遺灰で出来た世界へ.3
恐怖で真っ青に染まったままの顔で、ツヅリが私を捕らえるマキナの腕を掴んだ。
「人間は、チップを入れ替えればそれで生まれ変われる貴方たちと同じじゃないのよ。それが理解できない貴方に、恋なんかできないわ」
薄闇の中でも爛々と光るツヅリの瞳。それは、遠くを、もっと言うと破滅の未来を見つめ続けてきた瞳が諦観を越えて輝いている初めての瞬間だった。
「ふむ…」
マキナはじっと自分を掴むツヅリの腕を見つめてから、ぞっとするほどの赤目でツヅリを凝視して続ける。
「大人しく口を閉ざし、与えられた運命を享受していた貴方が…どういうことでしょう?」
「どうもこうもないわ」
声を震わせながらも決して退く様子のないツヅリは、その儚げ眉をひそめてマキナを睨んだ。
「私は、貴方たちのせいで何もかも諦めて生きてきた。楽しい学校生活も、友人を作ることも、恋をすることも。そんな私の前で――恋をしたい?次のアイと恋人になる?笑わせないで!アイはモノじゃないのよ!?」
「今さら激昂するのは、アイのためですか?」
機械特有の反応速度で返してきたマキナの言葉に、ツヅリは平手打ちで返した。
乾いた音がマキナの頬の上で鳴るも、彼女は眉一つ動かさない。
「違うわ!私のためよ!アイが大事にしてくれている私のために怒っているのよ!」
私はもう、私を蔑ろにしない。
そう宣言したツヅリは私の腰を抱くと、そのままマキナの腕を引き剥がそうとした。だが、もちろん彼女の腕は離れない。万力のような力で私を捉えて逃げさない。
それでも、私は満足していた。状況は何も改善していないが、ツヅリの想いはハッキリと伝わってきていたからだ。
「ツヅリ…」と隣に立つ彼女の名前を呟く。そうすれば、ツヅリは、「最期くらい、私も私の好きにやるのよ…!」と決然とマキナを睨んだ。
不意に、チカチカ、とマキナの瞳が明滅した。
何度も、何度も。何かデータの処理を行っているのだろうが、彼女が何に迷うというのだろう?マキナは特別な義体のはずだ。
「マキナ…?」不思議に思い、名前を呼ぶ。
「…シミュレーションとは大きく異なる結果になっていますので、一度データの再構築と仮説検証を行います。お待ちください」
機械的な呼びかけ。無論、この隙をツヅリが見逃すわけもなかったのだが、やはり、マキナの腕は動かない。
「――アイ」
不意に、マキナが私の名前を口にした。その瞳からは赤き凶星の瞬きは失われており、酷く落ち着いた青が戻ってきていた。
「貴方が深く関わった個体から、予測できない現象が次々に広がっています。誰にも心を開かなかったツヅリ、周囲を疑うことしか知らなかったルイ、乱暴者でみんなの嫌われ者になるはずだったレイジ。貴方は…他の個体に一体何をしたのですか?私たちは、それを知りたがっています」
そっと、マキナが私の腕から手を離した。すぐさまツヅリが私を彼女から引き離したものの、二人の眼差しは交差したままだった。
私たち。それが、マキナの言う『種族論』なのだろうか?機械たち、という、個のない存在…。
私は、マキナの尋ねるところの答えなど持っていなかった。自分が何かをしたという覚えはないのだ。ただ、真剣に向き合ってきただけで…何も…。
答えようもないことを私の表情から察したのか、マキナは少しだけ顔を曇らせた。
「…ルイは言いました。私たちには愚かな模倣が限界だと。永久の時を与えられた私たちの活動に意味などないと」
「マキナ…」
私は彼女に哀れみを覚えずにはいられなかった。マキナたち義体だって、生み出されたものだ。自分の意志とは関係なく。
「西暦人類も、貴方たちも、己の身を焦がすように個体同士で求め合います。その衝動を――恋をするという、感覚を…森羅万象、記録された全てを初めから知らされている私たちが、唯一未だ知り得ないものを、もう、この手にすることはできないのでしょうか?機械だからという、味気ない理由のために?」
なんとなく、私はマキナたちを突き動かしていたものに気づいた気がした。
