EP 8
「鬼の龍儀」
事務所の、奥の一室。
ランプの灯りが、一つ。
向かい合って、座っていた。一人の、女と。一人の、鬼が。
リベラの頬には、まだ、闘気に灼かれた傷が、生々しく残っていた。手当てを、勧めても、「後でええ」と、取り合わなかった。
机の上には、一枚の、羊皮紙と、羽根ペン。
「さて」
リベラが、口を、開いた。
その目は、もう、龍魔呂を抱きしめた、あの優しい母の目では、なかった。書類を前にした、一人の——弁護士の、目だった。
「契約を、始めようか。龍魔呂さん」
「あんたの、要望から、聞こうか」リベラは、羽根ペンを、構えた。「あんたは、どう生きたい? どういう力に、なりたい?」
龍魔呂は、しばらく、考えた。
そして、ぽつりと、言った。
「……悪は、殺す。それだけだ」
「殺さん」リベラが、即座に、ペンで、線を引いた。「却下じゃ」
「……何?」
「あんた、さっき、村人を、当て身で沈めようとした。あれは、ええ。じゃが、もし当たりどころが悪けりゃ、死んどった。あんたの力は、強すぎる。"殺す"を許したら、あんたはまた、勘で人を裁いて、間違える。前の、あの男みたいに、な」
リベラの言葉は、鋭かった。
「ええか。気分で殺すなら、それは"天災"じゃ。誰にも、止められん、ただの、災害。じゃが——掟で、裁くなら。それは、"執行"になる。あんたは、天災に、なりたいんか。それとも、執行人に、なりたいんか」
龍魔呂は、息を、呑んだ。
天災。それは、龍魔呂が、ずっと、呼ばれてきたものだった。Death4。死を呼ぶ、災い。誰も、止められない、化け物。
「……執行人」
龍魔呂は、絞り出すように、言った。
「俺は……もう、天災には、戻りたくねえ」
「よし」リベラが、にやり、と笑った。「なら、ルールじゃ。法定主義でいこう。——あんたが、誰かを裁く時は、必ず、この掟に、照らす。掟に、ない殺しは、せん。ええな?」
夜が、更けていく。
一条ずつ、二人は、言葉を、交わし、削り、磨いていった。
「まず、第一条」リベラが、書いた。「カタギには、手を出さん。一般人、村人、巻き込まれただけの者。こいつらには、絶対に、手を出さん。あんたが間違えそうになったら、アモンが嘘を嗅ぐ。それでも迷うたら、うちが、裁く。ええな」
「……ああ」
「第二条。あんたが、その時いる土地を、守る。そして——宿代は、自分で稼ぐ」
「宿代?」
「タダ飯食らいは、嫌じゃろ?」リベラは、ペンを、回した。「あんたは、悪党を退治する。そいつらが、貯め込んだ汚い金がある。それを、宿代に、充てる。土地を守り、悪党から金を取る。一石二鳥じゃ」
龍魔呂は、頷いた。理に、適っている。
「第三条。じゃが、その金を、全部、自分のものにしたら、ただの、強盗じゃ」リベラの目が、光った。「巻き上げた金は——孤児院に、寄付する。あんたが食う宿代を、引いた、残り全部。これで、あんたの暴力は、"人助け"に、変わる」
龍魔呂の手が、止まった。
孤児院。攫われ、売られ、行き場をなくした、子供たち。八年前の、自分や、ユウのような。
「……いいな」龍魔呂は、低く、言った。「それは、いい」
「第四条。悪は、根絶やしにする。中途半端に、見逃さん。一度、裁くと決めたら、その悪事の、根っこまで、断つ。じゃないと、被害者が、また、増える」
「ああ」
そして——リベラの、ペンが、止まった。
「……第五条」
彼女は、龍魔呂の目を、まっすぐ、見た。
「これが、いちばん、大事じゃ」
「あんたは、子供の泣き声で、壊れる」
リベラの言葉に、龍魔呂の身体が、強張った。
「今夜、わかった。あんたの、いちばんの、弱点。いちばんの、傷。子供が泣くと、あんたは、Death4に、戻る。……違うか?」
「……っ」
龍魔呂は、答えられなかった。
図星、だった。
「じゃけぇ、第五条は、これじゃ」
リベラは、ゆっくりと、書いた。
『一、悪人に、子がいたなら——手を、引け』
「……何?」龍魔呂が、顔を、上げた。「悪党に、子供がいたら……見逃す、ってのか? そんな……そいつが、また、悪事を——」
「ええか、龍魔呂さん」
リベラは、静かに、しかし、有無を言わせぬ声で、言った。
「これは、あんたを、守るための、条じゃ。あんたが、悪党を裁こうとして、その悪党の子供が、泣いたら? あんたは——また、壊れる。さっきの、二の舞じゃ。今度は、止める者が、おらんかもしれん」
「……」
「悪党の始末は、子供がおらん時に、やればええ。あるいは——子供がおるなら、殺さず、捕らえて、うちに引き渡せ。あとの始末は、うちが、"法"で、つけたる。あんたは、手を引け。それが、あんたと、村と、その子供を、守る、唯一の道じゃ」
龍魔呂は、その言葉の、重さを、噛み締めた。
これは、ただの、甘さでは、ない。
これは、龍魔呂という、強すぎる刃を、暴走させないための——鎖だ。彼を、人間に、繋ぎ止めるための、鎖。
そして同時に、それは——あの、ゴミ捨て場で、子供だった自分を、救ってくれる手が、なかった、あの夜への。
ささやかな、償いでも、あった。
「……呑む」
龍魔呂は、頷いた。
「その掟、俺は、呑む」
リベラは、五つの条を、書き終えた羊皮紙を、龍魔呂の前に、置いた。
