貴方に近づきたくて.2
学校の敷地内には、あらゆる施設が用意されている。
まずは勉強するための教室。日中、休みの日以外はだいたいここで授業を受けている。美術室や家庭科室とか、運動ホールとかあるけれど、教室にいる時間が圧倒的に長い。
授業で使う以外の施設だと、昨日レイジと訪れたカラオケ、喫茶店、ゲームセンター、レストランとか、絶滅種を復元して飼育している動物園とかがある。もっと他にもあるが、私は基本、このへんしか利用しない。遊んでばかりの人間なのだ。でも、青春って、そういうものだと思っている。
だから…過去の美術品が飾られている美術館とか、歴史資料館とかには行かないし、ここ――図書館にも、ほとんど行ったことがなかった。活字を嗜む習慣は皆無ということである。
それなのに、どうして私が図書館に来たのかというと…。
「…だいたい、なんで私だけ追加課題を出されるのかなぁ…理不尽だ」
昨日、授業できちんとした解答ができなかった結果、私にだけ西暦人類に関するレポート課題が言いつけられていた。しかも、なんか参考文献を必ず明記するように…なんて条件付きだから、教科書以外の書籍をこの図書館で借りる以外なかったのである。実際先生にも、図書館に行くよう命じられていた。
私は一つ大きなため息を吐くと、図書館の三階へと続く階段をのろのろと上がった。
この場所は基本的に人の気配が無い。カウンターで貸し出し確認をしてくれる義体と、施設内の掃除やデータ整理を行っている義体以外、誰もいなさそうだった。
図書館では、私たち一人一人に与えられているブックリーダーに、棚から書籍データを移動することで貸し出しを行うシステムになっている。コピーしたりすると、データの破損につながるから、という理由だが、実際のところは分からない。
とかく、本を読まない私にとって貸出手続きは面倒なだけだ。そのうえ、お目当ての本を探すことも難しく、一つの棚に何万もの書籍データがあるため、検索もだるい。タイトルなんかが分かればいいが…あいにく、今の私にそんなものはない。『なんか、ちょうどよさそうな本』で調べてもヒットはしないだろう。
とりあえず、電光掲示板の表示に導かれて、三階にやって来た。西暦人類に関わる書籍や、彼らが書いた本はこのフロアにあるはずだった。
どの棚にあるだろう、と歩きながら棚の一つ一つを見ていた私は、はっと、目を丸くしながら足を止める。
『西暦人類による文学・大衆小説』と表示された棚の前で、じっとそのラインナップを確認している人は――ツヅリだった。
瞳を半分ほど隠す前髪に遮られ、その感情の機微は分からない。でも、このミステリアスな雰囲気も私がツヅリに心惹かれる理由の一つだ。
(うわっ、どうしよう。今、チャンス、だよね)
一瞬、声をかけたら迷惑だろうか、面倒がられたらどうしようか、と不安がよぎるも、それは時間にして2、3秒のことだった。
(なにビビってんだろ。お近づきのチャンス、逃さない手はないって!)
私はツヅリに近寄った。気配を殺しているつもりはなかったが、彼女は私がすぐそばに来るまで気づかなかった。よほど集中しているのだろう。
気持ちを落ち着け、できるだけ知的な声を意識して話しかける。
「ツヅリさん」
びくっ、とツヅリが肩を揺らす。こちらを振り返った彼女の顔が驚きで見開かれていたため、ちょっと悪いことをしたなと苦笑する。
「こんにちは、奇遇だね。こんなところで」
「…こんにちは。アイさん」
名前、覚えてくれている。
こんな当たり前かもしれないことで、私の心はいちいち浮足立つ。
「ごめんね、急に声かけて。びっくりした?」
「…少し」
「あはは…そうだよね。すごく集中してたみたいだったもんね」
「はぁ…」
ここで会話を切るわけにはいかない。
その予兆を感じ取った私は、速やかに質問を投げかける。
「ツヅリさん、何してたの?」
「本を借りに」
「あ、それはそっか」
ここは図書館だ。本を借りるか、読むか以外に用はないだろう。
「何の本?」
ツヅリは私の問いを受けて少し逡巡した様子だったが、そのうち、そっと自分のブックリーダーの画面をこちらに見せる。
「これ」
ツヅリが借りている本は、西暦人類が手掛けた文学作品の一つだった。
「へぇ、ど、どんな話?」
正直、中身に興味はない。私は本を嗜む習慣はないのだ。でも、こうして話を広げるにはちょうど良い話題であるはずだ。
ツヅリはさっきよりもずっと長い時間、逡巡している様子だった。自分の趣味を大っぴらにするには勇気がいるのかもしれない。
無理をさせるのは良くないと思った私が、「あ、言いたくないなら、いいんだけど」と気づかえば、ツヅリは短く首を左右に振り、ストーリーを説明してくれた。
彼女が借りた本は、互いに敵対関係にある両家の少女たちが、血の宿命を越えて青い愛を誓い合うも、両親にそれを引き裂かれ、最期には心中を図る…といった内容らしい。
(おもっ)
思わず、心の中でそうぼやく。苦笑いしなかっただけ、よくやったと思う。
失礼だが、ツヅリにはいつも難しい顔をしているか、暗い顔をしているかのどっちか、という印象があったが…少なくとも、本の趣味はイメージ通りなのかもしれない。
