鋼鉄の扉.3
一体、どうやってあの高さのプラグに差し込むのだろう、と疑問に思うほどに巨大な棚の列。その間に挟まって、私とツヅリは西暦人類の小説を物色していた。すでにお目当ての書籍データは見つけていたのだが、ツヅリがあれこれと説明してくれるから、楽しくてそばについていた。
おおよそ一時間を過ぎたあたりだったろうか、私たちは思わぬ相手とばったり出くわした。
透き通るような肌に似つかわしい白髪を伸ばしたマキナである。
「こんにちは。アイ、ツヅリ」
なかなか私たち以外とは出くわさない図書館だから、マキナとの邂逅は結構、驚きものだったが、当の本人である彼女はどこ吹く風、平然とした様子で小さく手を振ってくる。
「あ、こんにちは、マキナ」
私が手を振れば、ツヅリもそれに続いて頭を下げる。外界と自分を隔てる膜を瞬時に作り上げるツヅリが器用に見えた。
マキナはゆっくりと落ち着いた一定のリズムで瞬きをしながら私たちを見やると、無言のまま、じっと佇んでいた。
何か言いたげである。
「どうかした?」
私が小首を傾げて尋ねれば、マキナもまた、澱みのない微笑みを浮かべて邪気なく尋ね返してきたのだが、その問いといったら、かなりの貫通力を持って私の心臓をドクンと跳ねさせた。
「お二人は最近、よく一緒にいますね。…もしかして、恋人なのですか?」
「こ…」
思わず絶句した私の頭の中には、一度に複数のことが駆け巡っていた。
そう尋ねたくなるくらい、私たちが仲睦まじく見えるのであれば嬉しいな、とか。
これを言われることでツヅリは迷惑なんじゃないか、とか。でも、ツヅリはなんて答えるのかな、とか。
マキナって意外と俗っぽいことを聞いてくるんだな、とか…。
「え、えっとね、その」
どうしよう、と並ぶツヅリを横目にする。いや、どうしようもなにも、私たちは恋人関係ではないのだが…。
「いえ、違います。アイさんはクラスメイトです」
想像以上の切れ味で一刀両断され、私はくらりと地面が傾いた心地になったが、それを誰にも悟らぬよう、ぐっと胸の奥に押し込める。その後に一番に浮かんできたのは、ドライな発言をしたツヅリへの恨みがましい想いだった。
私は、なんならちょっと困らせてやろう、というくらいの気持ちを込めて、ツヅリの腕を掴んだ。
「ツヅリ。アイって呼んでって言ったと思うけど!」
「えっ、あの」
問答無用でツヅリの腕をきつく抱き締める。彼女の困惑顔に少しスカッとした。
そんな私たちのやり取りを目の当たりにしたマキナは、「ふむ」と熟考する素振りを見せた後、青い瞳を大きく開いたまま、こちらのそばにやってくる。
「アイの親友は、レイジだと聞いたことがあります」
「げぇ、誰から聞いたの、それ。風評被害なんだけど」
「不特定多数がそう言っていますよ。結構、有名なようですね。お二人の仲の良さは」
「勘弁して、レイジとは幼馴染で腐れ縁なだけだから」
芝居がかった感じで両肩を上下させた私に対し、マキナは表情一つ変えず、作ったような微笑みを浮かべて言う。
「それにしても、レイジとツヅリとではタイプが違い過ぎますね」
「それはそう。レイジと比べたりしたら、ツヅリに悪いよ」
「…新たな友人市場の開拓ですか?」
「は?」
言われている意味が分からず難しい顔をしていると、「タイプの違う音楽を聴き始めることに似ていますか?」とマキナが自分で質問の形を変えてくれた。だが、私はそれに対しても苦い顔しか返せない。
「違うよ。友だちって、別にそういう種類とかで分別しないと思うけど」
「はぁ、なるほど」
マキナはどこか変わっている。浮世離れしていると言えばいいか。ルイに匹敵するくらいの頭脳を持っているとはいえ、彼女もやっぱり変人なのだろう。まぁ、ルイやツヅリと違って人を拒んだりしていないが。
私は実のところ、そろそろ話を一区切りさせて、ツヅリと二人の時間を過ごしたかった。さっきは自分でもかなり良い雰囲気だったと思うから、今のうちに距離感を縮めておきたかったのである。
でも、マキナは離れるどころか、さらにもう一歩近づいてきて、こんなことを言ってきた。
「では、私もお二人のお友だちにしてくれませんか?」
「友だち…?」
