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6-3

「それならやっぱり、私はここにいたいです」


 多くの人間にとって獣人は恐れる存在なのだとしても、ナタリアの言う極めて一部の人間たちはその恐れを乗り越えて歩み寄ってくれている。

 それなら私も人間としてこの街にいて、そして獣人に育てられた娘として、楽しく暮らしている姿を見せることができたら——。


「いいなって、思ってくれないですか。獣人って、思っていたより怖くないなって。ナタリアみたいな人たちがその王都って所にたくさんいるんだったら、私ってきっとそんなに特別な魔術師じゃないですよ。私はナタリアほどうまく魔法を使えませんから。でも、そんな私でも獣人と楽しく仲良く暮らせていますよって示せたら、きっと皆怖くなくなると思うんです。だから私、この街を離れません。お父さんと一緒に、皆と一緒に生きていきたいですから。……いまはちょっと、色々とすれ違いがありますけど。でも絶対に仲直りしてみせます!」


 心の中でぐるぐるモヤモヤしていたものが晴れていくようだった。

 魔法を使える人間の私が、獣人であるドレンに拾われた意味。

 ナタリアのように器用ではないけれど、私だって獣人と人間の懸け橋になれるはずだ。


「だから、ごめんなさい。私は行けないです。でも、私のことを思って言ってくれていたのはわかっています」

「どうしても変わらないかしら」

「はい。こればっかりはどうしても」

「そう……。残念ね」


 ナタリアは立ち上がって土を払うと、私のほうは一切見ずに背を向けてしまった。

 挨拶もそこそこに立ち去る背中を見て、怒らせてしまったかと不安になる。

 ナタリアは私を心配して誘ってくれていたのに悪いことをしてしまった。でも私は自分で選んだこの道が間違っていると思わないし、これ以上揺らぐことはなかった。


 私は魔法が好きだ。楽しい。

 でもその根幹にあるのは、獣人たちの役に立ちたいという願いだ。だからナタリアの言う通りに王都へ行ったとして、そこで私は笑って過ごせるかわからない。

 彼女の気遣いを無駄にしてしまったのは心苦しいが、そこだけはもう変わることはなかった。


 その日の夜、自室で寝ていると乱暴に扉を開かれた。

 慌てて飛び起きて、魔法で室内を明るく照らすと……父が苦痛に顔を歪めながらそこに突っ立っていた。

 どうかしたのかと心配になって近寄ると、とても強い力で腕を掴まれる。骨が軋むほど、痛かった。


「お父さん、痛い……っ」

「来い」


 ドレンは私の言葉に耳を貸さず、私は引きずられるように外へ出される。

 そこには街の獣人たちが揃っていて、手に持っている物を私へと投げてきた。花瓶だったり、石だったり、とにかく色々な物を。

 痛い、やめてと叫んでも、彼らの目は血走っていて、表情も見たことがないほど憎しみを浮かべていた。

 皆が口々に私への罵倒を叫ぶ。


 私は咄嗟に魔法で、投げつけられる物を弾いた。もうわけがわからなかった。

 ドレンは私を無理矢理に歩かせ、街の外へ連れて行く。

 そこは湖だった。ナタリアと魔法の練習のために何度も訪れている。

 街の外で結界水晶の範囲外だというのに、魔物は一匹も襲ってこなかった。まるで誰かが寄せ付けないようにしているかのように。


「……お前こそが、災いだ」

「お父さん……?」

「お前なんて……っ、拾わなければよかったんだ」


 ドレンは私を湖へと投げ飛ばした。

 世界がゆっくりと動いている。ドレンは、父は私を憎々しげに見ていた。私は咄嗟に手を伸ばすけれど、ドレンがそれを取ってくれるはずもない。

 湖に落ちる直前に、湖の水が私を包み込む。ナタリアの魔法だ。彼女の姿は見えないが、そう感じる。

 しかし、球体となったそれは私を岸まで運ぶでもなく、湖の中心地へと向かう。

 そして湖の底から浮かんできたのは棺だった。人間一人が入れそうな、ちょうど……私が入れるくらいの。


「あ……、やだ、なんで! なんで! お父さ、お父さんっ!」


 私の身体は棺の中に収められた。身動きが取れない。

