遺灰で出来た世界へ.4
こちらの更新で『機械仕掛けのエデン』は完結となります!
世界は、生温く、湿気を帯びた空気で充満している。
渦を巻く曇天を見上げながら、私が世界に出て初めて抱いた感想がそれだった。
「また、こうして外に出られるとは思わなかったわ」
隣に立つツヅリが感情の読めない顔でぼやく。
「嬉しい?」と下から覗き込んで尋ねれば、ツヅリがすっと視線だけで私を捉えたのだが、艶めかしい黒曜の輝きについドキリとした。
「どうでしょうね…。まあ、あそこで死ぬよりずっと良かったことだけは確かだわ」
そう言って振り返った私たちの背後には、天を衝くようにそびえる白亜の壁。その足元には怪物が開けた口みたいに暗く深い通路が伸びていた。
「…うん、そうだね」
様々な感情を込めて、頷いた私の手をそっとツヅリが握る。
これから先の不安と、確かな希望を胸にした指先が私の指の間に入り込むのを愛しく思いながら、私はこの二年で自分の身に起きたことを振り返った。
あの薄暗い部屋でレイジの放った弾丸を浴びた私は、一か月もの間、生死の境をさまよった。
義体たちの精密な技術と深い医療知識を基に行われた処置をもってしても、臓器を貫通した鉛玉の威力は凄まじく、ツヅリやレイジ、それからマキナも私の死を覚悟したらしいが、幸運なことに、私のしぶとさは低い確率のほうを引き当てる成功した。
レイジは酷く落ち込んで私に謝罪したが、勝手に飛び出したのはこちらなのだから、そんなものはいらないと何度もはねつけた。それを繰り返しているうちに、彼も諦めて…というか、呆れた様子で、「それならもう謝らねぇよ」とため息を吐いた。
覚醒から、数ヶ月の間はお世話になった白い病室は、廃棄物処理区画の奥に存在しており、生物の復元や実験のために用意された場所であった。
病室には窓もなく、無機質な白い壁ばかりが目につく、数日で飽きが来るような空間だったのだが、仲間たちの、とりわけ、そこで寝泊まりすることも多かったツヅリのおかげで、退屈がこの身を滅ぼすことはなかったのは僥倖だろう。
ツヅリは初めの頃とは打って変わって、とても強い目をするように変わっていた。私が眠っていた間も懸命に看病してくれていたらしいし、マキナにも、自分たちの――特に私の処遇についてはずっと検討するよう呼びかけていたとのことだ。
ここで結論を言おう。マキナたち義体…機械は、私とツヅリ、それからレイジの処分を一時延期することを決定した。
理由はやはり、私たちとの対話がマキナにもたらした変化が予期していた以上のものだったからである。
マキナは、どれだけツヅリやレイジに疎まれようとも、毎日、私の病室を訪れていた。
ツヅリ曰く、「一番価値あるモルモットが死んでないかを確認したいのよ」ということだったが、私はそれについては苦笑い程度に留めることにしていた。心のどこかでは、マキナがツヅリやレイジがしたのと同じように私を心配してくれたのだと信じたかったから。
怪我が治った後も、私たち三人は学校や寮には戻れずにいた。
イレギュラーである私たちとマキナの直接的な対話にこそ価値があると機械たちは考えたようで、四人で過ごす時間が一日で最も多い時間となっていた。私たちも、機械がそれを重視したがために処分されずにいると理解していたから、表立って文句は言わなかった。
ツヅリは頑なにマキナを受け入れようとはしなかったが、レイジは徐々に態度を緩和させていった。ルイの最期を聞いて、彼なりに、「あいつがそれで良かったなら、俺はもういい」と心の整理をつけたことが大きかったのだろう。もちろん、初めのうちは激昂ばかりしていたが。
私は……マキナがツヅリの前で恋人らしい振る舞いを実験的にでも求めてくることさえ除けば、あながち悪い時間ではなかったと思っている。もしかすると、何かが麻痺したのかもしれない。生きていかなければならない、この体が冷たい真実を前に心を納得させたとすれば…。
そして、気がつけば二年近い時間が経っていた。
これだけの時間があれば、私もレイジもツヅリも、クラスメイトたちとの記憶は覚束ないものになっていた。名前を思い出せないこともざらにあった。
ツヅリもある程度の諦めをもって、マキナとの関係性を受け入れていた頃合い。ふと、暦上、私たちの学年に『卒業』が迫っていることをツヅリが気づいた。
その『卒業』のタイミングに合わせて、私たち三人を一度、外の世界に送り出すとマキナが告げたのも、そのときだった。
人間が『自由』を手にすることで、感情データにどういった変容をもたらすのか、それを知りたいらしいこと、それから…残った同級生たちは、例外なく『処分』されることも、一緒に説明された。
