遺灰で出来た世界へ.2
黒板を引っ掻いたような大きな音で、私の意識は覚醒した。
周囲は薄暗かった。少し離れた場所にぼうっと浮かぶ青い光と、時折明滅している小さくも無数の光以外、暗闇に慣れていないこの瞳には映らない。
「…っ…」
頭が酷く痛み、とっさにこめかみへと指を当てる。ドクン、ドクンと脈動する血管の動きが、目を覚ませ、と急かしているように思えた。
(私…何を…ここは…)
自分が何をしていたのかを懸命に思い出そうとしている間も、大きな音は繰り返し響いていた。
(――そうだ、私、マキナに…!)
酸素が脳にいかなくて、朦朧とした視界の中、見えた全てを思い出した私は、ふらふらになりながら立ち上がった。
「ああああああああああっ!」
自分の記憶が徐々に鮮明になっていくにつれて、ロッカーか何かを引きずっている音だろうと考えていたものが、男性の、もっと言うとレイジの叫びだと直感した。
「レイジ!」
足元が覚束ない中、声のするほうに足を向ける。とはいえ広い空間のためか、音が乱反射して方向が定まらなかった。
しかし、絶えず悲鳴は続いていた。彼が酷い目に遭わされていることだけは間違いなかった。きっと、私を助けに飛び込んできた後、返り討ちにあったのだろう、彼がいつか言っていたように、『義体は無敵』なのだ。
レイジがここにいるということは、ツヅリも同じ暗闇の中にいるかもしれない。私はツヅリの名前を叫んだ。
「ツヅリ!ツヅリもいるの!?」
だが、返事がない。
焦った私は光を頼りに足早に進んだ。それがいけなかったのだろう。途中でコードに足を取られて転倒しそうになり、慌てて光のほうになだれかかった。
「…これ、って…」
私はその光源を間近で見て、驚きに目を大きく見開いた。
光は、無数のモニター画面だった。そこにはシェルターのあちこちが映されており、教室や公園、図書館などに留まらず、寮の自室なんか映り込んでいた。
睦まじく笑い合う生徒、公園でキャッチボールしている生徒、寮の自室で裸になって愛し合っている生徒まで…鮮明に映っている。
ルイの立てた予想の通り、私たちは監視されていたんだ。この場所で。動物園の、動物みたいに。
(やっぱり私たちは、ペンギンと同じだ…!)
想像していたとおりなのに、でも、ずっとずっと裏切られた気分だった。自分の目で確かめることの意味を改めて痛感する。
「あ、アイ、来るな!」
突如、レイジの聞いたことのないような声が聞こえた。
「レイジ!?」
直後に、またレイジの絶叫が木霊す。今にも破裂しそうな声だった。
「今行くよ、レイジ!待ってて!」
私はレイジの忠告など無視して、彼を探した。
真っ暗闇を壁伝いに進んでいると、少しだけ開けた空間に出た。そこはモニター類で埋め尽くされていたことに加え、何か大きなドーム状の機器が光を放っていたおかげで、多少明るい空間になっていた。
ドームを回り込んでかわした先で、私は見た。
両手で頭を抱えた姿勢で地面に突っ伏し、叫び声を上げるレイジを、そのそばで耳を抑えて蹲り、震えているツヅリを、そして、暗闇の中、赤い残光の尾を引いて私を振り向くマキナの姿を。
「ま…マキナっ!」
刹那、脳みそが沸騰するような怒りを覚える。最悪なまでにツヅリを怯えさせ、レイジを痛めつけている親友の所業を許せなかったのである。
一方、マキナは飄々としていた。
「アイ。そこを動かないで下さい。動けば、レイジと同じように脳内チップへダメージを加えます」
「脳内チップ…!?」
何がなんだか分からなかった。しかし、私から視線をレイジへと戻したマキナが、片手を彼に向け、再び見えない力でレイジを苦しめ始めたから、いても立ってもいられなくなり、足を前に出した。
そうすると、マキナがもう片方の手を私に向けた。次の瞬間には、頭が割れるような痛みが私を襲ったので、勢いよくその場に倒れ込んでしまう。
「っ、う、うぅ…」
なんという痛みだろう!まるで眼球が破裂しそうになっているみたいだ!
今まで経験したことのないような苦悶を受け、頭を抑えている私に、マキナが告げる。
「動かないで下さい、と私はお伝えしました。アイ、貴方からはまだ獲得できるデータがあると私は考えています」
「で、データ…」
朦朧とする頭でオウム返しすれば、彼女は浅く頷いた。
「はい。貴方の感情形成パターンは興味深いものがあります。ですので…貴方の処分は最後です。私の親友」
最後の一言が皮肉に聞こえた私は、キッ、と強い感情を持ってマキナを睨み上げたのだが、理解できないことに彼女は、優しく穏やかな笑みを浮かべていた。
そうすることで、私を安心させようというのだろうか。決められたプログラムに沿って共感や受容を行う、マザーのように?
