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支持率0%の男が、日本を作り直すまで  作者: 霜月 七日
第1章 怒れる納税者

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第16話 三百万円を握りしめた無名候補

政治家になると宣言することと、実際に選挙に立候補することは違う。

覚悟だけでは越えられない壁がある。

そして、覚悟を示したからこそ、初めて見えてくる敵もいる。

2035年6月28日、午前10時12分。

東京都千代田区、貸会議室。

「記者、何人来るんだ?」

高瀬直樹(たかせなおき)が、会議室の椅子を並べながら尋ねた。

藤原真琴(ふじわらまこと)は、ノートパソコンから顔を上げた。

「今のところ、取材申し込みは四社です」

「四社!」

高瀬は目を輝かせた。

「全国ニュースになるんじゃないか?」

「一社は地域のネットメディア。二社は政治専門のウェブ媒体。もう一社は新聞社の地域担当です」

「……テレビは?」

「来ません」

「そうか……」

高瀬は、露骨に肩を落とした。

真琴は笑わなかった。

「無名の新人が出馬を表明するだけで、全国放送されると思いますか?」

「いや、まあ……」

「だから、今日の目的はテレビに映ることではありません」

真琴は、演台の前に立った。

「黒崎さんが、何を変えるために立候補するのか。それを、記事にできる言葉で伝えることです」

部屋の隅では、黒崎玲司(くろさきれいじ)が原稿を読み返していた。

その手は、わずかに震えていた。

「緊張していますか?」

桐生美月(きりゅうみづき)が声をかけた。

「……かなり」

「街頭演説より?」

「はい。今日は、逃げ道がなくなる気がして」

美月は、少し考えた。

「逃げ道は、最初からあったと思います」

黒崎が顔を上げる。

「政治に不満があっても、何もしないという選択です」

「……そうですね」

「でも、黒崎さんは、その道を選ばなかった」

美月は、原稿を指さした。

「なら、今まで考えてきたことを、そのまま話せばいいと思います」

黒崎は、少しだけ笑った。

「ありがとうございます」

その時、長谷川慎吾(はせがわしんご)が入ってきた。

「黒崎さん。最後に確認します」

「はい」

「会社との調整は?」

「今月末をもって退職することで合意しました。引き継ぎも終えています」

「生活費は?」

「当面の分は、別に確保しています」

長谷川は、うなずいた。

「供託金の準備は?」

黒崎は、鞄から書類を取り出した。

「車の売却代金を含め、三百万円を確保しました。供託手続きに必要な確認も進めています」

長谷川は、ようやく表情を緩めた。

「よろしい」

そして、黒崎の肩を軽くたたいた。

「では、政治家になりたい会社員ではなく、政治家を目指す候補予定者として話してください」

黒崎は、深くうなずいた。

「はい」

* * *

2035年6月28日、午後1時03分。

東京都千代田区、貸会議室。

カメラのシャッター音が響いた。

演台の前に立った黒崎は、四人の記者を見渡した。

会場の後方には、活動を支える仲間たちもいる。

黒崎は、一度だけ息を吸った。

「本日は、お集まりいただきありがとうございます」

声は、思ったより落ち着いていた。

「私は、黒崎玲司、三十三歳です。これまで民間企業で働いてきました」

黒崎は、手元の原稿を見た。

そして、それを閉じた。

「政治家になろうと思ったきっかけは、給与明細でした」

記者の一人が顔を上げた。

「毎月、働いて給料をもらう。そのたびに、税金や社会保険料が差し引かれます」

黒崎は続けた。

「私は、その負担がすべて間違っているとは思いません。社会保障も、公共サービスも、必要です」

少し間を置いた。

「ですが、負担が増える理由について、私たちは十分な説明を受けているでしょうか」

シャッター音が鳴った。

