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肌が粟立つのを感じる。術式がうまく機能し、ホーリーミントに蓄えられている魔力、それら全てが私の支配下に置かれた。
息を吸って、吐く。大丈夫。落ち着いている。
見据える先には鋭貫兎の群れ。
巣から更に飛び出てきたのか、先ほどより数が増えているように見える。
ラスカの話では、獣人でもこんなに奥地へ入ってこないようだし繁殖しすぎたのかもしれない。狩る者が減ると魔物が活発になる。ここらで私が掃除するのはいいタイミングだった。
「――それはおまえを抱くもの。灰をまとい、飢えた捕食者」
魔法を発動させるのに通常は呪文を用いる。
しかし魔術師としての研鑽を積むと呪文は不要になってくる。呪文は魔力操作を間違えないためのレシピみたいなもので、慣れた魔法であればレシピを見なくても目分量で十分だからだ。
でもいまの私は目分量ができない状態。
それならレシピだけはしっかりと手順を踏もうと思う。すでに視界の端でホーリーミントがジュッと燃えカスのように変貌したように見えたが、気のせいだ。きっとそう。
「――震えよ。恐怖せよ。それは終わりの時さえおまえに牙を埋め、離さない。煉獄からの使者である」
魔法の発動まで鋭貫兎が待つ道理はない。愚かな魔物は手負いのラスカよりも私のほうを先にと思ったのか、駆けて距離を縮めてくる。後ろ脚に力が込められている。素早い突進が来る。
「――我が敵を灰燼と化せ、炎々王蛇!」
でも私の魔法のほうが早い。
炎の息吹が巻き起こる。それは竜巻のように巻き上がって、鋭貫兎を群れごと閉じこめる。
炎の渦から逃げ出そうともがき、悲壮な鳴き声を上げる鋭貫兎。
数匹が脱出するべく飛び出そうとするが、何か壁に阻まれたかのように弾かれる。
この炎の渦に飲み込まれた時点で脱出することは不可能だ。これ自体が炎々王蛇の胃の中であり、その胃から出るには生半可な攻撃では不可能。ラスカのように魔法自体を切ってしまう剣なら可能性は高いが、鋭貫兎のような小型の魔物にこの壁を突破することは決してできない。
あとは胃の中で燃やし尽くされるだけである。
「……これはまた、凄まじい魔法だな」
やはり魔力操作がまったくできない。発動の維持にかなり集中するし、私の魔力であり身代わりでもあるホーリーミントがどんどん消し炭になっていっている。
それでも消費していくスピードに遅れが見え始めたから少しは安定して魔法を発動できていると思うのだが、それにしても、だ。
駄目だ、集中が続かない。これ以上は難しい。
魔法の発動を終えると、鋭貫兎を飲み込んでいた炎々王蛇がその役目を終えて魔力の粒子となって消えていく。
全身の力が急激に抜けていって、私はその場に倒れそうになった。ラスカが後ろからそれを支えてくれる。
「すごいな、シシュ。一匹残らず骨すら残ってない」
「……はあ。気持ち悪いです……」
ホーリーミントを私の魔力の代わりにするのは良い案だった。でも即興でやったことだから魔法の制御が大変だったし、ホーリーミントを私の魔力として使用する術式も調整して組み上げたものじゃないから細部が雑で、とにかくこんなこと二度とできないやりたくない!
