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支持率0%の男が、日本を作り直すまで  作者: 霜月 七日
第1章 怒れる納税者

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20/100

第20話 支持率0%の男、国会へ

一枚の給与明細から始まった、小さな挑戦。

資金も、組織も、政治経験もなかった男が、ついに最初の選挙結果を迎える。

だが、選挙に勝つことと、政治を変えることは同じではない。

2035年7月16日、午前7時03分。

東京都杉並区、投票所前。

黒崎玲司は、投票所の入口を見つめていた。

まだ朝早いというのに、建物の前には十数人が並んでいる。

仕事へ向かう会社員。

杖をついた高齢の男性。

小さな子どもを連れた夫婦。

誰もが、一票を投じるために集まっていた。

黒崎玲司(くろさきれいじ)は、列の最後尾に並んだ。

今日は、選挙運動ができない。

候補者として支持を呼びかけることも、街頭で演説することもない。

ただ、一人の有権者として投票する。

それだけだった。

順番が来た。

投票用紙を受け取り、記載台の前に立つ。

黒崎は、鉛筆を握った。

自分の名前を書く。

ほんの数秒で終わる作業だった。

だが、その数秒のために、三か月近く走り続けてきた。

最初の街頭演説。

誰も足を止めなかった駅前。

一人目の支持者。

百万円の支援を断った日。

車を売った日。

そして、昨夜の最後の演説。

黒崎は、投票用紙を折った。

投票箱へ入れる。

小さな音がした。

それだけだった。

特別な演出も、拍手もない。

黒崎は、静かに投票所を出た。

外では、夏の日差しが強くなり始めていた。

「……終わったな」

思わず、そうつぶやいた。

しかし、すぐに首を振った。

違う。

まだ、何も終わっていない。

* * *

2035年7月16日、午後7時48分。

東京都杉並区、選挙事務所。

「あと十二分……」

高瀬直樹(たかせなおき)が、壁の時計を見つめていた。

事務所には、約五十人が集まっていた。

活動を支えてきた仲間たち。

地域の協力者。

そして、数人の報道関係者。

机の上には、紙コップとペットボトルのお茶。

誰もが落ち着かない様子だった。

藤原真琴(ふじわらまこと)は、ノートパソコンを開いていた。

「高瀬さん。時計を見ても、時間は早く進みませんよ」

「分かってるよ!」

「五分前にも同じことを言っていました」

「……そうだっけ?」

真琴は、小さく笑った。

その隣では、小野寺航(おのでらわたる)が選挙結果の集計画面を準備していた。

桐生美月(きりゅうみづき)は、スタッフに飲み物を配っている。

黒崎は、部屋の隅に座っていた。

「黒崎さん」

美月が近づいてきた。

「お茶、どうぞ」

「ありがとうございます」

黒崎は、紙コップを受け取った。

美月は、隣の椅子に座った。

「緊張していますか?」

「……かなり」

「そうでしょうね」

黒崎は、少し笑った。

「美月さんは?」

「私もです」

黒崎は、少し驚いた。

「そうなんですか?」

「当然です」

美月は、静かに続けた。

「この三か月、ずっと見てきましたから」

黒崎は、紙コップを見つめた。

「……本当に、いろいろありましたね」

「はい」

「最初は、百人の支持者を集めることすら難しかった」

美月は、うなずいた。

「そうでしたね」

黒崎は、少しだけ笑った。

「それが、今は選挙結果を待っている」

美月は、黒崎を見た。

「黒崎さん」

「はい」

「結果がどうなっても、今日までの活動に意味はあったと思います」

黒崎は、静かにうなずいた。

「……ありがとうございます」

その時。

事務所のテレビから、時報が流れた。

午後八時。

投票が締め切られた。

高瀬が、勢いよく立ち上がった。

「始まった!」

* * *

2035年7月16日、午後8時02分。

東京都杉並区、選挙事務所。

テレビ画面に、選挙特番が映し出された。

『衆議院議員総選挙 開票速報』

全国各地の選挙区で、次々と当選確実が報じられていく。

しかし。