「国民に負担をお願いする前に、国は何を見直したのか。どんな効果があったのか。それを、誰でも確かめられるようにしたい」

黒崎は、顔を上げた。

「私は、次の衆議院議員総選挙に、東京第八区から無所属で立候補する予定です」

会場が静まり返った。

そして、再びシャッター音が響いた。

「政治団体『国民会計の会』の仲間とともに、国のお金の使い方を分かりやすくする政治を目指します」

黒崎は、深く頭を下げた。

「よろしくお願いいたします」

* * *

「質問です」

最初に手を挙げたのは、新聞社の記者だった。

「黒崎さんは、消費税の減税を目指していると聞いています。具体的には何%に引き下げたいのでしょうか」

黒崎は答えた。

「将来的には、現在の十%から八%への引き下げを目標にしたいと考えています」

記者がすぐに続けた。

「財源は?」

「現時点で、必要な財源を確保できると証明できていません。ですから、実施時期を約束することはしません」

別の記者が手を挙げた。

「それでは、公約として弱いのでは?」

黒崎はうなずいた。

「そう受け取られるかもしれません」

「では、なぜ八%を掲げるのですか?」

「国民の手取りと家計の負担を改善したいからです。ただし、税率を下げることで生じる歳入減を無視するわけにはいきません」

黒崎は、用意した政策資料を掲げた。

「まずは支出と政策効果を検証する。その結果を公開し、負担軽減の方法を議論する。私は、その順番を守りたいと思っています」

三人目の記者が質問した。

「今回の選挙は、三崎健吾議員と神谷蒼士氏の対決になると見られています。勝てると思っていますか?」

黒崎は、一瞬だけ言葉に詰まった。

だが、正直に答えた。

「今の状況では、非常に厳しいと思っています」

記者が眉を上げた。

「では、なぜ出馬を?」

黒崎は、まっすぐに答えた。

「勝てると分かっている選挙にしか出ないなら、新しい人間が政治に挑戦する機会はなくなってしまいます」

会場が静かになった。

「もちろん、私は勝つつもりで準備しています」

黒崎は続けた。

「でも、今の政治に納得できない人が、選択肢を持てることにも意味があると思うんです」

最後の記者が、手を挙げた。

「選挙資金について質問します。以前、現職政治家から百万円の支援を断ったそうですね」

黒崎はうなずいた。

「はい」

「一方で、今回は寄附を募っています。矛盾しませんか?」

黒崎は、少し考えた。

「支援そのものを否定したわけではありません」

そして、続けた。

「政策発信に条件が付く形の支援は受けられない、という判断でした」

「では、今の寄附は?」

「寄附の受け入れに必要な確認を行い、会計記録を管理しています。法令上公開が必要な情報に加え、活動資金の使い道も、できる限り分かりやすく示す方針です」

記者は、手元に何かを書き込んだ。

黒崎は、静かに言った。

「私が目指しているのは、お金を使わない政治ではありません」

少し間を置く。

「お金の使い方を、説明できる政治です」

* * *

2035年6月29日、午後7時21分。

東京都杉並区、商店街。

「黒崎さん!」

街頭活動を終えた黒崎に、若い男性が駆け寄ってきた。

「昨日の会見、見ました!」

「ありがとうございます」

「俺、政治とか全然興味なかったんですけど……」

男性は、少し照れくさそうに笑った。

「給料の話、めちゃくちゃ分かるんですよ」

黒崎はうなずいた。

「そうですか」

「でも、正直に言うと、減税できるか分からないって話には、がっかりしました」

黒崎は、男性を見た。

「……そうですよね」

男性は続けた。

「ただ、できないことをできるって言われるよりは、いいかなって」

黒崎は、少し笑った。

「ありがとうございます」

男性は、手に持っていた資料を見た。

「俺、何か手伝えることありますか?」

黒崎は、驚いた。

「……本当ですか?」

「はい。休みの日くらいなら」

黒崎は、深く頭を下げた。

「ぜひ、お願いします」