私への反動がひどくて、いまとても気持ち悪い。
「集落に帰ろう……。ホーリーミントはどうする?」
「ここまで来たのに手ぶらじゃ帰りたくない……」
「ほら、背中に乗れ。生き残ってるのがないか探そう」
ラスカの背におぶさって、私は無事なホーリーミントが残っていないか一つずつ見ていく。
私の身代わりとなって消し炭になっているものもあれば、含有魔力がなくなったことで萎れているものもある。
その中で数枚だけ、白く無事なままのホーリーミントを見つけた。
ラスカがそれを取って私に渡す。
「しっかり持ってろよ。おまえが勝ち取ったものだ」
数枚だけでもかなりの金額になる。
魔物の群れに追われて散々だったけれど、これでリーリーの髪を梳く櫛を買える。
「しかし……、魔法使えてしまったなあ」
私を背負って集落への道を歩きながらラスカが放った言葉に、私はため息を零す。
「こんなやり方、再現性はないですよ。ホーリーミントはほとんど燃えちゃったし、あれほど生えてないと魔力の代わりにはならないし」
「それを聞いて安心したよ。腕輪に払った金額を思うと泣けてくるからな」
限定的な状況下でしか魔法は使えない。そう伝えると、ラスカは安堵した様子だった。
私にしてもこれで警戒度が上がるのは避けたい。それなら魔法を使うなって話になるが、鋭貫兎の群れを引き連れたまま集落に戻るなんて論外だ。
結界水晶で魔物は中に入って来られないが、周辺にそのまま居座ってしまうと危険でしかない。
いまここで対処する必要があった。
「……そっちはどうなんですか」
「ん?」
「腹……のとこ」
彼の血は私の服にも付いており、決して軽傷とは言えない。なぜかよろけることなく私を背負った状態で歩いているが、ろくな手当てができていないのにそんなこと少しも感じさせない足取りだ。
本当ならこんな怪我を負うことはなかったはず。私を庇ったせいでのことなのに、恨み言の一つも言ってきやしない。
「いまなら罵倒でも何でも受けます。私のせいですから」
「これは俺の責任だろう。どうしてシシュのせいになる」
「私を庇ったんだから、そうでしょう」
集落に戻るのが憂鬱になってきた。
ラスカが私、魔女のせいで怪我を負ったとなれば彼を慕う獣人たちが黙っていないだろう。殴る蹴るだけで済めばいいが、最悪勢いに任せて殺されてしまうかもしれない。
「いいか、おまえについての全責任は俺にある。シシュは俺の頼みを聞いてホーリーミントのことを話してくれたんだから、むしろ俺からシシュに礼を言いたいくらいだ。それに、無理にでも魔法を使って魔物を殲滅してくれた。助かったよ、ありがとう」
ちょっと、本当に、ラスカが何を言っているのか一瞬理解が遠退いた。
感謝された。私が。獣人に。
喉の奥がぎゅっと閉まって、目頭に熱が集まる。私はラスカの背に顔を埋めて、小さく「うるさい」と呟く。
暫くは沈黙が続き、その間に最初に鋭貫兎の群れと出くわした地点まで戻ってきた。
そこに一人の獣人がいて、鋭貫兎の脚を縄で結び繋いでいた。
「ラスカ様、ご無事でしたか」
「エンフィ! 近くに来てたのか」
エンフィと呼ばれた女性の獣人は、橙色の長い髪の毛を首下で一本に結んでおり、同色の瞳は柔らかい印象を与える。
全身がすらりとした体型だが、魔物が出る道に一人でいるところを見るとエンフィは見た目通りのたおやかな女性ではなさそうだ。
エンフィは薄い笑みを顔に浮かべている。
「空へと突き上げるような炎が見えましたので、何かあったのかと心配して近くまで」
「そのわりに来なかったな」
「どうせ無事かと思いまして。それよりも鋭貫兎が大量でしたので、他の魔物が寄ってくる前に縛って集落まで運ぼうかと」
集落のリーダーに向ける言葉と思えないのだが、それだけエンフィがラスカの実力を認めているということなのだろう。
エンフィは鋭貫兎を縄で繋げて一度に持ち運べるようにすると、重さを一切感じないかのように簡単に縄ごと背負ってしまった。一匹一匹は軽量でもこの場で仕留めたのは十体以上だ。それほどあれば小柄な魔物といえど重い。
細身に見えるが筋肉はしっかりとついているらしい。さすが獣人といったところか。
そんなことを考えていると、エンフィが顔を上げて私と視線を合わせてきた。
「お話しするのは初めてですね、シシュ様」
「え、ええ」
「私の名前はエンフィ。よろしくお願いします」
――私の首から鮮血が飛び散る。
そんな末路が脳裏を過ぎった。呼吸が荒くなり、冷や汗が滝のように流れた。
魔物とは違った殺気に、心臓は止まりそうになる。
「エンフィ、やめろ」
「はい」
エンフィは私から視線を外すと、背中を向けて歩き出す。
彼女の背中でぶらぶらと揺れている鋭貫兎の骸がやけに哀れだ。
私は呼吸をなんとか整えて、ラスカの肩を強く叩いた。
「……っ!」
「本当にすまない。あいつの悪い癖だ。本気じゃないから安心してくれ」
「安心っ! できるとでもっ!?」
「無理だよなあ。大丈夫、シシュのこと気に入ったみたいだから」
むしろ余計に怖いわ!
でもそれをそのまま口に出すのは悔しくて、私は集落に着くまでずっとラスカのことをポコスカと殴っていた。
ただホーリーミントを探しに出ただけなのに、あれもこれもと起こり過ぎている。
非常に疲れた。身体の汚れを落として早く眠りたい。
そんな願望を抱えながら集落に入ると、私とラスカを発見したトールの大袈裟な叫び声が響き渡り、すぐには休めそうにもないのだった。