東京第八区には、まだ何も表示されなかった。

アナウンサーが言った。

『東京第八区は、与党現職の三崎健吾氏、立憲未来党の神谷蒼士氏、無所属新人の黒崎玲司氏による接戦となっています』

高瀬が、テレビに近づいた。

「……接戦!」

真琴は、すぐに言った。

「まだ分かりません」

画面には、三人の顔写真が並んでいた。

三崎健吾。

神谷蒼士。

黒崎玲司。

黒崎は、自分の写真を見つめた。

数か月前まで、政治家になることすら考えていなかった。

その自分が、今、現職議員や野党統一候補と並んでいる。

それだけでも、不思議な感覚だった。

しかし。

「……勝ちたいな」

黒崎は、小さくつぶやいた。

美月が、隣でうなずいた。

「はい」

その声は、静かだった。

だが、迷いはなかった。

* * *

2035年7月16日、午後9時26分。

東京都杉並区、選挙事務所。

「開票率、三十八%です!」

スタッフの声が響いた。

小野寺が、画面を確認した。

『東京第八区 開票速報』

三崎健吾――39,800票

神谷蒼士――38,600票

黒崎玲司――36,900票

高瀬が、叫んだ。

「差が縮まってる!」

黒崎は、画面を見つめた。

三崎との差は、二千九百票。

神谷との差は、千七百票。

だが、まだ開票は半分にも達していない。

長谷川が、腕を組んだ。

「落ち着いてください」

高瀬が振り返った。

「またそれですか!」

「当然です」

長谷川慎吾(はせがわしんご)は、真顔だった。

「開票の進み方には地域差があります。今の順位が、そのまま最終結果になるとは限りません」

黒崎は、静かにうなずいた。

「分かっています」

その時、テレビから別のニュースが流れた。

『与党は全国で議席を減らす見通しとなっています』

画面には、全国の選挙結果が表示されていた。

長谷川が、小さくつぶやいた。

「……政権にも、影響が出そうですね」

黒崎は、テレビを見た。

自分たちの選挙だけではない。

日本中で、多くの人が政治の行方を見守っている。

その中の、たった一つの選挙区。

それが、東京第八区だった。

* * *

2035年7月16日、午後10時41分。

東京都杉並区、選挙事務所。

「……逆転した」

高瀬の声が、震えていた。

黒崎は、顔を上げた。

画面には、新しい数字が表示されていた。

『東京第八区 開票率82%』

黒崎玲司――88,420票

三崎健吾――86,970票

神谷蒼士――85,610票

黒崎は、息を止めた。

一位。

自分の名前が、一番上にあった。

事務所がざわついた。

「黒崎さんがトップだ!」

「本当か!?」

「あと少しだ!」

しかし、長谷川は表情を変えなかった。

「まだです」

黒崎は、うなずいた。

「……はい」

残り十八%。

どの地域の票が残っているのか。

どの候補者が強い地域なのか。

まだ、分からない。

黒崎は、両手を握りしめた。

その時。

事務所の電話が鳴った。

美月が受話器を取った。

「はい。黒崎玲司選挙事務所です」

数秒後。

美月の表情が変わった。

「……承知しました。ありがとうございます」

電話を切る。

黒崎が尋ねた。

「どうしました?」

美月は、静かに答えた。

「三崎陣営からです」

事務所が静かになった。

「……三崎さんから?」

「はい。結果が確定した後、候補者同士でご挨拶できれば、とのことです」

黒崎は、少し驚いた。

「……そうですか」

美月は、うなずいた。

「はい」

黒崎は、静かに言った。

「ぜひ、お願いします」

その時。

テレビの音が大きくなった。

『東京第八区、まもなく当選確実をお伝えできる見込みです』

事務所の全員が、画面を見た。

誰も、声を出さなかった。

* * *

2035年7月16日、午後11時08分。

東京都杉並区、選挙事務所。

『東京第八区、無所属新人の黒崎玲司氏、当選確実です』

一瞬。

誰も動かなかった。

黒崎は、画面を見つめた。

そこには、自分の顔写真が映っていた。

その横に、大きな文字。

『当選確実』

高瀬が、最初に声を上げた。

「……勝った?」

真琴が、画面を確認した。

「……はい」