私が思わず怪訝な顔でオウム返しをしたところ、マキナは一拍遅れて真顔になって、「ふむ、違いましたか」とわけの分からないことを言った。
依然として何も理解できない私だったが、さすがにこれだけストレートに友だち宣言されては、無下に扱うわけにはいかず、「私でいいなら」と曖昧な笑みを浮かべて返すほかなかった。
「ありがとうございます。アイ」
マキナは次にツヅリを見やった。だが、彼女が自分と目を合わせようとしないことを悟ると、「では、また明日、学校で」と手を振って去っていった。笑顔とも真顔ともつかない表情でいつまでもこちらを見ていたマキナを、私はほとほと不思議な――もとい、変な人だと思った。
次の日、ちょっとだけ得意になりつつある言語学の授業を終えた私は、マザーの手伝いに呼ばれたツヅリを待つため、学校と寮の間にある公園のベンチにかけて本を読んでいた。
「ふぅ…」
ひと休憩、と本を閉じる。
ツヅリが紹介したのは、いわゆる『ディストピア』と呼ばれるジャンルの作品であった。
退廃した世界、自由を奪われた人々、管理された命…みたいな設定が飛び交うジャンルである。
まだ物語の四分の一も読み終わっていないが、その時点で、ツヅリがどうして怖くなっていたのかは理解できていた。
(この本…ちょっと、今の私たちに似てるんだ)
高い壁に囲まれた子どもたち、姿を見せない大人たち、荒廃されたとされる外世界。
私たちだって、ある種、ああいう人々になってしまいうると言っても過言ではない。――稀に聞ける大人の声が幻聴で、このシェルターのどこかに人間を喰う怪物が潜んでいるとしたら、だが。
こんな話、マザーや他のみんなにしたら笑われるだろう。でも、特異な環境であることもまた事実なんだと私は思う。そんな中で暮らしていると、ツヅリのように繊細で多感なタイプが言葉にできない不安を抱いてしまうとしても、自然なことではないだろうか。
読書の手を止めて見上げた空は、まだ青々としていた。これが本物の空ではないとして、どんな問題があるだろうか。
(…なんか、本を読み始めてから、変に考えるようになったかもなぁ、私)
その変化を悪いこととは思っていない。ただ、落ち着かないだけで。
そうこうしているうちに、ふと、公園に誰かが入ってきた。顔を向ければ、そこには何かから逃げてきたみたいに息を切らしているルイがいた。
ぼさぼさの髪、目の下のクマ、よれよれでだらしのない制服。およそ品があるとは言い難い。
「…どうしたの、ルイ君」
見て見ぬフリもなぁ、と声をかけるも、ルイは私を無視してすぐそばの草陰に隠れてしまった。
いよいよ何をしているのかと眉をひそめていると、次に同じように息を荒げたレイジがやって来た。
「うわっ、レイジ。こわっ」
「う、うるせぇ」
額から汗を垂らし、肩で息をする彼の顔はどこか意固地になった感じがした。
「おい、アイ。ルイの野郎を見なかったか?」
「ルイ君?」
あぁ、なるほど。ルイは彼から逃げてきたのか。
私はしばし逡巡してから、首を左右に振った。
「いや、ルイ君とは会ってないよ。どうしたの、レイジ」
「ちっ…別にどうもしねぇよ」
「どうもしないって…それなのにレイジが怖い顔して追いかけたら、ルイ君、逃げて当然でしょ」
ぐうの音も出ない正論を受けたレイジは、苛立たし気に顔を歪めてから、「あの野郎、また廃棄物処理区画に行ってたみたいなんだよ」と説明した。
「え、そうなの」
「ああ。あそこから思い切り出て来やがった」
どうやら、マザーが言っていたルイはルール破りの常習犯というのは真実らしい。
「またかぁ…で、なんでレイジは追いかけたの?」
「あ?」レイジの眉間の皺がさらに深くなる。「どうにも俺はあいつに舐められてるらしいからな。捕まえてマザーに突き出してやろうと思ったんだよ」
「マザーに…」
そのときの私の胸に積もったものは、どうしてマザーを困らせるようなことをするのか、というちょっとした不快感と、ルイは何故そうまでして危ないことをしたがるのか、という疑問だった。
これはルイに直接聞いてみたほうがいいかもしれない。
私はそう決めるや否や、公園のほうに来ていないのだから、学校だろうと適当なことをレイジに伝え、彼を追い出した。
馬鹿みたいなスピードで去っていくレイジの背中を、少しだけ申し訳ない気持ちで眺めた後、私は草陰に向かって声をかける。
