三話
「私の妻として、エンヴィー様をお預かりします」
ミミクの言葉に、舞踏会場は騒然となった。
「辺境伯が悪女を娶るだと?」
「何を考えている!」
「正気か!」
ざわめきの中、当のエンヴィーだけは困ったように首を横へ振った。
「辺境伯様、お気持ちはありがたいのですが」
エンヴィーは全くありがたくなさそうな声音と表情で、ミミクに声をかける。
「私は悪女です。私と一緒にいると、あなたまで評判を落としてしまいますよ?」
その声は穏やかだった。
まるで、自分の価値など初めから決まっていると言わんばかりに。
ミミクは顔をかすかにゆがめた。
「評判など気にしません。私はあなたに報いるべき恩があります」
「恩なら、もう返していただきましたが」
「いいえ」
ミミクはゆっくり首を振る。
「あの日、私は命を救われました」
「ですが、あなたはその代わりに悪評を受け入れた。」
エンヴィーは目を伏せる。
「私が選んだことです」
「ならば」
ミミクは一歩近づいた。
「今度は私に選ばせてください。」
その真っ直ぐな視線に、エンヴィーは思わず息を呑んだ。
こんなふうに真正面から見つめられたのは、いつ以来だろうとそう考えて。
「王太子殿下」
ミミクはラグラへ向き直る。
「婚約は正式に破棄された」
「ならば、この方がどなたと婚姻を結ぶかは自由なはずですね?」
ラグラは一瞬言葉に詰まる。
「……好きにしろ。」
そう答えながらも、彼の表情はすぐれない。
未練か疑問か、エンヴィーにその感情の正体はわからない。
その違和感を振り払うように、彼はバーシャの手を強く握った。
「バーシャ。」
「私は君を幸せにする。」
「……はい。」
バーシャは笑顔を作った。
けれど、その視線は姉から離れない。
姉は最後まで、自分を責める言葉を一つも口にしなかった。
幼い頃、熱を出した夜。
眠れず泣いていた自分の手を握ってくれた温もりが、不意によみがえる。
(どうして……。)
(どうして何も思い出せないの……。)
その頃。
舞踏会場の外では、一台の馬車が待機していた。
「すぐに辺境へ向かいます。」
ミミクが扉を開ける。
「長旅になります。」
「ご不便をおかけしますが。」
「……ありがとうございます。」
エンヴィーは静かに頭を下げた。
馬車が王城を離れる。
窓から見える王都は、夕日に赤く染まっていた。
(終わった。)
そう思うはずだった。
王太子妃になる未来も。
公爵令嬢としての人生も。
すべて失った。
だから胸は空っぽになるはずだった。
なのに。
「寒くありませんか。」
ミミクが自分の外套を差し出してきた。
「え?」
「辺境は夜になると冷えます。」
「先に羽織っていてください。」
「ですが……。」
「私は慣れています。」
有無を言わせぬ口調だった。
エンヴィーは戸惑いながら外套を受け取る。
ほんのりと木々の香りがした。
戦場を駆けた騎士らしい、どこか安心する匂いだった。
「辺境伯様。」
「どうして、そこまで私に親切になさるのですか。」
しばらく沈黙が流れる。
やがてミミクは、小さく笑った。
「十年間。」
「ずっと、あなたを探していたからです。」
エンヴィーは目を見開いた。
「……え?」
「あなたは私の恩人です。」
「ですが、それだけではありません。」
「あなたに、もう一度会いたかった。」
「ずっと。」
馬車はゆっくりと王都を離れていく。
そしてミミクは、まるで長年胸に秘めてきた想いを解き放つように告げた。
「エンヴィー様。」
「私は恩返しのために求婚したのではありません。」
「あなたを、一人の女性としてお慕いしています。」
エンヴィーの思考は止まった。
人生で初めて向けられた、偽りのない好意。
その言葉を、彼女はすぐには信じることができなかった。