 混乱と恐怖で泣き喚く私の耳に、父だった獣人の声が届く。


「お前なんて愛していない。ずっと邪魔だったんだ。忌々しい人間の子供。役に立つかと思って拾ったのに、少しも役に立ちはしない」


 棺の蓋が閉じていく。最後に見える空は星の瞬きが一つもなく、のっぺりと黒く塗り潰したかのようだった。

 父は、腹の内にずっとそれを溜めていたのか。

 それもそうか。

 実の親に疎まれた私が、他の誰かに愛されるわけがない。

 そして私は役立たずで、魔法以外に何もできないのに、その魔法だってナタリアがいなければ争いの火種になるところだった。

 少しも、ちっとも、獣人の役に立てなかった。


「本当に、憎らしい娘だった」


 ——だったら。

 私はありったけの魔力を内側からぶつけて、閉まろうとする蓋を押し留めた。


「だったら殺せばよかったのに!!」


 それでも閉まる力のほうが強くて、私の視界はあっという間に闇に染まった。


▼ ▼ ▼


「このときの……感情が、ずっと頭にこびりついて……」


 私は顔を両手で覆って、大きく息を吐いた。

 ラスカは私の身体を支えると、暗い湖の底へとっぷりと沈んでいく棺の映像を見届ける。


「長い封印から解放されたと思ったら、気に入らない耳が見えたんだ。それはまあ、殺したくなるよな」

「なんて軽い」

「そうか? 胃もたれしそうだけどな。これ以上ないってほど最悪な光景を見せられてる。俺は自分が獣人であることに誇りを持って生きてきたが、これは揺らぎそうだ」


 重苦しくなる感情を抑えて、私は黒い霧へと視線を戻した。


「何なんですか。こんなものを見せて」

「動揺させて攻撃の隙でも窺ってるのかと思ったが、そういう気配はまったくないな」

「確かに最初は獣人全員ぶっ殺してやりたくなるくらい最悪な気持ちでしたが、いまを生きる獣人と五百年前のことは無関係ですから。彼らに復讐したって私の五百年間がどうこうなるわけじゃないですし」


 ラスカも、リーリーも、トールも、エンフィも。まだ会話したことはないが集落に住む他の獣人たちも。

 私を虐げようと思えばできたことをしなかった。

 獣人が呪い殺されるという事態が五百年前からずっと続いているというのに。無力な私に対して暴力を振るうことはなかった。

 人間にも様々な内面の者たちがいるように、獣人だってそうだ。


「獣人がどうして呪い殺されるようになっていったのか。確かに疑問はありますが、当時あなたが言ったんですよ。人間は獣人を恐れている、と。私が封印された後に、何かいざこざでもあったんでしょうか。あなたほどの腕前なら、長く続く呪いの術式を編むことは可能でしょうね」


 私を封印した者と、呪いの術者は同一人物だ。

 この魔力の気配を間違えるわけがない。


「ナタリア。いったいどうして聖なる乙女という伝説になったのか知りませんが」


 黒い霧はゆらりと揺れる。

 その手元らしき所にある父ドレンの骨。

 愛されていなかったにしても、私が野垂れ死ぬことがなかったのは確かに彼のおかげだ。


「私が心置きなく自由に生きていくために、その呪いは断ち切らせていただきます」


 炎蛇を召喚した私の隣で、ラスカが「少し待て」と制止の声を掛けてきた。


「なんです? リーリーはもう十分待ちくたびれているはずです」

「映像が変わった」

「え……?」


▼ ▼ ▼


 沈んでいく、娘を閉じこめた棺を苦しそうに見つめながらドレンは、大きな拳を地面に叩きつけた。何度も。皮膚が裂けて血が溢れようとも繰り返し、それを続けた。

 娘の最後の叫びはしっかりとこの耳に届いていた。

 あんな言葉を吐かせるために、拾い育ててきたわけではなかったのに。守ることができなかった。

 無力な自分では、愛する娘をこうすることでしか……。


「あら。自分から頼んできたくせにずいぶんな嘆きようね」


 忌々しい声が傍に立つ。


「……これで憂いなくおまえを殺せるな、魔女め」

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