鋼鉄の扉.4
マキナの語る無駄云々のくだりは作者の個人的価値観ですが…。
同じような考え方の方も多いのでは?
ルイが言っていたことの半分以上が私には上手く理解できなかった。
危ないことは危ないでいいのではないか。誰にも迷惑とか、不安な思いとかをさせないで済むなら、それでいいのではないか?
少なくとも、私にはそう思えた。誰かに嫌な思いをさせたり、不安にさせたりしてまで、手にするべきものがこの世界にあるとは到底思えない。
でも…彼と話をすることで、どこか、引っ掛かるものがあったのも事実だ。
――アイさん。君は、その危険を自分の目で確かめたのか?
確かに、危険だというだけで確かめたことはない。でも、それを確かめることすら危険だから、マザーたちは立ち入るなと言っているのではないか。
(……でも、それなら多分、マザーももっとルイ君を止めるはずだよね。大怪我とか、最悪、死んだりするようなことが起きるかもしれないなら、放っておくわけがないもん…あのマザーが…)
こんがらがる頭の中を、誰かに聞いてもらって整理してほしいと思った。
よぎったのはレイジ。でも、彼は駄目だ。最近、顔を合わせるとすぐにルイの文句を口にする。ルイと話した内容なんて言えない。あと…レイジは深く考えるのを得意としないのである。
次にツヅリだ。でも、彼女とこんな話をして、またあのときみたいな顔をさせるのは絶対に嫌だった。
結局、私はいつもの相談先に頼った。頼れる味方、マザーである。
寮の食堂で晩御飯を済ませた私は、すぐにマザーと会う約束を取った。とはいえ、みんなに配られている電子パッドを少し操作しただけである。
「今日はどうしたの、アイ。最近は私の力を借りずとも滞りなく読書できていたはずだけれど…」
部屋に入ってきて一番、少しだけ褒められた気がして嬉しくなる。でも、時間も限られているから、早めに本題に入る。マザーは忙しいのだ。
「実はね、マザー。またルイ君のことなんだけど…」
私はマザーに彼と話した内容をかいつまんで説明した。特に、私が引っ掛かりを覚えている点を自分なりに一生懸命説明したところ、彼女はどこか満足そうに笑い声を漏らし、私の頭を撫でてくれた。
「なるほど、それは自然な感情よ、アイ」
「どういうこと、マザー」
マザーはピカピカ、とレンズを瞬かせると、純白のドレスを引きずりながら台所に立った。
「自我を重んじる時期が来ているということよ。貴方たちの年齢では、普通、アイデンティティの確立が行われる。もちろん、それが上手くいく者、いかない者がいるけれど…アイ、貴方は少なくとも、ルイに『自分で確かめたのか』と問われて、そうではない自分と、元より持っている自分の考えとの間に矛盾やギャップを覚えた。だから、違和感を覚えているのよ」
湯気立ち昇る紅茶を入れながら、私の心の状況を難しい言葉で説明したマザーは、コトリ、とソーサーと共にカップをテーブルの上に置いた。
「えーっと…」
私はマザーの言ったことを懸命に理解しようとした。
少し前の私ならばそんなことできなかっただろうが、ツヅリのためにと始めた読書と、その際、マザーが与えてくれた知識のおかげで、ゆっくりとではあるがそれができていた。
「つまり、多分、私、嫌、だったんだね。自分できちんと確認してもいないのに、ルイ君の話を否定したり、偉そうなことを言ったりするのが」
「ええ、そう、そうよ、エクセレント」
マザーがゆっくりと頭を撫でてくれる。私はそれを嬉しさと紅茶の味と共に堪能した。
「貴方の心が、そう感じたのね。他者を慮る優しさと、真っすぐな心根が、そう思わせたの。ふふっ、いいわ。貴方が自分の心をそんなふうに言葉にしてくれると、私も嬉しい」
「そうなの?じゃあ、続けていくね、マザー」
私が私の心を語ることで、どうしてマザーが嬉しくなるのかは理解できなかった。でも、マザーが喜ぶならそれでいいとも思った。それぐらい、たくさんの恩がマザーにはある。
しかし、と私は一瞬で顔を曇らせた。理想と現実の間に立ちはだかる壁に気がついてしまったのである。
「あー…でも、ダメだ。私が嫌だからって、ルイ君みたいに実際に自分の目で確認するなんてできないよ」
「あら、貴方は悪い子にならないの?」
ころころと自分の皮肉で笑うマザー。私はちょっと唇を尖らせて答える。
「ならないよ。私はマザーの言いつけを破ったりしたくないし。それに…ツヅリも嫌がるだろうから」
