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機械仕掛けのエデン  作者: null
五章 赤い目の怪物

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赤い目の怪物.2

 目的を探る、黒幕の正体を暴く…と言葉にするのは簡単だが、実際に行動に移さなければならないとなると、雲を掴むような話であった。


 事実、あの話し合いから二週間が経つが、状況は何も進展していない。いや、少しだけレイジ担当の逃走経路のほうが進展を見せていた。


 シェルターをぐるりと覆う壁には、穴どころか、継ぎ目一つなかったということだ。それがあるとすれば、展望台や廃棄物処理区画といった施設との境のみ。そうなると、逃亡はこの2つのどちらからかしか行えないという結論になる。しかし、それが現実的かどうかはまだ分からなかった。


 展望台のガラスはかなり分厚い。以前、竜巻がシェルターの上を通った際に樹木が倒れてきたことがあるのだが、直撃を受けてもガラスにはヒビ一つ入らなかったという。そのため、割って逃げ出すことはほぼ不可能と思われた。


 廃棄物処理区画についても、そもそも監視の目が厳しい区画だ。中を探索することすら通常では難しいだろう。


「うーん…」


 私は自室のベッドに倒れ込んで唸り声を上げた。レイジの班に比べ、私のほうはほぼ皆無と言ってもよいほどに進展がなかったのである。


「アイ、少し休憩しない?」


 床に座ったまま、とんと上半身だけをベッドに沈めたツヅリが私を覗き込みながらそう言った。


 整った顔立ちには、未だに諦観や悲壮が見え隠れしているが、以前に比べれば遥かにマシだった。やはり、抱えきれなくなっていた秘密を共有できたことが大きいのであろう。


「うん、そうだねー」


 気合いが下がりつつあった今、ツヅリの顔を間近に見られたというのはありがたいことだった。


 穏やかな昼下がり…好きな人を自室に呼び、一緒にお茶しながら話をしている。うん、改めて認識すれば良い気分転換になる構図だ。


 私は上体を起こしながら、トントン、とベッドの空いている空間を手で叩いてみせる。


「床、固くない?おいでよ」


「え?」


 ツヅリが分かりやすい困惑を表情に浮かべた。


 しまった、と少し後悔する。自分の下心を自覚していたし、彼女がそれを察したのだと直感したからだ。


 だから、断られるだろうと思っていたが、ツヅリは意外にも浅く頷き、そのまま私の隣へと移動し、座るのではなく、こちらと同じように寝転がった。


 好きな人が、自分のベッドに入っている。


 それはとても甘く、そしてむず痒い感覚を私にもたらした。とても黙っていられなかったが、何を話せばいいのかも分からなかった。


「顔が赤いわ、アイ」赤面したツヅリがぼそりと呟く。


「ツヅリこそ…」


 互いに沈黙の時間が流れる。気恥ずかしかったが、内心、こういう甘い時間を欲していたのだと歓喜する。冷めたような様子を見せることも少なくはないツヅリが、こんなふうに好意的な雰囲気を表に出してくれるのは嬉しい誤算であった。


 私は思い切って、照れ隠しを装い布団を跳ね上げると、二人の上に蔽いかぶさるようにして広げる。


(あ…ツヅリの良い匂いがする…)


 狭い空間だから、当然だ。


(幸せかも…)


 花の香りを彷彿とするツヅリの匂いに包まれて、ぼうっと考え込む私だったが、当のツヅリの困ったような声で我に返る。


「これ、ちょっとだけ恥ずかしいわ」


「あ、ごめん」と言いつつ、布団はどかさない。「嫌なら出ていいんだよ…?」


 どうか出ないでという私の気持ちが透けたのか、ツヅリは静かに微笑み、「嫌とは言っていないわ」と言った。


「そっか…まぁ、ほら、こうしていれば、声も聞かれないかもだし、イチャイチャしているようにしか見えないだろうし、いいカモフラージュになるかも…なんて」


「…」


 ツヅリが何とも言えない顔で口をつぐんだ。少し挑発的に見えたのは気のせいだろうか?