『一、カタギに手を出すべからず』
『一、その地を守り、宿代は悪党を退治して払うべし』
『一、悪党より奪いし金は、孤児院へ寄付すべし』
『一、悪は、根絶やしにすべし』
『一、悪人に子がいたなら、手を引くべし』
「これが、あんたの、生きる道じゃ」リベラは、言った。「名前を、つけよう。……そうじゃな」
彼女は、少し、考えて。
「鬼の、龍儀。——あんたの名前から、もろうた。"鬼神龍魔呂"の、龍。鬼が、神を宿すための、儀。これで、どうじゃ」
「鬼の、龍儀」
龍魔呂は、その言葉を、口の中で、転がした。
鬼が。神を、宿すための。掟。
外伝で、師範が言った、あの言葉。『宿せ、鬼に神を』。その意味が、今、ひとつの形に、なった気が、した。
「……いい、名だ」
龍魔呂は、頷いた。
そして——羽根ペンを、取り、その羊皮紙の、末尾に。
不器用な字で、自分の名を、記した。
『鬼神 龍魔呂』
その瞬間、龍魔呂の懐で。
ピコン、と。
エンジェル・スマートフォンが、鳴った。
『執行者として、誓いを立てました』
『称号「鬼の龍儀」を、獲得しました』
『+100 P』
龍魔呂は、その画面を、見た。
百。
これまでで、いちばん、大きな数字。
それは——彼が、ただの天災から、掟を持つ執行者へと、生まれ変わった、その対価だった。
【幕間・天上にて】
その頃。
天界の、とある一角。
『うわ、サインしちゃったよあいつ』
ジャージ姿の、駄女神ルチアナが、酒を片手に、巨大な映像——ゴッドチューブの、配信画面を、眺めていた。
画面には、リベラと契約を交わす、龍魔呂の姿が、映っている。神々は、地上の面白い人間を、こうして、酒の肴に、観賞するのだ。
『元Death4が、弁護士に丸め込まれて、掟持っちゃった。うけるー』
『おいルチアナ、賭けの件どうなった』別の神が、画面を覗き込む。『俺は"三日で掟破る"に、神貨千枚、賭けてんだぞ』
『えー、あたしは"破らない"に賭けてるしー』ルチアナが、けらけら笑う。『だってあいつ、あの子供に、ベタ惚れだもん。弟と同じ名前のさ。あれは、破れないって』
『甘いな。Death4だぞ? 血の本能は、そう簡単に——』
『まあ、見てなって』ルチアナは、酒を、あおった。『あたしが、second lifeあげた子だよ? ……ちょっとは、報われてほしいじゃん』
その横顔は、一瞬だけ。
駄女神とは思えぬ、優しい目を、していた。
『さーて、次は、どんな善行で、ポイント稼ぐのかなー。楽しみ楽しみ』
神々の、無責任な、観賞は——続く。
地上の鬼が、必死に、生き直そうとしているのを、肴にして。
【地上・夜明け】
掟が、成った頃には、空が、白み始めていた。
龍魔呂は、羊皮紙を、大事そうに、懐に、しまった。
「……リベラ」
「ん?」
「お前は、なんで、ここまで、してくれる」龍魔呂は、聞いた。「俺は、村を、壊しかけた。お前を、傷つけた。なのに、なんで——」
リベラは、しばらく、黙っていた。
それから、ふっと、笑った。だが、その笑みは、いつもの、お節介な笑みとは、少し、違った。どこか、暗くて、昏い。修羅の、笑みだった。
「……うちはな、龍魔呂さん」
リベラは、窓の外の、白む空を、見ながら、言った。
「悪人を、救う弁護士じゃ。じゃが、勘違いせんでくれ。うちは、聖人じゃ、ない。むしろ——逆じゃ」
「逆?」
「うちはな、依頼人を救うためなら、なんでも、する女じゃ」リベラの声が、低く、なった。岡山の訛りが、濃く、なる。「法律ってのは、武器じゃ。使いようで、人も殺せるし、人も救える。うちは、その武器を、誰よりも、汚く、使える。法の、抜け穴。証拠の、組み立て方。相手の弱みの、握り方。——綺麗事だけじゃ、悪人は、救えんけぇ」
龍魔呂は、その横顔を、見た。
いつも、優しく、お節介で、温かい、リベラ。だが、その奥に——確かに、何か、昏いものが、潜んでいた。彼女もまた、自分と同じ、修羅だった。
「あんたは、力で、人を裁く。うちは、法で、人を裁く。やってること、同じじゃ」リベラは、龍魔呂を、見た。「じゃけぇ、ほっとけんかった。あんたを見とると、うちを、見とるようでな」
「……そうか」
「ま、難しい話は、ここまでじゃ」リベラは、立ち上がって、伸びを、した。いつもの、お節介な顔に、戻っていた。「腹減ったじゃろ。憂が起きる前に、朝飯、作るかね。……黒胡椒の、効いたやつ」
龍魔呂は、その背中を、見て——ほんの少し、笑った。
久しぶりに、笑えた、気が、した。
その日から、龍魔呂は。
「鬼の龍儀」を、その身に刻んだ、執行人として、生きることに、なった。
天災では、なく。
掟を持つ、鬼として。
——だが、龍魔呂は、まだ、知らない。
この村に。そして、この大陸に。彼の「掟」が、本当の意味で、試される時が。
すぐ、そこまで、来ていることを。
そして、その夜更け。
リベラの事務所の、扉を、こんこん、と、叩く、影が、あった。
猫の耳をした、小柄な、人影。村の、財務を取り仕切る、やり手——ニャングルが。
龍魔呂の、噂を聞きつけて。
何やら、算盤を、片手に、にやにやと、笑っていた。
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