機械仕掛けのエデン.4
もう少し各々で今の状況や自分の気持ちを整理すると約束して、私たち三人はその場で解散した。もしも今後、件の話し合いを行いたい場合は、ああして外に出て行うことも決めた。ルイが筆談を望んだのは、十中八九マザーの盗聴を気にしていたからだろう、とマキナが言ったからだ。
そうなってくると、自分の部屋に戻っても監視されているような気がして帰りたくなくなったが、普段と違う行動をしすぎると怪しまれるかもということで三人揃って寮に戻った。
レイジとマキナとは別の階だから、階段の途中で一人になった。すると、不意にルイが死んだこと――もっと言えば殺されたかもしれないことが思い出され、とても恐ろしくなったが、マザーなり、その裏にいる大人なり、私たちを不当に扱っている者の正体を突き止めれば活路が開けるのだと思い直し、臆病の虫を払った。
ルイは変人だったけど、芯のある人だったと思う。誰かのことを案ずる優しい気持ちもあったし、一生懸命物事に打ち込める優秀な人でもあった。
敵討ち、っていう感覚は正直ない。私はただ、自分が正しいと思ったことをしたかった。ツヅリの孤独を解き放ちたかったのだ。
踊り場を抜け、自分の部屋がある廊下に向けて角を曲がる。
そこで私は足を止めた。
私の部屋の前に、しばらく眠っていないのではというような顔で佇むツヅリの姿を見つけたから。
「ツヅリ…」
彼女はいつからこんなに憔悴していたのだろうか?最近はルイと共にシェルターの秘密に、ひいてはツヅリの秘密だろうものに迫るべく行動していたから、ちゃんと彼女の顔を見ていなかった気がする。
ゆっくり、ツヅリがこちらに歩いていてくる。私もまた彼女に歩み寄った。
距離にして2m。私たちは互いに足を止め、見つめ合った。そして、ツヅリの瞳の中に渦巻く暗黒を見て、申し訳ない気持ちになると同時に、やはり、私の直感は間違っていないという確信を抱いた。
「アイ、話があるの」
初めて聞くような、ツヅリのかすれた低い声。泣いていたのでは、と思った。目も心なしか赤い。
私は心の中だけでツヅリを独りにしていたことを謝ると、深く頷く。
「うん。私もツヅリに話がある」
私はツヅリと一緒に再び外へと出た。互いに無言のまま歩き、川と草原を横目にして立つことができる橋に到着すると、そこでどちらからともなく足を止めた。
すでに時刻は夕方。黄昏に染まる空は、赤い夕日の眠りを憂うような色に染まっていた。
もしかすると例の手紙の主は、こういう景色を見たのかもしれないとぼんやりと思う。
向かい合ったツヅリの顔は相変わらず悲しみを帯びていたが、どうしても、私はこの悲哀こそがツヅリを鮮やかに染め上げていると感じてしまう。彼女は悲しみが似合う。生まれ落ちてきたときからそうしてきたいみたいに。それを取り払いたいと行動するのは、矛盾しているだろうか?
