EP 7
「心でぶつかる」
「龍魔呂さん」
赤黒い闘気の、嵐の中で。
リベラの声が、響いた。
Death4化した龍魔呂の手が、コンテナの中の武器に、伸びる——その動きが、ほんの一瞬、止まった。
「……あ?」
虚ろな目が、ゆっくりと、声の主を、捉えた。
リベラが、立っていた。武器も持たず、闘気も纏わず、ただ、生身で。赤黒い闘気の、中心。あと、数歩のところに。彼女の服が、肌が、ぴりぴりと、闘気に灼かれ始めている。
それでも、彼女は、退かなかった。
「ハハ……」
Death4が、嗤った。
「邪魔だ」
赤黒い闘気が、ぶわり、と、膨れ上がった。リベラに向かって、殺気の塊が、押し寄せる。触れれば、塵になる。歴戦の冒険者でも、一流の騎士でも、この圧に、生身で耐えられる者は、いない。
リベラの足が、踏ん張った。
ずぅん、と。彼女の足元の地面が、抉れた。それでも、彼女は、一歩も、退かなかった。歯を、食いしばって。全身を、闘気に灼かれながら。
「……っ、ぐ……」
「リベラさん!」
逃げ遅れた村人が、悲鳴を、上げた。
『——っ、もう、ダメ! 僕が、雷で!』
空の上で、ユイが、再び、雷を、放とうとした。
だが。
リベラが、その闘気の圧の中で、口を、開いた。
「やめんさい」
その声は、震えて、いなかった。
「あんたが、今から壊そうとしとるのは——」
リベラの、据わった目が、Death4を、まっすぐ、射抜いた。
「あんたが、守りたかった、世界じゃろ」
Death4の、動きが、止まった。
「ハ……何を……」
「あんた、誰かを守ろうとして、守れんかったんじゃろ」
リベラは、灼かれながら、一歩、踏み出した。
「うちには、わかる。あんたの目を見たら、わかるんよ。あんたは、悪人じゃ、ない。あんたは……守りたかったんよ。守りたくて、守りたくて、それでも、守れんくて。だから、こんなに、壊れて、しもうたんじゃろ」
「……黙れ」
赤黒い闘気が、揺らいだ。
「黙れ。黙れ……! お前に、何が、わかる……!」
「わかるよ」
リベラの声が、不意に、変わった。
訛りの奥に、何か——彼女自身の、深い、深い傷が、滲んだ。
「うちも、同じ、じゃけぇ」
「……何?」
「うちにも、守りたいもんが、ある。何があっても、地獄を見せたくない、もんが。そのためなら、うちは……手を汚すことも、厭わん。修羅に、なることも、厭わん。……あんたと、同じよ」
リベラは、また一歩、踏み出した。闘気が、彼女の頬を、切り裂いた。血が、一筋、流れた。それでも。
「じゃけぇ、わかる。あんたは、ただ——」
「やめろ……」
「もう一度、誰かを、守りたいだけ、じゃろ」
「やめろ——!!」
Death4が、咆哮した。
赤黒い闘気が、爆発的に、膨れ上がった。今度こそ、リベラを、呑み込もうと——
「——おにいちゃん!」
小さな、声が、した。
闘気が、ぴたり、と、止まった。
リベラの、背後。
アモンに、連れられて。
憂が、立っていた。
アモンの三つ首が、必死に、憂を、庇うように、囲んでいる。「左ぃ! 坊主、下がってろ!」「右だ、これ以上は危険だ」。だが、憂は——母を見て、その前に立つ、恐ろしい男を見て、震えながらも、足を、踏み出した。
「まんなか〜……坊や、行っちゃ……」
憂は、見ていた。
赤黒い闘気の中心に立つ、恐ろしい男を。その前で、血を流しながら立つ、母を。
憂は、震えていた。怖かった。あの優しかった「おにいちゃん」が、別人のように、恐ろしい姿に、なっている。
それでも。
憂は、泣きながら、叫んだ。
「おにいちゃん! こわい顔、しないで!」
Death4の、虚ろな目が。
憂を、捉えた。