思い出を振り切るようにして、白亜の壁に背を向ける。仲間を見捨てるようで忍びなかったが、どれだけ言ってもマキナはこの結論を変える気はなかったのである。
マキナは私たちに選択させた。
みんなと一緒に『処分』されるか、自分たちだけで『生きる』か。
(……ごめんね、みんな…。でも、私は…)
生きていきたい。単純にそう思っていた。
ルイが望んだ真実の世界の中で…。
「アイ。大丈夫?」
顔に出ていたのか、ツヅリが心配そうに問う。
「うん……行かなくちゃ」
上手く笑えなかっただろうが、無理やり口元を綻ばせる。そうすれば、ツヅリも同じように表情を変えて、手をつないだまま一緒に階段を下りてくれた。
整地されただけの広場に下りれば、そこにはレイジとマキナがすでに来ていた。何やら、見送りで来たマキナがレイジに餞別を渡しているようだった。
「あ?いいのか?またお前に向けるかも知れねぇぞ」
「ええ、構いませんよ。そのときは、貴方の旅はここで終わりになるだけですから」
たっぷりの皮肉と共に笑ったマキナの手から、顔をひきつらせたレイジがソレをひったくる。
レイジが鼻を鳴らすのと同時に腰のベルトに下げたのは、例の拳銃だった。
マキナによると、あれはルイがスクラップを寄せ集めて作った武器らしかった。それをレイジに渡したのは、私たちとは違って一人旅になるレイジを慮ったのと、彼の心を想ったからなのかもしれない。
「お前が言うと冗談に聞こえねぇよ」
「それはそうでしょう。冗談ではないですから」
「うぇ…機械野郎め…」
「レイジが好むその蔑称も、しばらくは聞けなくなりそうですね。残念です」
「あぁそうかい…」
嫌な顔をして肩を竦めたレイジの後ろで、マキナがこちらに気がついた。
「おはようございます、ツヅリ、アイ。旅立ちの朝です」
手首だけを振ってこちらに挨拶する彼女の姿は愛らしいものであったが、ツヅリにはそれがあざとく、小賢しく見えたようで、「二度とそれを見なくていいと思うと、素敵な旅立ちだわ」と毒を吐く。
「ちょっとツヅリ」と私が軽く咎めても、不服そうに唇を尖らせるだけの彼女と共に、二人に合流する。
「人の恋人に色目を使うから悪いのよ」
「いや、色目なんて、いつものやり取りなんだし…」
「…はぁ…」
じっとりと睨まれた後のため息。出会った当初のツヅリであったら、絶対にしないことだが、これはこれで、彼女が自分らしく生き始めた証のようで嫌いではなかった。
「アイがそうだから、私がぶつぶつ小言を言うことになるんだけど…」
「やめとけよ、ツヅリ。どうせそいつには一生分からねぇよ」
「はぁ?レイジ、それどういう意味」
明らかに小馬鹿にしてきているレイジの言葉に目くじらを立てるも、「そのままの意味だよ」とどうでも良さそうに返されて空振りに終わる。
マキナは私たちのやり取りを見て、いつもみたいに笑っていた。ただ、前と違って少しだけ自然になっている気がする。何が、とは言えないが。
私たちはひとしきりいつものやり取りをすると、誰からともなく、口をつぐんで外世界を眺めた。
遠くで白い平原が揺れている。アレがツヅリの言っていた人の遺灰で白く染まった場所なのだろうか。
「…俺は、そろそろ行くわ」
レイジが沈黙を破りつつ、こちらに体を向けた。
「寂しくなるね」なんて笑ってみせるも、レイジはどこか逡巡している様子で頭をかいていた。
無視するなんて言語道断、と寂しさを吹き飛ばそうとした刹那、何を思ったか、レイジが私の体を抱きしめた。
「ちょっ…!?」
彼の力強い抱擁に困惑を覚えて声を上げていると、耳元で珍しく真剣な声音でレイジが呟きをもらした。
「ありがとな、親友。気をつけろよ」
ぱっと、すぐにレイジは身を離した。そして、そのまま後ろ歩きで外世界へと進み出す。
別れの時が来たのだ。
「レイジ!」
急いで一歩踏み出すも、ぐっとツヅリに手を引かれて止められる。
そうだ、彼は私たちとは別の場所に向かうことになっている。一緒には行けない。
「私も、ありがとう!レイジ、また、会おうね!」
「へへっ、おう。また会おうぜ!」
くるり、とレイジは私に背を向ける。それから彼はもう二度と振り返らなかった。
レイジの背中、あんなに大きかっただろうか。彼も男の子だから、まだまだ成長期なのか。きっと、今度会うときは私と彼の差はもっと大きくなるんだろう。
彼の姿が森に消えた後、また次の別れがやって来た。
「アイ、ツヅリ」
向かい合ったマキナの瞳は、海のように、あるいは空のように深く澄んだ青をしていた。この美しいキラメキの正体が、ただの模倣や、計算や、データだけで作られたものだなんて、およそ信じられなかった。
その宝石が、ちらりとツヅリを一瞥した。それだけでツヅリは何かを察したのか、数秒してから、ため息と同時にこう言った。
「私は…貴方たちを許さないわ。一生。この身にかけて、あの遺灰にかけて」