「私、言ったはずよ。危険なことはしないでって」
口火を切ったのはツヅリのほうからだった。
「それなのに、どうして私の言うことを聞いてくれないの?あの人があんな目に遭った後なのに、なぜこんなことも理解できないの?」
一方的なツヅリの苛立ちを感じた私は、キッと眼差しに力を込めて尋ねる。
「あの人って、ルイ君のこと?」
「…」
「ツヅリ、ルイ君は事故で亡くなったんでしょ?違うの?」
「…」
「黙ってても、私、何も分からないよ?」
「…」
「分からないなら、自分で調べるしかないじゃん。ツヅリが悲しそうな顔を続けるから、聞いても何も教えてくれないから…それなら、自分で調べるしかないんだよ?ツヅリにそんな顔させたくなくて、知ろうとしたんだよ?」
「…私の…」
ために、という言葉は彼女の喉の奥に消えた。そこに後悔や逡巡、そしてわずかな喜びを見た気がした私は、勢いのままに続けることを選ぶ。
「私を止めたいって思うなら、ちゃんと話して、お願い。どんな話でも、私、受け入れるから」
今思えば、この私の発言はなんと浅はかだったのだろうか。ツヅリの抱えていた、真実の鉄箱の重さも知らずに、私は…。
ツヅリは唇を噛み締めたまま俯き、川の流れに視線を落としていた。だが、そのうち、どこかで諦めでもついたのか、隙間風みたいな笑い声を漏らした。
「ふっ…貴方に何が分かるというの…?」
くるり、とツヅリが私に向き直る。私は、その口元に浮かんだ微笑みの色を見て唖然とした。なぜならそれは、間違いなく嘲笑に属するものだったからだ。
「このシェルターで、促されなければ何も疑うことなくぬくぬくと家畜のように生きてきた貴方に、一体、何が?」
冷たい拒絶の眼差しと、言葉に、私は息を呑んだ。
「つ、ツヅリ…」
およそ向けられることなどないと思っていた切っ先に捉えられた心臓が、ぎゅっと収縮し、加速度的に拍動していく。
恐怖や緊張とも言えない感情に足や指が震える。ショックだったのだろう。何もかもが。
「我ながら、良い表現だと思うわ。そう、家畜なのよ、私も貴方も、レイジもマキナも、ルイも、生徒全員!みんなっ!」
開いていく、秘密の鉄箱。
それには痛みが伴ったが、すでに留め金を外した私に避ける術はなかったのだ。
「出荷されるその日まで、自分の運命なんてものを想像することさえできない、哀れで、愚鈍で、無知な畜生。未来の話なんて、して、馬鹿みたい!何が大人になったらよ!何が将来よ、何が未来よっ!くだらないわっ!」
ツヅリが振り回す言葉の刃は留まることを知らず、遂には故人にまで伸びる。
「あの馬鹿な男が死んででも知りたがったこと、望むなら教えてあげましょうか?アイ!」
今までのお淑やかで、影のある深窓の令嬢のようなツヅリは私の前にはいなかった。代わりに現れたのは、まるで世界終末の日を謳う預言者のような女であった。
預言者は両手を広げ、そして、告げる。
隠されていた鉄箱の中身を、呪われたこの世界の真実を。
「私たちはね、同性しか好きになれないうえに、18年の処分期限というありがたい制約と共に、機械によって復元された人類なのよ!」
「嘘だ…」
たっぷり長い沈黙の後に、私は無意識のうちにそう呟いていた。
ヒステリーに叫んで以降、密室で酸素を求めるように肩で息をしていたツヅリが、ふっと、微笑む。その拍子に白い頬に轍を作る涙にこそ、彼女の全てが詰まっているような気がした。
「本当よ…?私は、物心ついた頃からそうマザーに教えられてきたもの」
「…マザーに?」
「ええ」
諦観に染まってもなお、悲壮をたたえる瞳には次々と涙が溢れてきていた。それなのに、彼女はまるで他人事みたいにそれを放って説明を続ける。心と体が別のもののように。
「外が放射能汚染されているなんてことも、大人たちが他のシェルターにいるなんてことも、全部嘘よ。私たちは、機械が何かの目的を果たすために復元された生き物で、ここはその生き物を逃さないように閉じ込めておくための檻。檻の中に動物園なんか作って、皮肉のつもりなのかもしれないわ…」
ぱっ、と頭の中に動物園の動物たちを思い出した。
そうか、あれと同じなのか。私たちは、飛べないペンギンなのだ。
そう思うと、途端に胸が苦しくなった。
「そ、そんなの、マザーの冗談じゃないの…?」
私は救済を求めて、声を発した。ツヅリの勘違いという細い糸を探したのだ。だが、ツヅリがあんな顔をしている以上、それも無駄な期待だった。
「いいえ。私は一度、外の世界に連れて行ってもらったことがあるもの」
「シェルターの、外に?本当?」
「ええ、そうよ。そこで私は見た。処分された人間たちの遺灰で真っ白になった草原を」
真っ白な遺灰に覆われた草原!