「おにいちゃん、いつもの、おにいちゃんに、なって! ユウ、こわいよ! でも……でも、おにいちゃんも、こわいんでしょ!?」
五歳の子供が、必死に、言葉を、紡いだ。
「ユウ、わかるもん! おにいちゃん、いま、すっごく、いたいんでしょ!? かなしいんでしょ!? だから……だから、こわい顔、しないで……!」
「おにいちゃんは、やさしいもん! ユウに、おいもくれたもん! いっしょに、わらってくれたもん! くろこしょうの、おいしいシチューも、たべさせてくれたもん!」
「だから……おねがい……」
憂の、頬を、涙が、伝った。
「もどってきて……おにいちゃん……!」
その、声が。
Death4の、奥の、奥に。
凍りついた、心の、いちばん深いところに。
届いた。
『にいちゃん!』
『おにいちゃん!』
——重なった。
別の世界の、弟の声と。この世界の、憂の声が。
守れなかった、ユウと。今、目の前で泣いている、ユウが。
「……ユ、ウ……」
Death4の——龍魔呂の、口から。
掠れた声が、漏れた。
赤黒い闘気が、ふっ、と、弱まった。
罅割れていた空間が、軋みながら、閉じていく。コンテナが、次元の彼方へ、引き戻されていく。武器に伸ばされていた手が、力なく、垂れた。
虚ろだった目に、光が、戻って、くる。
そして——龍魔呂は、見た。
血を流して立つ、リベラを。
泣きながら、自分に手を伸ばす、憂を。
逃げ惑い、自分を恐れる、村人たちを。
「……俺は」
龍魔呂の、膝が、崩れた。
地面に、両手をついて。
「……また」
肩が、震えた。
「……また、子供を、泣かせた……」
八年間、一度も泣かなかった男の、二度目の涙が。
ゴミ捨て場で、すべてを失って流した、あの涙以来の、涙が。
地面に、ぽたり、と、落ちた。
「すまねえ……すまねえ、ユウ……俺は……俺は、また……」
龍魔呂は、うずくまったまま、ただ、繰り返した。
守りたかった。この子を。この村を。この、温かい日々を。それなのに、また、自分は、壊しかけた。子供を、泣かせた。自分が、いちばん、守りたかったはずのものを。
「俺は……やっぱり、化け物だ……」
「龍魔呂さん」
リベラが、血を流したまま、龍魔呂の傍に、膝を、ついた。
そして——
その大きな身体を、そっと、抱え込んだ。
「……違う」
「……っ」
「あんたは、化け物じゃ、ない」
リベラの声は、優しかった。母が、子を、あやすような。けれど、その奥に、揺るがない、芯が、あった。
「化け物は、子供が泣いても、なんとも思わん。あんたは、子供が泣いたから、こんなに、苦しんどる。……それは、化け物じゃ、できんことじゃ」
「……でも、俺は……壊し、かけた……」
「壊さんかった、じゃろ」
リベラは、龍魔呂の背中を、ゆっくりと、さすった。
「止まったじゃろ。憂の声で。あんたは、ちゃんと、止まった。……あんたは、弟を、守りたかったんじゃね」
龍魔呂の、震えが、止まった。
リベラには、わかっていた。さっきから龍魔呂が、何度も呼んでいた「ユウ」が、ただの憂では、ないことを。この男が、別のどこかで、ユウという誰かを、失ったことを。
「……ああ」
龍魔呂は、初めて、誰かに、それを、認めた。
「俺の、弟だ。ユウは……俺の、弟だった。俺が、守れなかった……たった一人の、弟だった……」
「そうか」
リベラは、それ以上、聞かなかった。
ただ、龍魔呂が、落ち着くまで、その背中を、さすり続けた。
血を、流しながら。それでも、決して、離さずに。
「……なら、約束、しよう」
やがて、リベラは、静かに、言った。
「龍魔呂さん。うちと、約束、しよう」
「……約束?」