マザーはツヅリの名前を耳にすると、楽しそうに笑った。きっと、私とツヅリが仲睦まじく過ごしていることを嬉しく思ってくれているのだろう。
「そうね…そういうことなら、私のほうでもできることをしようかしら」
そう言うとマザーは長い沈黙を作った。訝しんだ私が何をしているのか問うと、彼女は自分の手を口の前に当てて、『静かに』というポーズを作った。まるで誰かと交信しているようだった。
マザーの双眸がゆっくり点滅するのをぼうっと眺めていた私だったが、やがて、満足げに頷いたマザーから出た言葉に目を丸くすることとなる。
「良かったわね、アイ。貴方のその目で確かめられそうよ」
「え、どういうこと?」
マザーはまた短く笑うと、一音、一音、丁寧なアクセントで告げる。
「廃棄物処理区画への立ち入り許可を、一時的にだけれど得ることができたわ。週末は急遽課外授業にしましょう。――社会科見学と銘打ってね」
廃棄物処理区画のゲートは重厚な黒い鉄鋼で作られており、その高さは5、6mほどあると思われた。ゲートには小さなバーが等間隔で設置されていて、その都度、義体の承認を得なければ進めない形になっている。仰々しいが、先生と一緒なら面白いほどスムーズにバーは上がっていった。
鉄鋼のゲートを進んだ先、正面エントランスは打って変わって、真っ白い壁と床でデザインされていた。照明の光をこれでもかと反射する様子は、この間、ルイが隠れていた裏口の様子と比べるとまるで真逆であった。
「知ってのとおり、この廃棄物処理区画は私たち義体のボディが古くなったときに使われる施設です。元々、私たちのボディは希少な金属を加工して作られているので、こうした再利用を行なわないとあっという間に替えがなくなります」
「先生、体を付け替えたりしたら、記憶とかはどうなるんですか」
「ご心配なく。メモリのほうは比較的容易に生産できますので、バックアップを取ったら、それと入れ替えれば大丈夫なのですよ」
へぇ、と生徒たちの中から感心するような声が上がる。私もその一人だったが、近くに寄って来ていたルイにひそひそと声をかけられ、その輪から外れる。
「…どういうカラクリか、教えてもらおうか」
「…なんのこと」
「とぼけるな。これは君が仕組んだことだろう」
仕組んだ、という仰々しい言い回しに、思わず私は笑った。
「ふふっ、もしかして、社会科見学のこと?」
こくり、とルイが神妙な面持ちで頷く。小説とか映画の見すぎだとおかしくなったが、彼の真剣な顔を一度視界に捉えてしまうと、どうもちゃんと答えないと悪い人間になってしまうような気がしたから、私は同じように真面目に返した。
「特別なことはしてないよ。ただ、私自身、自分の目で見てもいないのにルイ君の考えとか、行動とかを悪く言うのは、ちょっと嫌だー…ってマザーに相談しただけなの。そしたら、マザーが大人たちに相談して、こういうイベントを用意してくれたってわけ」
「…」
ルイときたら、私が丁寧に説明してあげたというのに、無言で何かを熟考し始めた。
彼と少し話すようになったら分かることだが、ルイは、自分の頭の中で考えを完全にまとめてからでないとしゃべらない癖がある。そのせいで口数が少なく感じられるが、一度発した言葉を撤回したり、迷ったりすることはない。これは彼の良いところだろう。
つまり、この熟考無言タイムのうちは、何を言っても無駄である。
私は小さく吐息を漏らすと、先生の話に耳を傾けた。
「――区域内には、ボディリサイクルのために、超高温での処理やプレス機での加工などを行なう区画があります。場所によっては、入っただけで肺がただれるほどの高温区画もあるので、通常、貴方たちの立ち入りは禁止されています。無論、今日は危険な作業工程はストップしていますので、気にせず見学できますよ」
聞けば、その超高温というのは何千℃の世界らしいではないか。生身の体ではどうしようもないが、義体たちのボディであれば、そのくらいであれば平気で耐えられるらしい。
「無敵じゃねぇか、先生」とからかうようにレイジが言う。そうすれば、先生はおどけた調子で、「そうですよ。先生たちは無敵です」と返答した。
でも、あながち嘘ではないだろう。何千℃にも耐えられるボディや、後ろから飛んできたボールを受け止める力が先生にはあるのだから。
