5-2
「そうだ、シシュ。薬ありがとう」
よく効いたと言いながら、ラスカは脇腹の傷跡を見せるために服を捲った。
隣に座っているトールがすかさずその頭を叩く。
「何をする」
「女性の目の前であなたが何をしてるんですかっ」
「薬の効き具合を見せただけだろうに。シシュの薬は本当にすごいぞ。なあ、皆の分も作ってくれないか?」
こいついま何を言った?
私のことを災厄の魔女と認識しているのに、そんな相手に薬を求めるなんて頭の中がどうかしている。
しかしトールとエンフィはその提案に対して特に問題意識はないようだった。
「わ、私が毒を混ぜるとかは思わないのですか」
「そのつもりなら最初からやっているだろ?」
「安心させて、あとから……なんてこともあります」
「おまえにそんな器用なことができるとは思えない」
舐められているような気がする。私を災厄の魔女と見なしているくせに、どうしてそういうことを言えるのか。
ラスカだけでなく、トールとエンフィも、私に向く視線の中に警戒色はない。それは私の魔法を封じているからではないだろう。
「なあ、聞かせてくれ」
落ち着いた口調。瞳はとても凪いでいる。
「おまえは本当に、災厄の魔女なのか?」
私は嵌められている魔封じの腕輪に触れた。解析はかなり進んでいて、あとはもう……機を見てという段階まできている。
逃げるなら数日中にでも可能だ。それなのに、こうして私の畑を貰って色々と植えているのは従順であるように見せるためのアピールで、彼らを助けようなんてものじゃなくて……。
そのはず、なんだ。
私は獣人とはきっぱり縁を切って、たった一人で生きてみようと。
思っている。そうだ。私はそう思っている。
「瞳が揺らいだな。動揺している。思えば、最初からそうだった」
「そんなことありません。私は、災厄の魔女です」
「でも俺たちを助けてくれている」
「助けてません。こんな物を着けられているんです。仕方なくおまえたちに付き合っているだけ」
「……言い方を変えるか。おまえ、災厄の魔女と言い伝えられているが、本当は呪いとはまったく関係ないんじゃないか?」
心臓が跳ねる。呼吸が一瞬乱れた。
ラスカは目を細めて、私を観察している。
「本当のことを言ってほしい」
「本当のことです」
「おまえが災厄の魔女じゃないからって、俺はおまえを傷つけたりしない」
三人の視線が私に集まっている。見守るような、気遣うような、温かさを感じる。
いまなら……と頭を上げてきそうなくだらない感情を口の中で噛み殺す。信じようなんて思ったら駄目だ。
その果てに、私は五百年も封じられていたのだから。
「私は災厄の魔女です。おまえたち獣人は憎くて仕方ない」
「……強情だなあ」
なんだか居心地が悪い。まるで私が言うことを聞かない子供のように、ラスカは苦笑して肩を竦める。
「信じてほしい、なんて陳腐なことしか言えないが、これまでの生活で示してきたつもりだ。俺はおまえに危害を加えるつもりはちっともない。だって確信している。おまえは災厄の魔女じゃない」
「何を馬鹿なことを……。私がおまえとトールを殺そうとしたことを忘れたのですか」
「ああ、おまえは怯えていた。仕方ないことだっただろ?」
——怯えていた。
——誰が。
「怯えていないっ! さっきから馬鹿なことばかり言って、何のつもりですか」
グッと握りしめた私の手に、小さな手が触れる。
下を向けば、薄く目を開いて寝ぼけ眼のリーリーが私を心配そうに見上げていた。
「シシュ様……」
「……ごめんなさい、起こしてしまいましたね」
「どこか、痛いの……?」
「リーリー?」
起き上がって、リーリーは私の手をゆっくりと撫でた。
荒立っていた心が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「大丈夫、大丈夫……」
リーリーの手が止まる。
私は魔封じの腕輪に魔力感知を妨害されているが、それでも何かが迫ってきているのを感じ取れるくらいに、それは異様なものだったんだろう。