「あんたが、二度と、こうならんための、約束じゃ」リベラは、龍魔呂の目を、覗き込んだ。「あんたは、強すぎる。じゃけぇ、気分や、勘で動いたら、さっきみたいに、なる。罪のない者を、傷つけてしまう。……じゃが、あんたには、守りたいもんが、ある。その力を、守るために、使う、決まりごとが、要る」
「決まり、ごと……」
「掟じゃ」リベラは、頷いた。「あんたのための、掟。それさえ守れば、あんたは、もう、化け物じゃ、なくなる。ただの、天災じゃ、なくなる。……人を、守るための、力に、なれる」
龍魔呂は、リベラの顔を、見た。
血に、汚れていた。彼女が、自分を止めるために、流した、血。
それでも、その目は——どこまでも、まっすぐ、だった。
「……教えて、くれるのか」龍魔呂は、掠れた声で、言った。「俺が……化け物じゃ、なくなる、方法を」
「ああ」リベラは、笑った。「うちは、弁護士じゃけぇ。"決まりごと"を作るのは、得意なんよ」
その光景を、空の上で、見つめていた者がいた。
雷帝神、ユイ。
放とうとした雷を、放たないまま。
ユイは、地上を、見つめていた。
リベラに、抱えられて、泣く、龍魔呂を。
『……ああ』
ユイの声が、震えた。
『そうだったんだ』
師範の言葉が、今、ようやく、本当の意味で、ユイの胸に、落ちてきた。
『鬼に、神を、宿せ……』
ユイは、ずっと、思っていた。その「神」とは、自分のことだと。いつか、龍魔呂が鬼に喰われそうになった時、自分が、降りて、彼の鬼を、抱きしめるのだと。
だが——違った。
いや、違わない。だが、それだけでは、なかった。
『神って……雷の力とか、神様の権能とか、そういうこと、じゃ、なかったんだ』
ユイは、リベラを、見つめた。武器も持たず、闘気も持たず、ただ、生身で、心ひとつで、龍魔呂の鬼を、止めた、女を。
『誰かを、本気で、想う心。誰かに、本気で、寄り添う心。……それが、「神」なんだ』
『たつまろの鬼を、止められるのは、力じゃ、ない。……愛なんだ』
ユイの、瞳から。
光の雫が、こぼれた。
『リベラさん……ありがとう』
『今、僕が、できなかったことを……あなたが、してくれた』
そして、ユイは、心に、誓った。
いつか。本当に、龍魔呂が、絶望の底に堕ちた時。リベラの心でも、誰の心でも、届かなく、なった時。
その時は——自分が、降りて、いく。
雷の神として、では、なく。
ただ、龍魔呂を、誰よりも愛してきた、一人の、心として。
『その日まで、僕は、もっと、強くなる』
『力だけじゃ、ない。心も』
『君を、本当に、救えるように』
雷帝神の決意が、夜空に、紫電となって、瞬いた。
地上では、龍魔呂が、リベラに支えられて、ゆっくりと、立ち上がろうと、していた。
その傍らで、憂が、おそるおそる、龍魔呂の服の裾を、握った。
「……おにいちゃん。もう、だいじょうぶ?」
龍魔呂は、涙に濡れた顔で、憂を、見た。
そして——震える手で、その小さな頭を、そっと、撫でた。
「……ああ」
「ごめんな、ユウ。怖い思いを、させて」
「ううん」
憂が、ぎゅっ、と、龍魔呂に、抱きついた。
「おにいちゃん、もどってきた。よかった……!」
龍魔呂は、その小さな身体を、壊れ物に触れるように、そっと、抱きしめ返した。
二つの月が、その光景を、静かに、照らしていた。
——そして、その夜。
事務所の、ランプの灯る一室で。
一人の女と、一人の鬼が、夜を徹して、ひとつの「掟」を、作り始める。
それが、後に、この大陸の、裏側で囁かれることになる——「鬼の龍儀」の、始まりだった。
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