廃棄処理区画の見学は順調に進んでいった。分厚いガラス越しではあるが超高温の処理室、プレス室も見せてもらえた。その他は分解された義体のパーツがベルトコンベアを滑っていっている様子も見られた。
そこにはたくさんの義体が並んで作業していたが、マザーや先生、コックとかと違い、どれも見た目が全く同じだったため、没個性で無味無臭な印象を私は抱いた。
ルイはそうした見学工程をずっと難しい顔をして過ごしていた。一度、「怪物がいなくてがっかりした?」とふざけて声をかけてみたが、彼は何の反応も示さず、しきりに眼球だけを動かして周囲を確認しているようだった。
見学がちょうど半分くらい終わったあたりで昼休憩となったので、和たちは通路に腰を下ろした。
多くの生徒が半ばだれているようだった。すでに一時間は経過している。
レイジはさっきからずっと欠伸ばかり。ツヅリはみんなの前だからか、話しかけても曖昧な相槌を打つばかりでたいした反応を返さない。ルイは自分の頭の中に夢中。
(…私が発端なんだから、こんなことを言うのもなんだけど…あんまり、面白くないなぁ…)
でも、これできちんと確かめられたことがある。
それは、『立ち入り禁止区域は本当に危険』ということだ。
この結果にルイが満足するかは私の知るところではないが、私は満足した。
自分の目で確かめることで、こんなにもスッキリするなんて知らなかった。
そんなことを考えていた私のところにふらりと影が寄ってきた。
「アイ、楽しんでいますか?」
さらりと白い髪が私の顔のそばに落ちる。顔を上げれば、至近距離にマキナの整った面持ちがあった。
「うわっ」とバグった距離感に悲鳴を上げるも、彼女は不思議そうに小首を傾げるだけ。
「マキナ、ちょっと近いよ」
私が両手を遠慮がちに出しながらそう言えば、マキナは興味深そうに、「そうですか。近いですか」と少し離れてくれた。…まぁ、まだ十分に近いが。
「それで、どうですか。楽しんでいますか」
「え、うぅん…まあ」
歯切れ悪く言うと、マキナは、「それは何より」とはにかむ。
「っていうか、『楽しんでますか』ってなんか変じゃない?それ主催者側のコメントでしょ」
「ああ…言われてみれば、確かに」
顎に指を当てて感慨深げにぼやくマキナ。彼女はどこかずれている。
「すみません。この見学会はアイが発端だと風の噂で聞いたもので…。こんな無機質な場所を好き好んで見たがったアイの感想に興味があったのです」
「げ、なんで知ってるの」
「ふふつ、みんな言ってますよ。中には恨み言を言う人もいましたね。『こんな面倒臭いこと巻込むなよなぁ』って」
コロコロと笑いながら、不穏なことを告げてくるマキナ。誰かの口真似だったが、どこかレイジに似ていた。
「はぁ…で、どうだったの。私の感想」
「どう?」青い瞳が不思議そうに丸くなる。「どう、とは?」
「え…いやぁ、つまんない感想言っちゃたし」
「つまらなくなんてないですよ。なるほど、想像していたよりもつまらなかったのだな、と理解できました」
マキナがなんだか愉快そうに言うものだから、私はてっきり自分がからかわれているのかと思い、眉をひそめる。
「なにそれ、無駄なことやってる私への皮肉?」
「皮肉?」
これは心外だと、ますます目が大きく見開かれる。
マキナが持つ二つのサファイアは、濁り一つなく、本当に透き通るようだった。
「とんでもないですよ、アイ。人間ほど、無駄を好む生き物はいません。音楽も、スイーツも、ゲームも、最近、アイがはまっている読書も、無駄の化身ではないですか。生命活動を維持していくうえでの絶対条件ではありません。あぁ、ダメだと言いたいのではありませんよ?それは人間らしく、尊いものです。このお喋りだって、そうでしょう?無駄ですが、楽しい」
何か難しいことをまくし立てるように話していたマキナが、不意に、にこり、と笑った。
それは少女のようにあどけなくて、とても可愛らしかった。
その笑顔を見ていると、ふと、少し前に美術の授業で見せられた絵画を思い出した。
作品の名前は憶えていない。けれど、顔立ちの整った少女が光の当たらない部屋の中で、静かに、邪気なく微笑んでいたということだけを覚えている。
「まぁ、なんかよく分からないけど…マキナが楽しいなら、それで…」
ちょっとした気恥ずかしさを紛らわらすために、私はなんとなく視線をみんなのほうにやった。
そうしているうちに、おや、と私は気がつく。
「あれ…?」
ルイの姿が、どこにもなかった。
次は木曜日です!