少し離れた場所で、美月がその様子を見ていた。

隣にいた真琴が、スマートフォンを確認する。

「……反応が出ていますね」

「はい」

美月は、微笑んだ。

「会見の記事が、いくつか掲載されました」

真琴は、画面を見せた。

『給与明細から国政へ。無所属新人が出馬表明』

『減税の時期は約束せず。異色の新人候補が掲げる透明化』

『東京第八区、三つどもえの可能性』

美月は、最後の記事を見つめた。

「……ようやく、名前が載りましたね」

真琴はうなずいた。

「はい。でも、これで終わりではありません」

「分かっています」

真琴は、黒崎の方を見た。

「名前を知ってもらった次は、投票する理由を作らなければなりません」

* * *

2035年6月30日、午後9時08分。

東京都千代田区、貸会議室。

「……二百十四人」

高瀬が、画面を見ながら言った。

黒崎は顔を上げた。

「何が?」

「継続的に活動へ参加する意思を確認できた人の数」

黒崎は、驚いた。

「二百十四人?」

「そう!」

高瀬は笑った。

「一週間ちょっとで、かなり増えた!」

美月が補足した。

「ただし、全員が選挙運動に参加できるわけではありません。実際の活動日程や担当は、個別に確認しています」

長谷川がうなずいた。

「それでいい。人数だけ増やしても、現場は回りません」

真琴は、地図を広げた。

「すでに、街頭活動に参加できる方を地域ごとに整理しています」

黒崎は、資料を見つめた。

二百十四人。

まだ、十万票には遠い。

しかし、かつて一人で駅前に立っていた自分にとっては、信じられない数字だった。

長谷川が、腕を組んだ。

「黒崎さん」

「はい」

「明日、供託手続きを済ませましょう」

黒崎はうなずいた。

「はい」

「そして、七月四日。立候補の届出を行います」

会議室が静かになった。

あと四日。

正式に候補者になる日が、近づいていた。

その時、美月が一枚の資料を差し出した。

「黒崎さん。もう一つ、確認していただきたいものがあります」

「何でしょう?」

黒崎は、資料を受け取った。

そこには、選挙期間中の活動計画が記されていた。

駅前での演説。

地域ごとの街頭活動。

政策説明。

インターネットでの情報発信。

そして、一番下に書かれた一行。

『候補者本人の休息時間を確保すること』

黒崎は、思わず笑った。

「……休息時間まで?」

美月は、真顔で答えた。

「当然です」

「でも、選挙期間中は……」

「倒れたら、活動できません」

黒崎は、言葉を失った。

高瀬が笑った。

「美月さんの言うとおり!」

真琴もうなずいた。

「候補者の体調管理は、広報上も重要です」

小野寺が、静かに言った。

「判断力が落ちた状態で政策発言をするのは、避けたいですね」

黒崎は、苦笑した。

「……分かりました」

美月は、少しだけ微笑んだ。

「よろしい」

その言い方が、どこか先生のようで。

黒崎は、思わず笑ってしまった。

* * *

2035年7月1日、午後2時17分。

東京都内、供託手続き窓口。

黒崎は、必要な書類を確認していた。

三百万円。

車を売り、貯金を使い、ようやく準備した資金だった。

窓口で手続きを進めながら、黒崎は不思議な感覚を覚えていた。

数か月前。

自分は、政治家になるなど考えたこともなかった。

毎朝、会社へ行き。

仕事をして。

給料をもらい。

税金や社会保険料が引かれた給与明細を見て、ため息をつく。

そんな、ごく普通の会社員だった。

しかし今。

自分は、国政選挙への立候補に向けて、三百万円を供託している。

黒崎は、手続きを終え、書類を受け取った。

外へ出ると、夏の強い日差しが照りつけていた。

スマートフォンが震えた。

高瀬からだった。

『どうだった?』

黒崎は、短く返信した。

『終わった』

すぐに返事が来た。

『よっしゃ! いよいよだな!』

黒崎は、少し笑った。

そして、空を見上げた。

「……いよいよ、か」

その時。

別の通知が届いた。