やはり、マキナはただの機械なのか。過ごしてきた時間は、無味無臭で、形すらもないデータに過ぎないのか。
「ふざけろっ!」不意に、レイジが激情に満ちた大声を上げた。「そいつは俺の親友だ!処分なんかさせねぇぞ!」
体を震わせながらでも、なんと、彼は立ち上がった。
「レイジ…」
私は純粋に、人としての尊敬の念をもって彼の名前を口にする。
この痛みの中、よく立ち上がれる。彼はずっと、この神経をすり潰されるような痛みを受けていたはずなのに…。
「理解できませんね。以前お尋ねしたときは、そうではないと解答されたはずですが」
マキナがこてん、と小首を傾げている間に、レイジは壁の古くなったパイプを引き剥がすと、それを武器にして彼女目掛けて突進した。
「この、機械の分際でッ!」
血走った目が、レイジの体を大きく見せた。教室内でたまに彼が起こす喧嘩など比較にならない、強い殺気が振り下ろされたパイプからは放たれていた。
(マキナ!)
パイプがマキナの綺麗な顔を打ちつけるのを見ていられなかった私は、とっさに目を閉じ、顔を背けたのだが、聞こえてきたのは彼女の悲鳴ではなく、レイジの呆気に取られたぼやきだった。
「なっ…」
目を開ければ、マキナが細腕でパイプを受け止めていた。
「貴方の激情から、得られるものはもう何もありません。ゆえに、処分は貴方を最優先に行います」
パイプのちょうど半分あたりから、亀裂が入り、容易く、棒状のお菓子のようにへし折られる。
身の危険を覚えたらしいレイジが、パイプを離して数歩後退するも、マキナは一歩確実に間合いを詰め、へし折ったパイプをレイジのこめかみにスイングした。
ガツッ!
鈍い音と共に、レイジが横倒しにされる。すんでのところで防御していたようだが、分からない。彼は取手の無いドアのそばに倒れ込んだまま動かなくなってしまった。
「れ、レイジっ!」
親友のピンチにどうにか立ち上がる。
大怪我をしただろうか。いや、死んだのかもしれない。きっと、同じように殺されたであろうルイのように、レイジも。
(いや、まだ分からないよ!)
そんなの、絶対に嫌だという気持ちから、マキナの横をすり抜けて彼に駆け寄ろうとするも、舞う木の葉を掴むように鋭い動きでマキナの手が私の右腕を捕らえた。
「ま、マキナ」
「動かないで下さい、と私は言いました」
「でも、レイジが、レイジが死んじゃう」
「彼の生体反応は消えていません。ですが、どうせ処分します。ですので、私の言うことを――」
「処分なんて嫌だよ!」
機械的なやり取りしかしないマキナの腕を振りほどこうと喚いたところ、ミシッ、と右腕に強い痛みが走る。
「い、た…!」
「言うことを聞いて下さい、アイ。貴方から先に処分したくはありません」
「マキナ、痛い…!」
まるで万力のような力に表情を歪めていると、すっ、とマキナの力が緩んだ。
「…ごめんなさい、アイ。お怪我はありませんか?」
自分で痛めつけ、殺そうとしているくせに謝罪?