それを目の当たりにしたツヅリは何を想っただろう?きっと、しばらくの間、現実を受け入れられなかったに違いない。
マザーは、そうしたショック状態にあるツヅリに毎日のようにシェルターの秘密を唱え続けたという。
18歳――正確には、高校を卒業する日に、生徒たちはみんな一様にプレス機に送られ、その後に炉で焼かれて遺灰になること。そのために、『廃棄物』処理区画は存在すること。
何らかの実験的意義のために、性的対象はすべて同性として復元されていること。
大人たちのいる労働シェルターなどなく、今までも何度か復元は行われてきたこと。
人類そのものが、西暦人類の時代で絶滅してしまっていること。
外の世界にいるのは、人類ではなく、マザーと同じ義体――いや、機械たちということ。
そうした秘密を、繰り返しだ。
秘密の重さ、未来への絶望から、幾度となく死ぬことも考えたとツヅリは言う。だが、理由は分からないがそれをよしとしないマザーから、『貴方が死ねば、今回の実験は終了とみなし、他の個体も処分する』と脅されていたらしい。
自分一人の絶望で、みんなに残された時間を奪うことはできない。それは結局、マザーが自分にやってきた理不尽と根底は変わらないと考えたツヅリは、今日に至るまで、その重い鉄箱を独りで抱えて生きてきた。
私たちは、すでに高校一年生の半分を終えている。
彼女の話が本当ならば…私たちは余命一年半ということになる。
一年半後には、ルイのように、プレス機で……。
ぞくりと全身が粟立った。見たこともないはずの、人間がミンチにされた光景が頭に浮かんだ。
「嫌だよ、私。そんなの、嫌。死にたくない。ねぇ、ツヅリ。みんなで逃げればいいんじゃないの、外の世界は汚染されているわけじゃないんでしょ?人が住めるなら、そこでみんな一緒に――」
「それこそ無理よ。シェルター内はどこも監視されているし、出口がどこにあるのかも分からないもの。それに、仮に監視の目をかい潜れたとしても、外の世界でどうやって生きていくの?人間社会は滅んだのよ?機械が文明を作っているこの世界でどうやって?それこそ、死にに行くようなものだわ」
「じ、じゃあ、マザーにお願いしてみようよ!優しいマザーのことだから、きっと」
「優しい…貴方にはそう見えるのね」
上手いことやるものだわ、と疲れた微笑みを浮かべたツヅリを見て、私はしまったと思った。彼女は長い間、ずっとマザーに呪いをかけられてきた身だと忘れてしまっていた。
「残念だけれど、あいつらに感情なんてものはないわ。あるのは、合理的な判断と…感情を模倣したものだけ。私には抑揚のない声、明滅による信号ばかりが送られてきたわ」
人間そのもの以上の温みを持って私に接してくるマザーの姿と同時に、時折、目に見えない何かに向かってレンズをピカピカと明滅させている姿を思い出す。
私が思い悩んだときは、いつもマザーがそばにいてくれた。恋に悩むときも、勉強に悩むときも、なんでもないときも…。
そんなマザーが、私たちを『実験体』としてしか見ていない。それこそ、私が読んでいた小説に出てくる宇宙人が、地球人をモルモット呼ばわりしていたのと同じように。
ぷつり、と何かが切れる感覚がした。
「なに、それぇ…」
震える足が言うことを聞かず、立っていられなくなった私は、その場にへたりこんだ。
ルイは、こんなことを知ろうとしていたのか?
こんなことを知るために、残りの一年半を失った?
ルイの求めていた真実は、知らないほうが幸せな事実だった。彼の墓前に添える花にしては、酷く滑稽なものではないだろうか?