「別に構いません」
「…っ…いつか、いつか!報いを受けるわよ!彼らの分も!」
そう言ったツヅリは大きな壁の向こうを指差した。しかし、興奮した様子のツヅリとは打って変わって、マキナは無感情な様子で、「それもいいかもしれませんね」なんて嘯く。
ツヅリはしばらく悪態を吐いていた。私よりもずっと憎悪に満ちているだろう彼女は、そのうち息を整えてから、短く告げた。
「……そんな貴方に私があげる時間なんて、5分で十分でしょう」
「はい。ありがとうございます」
「ふん」
ツヅリは鼻を鳴らすと、不意に私から手を離した。
「ツヅリ?」
私はよく分からなくて、離れていくツヅリに視線を投げたが、彼女は物言いたげな視線だけを私に寄越すと、先に白い平原の手前まで移動していってしまった。
どうしたのだろう、と小首をかしげているうちにマキナが一歩、私に近づいた。また距離が近いぞ、と注意しようと思った矢先、彼女の額が私の額に重なった。
「ま、マキナ――」
「私が誰なのか、そもそも、私に独立した人格が宿るのか…それはまだ、分かりません。もしかすると、ルイが言ったように一生分からないのかもしれません…」
私のすぐそばにある、伏せられた瞳。うっすらと降り積もった淡雪のように白いまつ毛がかすかに揺れる様を…私は芸術品に見惚れる感覚で眺める。
「ですが」
ぱちり、と瞳が開いた。
視線が交差した刹那、サファイアの中で弾けたものは何だったか。
データの収集?プログラムされた反応?
違う。それは絶対に違う。
「許されることなら、このままずっと貴方といたいと思っています。私たち機械の発展のためには、アイを外世界に送り出し、データの収集を図ったほうがいいことは明白です。この矛盾の正体は何なのでしょうか?これが、感情なのですか?だとすれば、愛情?友情?親愛?――教えて下さい、アイ。この矛盾の真実を」
私は、小さく口を開いた。それはきっと……――なんだと、言いたかった。
でも、ぐっと気持ちを抑えて、それをこらえる。
「マキナ」
嬉しいような、寂しいような、そんな感情が胸に湧くが、どうかそれが破裂してこぼれてしまいませんようにと願いながら、私は続ける。
「その答えは、やっぱりマキナが見つけなくちゃ」
そっと、マキナに笑いかける。そうすれば、彼女はしばしの無表情の後に苦笑いを浮かべた。
「分かりました。今度、貴方に会えるそのときまでに、答えを出しておきます」
「宿題、だね」と微笑み、ゆっくりと私はマキナから離れる。
「ばいばい、マキナ」
「ええ、さようなら、またいつか、アイ」
白い髪が風に揺れていた。
本物の風だ。偽物じゃない。
でも、シェルターの中で感じた風も、決して悪いものじゃなかったと私は思う。
遺灰で白く染まった平原の前には、じっと地平線を見つめて静止するツヅリの姿があった。
私が彼女の隣に並ぶと、「何もされなかった?」と心配してきた。「もちろん」と笑って返せば、「そう…なら、いいかな」と独り言のようにぼやく。
マキナの吐露を、今ここで話す必要はないだろう。それはなんだか、野暮である気がした。
多くの同胞たちの終わりを前に、どちらからともなく、私たちは手をつなぎあった。
「アイ」
「…うん」
「後悔していない?」
「何を?」
「…色々」
色々。本当に、色々あったから、私はつい笑ってしまった。
「あはは、うん、してないよ。ツヅリこそ、後悔してない?なんか、とんでもないことになっちゃったけど」
「してないわ。私はね、アイ。貴方のおかげで生き返ったのよ。マザーによって殺され続けた魂が、貴方の向こう見ずな想いのおかげで。…だから、生きるのよ、これからも。たとえ死んで逝く者たちの魂に薄情だと思われようと」
あまりに真っ直ぐな言葉のせいで、私は照れくさくなって俯いたが、直後、ツヅリに名前を呼ばれて顔を上げた。
刹那、そっと重なった二人の唇。
ツヅリと外の世界でした初めてのキスは、閃光みたいだった。
あっという間に終わった。それなのに、きっとこの先、一生忘れることはないのだろうなという確信があった。
「そ、そ、そろそろ、行きましょう、アイ」
顔を真っ赤にしたツヅリが離れていく。
私はしばし、ぼうっとして、何も言えなかったけれど…でも、どうにか我を取り戻すと、小さく、でも、強く、「うん」と答えて歩き出すのだった。
いかがでしたでしょうか?
たまには『百合』と『SF』みたいな形で書いてみましたが…なかなか難しいものがありますね。
今後も百合作品は継続して投稿致しますので、ご縁があればまた別の作品でお会いできると嬉しいです。
それでは!
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