高瀬は、黒崎を見た。

「玲司!」

そして、叫んだ。

「勝ったぞ!!」

事務所に、大きな歓声が響いた。

拍手。

笑い声。

涙を流すスタッフ。

黒崎は、しばらく動けなかった。

当選。

自分が。

国会議員に。

「……本当に?」

思わず、そうつぶやいた。

長谷川が、静かに近づいてきた。

「黒崎さん」

「……はい」

「おめでとうございます」

長谷川は、深く頭を下げた。

「あなたの勝ちです」

黒崎は、目を閉じた。

胸の奥から、何かが込み上げてきた。

最初の街頭演説。

誰も聞いてくれなかった。

政治家からの支援を断った。

車を売った。

批判された。

笑われた。

それでも、ここまで来た。

黒崎は、ゆっくりと立ち上がった。

そして、仲間たちを見た。

高瀬が、泣きながら笑っていた。

小野寺は、静かに拍手していた。

真琴は、目元を押さえていた。

そして、美月。

美月は、少しだけ涙を浮かべていた。

黒崎は、深く頭を下げた。

「……ありがとうございます」

声が、震えた。

「皆さんのおかげです」

拍手が、さらに大きくなった。

黒崎は、何度も頭を下げた。

* * *

2035年7月16日、午後11時32分。

東京都杉並区、選挙事務所。

「黒崎さん、当選のご感想をお願いします!」

記者たちが、マイクを向けた。

黒崎は、少し緊張しながら答えた。

「……まだ、実感がありません」

記者たちが、少し笑った。

黒崎は続けた。

「ただ、本当に多くの方に支えていただきました」

そして、深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

記者が質問した。

「今回、無所属新人として現職議員を破りました。勝因は何だと思いますか?」

黒崎は、少し考えた。

「……国のお金の使い方について、同じ疑問を持つ方が多かったのだと思います」

「今後、どのような活動を?」

「まず、選挙でお約束した行政支出の透明化に取り組みたいです」

別の記者が尋ねた。

「消費税の引き下げについては?」

黒崎は、静かに答えた。

「財源を確認せずに実施するつもりはありません。必要な検証を進め、実現可能な方法を探ります」

記者は、うなずいた。

「最後に、有権者へ一言お願いします」

黒崎は、少し考えた。

そして、まっすぐにカメラを見た。

「……私は、今日から国会議員になります」

一瞬、言葉を止めた。

「でも、今日から偉くなるわけではありません」

会場が静かになった。

黒崎は続けた。

「皆さんから、仕事を任せていただいたのだと思っています」

そして、はっきりと言った。

「だから、仕事の内容を、皆さんに説明します」

黒崎は、深く頭を下げた。

「これから、よろしくお願いいたします」

* * *

2035年7月17日、午前0時14分。

東京都杉並区、選挙事務所。

最終的な開票結果が、発表された。

『東京第八区 開票結果』

黒崎玲司――108,642票 当選

三崎健吾――105,381票

神谷蒼士――102,907票

その他候補――該当なし

三人の差は、わずか数千票だった。

長谷川は、資料を見つめた。

「……本当に、接戦でしたね」

黒崎は、静かにうなずいた。

「はい」

三崎とは、三千二百六十一票差。

神谷とも、六千票に満たない差。

一歩間違えれば、結果は逆だった。

黒崎は、画面を見つめた。

十万八千六百四十二票。

その一票一票に、誰かの判断がある。

自分を信じてくれた人。

迷いながら投票してくれた人。

期待を込めて名前を書いてくれた人。

黒崎は、静かに息を吐いた。

「……重いですね」

美月が、隣に立った。

「何がですか?」

「十万票以上の期待を背負うことです」

美月は、少し考えた。

「……そうですね」

黒崎は、うなずいた。

「でも、逃げません」

美月は、静かに微笑んだ。

「はい」

その時。

黒崎のスマートフォンが震えた。

差出人は、神谷蒼士だった。

『当選、おめでとうございます。悔しいですが、今回は私の負けです。選挙中にお話しした行政の透明化について、ぜひ実現してください。今度は国会の外から、厳しく見させてもらいます。』

