第24話 政府からの招待状
政治家にとって、政府からの協力要請は大きな機会になる。
政策を実現するためには、時に立場の違う相手とも手を組まなければならない。
しかし、その協力には何が求められるのか。
黒崎は、国会議員になって初めて、自分の信念に値段を付けられることになる。
2035年8月18日、午前10時06分。
東京都千代田区、財務省。
「黒崎先生。本日はお越しいただき、ありがとうございます」
久世隆臣財務副大臣は、穏やかな笑顔で黒崎を迎えた。
黒崎玲司は、頭を下げた。
「こちらこそ、お時間をいただきありがとうございます」
案内された会議室には、久世のほかに三人の官僚が座っていた。
机の上には、分厚い資料が並んでいる。
黒崎の隣には、小野寺航が座った。
久世は、早速本題に入った。
「JAPAN LEDGER、拝見しました」
「ありがとうございます」
「国民に財政情報を分かりやすく伝える。大変意義のある取り組みだと思います」
黒崎は、少し驚いた。
「そう言っていただけるとは思いませんでした」
久世は笑った。
「私を、何だと思っているんですか」
「いえ、そういう意味では……」
「冗談ですよ」
会議室に、小さな笑いが起こった。
久世は、資料を一枚差し出した。
「実は、政府としても同様の情報公開を検討しています」
黒崎は、資料を受け取った。
『財政情報統合公開プロジェクト』
そこには、予算や決算、行政事業の情報を統合し、国民向けに公開する構想が書かれていた。
黒崎は、ページをめくった。
「……かなり似ていますね」
「そうでしょう」
久世は、うなずいた。
「そこで、提案があります」
黒崎は顔を上げた。
「何でしょう?」
「あなたに、このプロジェクトの有識者会議へ参加していただきたい」
黒崎は、驚いた。
「……私が?」
「ええ。国民目線で情報を発信している方の意見は、貴重です」
小野寺が尋ねた。
「議員として、外部有識者の立場で参加するということでしょうか」
「そうです。正式な位置付けは調整しますが、政策への助言をお願いしたい」
黒崎は、少し考えた。
政府の中で、自分の構想を実現できるかもしれない。
それは、願ってもない機会だった。
「……ぜひ、協力したいです」
久世は、満足そうにうなずいた。
「ありがとうございます」
しかし、次の言葉で空気が変わった。
「ただし、一点だけお願いがあります」
黒崎は、久世を見た。
「何でしょう?」
久世は、資料の最後のページを指さした。
『対外発信に関する確認事項』
そこには、こう記されていた。
『本プロジェクトに関連する政策評価および政府の財政方針について、対外発信を行う際は、事前に事務局と内容を調整するものとする。』
黒崎は、文章を読み返した。
「……これは、どういう意味でしょうか」
久世は、穏やかに答えた。
「政府の政策に関する情報が、誤って伝わることを防ぐためです」
「事実確認ということでしょうか」
「ええ。それも含みます」
黒崎は、資料を机に置いた。
「政府の政策を批判する場合も、事前に確認が必要ですか?」
久世は、一瞬だけ黙った。
「内容によります」
黒崎は、続けた。
「では、政府の説明が不十分だと思った場合、その指摘を公表する前にも調整が必要ですか?」
久世の笑顔が、少し薄くなった。
「黒崎先生。協力して政策を進める以上、一定の配慮は必要でしょう」
黒崎は、静かにうなずいた。
「……分かりました」
久世は、少し安心したように笑った。
しかし。
黒崎は、はっきりと言った。
「その条件では、参加できません」
会議室が静まり返った。
久世の表情が止まった。
「……何ですって?」
黒崎は、まっすぐに答えた。
「政府と協力することには賛成です。ただ、政策への意見を発信する自由まで、事前の承認に委ねることはできません」
久世は、ゆっくりと椅子にもたれた。
「黒崎先生。政治には、協調というものが必要です」
「はい」
「何でも自由に発信していては、物事が進まない場合もあります」
黒崎は、うなずいた。
「それも理解しています」
そして、静かに続けた。
「だからこそ、事実確認には協力します。ただし、意見そのものを制限する条件には同意できません」
久世は、しばらく黙っていた。
やがて、ため息をついた。
「……あなたは、本当に難しい人だ」
黒崎は、少し苦笑した。
「よく言われます」
久世は、資料を閉じた。
「残念です」
黒崎は、頭を下げた。
「申し訳ありません」
久世は、静かに言った。
「では、今回の話はなかったことにしましょう」
黒崎は、うなずいた。
「承知しました」
会議室を出る直前。
久世が、黒崎を呼び止めた。
「黒崎先生」
「はい」
「あなたは、正しいことを言っているつもりでしょう」