「……ごめんなさい、アイ」
ツヅリは依然として涙を流したままで、へたりこんだ私のそばへ寄ってきて、それから、優しく私を抱き締めた。
初めて香る、ツヅリの柔らかな体、甘い匂い。それは深い諦めと共にあった。
「……家畜の幸せは、自分が家畜だと知らないことにあるわ。たとえ貴方がそれを望んだとはいえ、奪ったのは私よ。ごめんなさい、アイ」
逆光で薄くなるツヅリの存在感。言葉だけが浮いてそこにあるような感じがする。
私を抱き締めたまま、繰り返し謝り続けるツヅリがそっと体を離した。至近距離で見つめたツヅリこそが、私が生まれて初めてきちんと見つめ合った等身大の彼女であった。
(ツヅリ、綺麗…)
触れたいと思った。薄桃色の唇にも、新雪のような頬にも。
不安のためか、恐怖のためか。それとも、何でもいいから逃げ道が欲しかったのか。私はツヅリの許可など得ずに彼女の唇に自分の唇を重ねた。
一瞬だけ、ツヅリも驚いた顔をして目を見開いていた。だが、そのうち悲しい眼差しのまま瞳を閉じ、その口づけを受け入れた。
夕日が沈む。何も知らずに過ごしていた私の旧世界が終わりを告げる。
幕を開けるは、救いのない新世界。私とツヅリだけしか真相を知らない、悲しき世界。
何かが狂ってしまったのだろうか。私は少しだけ、幸せを覚えていた。
その理由を口づけたまま考えているうちに、ふと思い至る。
(…あぁ、私…やっとツヅリと同じ場所に立てたんだ…)
ツヅリの瞳を諦観で染め上げていたものの正体を知り、ツヅリに触れることが叶った。
ちゅっ、と音を立ててツヅリの顔が離れる。薄闇のせいで、彼女の頬が色づいているかも分からなかったが、気恥ずかしそうにしているのは理解できた。
「アイ…こんな酷い人間でも、まだ私のことを、想ってくれる?」
「うん…」
ツヅリは酷くなんてないよ、という気の利いた言葉は出なかった。ただ、夢見心地だった、現実感がなかった。
再び、ぎゅっとツヅリの両腕が私を抱き締める。とても暖かくて、苦しかった。
「それなら、貴方と恋人になりたいわ。同じ秘密を抱えてくれたアイとなら、最期の日まで一緒にいられると思うから…」
それは、なんて甘美な誘いだっただろうか。
どうしようもない現実を前に、私たち人間が欲するのはこういうものだ。こういう、分かりやすい安寧だ。逃亡先なのだ。
私はそれを受け入れようと思った。ここで逃げたとして、誰も文句は言わない。言える奴なんて、誰もいないのだと思った。
浅く頷いた私は、そのままもう一度、ツヅリに口づけようと顔を寄せた。
しかし、彼女に触れる寸前、薄闇に染まる橋の上に、ぼんやりと、彼の幻影が浮かんで見え、息を止めた。
――アイさんは、よくよく自分で考える。それは、僕の目には希望のように映った。
それは過去の記憶だった。所詮、過ぎ去り、戻りはしないものの断片。それにも関わらず、まるで彼がそこに存在しているかのように感じられた。
――僕らは家畜ではない。きちんと自分で考え、自分で行動する、人間という生き物だ。それなのに、君はそれでいいのか?
家畜。
目を大きく見開く。私の目にはきっと、直前まで宿っていた悲しみや諦観ではない、もっと別のものが燃え上がっていたはずだ。
ギラギラした、熱いもの。そう、ルイの瞳に宿っていたような。
「違うよ、ツヅリ」
「え?」
このままでは、終われない。
「私たちは、家畜じゃない」
何も分からないままでは、終われない。
「自分の頭で考えて、行動する。人間だから」
見て見ぬフリでは、終われない。
納得できないままでは、終わりたくない。
どうせ死ぬなら、ちゃんと全貌を確かめてからにしたい!
「ルイ君は諦めなかった。自分が死ぬかもしれないって思ったときでも、諦めなかった…!」
最期まで自分を人間たらしめた友人はカッコよかった。どれだけ生きるかではなくて、どう終わるかを考えられた彼は、決して馬鹿な男なんかじゃなかった。
「私は…私は、諦めない、諦めて、たまるもんか…っ!」
ぐっ、とツヅリの体を離す。そして…あぁ、何を考えていたのだろう。私はツヅリの顔を――悲劇のヒロインそのものと言える、悲壮感に満ちた顔を引っ叩いた。
「っ…え、…えっ…?」
困惑し、自分の頬を抑えるツヅリ。かわいそうなことしたと、後で思う。でも、直感だけどこうするべきな気がした。
「ツヅリにだって、諦めさせないよ。そんなのダメ、私が許さない」
私は熱に浮かされたまま、すっと立ち上がる。なんだか、目線が少し高くなったような気がした。
「だって、今のツヅリも前のツヅリも、ずっと悲しそうな顔してるから。ぜんっぜん!幸せそうじゃないから!」
ツヅリに向けて私は手を差し出す。一向に掴まる様子がなかったから、その手を無理やり取り、立ち上がらせた。
これから始まる新世界を、少しでも幸せにツヅリと過ごすために。
これにて四章は終了です。
物語も佳境に入っていますので、ここまでお付き合い頂けた方は是非最後までよろしくお願いします!




