第4話 名前のつかない感情
最近、気になることがある。
気にする必要なんてない。
そもそも気にする立場でもない。
そう思うのに、どうしても目が行ってしまう。
昼休み前。
資料の確認をしていた山本は、ふと顔を上げた。
視線の先。
会議室前の通路で、朝倉と遠藤が話している。
まただ。
ここ数週間、そんな光景を何度か見ていた。
最初は偶然だと思った。
部署も近いし、仕事で関わることだってある。
けれど最近は明らかに違う。
仕事の話をしている雰囲気ではない。
二人とも少し声を潜めていて、時々笑っている。
楽しそうだ。
遠藤は身振りを交えながら話し、朝倉はそれに呆れたように笑う。
その顔が自然で。
気を許していて。
見ているこちらまで、なぜか落ち着かなくなる。
山本は視線を戻そうとした。
だが、その瞬間。
朝倉が笑った。
声は聞こえない。
けれど、目尻を下げて。
肩を揺らして。
本当に楽しそうに。
その笑顔を見た途端、胸の奥が妙にざわついた。
何だろう。
この感じ。
山本は無意識にキーボードを打つ手を止めた。
朝倉は元々よく笑う。
社内でも誰とでも話すし、人懐っこい。
だから今さら不思議なことではない。
それなのに。
なぜか目が離せなかった。
遠藤は若い。
三十代前半。
背も高いし、顔もいい。
営業職らしく人当たりもいい。
誰とでも自然に話せる。
自分とは正反対だ。
自分はどうだろう。
四十代。
特別面白いわけでもない。
会話が上手なわけでもない。
休日は寝て終わることも多い。
最近はスーパーの特売情報を見るのが少し楽しい。
そんな男だ。
比較すること自体がおかしい。
そもそも比べる必要もない。
なのに。
なぜか比べてしまう。
遠藤が何か言う。
朝倉が笑う。
また笑う。
その光景が、妙に胸に引っかかる。
やがて朝倉がこちらを振り向いた。
一瞬だけ目が合う。
朝倉の表情がぱっと明るくなる。
その顔に、少しだけ安心する自分がいた。
けれど次の瞬間。
朝倉はまた遠藤へ視線を戻した。
二人は何か話している。
内容は聞こえない。
聞こえないのに。
なぜか気になる。
山本は小さく息を吐いた。
馬鹿らしい。
本当に馬鹿らしい。
朝倉は若い。
遠藤も若い。
年齢も近い。
話も合うだろう。
並んでいる姿だって自然だ。
むしろ。
似合っている。
その考えが浮かんだ瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ。
山本は眉をひそめる。
似合っている。
それは事実だ。
なのに、なぜだろう。
その事実を認めたくない自分がいる。
認めた方が楽なはずなのに。
朝倉には朝倉の人生がある。
同年代の相手と出会って。
恋をして。
結婚して。
そういう未来だってある。
その中に、自分がいる必要はない。
むしろいない方が自然だ。
そう思う。
そう思うのに。
昼休みになった。
朝倉がこちらへ駆け寄ってくる。
「山本さん、ランチ行きます?」
いつもの笑顔。
いつもの声。
山本は一瞬だけ遠藤を見る。
遠藤は遠くからこちらを見ていて、なぜか少し面白そうな顔をしていた。
「……行こうか」
そう答える。
朝倉は嬉しそうに笑った。
その笑顔に、胸の奥が少しだけ軽くなる。
同時に。
別の感情も残った。
和食屋へ向かう道すがら、山本は考える。
遠藤と話している朝倉。
楽しそうな横顔。
近い距離。
自然な笑顔。
あれはただの同僚同士だ。
きっと。
たぶん。
そうなのだろう。
けれど。
胸の奥には、まだ何かが残っている。
説明できない。
認めたくもない。
ただ、確かに存在している感情。
それはまだ。
名前のつかないままだった。