黒崎は、黙って聞いていた。
久世は続けた。
「しかし、政治で結果を出すには、時に自分の正しさを脇へ置く必要があります」
黒崎は、少し考えた。
そして、静かに答えた。
「……正しさを疑うことは、必要だと思います」
久世は、顔を上げた。
黒崎は続けた。
「でも、国民に説明する責任を脇へ置くことは、できません」
久世は、何も言わなかった。
黒崎は、深く頭を下げた。
「本日は、ありがとうございました」
扉が閉まった。
* * *
2035年8月18日、午後1時24分。
衆議院議員会館、黒崎事務所。
「……また断ったんですか!?」
高瀬直樹が、思わず叫んだ。
黒崎は、うなずいた。
「……うん」
高瀬は、頭を抱えた。
「鷹宮さんの百万円も断って、今度は政府の協力要請まで……」
藤原真琴が、資料を確認した。
「ただ、今回の条件は慎重に考える必要がありましたね」
小野寺が、うなずいた。
「事実確認と、意見発信への事前関与は分けるべきです」
高瀬は、ため息をついた。
「分かるけどさ……」
黒崎は、少し笑った。
「ごめん」
高瀬は、黒崎を見た。
「謝るなよ」
そして、苦笑した。
「そういう奴だって、もう知ってる」
その時、桐生美月が部屋に入ってきた。
「黒崎さん。水野議員からお電話です」
黒崎は、顔を上げた。
「水野さんから?」
「はい。急ぎのご相談だそうです」
黒崎は、受話器を取った。
「黒崎です」
『水野です。今、お時間ありますか?』
「はい。どうしました?」
電話の向こうで、水野彩香が言った。
『一緒に仕事をしませんか』
黒崎は、少し驚いた。
「……政策の件ですか?」
『それもあります。でも、今回は別の話です』
「何でしょう?」
水野は、はっきりと言った。
『国会で、私たちの声をもっと大きくしたいんです』
黒崎は、黙った。
『黒崎さん。一人では、できないことが多いでしょう?』
「……はい」
『私も同じです』
水野は続けた。
『だから、無所属議員同士で協力する会派を作りたいと思っています』
黒崎は、目を見開いた。
「……会派?」
『はい。政策の違いは尊重しながら、国会活動で協力するための枠組みです』
黒崎は、少し考えた。
「……面白いですね」
水野は、笑った。
『そうでしょう?』
「ぜひ、詳しく聞かせてください」
『では、明日、私の事務所で』
「分かりました」
電話を切る。
黒崎は、しばらく受話器を見つめた。
高瀬が尋ねた。
「……何だって?」
黒崎は、顔を上げた。
「会派を作らないかって」
高瀬は、目を丸くした。
「……会派?」
小野寺の表情が変わった。
「それは、大きな話ですね」
黒崎は、静かにうなずいた。
「はい」
* * *
2035年8月19日、午前10時38分。
衆議院議員会館、水野事務所。
「黒崎さん。こちらの方をご紹介します」
水野が、隣の男性を指さした。
「衆議院議員の森田悠介さんです」
四十二歳。
元地方銀行員。
今回の総選挙で、無所属として初当選した議員だった。
森田は、立ち上がった。
「初めまして。森田です」
黒崎は、頭を下げた。
「黒崎です。よろしくお願いします」
三人は、席に座った。
水野が、早速話を始めた。
「私たち、三人とも無所属です」
黒崎は、うなずいた。
「はい」
「そして、国会で政策を実現したいという思いがあります」
森田が続けた。
「ただ、政党に所属していない議員は、国会運営の中で不利になる場面もあります」
黒崎は、うなずいた。
「実感しています」
水野は、資料を広げた。
「そこで、まず三人で協力することを提案します」
黒崎は、資料を見た。
『無所属議員による政策協力会派(案)』
森田が説明した。
「政策がすべて一致している必要はありません」
「はい」
「ただし、国会活動に関する情報共有や、行政改革など共通する政策については協力する」
水野が続けた。
「それぞれの政策判断は、原則として尊重します」
黒崎は、少し考えた。
「……いいですね」
水野は、うなずいた。
「では、参加していただけますか?」
黒崎は、資料を見つめた。
そして、静かに答えた。
「一つ、確認したいことがあります」
水野が、顔を上げた。
「何でしょう?」
「会派として、政策に賛成するかどうかを決める時、意見が分かれたらどうしますか?」
森田が答えた。
「原則として、各議員の判断を尊重します」
黒崎は、うなずいた。
「それなら、参加したいです」
水野は、笑った。
「ありがとうございます」
森田も、うなずいた。
「よろしくお願いします」
三人は、握手を交わした。
黒崎は、静かに思った。
――一人では、できなかったことがある。
だが、三人なら。
少しだけ、できることが増えるかもしれない。
* * *
2035年8月20日、午後2時06分。