「ルイ君、もうレイジ行ったよ」
彼も警戒していたのだろう。私が声をかけても、たっぷり一分ほどしないと姿を現さなかった。
「…なぜ、僕を庇った」
ようやく出てきての第一声がそれだった。
私は、この誰からもひねくれ者扱いされるルイらしい反応についつい苦笑して答える。
「庇ったつもりじゃないけど…まぁ、そうなるのかぁ」
「…」
「座りなよ、ルイ君。どうせレイジの馬鹿はしばらく戻ってこないからさ」
私は彼を手招きして、自分の隣に座らせようとした。だが、ルイはまるでベンチなど見えていないかのように頑として座らず、少し離れた場所に立ってこちらを見るばかりだった。
しょうがないから、勝手に話を切り出す。ルイとは自分のペースでやり取りしないとダメな気がした。
「私、なんでルイ君がこんな危ないことを続けるのか、知りたいんだよね」
「…」
沈黙。答えるつもりはないということだろうか。
構わず私は言葉を重ねる。
「立ち入り禁止区域って、どこも危ないところじゃん?廃棄物処理区画もそうだし、下水区画とかも。ねぇ、なんで?」
「…」
ルイは依然として何も答えなかった。黙って私を見つめるばかり…。その眼差しは観察しているような感じで、ちょっとだけ不愉快だった。
「…まぁ、何も言いたくないなら、いいけど」
唇を尖らせつつ、波打ちかけている自分の心をなだめる。彼には彼の理屈があるのだろう、と。
でも、一点だけ。それでは気が済まないところがあった。
それは…。
「でもね、あんまり目立つ場所とか、時間にはしないでくれると嬉しいな。ルイ君がやってるようなことを見て、不安になる人とか、いるから」
脳裏に浮かぶのは、顔面蒼白になったツヅリの顔。まるで自分自身も悲しみの坩堝にいるみたいな雰囲気は、彼女を想う私には耐えられなかった。
「誰のことだ」
「え?」
まともな言葉が飛んできて、目を見開く。そうして私が固まっていると、彼は深い感情をたたえた瞳で、「レイジのことか」と尋ねてきた。
「いや、レイジじゃないよ。あんな鈍感人間が…」
「鈍感?彼が?」
意外そうに声を高くするルイ。私はついおかしくなって笑った。
「はは、うん。そうだよ」
「…そうか。君から見たレイジという男は、そういう人間か」
私は、なんだか意味深な解答に怪訝な顔をしたが、ルイのほうがどうでもよさそうに話を変えた。
「レイジではないなら…ツヅリさんのことか」
「あ、うん。そう」
「…アイさんの言い分は分かった。だが、僕は僕の行動を改めるつもりはない」
「は?」
私は、他人に迷惑をかけることを理解したうえでルイが開き直ったことに憤りを覚えた。しかし、それをどうにかぐっとこらえて、ぎこちない笑みで続けて理由を尋ねる。
「あははー…なんで?」
「僕には僕の理屈があるからだ」
「その理屈って、なに?」
「それは言えない」
「…ツヅリとか、マザーに迷惑をかけてるのに?」
ちょっとだけ感情が声に滲み出て、刺々しい口調になったが、彼は構わず答える。
「改めて言うが、僕は何もしていない。ただ、立ち入り禁止区域に立ち入っているだけだ」
「だから、それがダメなんじゃないの?」
「なぜだ?」
「なぜって…」
「危険だからか?」
「そ、そうだよ」
「アイさん。君は、その危険を自分の目で確かめたのか?」
「え…」
いや、そう言われると確かめてはいない。でも、そういうものだ。危険なものだから、わざわざマザーたちやここを作った大人たちは、その場所に私たちを立ち入らせない。良いことなんて一つもないから。
「僕らは家畜ではない。きちんと自分で考え、自分で行動する、人間という生き物だ。それなのに、君はそれでいいのか?」
「…」
ルイは私の反応から答えを導き出したのだろう。制服のポケットからやたらと古めかしい時計(後で知ったが、懐中時計というらしい)を取り出した後、こちらに背を向けて歩き出そうとした。
「あ、ちょっと、ルイ君!」
「レイジの件は礼を言っておく。だけどこれ以上、僕に関わらないほうがいい」
「だから、なんで!?」
遠ざかる背中にも、私は問いを投げかけた。でも、結局彼は何も言ってはくれなかったのである。
次回は火曜日に更新致します!




