第25話 与党議員が持ってきた爆弾
政治家には、表で語る言葉と、裏で交わす言葉がある。
選挙に勝って一か月。
黒崎のもとを訪れたのは、政府を支えるはずの与党議員だった。
彼が持ち込んだのは、政権を揺るがしかねない一枚の資料。
だが、その資料をどう扱うかによって、黒崎自身の政治生命も左右される。
2035年8月25日、午後2時08分。
東京都千代田区、衆議院議員会館。
「初めまして。与党・国政自由党の片岡誠司です」
四十六歳。
当選三回。
党内では行政改革に積極的な若手・中堅議員として知られている。
黒崎玲司は立ち上がり、頭を下げた。
「黒崎です。本日はありがとうございます」
片岡は握手を交わすと、すぐに言った。
「今日は、あまり時間がありません」
黒崎は、少し驚いた。
「何か、お急ぎでしょうか」
「ええ」
片岡は、鞄から薄い封筒を取り出した。
そして、机の上に置いた。
「これを見てください」
黒崎は、封筒を開けた。
中には、数枚の資料が入っていた。
『行政情報基盤統合計画』
『概算事業費 六百八十億円』
黒崎は、目を細めた。
「……六百八十億円?」
片岡は、うなずいた。
「来年度から段階的に実施する構想です」
黒崎は、資料をめくった。
行政機関が保有する情報を統合し、検索や分析を効率化する。
内容だけを見れば、合理的な計画だった。
しかし。
「……この資料、公開されていないものですよね」
片岡は、静かに答えた。
「まだ、政府内で検討中です」
黒崎は、資料を机に置いた。
「では、なぜ私に?」
片岡は、黒崎をまっすぐに見た。
「この計画には、問題があると考えているからです」
「問題?」
「事業の必要性ではありません。進め方です」
片岡は、一枚の紙を指さした。
そこには、複数の省庁と民間事業者が参加する検討体制が記されていた。
「この計画、十分な費用対効果の比較が終わる前に、事業の方向性だけが先に固まりつつあるんです」
黒崎は、眉をひそめた。
「……どういうことでしょう」
「複数の技術方式を比較するはずが、特定の方式を前提にした検討が進んでいる」
片岡は続けた。
「私は、党内で何度も説明を求めました」
「回答は?」
「『今後、適切に検証する』の一点張りです」
黒崎は、黙った。
聞き覚えのある言葉だった。
適切に検証する。
丁寧に説明する。
必要な検討を進める。
どれも大切な言葉だ。
しかし、その言葉だけでは何も分からない。
片岡は、声を落とした。
「黒崎さん。あなたなら、この計画を止められるかもしれない」
黒崎は、顔を上げた。
「……私が?」
「ええ。JAPAN LEDGERで、政府の情報公開に注目を集めたでしょう」
黒崎は、少し考えた。
「ですが、私はまだ一議席しかありません」
片岡は、静かに笑った。
「議席数だけが、政治の力ではありません」
そして、はっきりと言った。
「世論を動かせる人間には、別の力がある」
黒崎は、資料を見つめた。
六百八十億円。
決して小さな金額ではない。
しかし、それ以上に気になることがあった。
「片岡さん」
「はい」
「この資料は、私が持っていて問題ないものですか?」
片岡の表情が、わずかに変わった。
「……何が言いたいんです?」
黒崎は、静かに答えた。
「未公開の政府資料です。情報の取り扱いに問題があるなら、私が公表することはできません」
片岡は、少し黙った。
そして、笑った。
「……慎重ですね」
黒崎は、うなずいた。
「はい」
片岡は、封筒に手を伸ばした。
「では、資料は持ち帰ります」
黒崎は、少し驚いた。
「よろしいんですか?」
「ええ。あなたに見せたかったのは、計画の存在そのものです」
片岡は、封筒を鞄に戻した。
「公開されている資料だけでも、確認できることはあります」
黒崎は、うなずいた。
「分かりました」
片岡は、立ち上がった。
「黒崎さん」
「はい」
「この計画を進めている中心人物が、誰か知っていますか?」
黒崎は、首を振った。
片岡は、静かに答えた。
「久世財務副大臣です」
黒崎は、息を止めた。
* * *
2035年8月25日、午後4時17分。
衆議院議員会館、黒崎事務所。
「……六百八十億円?」
高瀬直樹が、目を丸くした。
黒崎は、うなずいた。
「ただし、まだ検討段階らしい」
小野寺航は、腕を組んだ。
