「はい」
そして、少し笑った。
「でも、方向性は同じですね」
真琴が、うなずいた。
「そうですね」
黒崎は、画面を見つめた。
一人では、できなかったこと。
七人になって、ようやくできたこと。
しかし。
まだ、何も決まっていない。
国民の負担が増えるのか。
それとも、別の道が見つかるのか。
黒崎は、静かに言った。
「……ここからが、本当の仕事ですね」
小野寺が、うなずいた。
「はい」
その時。
美月のスマートフォンが震えた。
画面を見た彼女の表情が変わった。
「……黒崎さん」
「はい」
「神谷さんから、連絡です」
黒崎は、息を止めた。
「……神谷さん?」
美月は、うなずいた。
「はい。神谷蒼士さんです」
東京第八区で、最後まで争った相手。
あの選挙で、黒崎に敗れた改革派の政治家。
黒崎は、静かに尋ねた。
「……何と?」
美月は、メッセージを読み上げた。
『黒崎さん。久しぶりです。あなたたちの提言を見ました。一度、話をしませんか。』
黒崎は、しばらく黙っていた。
そして、静かに笑った。
「……もちろんです」
高瀬が、顔を上げた。
「……神谷って、あの神谷か?」
黒崎は、うなずいた。
「うん」
高瀬は、少し驚いた。
「……選挙で戦った相手だろ?」
黒崎は、静かに答えた。
「そうだよ」
そして、続けた。
「でも、政治の考え方まで、全部違うわけじゃない」
黒崎は、スマートフォンを手に取った。
『ぜひ、お会いしましょう。』
送信する。
数秒後。
返信が届いた。
『ありがとうございます。今度は、選挙ではなく、政策の話をしましょう。』
黒崎は、画面を見つめた。
そして、静かに笑った。
「……面白くなってきましたね」
小野寺が、うなずいた。
「はい」
かつての選挙のライバル。
今は、国会の外にいる改革派の政治家。
その神谷蒼士が、再び黒崎の前に現れようとしていた。
七人の小さな会派が、次に向き合うのは、単なる政策の違いではない。
国の進む方向そのものだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回、黒崎たちは社会保障の追加負担に対し、単なる反対ではなく、具体的な比較と検証を求める提言を行いました。
そして、かつての選挙のライバルである神谷蒼士が、再び登場します。
次回は、黒崎と神谷の再会を通じて、二人の政治に対する考え方の違いが明らかになります。




