EP 6
「子供の泣き声」
収穫祭の夜は、ポポロ村が、一年でいちばん、輝く夜だった。
村の広場に、屋台が、ずらりと並ぶ。提灯の灯が、揺れる。ピラダイの塩焼きの匂い。イモッカの酒。村人たちが、笑い、歌い、踊っている。リーザという人魚の地下アイドルが、特設の舞台で歌い、キュララという天使が、その様子を、ゴッドチューブで配信していた。
「おにいちゃん! あれ! あれやりたい!」
憂が、龍魔呂の手を、引いた。
ピラダイ突きの屋台だった。生け簀から飛びかかってくる魚を、短い槍で突く、この世界の縁日の、定番。
「ママ、おにいちゃんと、あれ、やってくる!」
「ええよ。あんまり、遠くに行かんようにね」
リベラが、依頼人の村人と話し込みながら、手を、振った。アモンは、リベラの足元で、伏せている。
龍魔呂は、憂に手を引かれるまま、人混みの中を、歩いた。
賑やかだった。明るくて、温かくて、平和だった。
(……こんな世界が、あるのか)
龍魔呂は、思った。
誰も、死なず。誰も、奪わず。ただ、笑っている、世界が。
「おにいちゃん、はやく!」
憂が、龍魔呂の手を、ぐいぐい、引く。
その小さな手の、温もりを、龍魔呂は、感じていた。
(……守りたい)
ふと、そう、思った。
(この子の、この笑顔を。この、温かい日々を)
それは、八年ぶりに、龍魔呂の中に芽生えた、感情だった。守りたい。誰かを。何かを。あの日、すべてを失って以来、二度と持つまいと、封じてきた、その気持ちが。
だが——その時。
人混みが、二人を、引き離した。
「あ……おにいちゃん?」
祭りの、雑踏。押し寄せる、人の波。龍魔呂が、握っていたはずの、小さな手が——するりと、離れた。
「ユウ!?」
龍魔呂が、振り返った時には。
憂の姿は、人混みの中に、消えていた。
「……あれぇ? おにいちゃん? ママ?」
憂は、迷子に、なっていた。
祭りの広場の、外れ。屋台の明かりも、届かない、暗がりの路地。いつの間にか、人混みに押し流されて、知らない場所に、来てしまっていた。
「ママ……? どこ……?」
不安が、込み上げてくる。さっきまで、あんなに、楽しかったのに。
その時。
暗がりから、ぬっ、と、影が、現れた。
「お? なんだ、ガキが一人か」
酒の匂いをさせた、村の外から流れてきた、ならず者だった。祭りに紛れて、悪事を、働こうとしていたのだろう。荒んだ目が、憂の、上等な服を、舐めるように、見た。
「いい服、着てんなぁ。どっかの坊ちゃんか? おい、親は、どこだ。金、持ってるか?」
「……っ」
憂が、後ずさった。
「やだ……ママ……」
「うるせえな。静かにしろ」
男が、憂の腕を、乱暴に、掴んだ。
「いたい……! やだ! はなして!」
「黙れって言ってんだろ!」
「——うわあああん!! ママ! ママぁ!!」
憂が、泣き叫んだ。
その声が。
祭りの喧騒を、切り裂いて。
人混みの向こうに立つ、一人の男の、耳に——届いた。
龍魔呂の、世界から。
音が、消えた。
『——うわあああん!! ママ! ママぁ!!』
子供の、泣き声。
子供の、悲鳴。
その瞬間。
龍魔呂の中で、固く封じられていた扉が——鬼神流の修行で、何年もかけて、ようやく押さえ込んだはずの、あの扉が。
こじ開けられた。
『にいちゃん! にいちゃーん!』
——燃える、家。
『うぅっ……兄ちゃーん!』
——刃を、当てられた、弟の、首。
『殺せ! 殺せ! 殺せ!』
——唱和する、群衆。
過去が、一斉に、逆流した。
龍魔呂の顔から、血の気が、引いた。
瞳孔が、開いた。
立っていられなくなり、膝が、崩れる。祭りの広場の片隅で、龍魔呂は、頭を抱えて、うずくまった。
「……あ」
「……あ、あ」
呼吸が、できない。
子供の、泣き声。守れなかった、子供。守れなかった、弟。守れなかった、すべて。
そして——封じられていた、もう一人の自分が。
ゴミ捨て場で、笑いながら、すべてを壊した、あの男が。
『ハハ……ハハハハ……』
——目を、覚ました。
異変は、すぐに、広がった。
龍魔呂を中心に、空気が、ねじ曲がった。