「へ、へぇ、面白い?」
「え?まだ読んでないから、何とも…」
それはそうだ。同じ轍を踏んだ。
しかし、どうして中身を読んでいないのに物語の結末まで知っているのか。
それを尋ねたところ、ツヅリは少し困ったふうに口元を綻ばせてこう答えた。
「アイさん。これ、この間、先生が授業中に推奨されていた本ですよ。西暦人類の目まぐるしく変わる価値観に触れるには、とても良い作品だと」
「あー…そ、そうだっけ」
「うん」
授業中、まともに聞いていないことが露呈する解答に、これではどうにも格好がつかないなと自分で呆れる。しかしながら、そっと遠慮がちにツヅリが浮かべた微笑みは、たとえ作られたものであったとしても儚げでぐっときた。
「アイさんは、どうして図書館に?」
「私?私は…えっと…」
――授業中、まともに聞いていなかった罰として出されたレポートの参考資料を借りに来ました…というのは、情けない。ますます呆れられるに決まっている。
じゃあ、どんな言い訳をすればいいだろうか、と考えたところで、不意に、私の頭に天啓のようなアイデアが舞い降りた。
「私、私も、なんか面白い本がないかなぁって思って!」
「え?アイさんが?」
ツヅリが怪訝な感じで小首を傾げる。微妙に失礼な反応だが、先ほどまでの流れを鑑みれば致し方ないだろう。
「私だって、たまには読書でもしようかなぁーって思うときもあるよ。も、もちろん、ほとんど読まないから、どんな本が面白いかなんて分からないんだけど…それはほら、誰かに聞けばいいしね!」
私はとにかく矢継ぎ早に言葉を紡ぎ、こちらの言葉の意図をくんでほしいという想いを込めて、ちらちらとツヅリに視線を送る。
そう。ここで言う“誰か”はツヅリを意図してのことだ。
ツヅリにお勧めの本を紹介してもらえば、それを中心に話題が生まれる。本なら、終わりがあるがまた始まりもあるので、定期的に関わることができるだろう。
しかし、ろくに本も読まないのに、ナイスアイデアがこの頭に浮かんだものだと感心していたのも束の間、ツヅリは少し考え込んだ後、こんなことを言ってのけた。
「それもそうですね。司書の方にアイさんの好みを伝えたら、ぴったりの作品を紹介してくれると思います」
(ち、違う!)
心の中で肩を落とす。
「いやー、でも、司書さんは忙しそうだしなぁ…」
「…そうですか?」
「うん。ほら、データの整理とか色々あるんじゃないかな」
「でも、私が尋ねたときはきちんと教えて下さいましたし」
「あ、そう…」
もう少し直接的な言い回しのほうが、ツヅリにはよさそうだ。
私はガシガシと後頭部を乱暴にこすってツヅリを下から覗き込んだ。気合いを入れてセットしているゆるくウェーブした毛先は、この程度では乱れない。
「あのね、ツヅリさん。私的には、ツヅリさんに選んでもらいたいんだよね」
「えっ、私?」
口に手を当てて驚きを露わにするツヅリ。普段の何を考えているか分からない姿とのギャップも相まって、とても可愛らしかった。
その後も、何度か確認されたものの、その都度繰り返し、ツヅリに選んでほしいと伝えたところ、彼女は酷く困惑した様子で私を見つめてきた。
「ど、どうして、私、ですか?」
タイプだからです、お近づきになりたいからです、という言葉は飲み込む。さすがに関係を深めるのを急ぎすぎだ。
こういうことは、焦らず、丁寧に。でも、チャンスは決して見逃さず。
誰かに恋をしたこと自体は初めてじゃない。短い期間なら恋人だっていたものだが、違う高校棟に移ることをきっかけにお別れした。悲しかったが、友だちの延長線のような関係だったので、傷は思ったより早く癒えたものだ。
でも、今回は違う。ツヅリは、友情の先に恋をしたのではなく、恋をしたから仲良くなりたい人なのだ。
「こういうのって、慣れた人に聞いたほうがいい気がする。それに、ツヅリさんがオススメする本っていうところに興味があるんだよね」
「は、はぁ…」
まだぽかんとしていて、伝わっていないようだったから、私はもう少し核心に踏み込んだ。
「まぁ、恥ずかしいことを言えばですね、私、ツヅリさんのこと知りたいなぁって思ってる感じです」
「どうして?」と困惑するツヅリ。
「んー……興味がある。ありていに言えば、友だちになりたい」
一先ずは、と心の中だけで付け足せば、ようやくこちらの意図を少しなりと理解したらしいツヅリが、さっと頬を朱に染めた。
「あ、もしかして照れてる?やったぁ、早速一つ、ツヅリさんのこと知れた気がするー」
私が思わず明るい声を出しながら笑えば、ツヅリはさらに顔を紅潮させて、素早くブックリーダーで顔の鼻から上を隠した。
「す、ストレートな物言いに、慣れていないだけです」
「ふふっ、そうなの?でも、それを照れてるって言う気がするなぁ、私」
「…っ」
私は、耳まで真っ赤に染まっていくツヅリの表情に、思ったよりも手応えがあったと心の中で小躍りしてから、オススメの本を紹介してもらうのだった。
次回の更新は月曜日となっています。