「なに、ツヅリ。何か言いたげ」


「いえ、別に。ただ…これは、その、イチャイチャとはどう違うのかと思って」


「う…」


 そうだ。実質、自分たちの命運をほっぽり出してじゃれ合っている時間である。私は好意を寄せていた相手を失いつつも、時間を見つけては駆けまわっているレイジに少し申し訳なくなった。


「そうだよね…レイジも頑張ってるんだし、私も頑張んなきゃだよね」


「そういう意味で言ったんじゃないわ。アイも頑張っているでしょう?」


「頑張ってはいるけど、結果がねぇ…」


 そもそも、自分で言いだしたことでもあるが…これだけの手札でどやって相手の目的や黒幕を見抜くというのだろう。


 マキナのおかげでいくつか要点は絞れた。でも、だからといってとっかかりが見つかったわけではない。


 私が布団の中で眉間に皺を寄せて考え込んでいたところ、不意に、ツヅリがか細い声を発した。


「私は…正直に言うと、黒幕だとか、その目的だとかが分からなくても、さほど困らないのよ」


「は?」


 驚きに目を見開いて彼女を見やる。ツヅリは儚げな様子で微笑んでいた。


「…背負ってきたものを貴方に知ってもらうことが、こんなにも安らかなこととは思いもしなかったもの…。私は…このままアイと卒業までいられたら、それで幸せだと思う…」


 私は彼女の上にのしかかっていた鉄箱の重みを実感し、言葉にし難い気持ちで胸を押し潰されそうになる。


 ツヅリの中には、もう希望の残滓はわずかたりとも残っていないのかもしれない。それだけの時間、虚無と共にあったのだろう。


 ツヅリの言う幸せ。それは本物なのだろうか…。


 ただ否定も肯定も私にはできなかった。そんな権利はないと、何も言えないまま口を貝のように閉ざす。


 だが、決して明るい表情はしていなかったのだろう。ツヅリは少しだけこちらの頬に伸ばしてきていた指先を触れる寸前で止めると、嘆息を漏らした。


「アイは…納得しないのよね、ごめんなさい」


「…謝らせたいわけじゃないよ。でも、それって、本当の幸せなのかなぁって思って」


 やがて訪れる悲しい幕引きをただ受け入れる。それを幸福と呼ぶツヅリの考えに私は違和感を覚えていた。


 それを伝えると、ツヅリはまた諦観の嵐が渦巻く瞳を細める。


「幸福に真贋はないと私は思うわ。物語でも、余命を宣告された人間が延命治療なんかをせずにありのままに生きる姿は美しく描かれるでしょう?」


「それは、そうかもしれないけど」


「…私は――」と不意にツヅリがこちらに身を寄せ、私の胸元に頭を埋めた。「ただ、アイのおかげで救われていることを、伝えたかったの。否定したいわけでも、受け入れてほしいわけでもない。アイは、アイの好きにすればいいわ。危ないことだけはやめてくれれば、それで…」


 私はこらえきれなくなって、強く彼女の頭を抱いた。「苦しいわ」と笑い交じりに言われても、とめどない愛しさと虚しさと、悲しみが私にそうさせた。


 ツヅリは――ずっと闇の中にいる。


 彼女はこの世に生まれ落ちてこの方、瞳を開いて光を見たことがないのだ。


 そんな人間に希望をもって挑めと言える人間がどれだけいるだろうか。


(だったら、私が…)


 私はツヅリに悟られぬよう、顔を険しくして考える。


(私が、頑張らないと)


 そうして決意を新たにした私が、ツヅリから身を離したときだ。


 コンコン、コンコンととても規則的な間を置いて扉がノックされた。


 呼びかけがある前から、私もツヅリも相手が誰か分かって身を固くした。マザーである。


 案の定、直後にマザーの声が聞こえた。


「アイ、いいかしら?」


「あ、はーい、どうしたの、マザー」


 不審がられないようにすぐにベッドを離れ、返事をする。ツヅリにもアイコンタクトしてマザーを部屋に入れることを伝えたが、彼女は青い顔で俯いてしまい、こちらの意図に気づいているか図る術はなかった。


 とはいえ、ここで開けないという選択はない。変に怪しまれるだけだ。


 ガチャリ、と扉を開ければ、白いドレスを身にまとい、ぬっと立つマザーの姿がそこにあった。


「お休みの日にごめんなさいね、アイ」ちらり、とマザーのレンズが部屋の奥、ベッドの上で硬直しているツヅリへと向く。「あら、ツヅリ…。ふふ、嫌だわ、お邪魔だったかしら」


