6-4
赤い唇を半円に歪めて、ナタリアはその挑発を受け流す。
「魔女だなんて物騒な言い方ね。後世に語り継がれるとしたら、あの子こそが魔女とされるでしょうに」
その言葉に、ドレンは拳を強く握る。
遠い先の時代で最愛の娘が解放されたときに、身に覚えのない罪で雁字搦めになってしまっているのは心苦しい。それでもいまは守り抜く手立てがなくて、こんな結末となってしまった。
「……なんて、私だっていい気分ではないよ。あの子はとてもいい弟子だったもの。叶うなら一緒に王都まで来てほしかった」
「心にもないことを」
「まさか! そうじゃなかったらこんなことに手を貸さない。それくらいわかるよね」
ナタリアは湖を取り巻く森の奥をスッと指差す。
「この先にちょうどいい洞穴がある。決着はそこで。まあ、どうなろうとも私がすることは変わらないんだけどね」
そうだ。獣人の辿る結末は変わらない。
気づいたときにはもう遅かった。この魔女にすべて蝕まれていた。大切な娘を傷つけて遠ざけることでしか守れなかった。
いまも頭がおかしくなりそうだ。
いや、もうすでにおかしいのか。
「約束通りに、あの子には手を出さない」
「違えれば」
「そのときは地獄にでも殺しに来てくれない? いつでも待ってるよ」
洞穴の中はまだ魔物の巣にはなっていないようで、場所的にも人間が立ち入るようなことにはならないだろう。
ドレンは剣をしっかり握って、ナタリアのほうを向く。
人間の王が差し向けてきた魔女は、これからこの剣で刺し貫かれるというのに飄々とした態度を崩さない。
「ああ、恐怖がないわけじゃないよ。痛いのは嫌い。でも喚いたってどうにもならないことを喚き続ける気にならないだけだよ。それくらいの矜持はあるからね」
「……謝罪はしない」
「それは私の台詞だよ。あなたたち獣人は、私たちの王様にとって脅威だ。いくら穏やかに暮らしていきたいだけなんだと訴えてもね、その力がある限りいつ牙を剥かれるのかわからない。そんな不安を抱えながら隣に座るのは、人間には難しい話なんだよ」
それで、獣人を滅ぼすために遣わされたのがナタリアだった。
無害な顔をして入り込み、気づいたときには彼女の魔法で精神汚染が進んでいた。シシュへのどうしようもない嫌悪や憎悪が生まれ、肥大化していき、いつ爆発するともしれなかった。
ナタリアは獣人の手でシシュを殺させるつもりだった。
そして、獣人の街で獣人が人間を惨殺したからという大義名分で、今度は彼女が獣人を殺す。
そういうシナリオに向かっていたところを、ドレンが修正した。獣人が滅ぶという結末自体は変えられない。しかし、過程だけは変えられるはずだと、ナタリアに訴えた。
ナタリアを殺したところで、獣人たちを蝕む魔法が解けるかどうかもわからない。
それに新たな魔術師が送り込まれ、火種が増えていくだけだ。
ドレンは決断するしかなかった。
戦争か。シシュの命か。
「戦争になればこちらの被害も尋常じゃなくなるし、他の国から横槍が出るかもしれない。それなら私一人の命であなたたちを刈り取れるなら安いものだよ。王様からも許可を得たから、新しい魔術師が来ることもない。これで可愛い弟子の命は守れる。恨まれはするだろうけどね」
「それでもいい。いつか未来で、平和に生きていけるなら」
「……それじゃあ、始めようか。この魔法……呪いはね、長い時間を掛けてじわじわとあなたたちを絡め捕っていく。一度に全員を殺すことは私一人では不可能だから、この呪いで確実に一人一人命を奪っていくよ。あなたたちの力を削げればそれでいいんだ。これなら、私たちの王様の憂いを晴らせる」
ナタリアは地面に魔法陣を描いていく。
複雑で、奇怪で、自分ではただの意味不明な落書きに見える。娘ならこれを見てどういった意味合いなのかわかってしまうのだろう。
ナタリアは何度かシシュを人間の国へ連れ出そうと考えたらしい。しかしあの子は首を振った。
嬉しく思うと同時に、それがあの子の命を奪ってしまうのだと思うとやるせなかった。
「さあ。準備万端だ。いつでもどうぞ」
両手を広げてナタリアが笑う。
その身体に吸い込まれるように、剣の切っ先が埋め込まれていった。皮膚を裂く感触が剣を握った手へと伝わってくる。