私はその違和感に顔を上げてマキナと正面から見つめ合った。そうすれば、彼女の瞳はいつものサファイアと同じ色に変わっていた。
「…なんで、心配なんてするの?マキナが、マキナが酷いことしてるのに…」
「酷い…?」
マキナもそれを聞いて自らの行いを不思議に思ったのか、チカチカと瞳を明滅させた。そのときに、目の色が赤と青に目まぐるしく変わっていたため、まるでそれが逡巡や迷いのように私には見えた。
「しかし、貴方たち人間も、惨いことを十分に行ってきました。人の都合で絶滅させられた生物は星の数ほどいますし、殺戮自体を楽しむレジャーも存在していたようです。生きながらに食べる…などということもあった様子。ほら、人間のほうがよほど残酷です」
「それは西暦人類の話でしょ、マキナ。私たちに関係ないよ」
「あります。貴方も鶏や牛を食べたはずです。いえ、野菜などの植物も命に他ならない」
「それは、そうしないと、生きられないからだよ。マキナたちがしていることと同じじゃない」
「なるほど…」マキナは感心したふうに頷いた。「確かに、アイの言う通りですね。ただ、やはりそれは個体論です。種全体で見れば、貴方たち人間は業が深すぎる」
「個体論?種全体?」
思わず顔をしかめる。
マザーやツヅリ、そして目の前のマキナのおかげで、それなりに言葉でのやり取りには自信が出てきたつもりだが、マキナの言い分は、理解はできても到底納得できるものではなかったのである。
「なにそれ、意味が分からないよ、マキナ。私たちは私たちだよ!違う?マキナだって、マキナでしょ!?」
直後、マキナが口をぽかんと開けて硬直した。私は彼女の内側で起きていたことを知るすべもなく、じっとその青い瞳を見つめるしかなかったが、たっぷり一分ほどの沈黙の後に、マキナは何の脈絡もなくこんなことを告げた。
「私たちは、アイたちが推測したように、『感情』を学習するためにこのシェルター実験を実行しています」
やっぱり、と思うと同時に、疑問が浮かぶ。
「どうして?なんで、感情を学習したいと思ったの?」
「私たちが、独立した『個』を得たいと考えたからです」
「個を?」
「はい。もっと言うと、滅亡したかつての支配者、人類にできて、私たちにできない、数少ないものを消化したいと思ったのです」
「それって…?」
青い瞳が、規則的に瞬く。
「恋を、したいと思いました。そうすれば、私たちは、『私』になれると思ったのです」
自己の存在の問いかけ。
集団的な意識しか持たない、義体、機械たちの、次なるステップ。種としての進化。
それがこの実験の全てだった。そのために、個の存在を異様に重視する人間を復元させた。
何度も、何度も、繰り返し。初回の実験から百年以上の時が経ったという。
マキナは何も聞かれずとも、実験の説明を行った。それはまるで、興奮しているように私の目には映った。
18歳で処分するのは、個体数の制限と、リスクヘッジということだった。
人間は知識を、歴史を重ねれば重ねるほど何をしでかすか分からない。それはすでに、西暦人類が無数の事例を作ってくれている、と。
復元する人類を同性愛者にしたのも、過去のパターンとは違うデータが欲しかったかららしい。
私はマキナの熱弁を黙って聞いていた。ツヅリも、少し離れた場所でそれを聞いているらしく、「そんな…」などとぼやいていた。
ひとしきり語り終えたマキナが、息も荒げず、私を真っすぐに見つめた。いつもの注視とは違う、なにか、熱い眼差しだった。
「この長い年月の中で、アイ、貴方ほど私を揺さぶった存在はいません」
「きゃっ」
ぐっ、と腕を、体を引き寄せられて、思わず悲鳴を上げる。
「貴方と恋をしたい」
「私と…!?」
「ええ、そうです。貴方であれば、独立した『個』となりえるために重要なデータがさらに期待できるでしょう」
「わ、私には――」
ツヅリがいるから、と返そうとした刹那、予想だにしない言葉がマキナの口から飛び出た。
「ですが、“今回”のアイはもう難しいでしょう。これだけ知られては処分せざるを得ませんから」
思わず、絶句する。
私のみならず、ツヅリも大きく息を吸ったのが気配で分かった。それほどまでに、不穏な言葉が並んでいた。
「この実験が終了次第、全く同じ遺伝子配列で、“次”のアイを復元します。そのときには、貴方と恋人になれるように努めましょう」
次?
次の私って、なんだ。
「大丈夫です。実験のクールダウン期間を鑑みても、ざっと50年。永い眠りに就くようなものですね。あるいは、また来世で、といったところでしょうか?」
そう言うと、マキナは微笑んだ…が、例に漏れず、いや、今までで一番、何がおかしいのか分からない微笑みだった。
そうか、マキナには分からないのだ。
義体としての寿命が来れば、チップを入れ替えて生まれ変わってしまえる彼女には、人間にとって一つの生がどれだけ尊く、かけがえがないものなのかを。
「それでは、そのときまでおやすみなさい。アイ」
さっ、とマキナの瞳が赤く色づく。
伸ばされた片手は死神の腕。処分されようとしているのが肌で分かった。
私は何かをマキナに伝えなければ、と思った。命乞いなんかじゃない、もっと大事なことを。
でも、悔しいかな、恐怖と不安とショックとで、頭が回らなかった私の唇は微動だにせず、死の抱擁を待つだけの身となっていた。
どう説明すれば、この想いが、心が彼女に伝わるのだろう。
そればかり考えていた私と、もはや何も言わなくなっていたマキナとの間に割り込んだのは、声を震わせた彼女の言葉だった。
「何を言っているの…マキナ」
自然と二人揃って、声のしたほうへ顔を動かした。
そこには、暗闇で立ち上がる、ツヅリの姿があった。
「…それはもう、アイじゃないのよ。アイによく似た、全くの別人だわ!」