 いつもだったら、即座に赤面し、大声を上げる場面だっただろう。だが、すでにツヅリとマザーの関係性を知った今、なんとか冗談めかして笑うだけで精一杯だ。


「もう、空気読んでよ、マザー!…で、何の用?」


 マザーはからかうような笑い声を長く発したかと思えば、そっとドレスのポケットから何かを取り出した。


「これを、アイ」


「それって…」


 見覚えのある年季の入ったフレーム、文字盤…ルイの古い懐中時計だった。


「ルイの遺品よ。箱にしまわれていて、ラベルが貼ってあったの。『TO アイ』って。よほど仲が良かったのね」


 マザーはそう言うと、「用件はこれだけ」と室内に足を踏み入れることもなく帰ろうとした。だが、途中で何かを思い出したかのように振り返ると、未だに布団にくるまり、硬直しているツヅリに向けてこう告げた。


「邪魔者はすぐに退散するわ。ツヅリ、貴方もようやく恋をすることができたのね。素敵なことだわ、頑張りなさい」




「嫌味なんだわ、あんなことを私に言うなんて…!誰のせいで、私は…!」


 布団の中に閉じ籠ったツヅリが怒りを感じさせる呟きを漏らした。もう何度目か分からない、同じ恨みだった。


 声が外に漏れぬよう必死に抑え込むツヅリ。私はその体をベッドに腰かけたまま、優しく叩く。


「まあまあ、ツヅリ。わざわざルイ君の残した物を持ってきてくれたんだからさ」


「そんなもの、当てつけか、もしかすると警告かもしれないわ。いいえ、絶対にそうよ、私たちの動きを見透かしているってメッセージなのよ」


 布団の中で泣いているらしいツヅリをなだめるべく、優しい言葉をかけながらトントン、とメトロノームみたく規則的に手を動かす。そうすれば、ツヅリも徐々に落ち着きを取り戻していった。


「それにしても…」


 私はルイが遺した懐中時計をまじまじと眺めた。


 チッ、チッ、と規則正しく時を刻む秒針。皮肉なものだ、すでに主の時は止まっているというのに。


 古いが、まだ壊れているというわけでもない。やはり、彼がよく取り出して使ってみせていたものなのだろう。


 でもだとすると…。


「なんでルイ君は、大事な時計を私に…」


 ルイのことだ、無駄なことはしないはず。


 なら、これにも意味がある?懐中時計を私に渡すように手配することが?


 何か時計そのものにメッセージでも遺してあるのではと、色んな角度から注視してみたりしたが、すぐに無駄なことだと判断し、やめた。


 ルイはマザーが検閲を行うことを予期していた。だから、死の直前に遺した例の遺書についても、『レイジへの小説』なんて形を取ってマザーが処分しないように仕向けたのだ。それなら、私に宛てた懐中時計なんてなおのこと、直接的なヒントになるものを残さないだろう。


 だとすればきっと、『この時計そのもの』が何かのメッセージなのではないか。


(って言ってもなぁ…時計から何か想像できるものって…)


 私なりに熟考してみるが、ピンとくるものはない。徒労の時間についため息を吐いたとき、むくりと背後でツヅリが体を起こす。


「初めてマザーにあんなこと言われたわ」


 どうやら、まだ怒りが冷めやらぬらしい。


「あんなことって?」


 私は苦笑しながら尋ねる。


「素敵なことだわ、とか。頑張りなさい、とか」


「ふーん…そっか」


「アイに対してはどうか知らないけど、私に対してはテストの点数が高かろうと、体力テストの結果が良かろうと、何も言わないのよ。何のつもりかしら」


 刺々した言葉に私の苦笑は繰り返されるも、ふと、懐中時計を片手にツヅリと正面から向き合うこの構図に既視感を覚えた。


(あれ、この感じどこかで…)


 答えはすぐに見つかった。それと同時に、さらなる引っ掛かりが生まれて、私は思考の海に深く潜った。そして、深く潜れば潜るほど、嫌な想像が大きくなっていくのを抑えられず、よりその考えに集中していった。


 そのせいだろう。私はツヅリも同じように何かを深く考え始めていることに気がつけなかった。

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