腹を貫かれて激痛に苛まれているだろうナタリアは苦しそうに息を吐いて、口から零れた血を指で拭った。
赤く染まった指で、ドレンの額に触れる。
「この血を以て、願う……」
地面の魔法陣にも血が滴ると、それは黒い光を発し始めた。
「我が、怨敵への……死の、祝祭を」
ドレンの額は焼けるように熱くなり、視界は真っ赤に染まった。
人間の謀略に抵抗し続けて悲惨な道を歩むことよりも、たった一人の娘の命を守るためだけに屈した自分が言うことではないかもしれないが……。
「同胞たちよ、すまない……」
先に逝く。
そしてこの呪いを引っ提げて、皆を死なせることとなるだろう。
それでも、何度だってこの選択をすることになる。
「シシュ……」
出会ったのは偶然だった。拾ったのは哀れに思ったからだった。
育てたのは、獣人の中で人間の子供が立派に育てば、獣人への偏見が減るかもしれないという下心が、確かにあった。
魔法を使えると知ったとき、純粋なだけの喜びではなかったかもしれない。
抑えきれない嫌悪をシシュに抱いたとき、魔法のせいであったとはいえ泣かせてしまった。しかしもう二度と獣人と関わってはいけない。優しいあの子は、人間の中でこそ生きていくべきだ。
ああ……何も与えることができなかった……。己が獣人じゃなければ、もっと広い世界を見せてやれたんだろう。豊かな人間の営みの中で、様々な体験を与えてやれたはずだ。
不甲斐無く弱かった父親が、願っていいものかわからないが……。
「未来でどうか、幸せに生きなさい」
▼ ▼ ▼
頬を湿ったものが通り過ぎていった。見上げても天井だ。どこか地盤が緩んで湧き水が滴っているという様子もない。
ほらまた、ツウーっと。
「なに、なんですこれ。さっきから」
拭っても拭っても濡れる。
乱暴に拭おうとするとラスカの手に止められる。
「ラスカ……」
「一族を率いる者として、その決断が正解だったかはわからないが……その生き様は尊敬に値する。泣くな、シシュ。おまえの父親は娘に憎まれることになったとしてもおまえを守りきったんだ。それならおまえは悲しみに膝を折るんじゃなくて、立ち続けるために前を向け。俺たちにはまだやることがあるだろう」
過去の出来事の再現が終わると、黒い霧が濃度を増した。
この黒い霧はナタリアの魔法だ。これが、獣人だけを狙う呪いの正体。術者本人の命を糧に発動させた呪いの魔法は、五百年もの時間を掛けながらじわじわゆっくりと獣人の命を毟ってきたのだろう。
ナタリアの死体からも徐々に魔力を搾り取って、彼女の肉体が滅んでからは大気中の魔力を少しずつ溜め込みながら術式を発動させてきたのか。
「教えてくれ、シシュ。俺はどうすればいい。どうしたら、この呪いをぶち壊せる」
「……あ、の骨。お父さんの骨が、媒体になっています。この呪いの核はあそこに……」
シシュが試しに炎蛇を放つも、黒い霧に阻まれ炎蛇は霧散していった。
「あの霧も魔法なら俺の剣で斬れないか?」
「霧自体に核はありませんから無理ですよ、すぐ再生します。だから……力任せになるのでこの洞穴が崩落するかもしれませんが、私の最大限の力を込めて、魔力の塊をぶつけるとか」
黒い霧ごと圧し潰すくらい強い魔力をぶつけたら、衝撃で呪いの媒体となっているドレンの骨も粉砕されることだろう。
「……その前に、少しでも骨を回収しておくか?」
「いいえ」
いいえ、と。もう一度首を振る。
ナタリアの魔法は完璧だ。呪いの媒体となっていた物が少しでも残っていたら、呪いがひっそりと生き続けるかもしれない。
あれが父の骨であろうと、完全に壊し尽くすべきだ。
「私はリーリーを助けるためにここまで来ました」
「……かっこいいな、シシュ」
「ふ、ふざけたこと言わないでください!」
目尻に残っていた涙を拭って、私は強く前を睨んだ。
黒い霧は私の攻撃の意思を感じ取ったのか、霧でカマのような物を作り出す。
「時間稼ぎは任せろ」
「はい。お願いします」
飛んできた霧のカマを、ラスカは剣で弾き飛ばした。
私は深呼吸をして、魔力を研ぎ澄ませていく。
「——ナタリア。悪く思わないでくださいね。あなたの魔法、めっちゃくちゃにしちゃいますから」