黒崎は、しばらく画面を見つめた。

そして、返信した。

『ありがとうございます。神谷さんと議論できたことは、私にとって大きな経験でした。これからも、ぜひ意見を聞かせてください。』

送信。

黒崎は、スマートフォンをしまった。

その直後。

もう一件、メッセージが届いた。

差出人は、三崎健吾。

『当選おめでとうございます。選挙結果は、地域の皆様の判断です。今後のご活躍を期待しています。』

黒崎は、驚いた。

そして、静かに返信した。

『ありがとうございます。三崎先生のこれまでのご経験から、学ばせていただくことも多いと思います。今後ともよろしくお願いいたします。』

送信。

黒崎は、少しだけ笑った。

選挙では、敵だった。

しかし、政治を変えるためには、これからも多くの人と話さなければならない。

それが、国会議員になるということなのだろう。

* * *

2035年7月17日、午前1時03分。

東京都杉並区、選挙事務所。

スタッフたちが帰り始め、事務所は静かになっていた。

黒崎は、一人で壁の予定表を見つめていた。

『7月16日 投開票』

その日付に、赤い丸が付いている。

「……終わりましたね」

後ろから、美月の声がした。

黒崎は、振り返った。

「はい」

美月は、隣に立った。

「お疲れさまでした」

「美月さんも、本当にありがとうございました」

美月は、少し笑った。

「まだ、お礼を言うんですか?」

黒崎も笑った。

「何度でも言います」

二人は、しばらく黙っていた。

やがて、美月が口を開いた。

「黒崎さん」

「はい」

「これから、どうするんですか?」

黒崎は、少し考えた。

「……まず、国会の仕事を覚えます」

美月は、うなずいた。

「そうですね」

「それから、政策を実現するための仲間を増やしたいです」

「国民会計の会を?」

「はい」

黒崎は、静かに続けた。

「一人では、できることに限界がありますから」

美月は、少し考えた。

そして、黒崎を見た。

「……私も、これからの関わり方を考えたいと思っています」

黒崎は、顔を上げた。

「……そうですか?」

「はい。今は会社の仕事もありますし、これまでと同じようには動けないかもしれません」

黒崎は、うなずいた。

「もちろんです」

美月は、少しだけ微笑んだ。

「でも、黒崎さんが何をするのか、これからも見ていたいと思っています」

黒崎は、静かに笑った。

「……ありがとうございます」

窓の外では、夜明け前の東京が静かに広がっていた。

数か月前。

一枚の給与明細を見て、政治に疑問を抱いた会社員がいた。

誰も知らない男だった。

支持者は、ゼロ。

政治経験も、組織もなかった。

その男が、今。

十万八千六百四十二票を獲得し、国会議員になった。

しかし。

黒崎玲司は、まだ知らなかった。

国会には、選挙よりもはるかに大きな壁が待っていることを。

そして。

国民の期待を集めることが、いつか自分自身を追い詰めることになることを。

黒崎は、窓の外を見つめた。

「……ここからですね」

美月が、静かにうなずいた。

「はい」

黒崎は、小さく笑った。

「日本を、少しずつ変えていきましょう」

その言葉に、美月も微笑んだ。

一人の会社員の挑戦は、終わった。

そして。

一人の政治家の物語が、始まった。


第1章「怒れる納税者」――完。

第1章「怒れる納税者」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

給与明細への小さな疑問から始まった黒崎の挑戦は、ここで一つの区切りを迎えます。

しかし、政治家になることは、政治を変えるための出発点にすぎません。

次回からは、第2章「日本を変える男」が始まります。

国会という新たな舞台で、黒崎玲司の本当の戦いが幕を開けます。

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