「まず、事実関係を整理しましょう」
黒崎は、うなずいた。
「お願いします」
小野寺は、ホワイトボードに三つの項目を書いた。
一、計画は実在するのか。
二、六百八十億円という数字の根拠は何か。
三、特定の技術方式を前提にしているという指摘は事実か。
藤原真琴が、画面を確認した。
「この三つが分からない状態で発信すると、危険ですね」
黒崎は、うなずいた。
「はい」
高瀬が尋ねた。
「でも、公開資料だけで調べられるのか?」
小野寺は、静かに答えた。
「一部は確認できます」
そして、ノートパソコンを開いた。
「政府のデジタル行政に関する検討会資料に、関連する構想が掲載されています」
黒崎は、画面をのぞき込んだ。
『行政情報の標準化と基盤統合に関する検討』
そこには、行政システムの重複を減らし、情報連携を進める方針が記されていた。
黒崎は、資料を読んだ。
「……方向性自体は、悪くないですね」
小野寺は、うなずいた。
「はい。システムの統合によって、長期的な運用費を削減できる可能性もあります」
高瀬が、少し驚いた。
「じゃあ、問題ないんじゃ?」
小野寺は、首を振った。
「まだ分かりません」
黒崎は、静かに言った。
「計画が必要かどうかと、進め方が適切かどうかは別です」
小野寺は、うなずいた。
「そのとおりです」
真琴が、画面を見ながら言った。
「黒崎さん。もう一つ気になることがあります」
「何でしょう?」
「この計画について、政府側から説明会の案内が出ています」
黒崎は、顔を上げた。
「いつですか?」
真琴は、答えた。
「……明日です」
* * *
2035年8月26日、午前10時31分。
東京都千代田区、政府合同庁舎。
会議室には、報道関係者や議員秘書、行政関係者が集まっていた。
黒崎は、小野寺とともに後方の席に座った。
前方のスクリーンには、大きく表示されていた。
『行政情報基盤統合計画について』
説明に立ったのは、政府の担当局長だった。
「本計画は、行政情報の標準化とシステム運用の効率化を目的としています」
黒崎は、資料を見つめた。
説明は、約三十分続いた。
複数のシステムを統合することで、行政事務を効率化する。
情報の検索性を高める。
長期的な運用コストを抑える。
どれも、理解できる内容だった。
しかし。
質疑応答に入ると、黒崎は手を挙げた。
「衆議院議員の黒崎玲司です」
会場の何人かが振り返った。
担当局長が、うなずいた。
「どうぞ」
黒崎は、資料を開いた。
「計画の必要性については理解しました」
そして、続けた。
「ただ、統合によって削減できる運用費について、具体的な試算はありますか?」
担当局長は、少し考えた。
「現在、精査を進めております」
黒崎は、うなずいた。
「では、複数の技術方式を比較した結果は、公表される予定でしょうか」
「適切な時期に、必要な情報を公表してまいります」
黒崎は、もう一度尋ねた。
「その比較が終わる前に、特定の方式を採用することはありませんか?」
会場が静かになった。
担当局長は、資料に目を落とした。
「……現時点で、特定の事業者を選定した事実はございません」
黒崎は、うなずいた。
「ありがとうございます」
そして、最後に尋ねた。
「では、採用する技術方式を決定する前に、比較の基準と結果を公開していただけますか?」
担当局長は、少し黙った。
「……公開可能な範囲について、検討いたします」
黒崎は、静かに頭を下げた。
「よろしくお願いいたします」
質問は、それだけだった。
しかし。
会場を出た直後、数人の記者が黒崎に近づいてきた。
「黒崎議員!」
「先ほどの質問ですが、政府の計画に問題があるとお考えですか?」
黒崎は、立ち止まった。
「現時点では、問題があると断定していません」
「では、なぜ質問を?」
黒崎は、まっすぐに答えた。
「六百八十億円という規模の計画であれば、どの方法を選ぶのか、その判断過程を国民が確認できることが重要だと思うからです」
記者が続けた。
「政府を批判する意図は?」
黒崎は、首を振った。
「必要な計画なら、進めるべきです」
そして、はっきりと言った。
「ただし、必要だという説明と、進め方が適切だという説明は、別々に必要だと思います」
その言葉が、翌朝のニュースで取り上げられることになる。
* * *