ニュース速報だった。

『東京第八区、現職三崎氏が街頭演説で無所属新人を批判』

黒崎は、画面を開いた。

記事には、三崎健吾議員の発言が掲載されていた。

『政治は、思いつきや理想論だけで動かせるものではありません』

『経験も実績もない人物に、国の将来を任せるわけにはいかない』

黒崎は、しばらく画面を見つめた。

自分の名前は、直接出されていなかった。

しかし、誰に向けた言葉なのかは明らかだった。

黒崎は、スマートフォンをしまった。

怒りは、不思議と湧かなかった。

むしろ。

「……見てもらえているんだな」

そう、思った。

無名の会社員だった自分が、現職議員から批判される存在になった。

それは、選挙が本当に始まろうとしている証拠だった。

黒崎は、歩き始めた。

* * *

2035年7月3日、午後11時41分。

東京都杉並区、選挙事務所。

「……全部、確認できました」

美月が、書類を机に置いた。

長谷川がうなずいた。

「明日の届出に必要なものは、そろっています」

高瀬は、椅子にもたれかかった。

「やっとここまで来た……」

真琴は、壁に貼られた予定表を見つめた。

『7月4日 公示』

『7月16日 投開票』

黒崎は、事務所を見渡した。

借りたばかりの、小さな事務所。

机は中古品。

椅子の種類もばらばら。

壁には、手書きの予定表。

立派な設備など、何もない。

それでも、そこには仲間たちがいた。

黒崎は、静かに口を開いた。

「……皆さん」

全員が顔を上げた。

「ここまで、本当にありがとうございます」

高瀬が、笑った。

「またそれかよ」

黒崎も笑った。

「何度でも言わせてくれ」

そして、深く頭を下げた。

「明日から、正式な選挙戦が始まります」

黒崎は、ゆっくりと顔を上げた。

「必ず勝てるとは言えません」

長谷川は、黙って聞いていた。

「でも、ここまで来た以上、最後まで戦います」

真琴が、静かにうなずいた。

小野寺も、少しだけ笑った。

美月は、黒崎を見つめていた。

黒崎は続けた。

「国のお金の使い方を、誰でも分かるようにする」

そして、はっきりと言った。

「その約束を、最初の一歩にしたいと思います」

高瀬が、拳を握った。

「よし!」

会議室に、小さな拍手が起こった。

黒崎は、窓の外を見た。

夜の東京。

いつもどおりの街。

しかし、明日からは違う。

自分の名前が、正式に選挙の候補者として並ぶ。

黒崎は、静かに息を吐いた。

「……明日だ」

その時。

真琴のスマートフォンが震えた。

画面を確認した彼女の表情が変わった。

「……黒崎さん」

「はい」

「明日の朝、三崎議員が記者会見を開くそうです」

黒崎は、顔を上げた。

「……記者会見?」

真琴はうなずいた。

「内容は、まだ公表されていません」

長谷川が、腕を組んだ。

「公示日の朝に、ですか」

真琴は、静かに言った。

「おそらく、選挙戦の主導権を握るつもりでしょう」

黒崎は、少し考えた。

そして、ゆっくりとうなずいた。

「……分かりました」

美月が尋ねた。

「どうしますか?」

黒崎は、まっすぐに答えた。

「予定どおり、立候補します」

長谷川が、少しだけ笑った。

「それでいい」

黒崎は、壁の予定表を見つめた。

『7月4日 公示』

ついに、その日が来る。

無名の会社員だった男が、国政選挙に挑む。

そして。

その選挙が、後に日本の政治を大きく変えることになるとは。

この時、誰も知らなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

選挙への挑戦には、政策だけでなく、資金や手続き、支える人々の存在が欠かせません。

次回から、いよいよ正式な選挙戦に入ります。

黒崎は、経験豊富な現職議員と野党統一候補を相手に、どのような戦いを見せるのでしょうか。

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