彼女らは、『学習』したかったのだ。
知らないことを、学ぶ。
大変だけれど、なかなか嬉しい、興奮することだ。
機械には、それがない。種全体でデータを共有できてしまう彼らには、新鮮な感覚というものはない。
それが果たして、機械にどんな意味を与え、どう感じるかは私には分からない。私は人間で、彼女らは機械だからだ。
「何が味気ないよ…!私から何もかも奪い取ったくせに…!」
その言い分を聞いて、もちろんツヅリは激怒した。
でも、私は違った。
…マキナに、何か言ってあげたいと思った。機械が感じているかどうか分からない、寂しさとか、歯がゆさとか、悔しさを想像して、何かしたいと。
しかし、マキナたちを赦せないものはツヅリ一人ではなかった。
「ツヅリの言う通りだぜ、機械野郎」
薄闇の中、ふらりと立ち上がったのはレイジだ。
「レイジ!大丈夫!?」
「騒ぐな、馬鹿。ぴんぴんしてんだろうが」
彼は頭から血を流していたが、モニターの光に反射して輝かせた瞳と、マキナへ向けた筒の先端とに紅蓮の怒りを宿して告げる。
「お前の御託はどうでもいいがな…!あいつの仇だけは撃たせてもらう!」
「無意味な行動です。レイジ。私はチップを入れ替えれば――」
「うるせぇっ!関係あるかっ!」
レイジが再び、ぐっと腕を持ち上げる。そのときになって私は気がついた。彼が手にしているのは、不格好だが、お手製の拳銃であることを。
どうやって彼がそんなものを手にしたのかは分からない。もしかしたら、落ちていたのかもしれない。だが、そんなこと今はどうでもよかった。
「これは、ケジメだっ!」
レイジの目が獣のように殺気立つ。
マキナは無感情な顔つきのまま、動こうとしない。自分の背中には“死”という概念が追いつきようもないことを知っているからだろう。
「アイ、伏せて!」
危険を察知したツヅリが、私の腕を引っ張って床に伏せようとした。
だが――私の体は、案ずるツヅリとは違う方向へと離れていった。
気づけば、片手をマキナへと伸ばし飛び出していた。
生と死の狭間で瞬く光の中へと。
ドンッ、とマキナの体を突き飛ばす。
その直後、今までに受けたことのない衝撃が私の体を宙に浮かせ、薙ぎ倒す。
「っ…!」
熱い。
脇腹が、燃えるように熱い。
何が起きているのか、自分ですらすぐには理解できなかったのだが、ツヅリやレイジにとっては、いや、マキナにとってもことさらそうなのだろう。三者一同に私の名前を叫んだ。
「何をやってんだ、お前!馬鹿、おい…!」
怒っているのか、心配しているのか分からない顔でレイジが私を覗き込む。その隣で、ツヅリも私の傷を覗き込んでいた。
「しゅ、出血が酷いわ。ど、どうしよう、どうしよう」
拳銃で撃たれた傷がよほど深いようで、ツヅリの顔は今まで一番青くなっていた。でも、不思議と痛みはそこまで感じなかった。むしろ、冷えていく体の感覚は今の私には慈悲深く思えたほどである。
「つ、ツヅリ…ごめん…」
「アイ…っ、やめて、謝ったりしないで…それじゃ、死んじゃうみたい…!」
ぎゅっ、とツヅリが私の手を握る。柔らかくて、暖かくて…それだけで心が満たされた。
音が遠くなっていく景色の中、マキナが私の頭のほうにそっと正座する。
数秒、ピカピカと瞳を明滅させていた彼女は、私の傷に狼狽えることなく、じっとこちらの顔を注視していた。
「アイ、どうして――」
そのとき、マキナに驚くべきことが起きた。
青い瞳から、つうっ、と白い頬に轍を作りながら流星が落ちていく。
「…?」
マキナはそれを不思議そうに指先ですくい、雫がちょこんと震えているのを見て、こてんと小首を傾げた。
「これは…どうしてレンズ洗浄液が今……」
機械が、泣いている。
ツヅリかレイジがどちらからともなく、驚愕に目を見開きながら呟いた。
私はそれを耳にして笑ったのだが、この口からは、隙間風みたいな声しか出ては来なかった。
なんだ。
すでに答えは持ってるじゃん。
私は心の中だけでそっと呟き、意識が途絶えるそのときまで、ツヅリの手を握っていた。