2035年8月27日、午前8時42分。
東京都千代田区、財務副大臣室。
「……片岡が動いたか」
久世隆臣は、新聞記事を見つめていた。
秘書が、静かに答えた。
「黒崎議員への接触は確認されています」
久世は、うなずいた。
「やはりな」
机の上には、昨日の説明会に関する記事が置かれていた。
『黒崎議員、六百八十億円計画の選定過程を質問』
久世は、ため息をついた。
「……片岡は、何を考えている」
秘書は、答えなかった。
久世は、資料を閉じた。
「彼は以前から、この計画に反対している」
秘書が尋ねた。
「黒崎議員を利用しているのでしょうか」
久世は、少し考えた。
「……その可能性はある」
そして、静かに続けた。
「だが、黒崎は簡単に利用される男ではない」
秘書は、顔を上げた。
久世は、新聞記事を指さした。
「見ろ。計画そのものを否定していない」
「はい」
「選定過程の説明だけを求めている」
久世は、少し笑った。
「……厄介だな」
秘書が、首をかしげた。
「厄介、ですか?」
「そうだ」
久世は、静かに答えた。
「無理な要求なら、断ればいい。だが、説明を求められれば、こちらも答えなければならない」
そして、椅子にもたれた。
「……さて、どうするか」
* * *
2035年8月28日、午後3時26分。
衆議院議員会館、黒崎事務所。
「黒崎さん!」
美月が、少し慌てた様子で部屋に入ってきた。
黒崎は、顔を上げた。
「どうしました?」
「片岡議員から、緊急の面会依頼です」
黒崎は、驚いた。
「……片岡さんから?」
「はい」
美月は、続けた。
「今すぐ、お会いしたいそうです」
黒崎は、少し考えた。
「……分かりました」
十分後。
片岡が、部屋に入ってきた。
しかし、前回とは様子が違った。
表情が硬い。
「黒崎さん。少し、話があります」
黒崎は、立ち上がった。
「どうぞ」
片岡は、席に座った。
そして、静かに言った。
「……あなたに、謝らなければなりません」
黒崎は、驚いた。
「……謝る?」
片岡は、うなずいた。
「前回、六百八十億円の計画について、問題があると説明しました」
「はい」
「しかし、私は、あなたにすべてを話していませんでした」
黒崎は、黙った。
片岡は、深く息を吐いた。
「……この計画を巡って、党内で対立が起きています」
黒崎は、うなずいた。
「そうでしょうね」
片岡は続けた。
「久世副大臣は、計画を進めたい。一方、私たちのグループは、検証が不十分だとして慎重な立場です」
黒崎は、静かに聞いていた。
「つまり、党内の政策対立ですか?」
「……それだけではありません」
片岡は、黒崎を見た。
「この計画をきっかけに、党の執行部に不満を持つ議員たちが集まり始めています」
黒崎は、少し驚いた。
「……何人くらいですか?」
片岡は、静かに答えた。
「今のところ、十数人です」
黒崎は、目を見開いた。
「……十数人?」
片岡は、うなずいた。
「ただし、全員が同じ考えというわけではありません」
黒崎は、少し考えた。
「……なるほど」
片岡は、身を乗り出した。
「黒崎さん」
「はい」
「あなたに、お願いがあります」
黒崎は、顔を上げた。
片岡は、はっきりと言った。
「私たちと、一緒に行動してほしい」
黒崎は、黙った。
片岡は続けた。
「政府の行政改革を、外から批判するだけではなく、国会の中で動かしたいんです」
黒崎は、少し考えた。
「……政策協力ということでしょうか」
「そうです」
片岡は、うなずいた。
「まずは、行政情報基盤統合計画の検証を求める共同提案を出したい」
黒崎は、静かに答えた。
「内容を確認させてください」
片岡は、少し驚いた。
「……参加してくれるんですか?」
黒崎は、首を振った。
「まだ決めていません」
片岡の表情が変わった。
黒崎は続けた。
「私は、与党内の対立に参加するために国会議員になったわけではありません」
片岡は、黙った。
「ただし、政策の内容に賛同できるなら、協力します」
片岡は、しばらく黒崎を見つめた。
そして、ゆっくりとうなずいた。
「……分かりました」
黒崎は、静かに言った。
「資料をいただけますか?」
片岡は、鞄から一枚の紙を取り出した。
「これです」
黒崎は、受け取った。
そこには、共同提案の骨子が記されていた。