東京都千代田区、衆議院議員会館。
「……三人になったんですね」
美月が、静かに言った。
黒崎は、うなずいた。
「はい」
高瀬は、嬉しそうに笑った。
「七人まで、あと四人!」
真琴が、すぐに訂正した。
「まだ国民会計の会に三人が加入したわけではありませんよ」
高瀬は、少し困った顔をした。
「……そうだった」
小野寺が、うなずいた。
「今回は、国会活動で協力する会派です。政治団体への参加とは別です」
黒崎は、静かに答えた。
「分かっています」
そして、少し笑った。
「でも、仲間が増えたのは嬉しいです」
その時。
美月が、スマートフォンを見た。
「黒崎さん。ニュースが出ています」
黒崎は、顔を上げた。
「何でしょう?」
美月は、画面を見せた。
『無所属新人三議員、政策協力会派の結成へ』
記事には、黒崎、水野、森田の名前が並んでいた。
黒崎は、少し驚いた。
「……もう記事に?」
真琴が、うなずいた。
「注目されているんですよ」
高瀬が、笑った。
「いいじゃないか!」
しかし。
小野寺は、別の記事を見つめていた。
「……黒崎さん」
「はい」
「こちらも見てください」
画面には、別の見出しが表示されていた。
『財務副大臣、無所属議員の財政情報発信に懸念』
黒崎は、眉をひそめた。
「……またですか」
小野寺は、うなずいた。
「ただし、今回は黒崎さんの名前が出ています」
黒崎は、記事を読んだ。
『久世財務副大臣は、黒崎玲司議員が公開したJAPAN LEDGERについて、国民の関心を高める取り組みとして一定の評価を示した。一方、行政事業の評価には専門的な知識が必要であり、誤解を招かない運用が求められると述べた。』
黒崎は、しばらく画面を見つめた。
そして、静かに言った。
「……そのとおりですね」
高瀬が、驚いた。
「え?」
黒崎は、顔を上げた。
「専門的な知識は必要です。誤解を招かないようにすることも、大切です」
真琴が、少し笑った。
「では、反論はしませんか?」
黒崎は、うなずいた。
「はい。指摘は受け止めます」
そして、続けた。
「ただし、公開は続けます」
小野寺が、静かにうなずいた。
「それでいいと思います」
* * *
2035年8月21日、午後5時42分。
東京都千代田区、財務副大臣室。
「……会派を作ったか」
久世隆臣は、新聞記事を見つめていた。
秘書が、静かに答えた。
「はい。黒崎、水野、森田の三議員です」
久世は、資料を机に置いた。
「まだ三人だ」
「はい」
「しかし、これから増える可能性はある」
秘書は、うなずいた。
久世は、少し考えた。
「……黒崎玲司」
その名前を、静かにつぶやいた。
「一議席なら、ただの新人だった」
秘書は、黙って聞いていた。
久世は続けた。
「だが、仲間を増やし始めたなら、話は変わる」
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「彼の動きを、しばらく見ておこう」
秘書は、うなずいた。
「承知しました」
久世は、窓の外を見た。
国会議事堂。
その中で、無所属の新人議員たちが、小さな会派を作ろうとしている。
久世は、静かに笑った。
「……政治は、面白いな」
* * *
2035年8月22日、午後6時18分。
東京都千代田区、衆議院議員会館。
「黒崎さん。新しい面会の申し込みです」
美月が、部屋に入ってきた。
黒崎は、顔を上げた。
「どなたですか?」
「……与党の衆議院議員です」
黒崎は、驚いた。
「与党?」
「はい」
美月は、メールを確認した。
「三期目の議員で、行政改革に関する意見交換を希望されています」
小野寺が、顔を上げた。
「……与党議員が?」
黒崎は、少し考えた。
「……お会いしましょう」
美月は、うなずいた。
「承知しました」
黒崎は、窓の外を見た。
国会議員になって、一か月。
一人だった自分に、仲間ができた。
そして今。
与党の議員まで、会いに来ようとしている。
黒崎は、静かに息を吐いた。
「……少しずつ、動いてきましたね」
小野寺が、うなずいた。
「はい」
しかし。
その与党議員が持ち込む話は、黒崎の想像を超えるものだった。
それは、単なる政策協力ではない。
政権の内部で、静かに進み始めていた対立。
そして、黒崎玲司という新人議員を、国政の中心へ引きずり込む最初の一歩だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
政策を実現するためには、政府との協力も、議員同士の連携も必要です。
しかし、協力することと、自分の判断を相手に委ねることは違います。
次回は、与党議員との接触をきっかけに、黒崎が政権内部の問題へ踏み込んでいきます。