ぞわりと鳥肌が立って、私は咄嗟にリーリーを突き飛ばす。
リーリーの目が驚きに見開くと同時に、それは苦悶に変わった。ああ、私は選択肢を間違えた。
リーリーを突き飛ばしたところで、迫ってきていた何かは最初からリーリーを狙っていたんだ。私は壁になることなく、異様なそれはリーリーを包み込んだ……ように、私には見えた。
「リーリー!!」
倒れたリーリーは胸を掻き毟りながら悶えて、間を置かずに口から血の塊を吐き出す。
ラスカがリーリーへ手を伸ばす前に、私は魔封じの腕輪をぶち壊した。本来なら時間を掛けて術式を削っていくところを、無理矢理に破壊したものだから私の手首から上腕部分は魔力の奔流に耐えられずズタズタに皮膚が裂かれている。
痛みは瞬時に脳へと到達し、苦痛の声が喉から漏れそうになる。
それらを私は飲み込んで、リーリーの身体に手を置いた。血が腕を伝ってリーリーの服を汚してしまう。
「やめろエンフィ!」
私の首に、エンフィの短剣が添えられている。薄い皮膚が裂けて、そこもじくじくと痛み始める。
気にすることじゃない。どうだっていい。
いまはただ、リーリーの命を繋ぎ止めないといけない。
「だめだめだめ!」
魔法で元の正常な状態にまで戻そうとするが、まったく効果がない。
ならばと呪い返しを行うが、これも手ごたえがない。相手の術者は相当な手練れか、呪い返しの対策を取られているか。
五百年から続く獣人への呪いを、誰がどうやって受け継ぎ続けている?
それに、いまこうして腕輪から解放されてすべての感覚が研ぎ澄まされていると、リーリーにまとわりついている呪いの気配について、どこか懐かしさのようなものを感じる。
私の知っている者だとでもいうのか。それは少なくとも五百年は生きていることになる。
不死、または不老になるための方法は存在しない。
そして五百年に私が関わってきた人たちの中で高度な呪いを扱えるほどの手練れは、たった一人しか思いつかなかった。
「……リーリー、リーリーお願いまだ頑張って」
もしも、この呪いが五百年も前に私が封じられたことと関係しているのなら。
それが長い時間の中で風化せずに、彼ら獣人を苦しめているというのなら。
私が……、私を、あのとき、私を突き放したあの人が、そうじゃなかったんだとしたら……。
「……時よ、暫しその歩みを緩めて、哀れな私に慈悲をください」
淡い光がリーリーを包んで、薄い膜を張る。
すると苦しんでいたリーリーの顔が和らいで、ピクリとも動かなくなった。
「……何をしましたか」
「リーリーを魔法で一時的に隔離しました。暫くは呪いの進行を抑えられるはずです」
エンフィは私の首に添えていた短剣を引かせると、浅く息を吐いた。
「首、手当てします」
「いえ。いまは時間が惜しいので大丈夫です。それに、気にしていません。当然だったと思いますし」
見方によっては私がリーリーを害そうとしたと見えただろう。加えて私は腕輪の拘束を無理矢理に壊したのだ。
エンフィが申し訳なく思う必要はないし、その判断を後悔してほしくもない。
本当に危険人物であったときに躊躇する時間は命取りになる。
それに、肝心なことは何も言わずに、信頼関係を築こうともしてこなかった私に文句を言う資格はないんだ。
「リーリーはいま、呪いを受けています。魔法で妨害しているところですが長くはもちません。なので大本を叩くしかないです」
逃げればいいのに。私はいま自由自在に魔法を扱えて、ラスカとエンフィがいるにしても魔法でトールとリーリーを狙えば彼らは必ず守りに徹するしかなくなる。その隙に逃げ出してしまえばいい。そうすれば私はやっと自由の身だ。
好きな場所に赴き、好きに生きればいい。五百年の鬱憤を晴らしに、気ままに生きてしまえばいい。
それなのに、本当に私は馬鹿だ。結局こういうことになるんだから。
私には、彼らを……獣人を見捨てる選択肢なんて最初から選べなかったのに。
「ラスカは同行してください。歩きながら、話します」