『行政情報基盤統合計画の費用対効果および技術方式の比較結果について、政府に説明を求める決議案』
黒崎は、内容を読んだ。
そして、顔を上げた。
「……これなら、議論する価値があります」
片岡は、少し笑った。
「ありがとうございます」
しかし。
黒崎は、続けた。
「ただし、一つ条件があります」
片岡が、顔を上げた。
「何でしょう?」
黒崎は、まっすぐに言った。
「党内の権力争いに利用しないことです」
片岡は、黙った。
黒崎は続けた。
「私は、誰かを失脚させるために、この問題を扱うつもりはありません」
片岡は、しばらく考えた。
そして、静かに答えた。
「……約束します」
黒崎は、うなずいた。
「では、政策面で協力しましょう」
片岡は、手を差し出した。
黒崎は、その手を握った。
* * *
2035年8月29日、午後6時14分。
東京都千代田区、衆議院議員会館。
「……与党議員と協力するんですか?」
水野彩香が、少し驚いた。
黒崎は、うなずいた。
「はい。政策の内容に賛同できる部分についてです」
水野は、腕を組んだ。
「……なるほど」
森田悠介が、資料を見た。
「この決議案、内容自体は妥当ですね」
黒崎は、うなずいた。
「私も、そう思います」
水野は、少し考えた。
「ただし、与党内の対立に巻き込まれる可能性はあります」
黒崎は、静かに答えた。
「分かっています」
森田が尋ねた。
「それでも、協力するんですか?」
黒崎は、うなずいた。
「はい」
そして、続けた。
「必要な説明を求めることに、与党も野党も関係ないと思います」
水野は、少し笑った。
「……黒崎さんらしいですね」
森田も、うなずいた。
「では、私も賛成です」
水野は、資料を閉じた。
「私も協力します」
黒崎は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
その時。
美月が、部屋に入ってきた。
「黒崎さん。ニュースが出ています」
黒崎は、顔を上げた。
「何でしょう?」
美月は、画面を見せた。
『与党内で行政改革を巡る対立 若手議員らが政府に説明要求へ』
黒崎は、記事を読んだ。
そこには、片岡の名前が記されていた。
そして、記事の最後に。
『無所属の黒崎玲司議員らも、政策面で協力する方向で調整している』
黒崎は、静かに息を吐いた。
「……もう報道されているんですね」
水野が、うなずいた。
「政治の世界では、話が早いですね」
黒崎は、少し笑った。
「本当に」
しかし。
そのニュースを見ていたのは、黒崎たちだけではなかった。
* * *
2035年8月29日、午後8時03分。
東京都千代田区、財務副大臣室。
久世隆臣は、テレビ画面を見つめていた。
『与党内で行政改革を巡る対立が表面化しています』
画面には、片岡誠司の姿が映っていた。
そして、その隣に。
黒崎玲司。
久世は、静かに笑った。
「……なるほど」
秘書が、顔を上げた。
「副大臣?」
久世は、テレビを指さした。
「片岡は、黒崎を巻き込んだつもりだろう」
秘書は、うなずいた。
「はい」
久世は、続けた。
「だが、あの新人は、誰かの言いなりになる男ではない」
そして、静かに言った。
「……ならば、こちらも動くしかないな」
秘書が尋ねた。
「どうされますか?」
久世は、机の上の電話を取った。
「党の幹事長につないでくれ」
秘書の表情が変わった。
「……幹事長に?」
久世は、うなずいた。
「そうだ」
そして、静かに続けた。
「この問題を、党内だけの話で終わらせるつもりはない」
電話がつながる。
久世は、落ち着いた声で言った。
「……久世です。少し、ご相談したいことがあります」
窓の外では、東京の夜景が広がっていた。
六百八十億円の行政計画。
一人の新人議員が求めた、説明責任。
そして、与党内で静かに広がる対立。
黒崎玲司は、まだ知らなかった。
自分が協力を決めたその瞬間から、国会の勢力図が少しずつ変わり始めていることを。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
政策の是非と、政治家同士の権力争いは、本来分けて考えるべきものです。
しかし、現実の政治では、その二つが重なり合うこともあります。
次回は、与党内の対立がさらに表面化し、黒崎が国会議員として初めて大きな決断を迫られます。