赤黒い、闘気。世界の色を変えるほどの、濃密な、殺気。それが、龍魔呂の身体から、滲み出し、溢れ、噴き上がった。
祭りの喧騒が、止んだ。
提灯の灯が、ふっ、と、震えて、消える。村人たちが、本能的な恐怖に、悲鳴を上げて、逃げ惑う。
「な、なんだ!?」
「ひっ……なんだ、あの男……!」
そして、龍魔呂の、左肩——服の上からでも、わかった。
歪な、「4」の、焼き印が。
赤黒い闘気の中で、脈打つように、浮かび上がっていた。
「ハ……」
龍魔呂が、ゆっくりと、顔を、上げた。
その顔は、もう、用心棒のものでも、憂と笑い合った男のものでも、なかった。
虚ろな、底のない、闇の、目。
五年間、闘技場で人を屠り続け、すべてを失って、世界を呪った——「死を呼ぶ4番」、Death4の、顔だった。
「ハハ……」
そして。
龍魔呂の頭上の、空間が。
ビキ、と、音を立てて、罅割れた。
次元の壁を、突き破って。
巨大な、金属の、コンテナが、出現した。
それは、龍魔呂が、まだこの世界に来る前——遠い昔に出会った、ある発明家が、彼のために遺した、置き土産。Death4が発動した瞬間、次元の彼方から、自動で送り込まれる、武器の、コンテナ。
コンテナの扉が、軋みながら、開いていく。
中から、赤黒い光を放つ、無数の、銃火器の、輪郭が、覗いた。
「……ハハハ」
Death4の手が、その武器に、伸びる。
このまま、それを掴めば。
ポポロ村は、終わる。
人口千人の、平和な村が。今夜、地図から、消える。
そして——龍魔呂の懐の、エンジェル・スマートフォンは。
沈黙したまま、だった。
あれほど、龍魔呂の善行に、反応し続けた神具が。今は、ひと言も、点を、刻まない。
これは、救いでは、ないからだ。
これは、ただの——破壊だからだ。
神具の、沈黙が。誰よりも、雄弁に、それを、告げていた。
逃げ惑う、村人たちの中で。
リベラが、立ち尽くしていた。
「……龍魔呂さん?」
依頼人を、人混みから庇いながら、彼女は、その光景を、見ていた。
赤黒い、闘気。罅割れた、空間。コンテナ。武器。そして、変わり果てた、龍魔呂の、顔を。
「……あれは」
リベラの、聡明な頭脳が、瞬時に、状況を、組み立てた。
(……子供の、泣き声)
(あの人が、急に。憂が、はぐれた、直後に)
(あの人の、抱えとった、重いもん。あれは——)
そして、その時。
罅割れた空間の、コンテナの傍に。
リベラには、見えていなかったが——もし見えていたなら、信じられなかっただろう、ある「気配」が、降りてきていた。
雷の、気配。
『……っ、来ちゃった』
雷帝神、ユイが。
ずっと、空の上から見守るだけだった、ユイが。
初めて、地上に、その意識を、近づけて、いた。
『たつまろが、壊れちゃう……! どうしよう、僕が、止めなきゃ……! 雷で、あのコンテナを——』
ユイの、神気が、収束する。一条の、雷を。あのコンテナを、武器を、撃ち砕くための、雷を。
だが。
ユイは、躊躇した。
(……待って)
(雷で、コンテナを壊せば。たつまろは、止まる。今は)
(でも——それは、力で、ねじ伏せるだけだ)
(また、子供の泣き声を、聞けば。たつまろは、また、こうなる)
ユイは、師範の言葉を、思い出していた。
外伝で、鬼神流の師範が、龍魔呂を見て、言った、あの言葉。
『——宿せ。鬼に、神を』
(神を、宿す)
(……力じゃ、ない)
(たつまろの、鬼を。本当に、鎮められるのは——)
ユイが、収束させた雷を、放てないまま、地上を、見渡した、その時。
一人の女が。
赤黒い闘気の、中心へ、向かって、歩いていくのが、見えた。
武器も、持たず。
闘気も、纏わず。
ただ、丸腰で。
「……うそ」ユイが、息を、呑んだ。「あの人……死んじゃう、よ……!?」
Death4の前に、生身で、立つ。それは、自殺行為だった。あの闘気に触れれば、ただの人間など、一瞬で、塵に、なる。
だが、その女は——リベラは。
止まらなかった。
ゆっくりと、けれど、まっすぐ。
赤黒い嵐の中心で、武器に手を伸ばす、龍魔呂のもとへ。
その目は、恐怖では、なく。
ある種の、覚悟と——深い、深い、痛みを、湛えていた。
まるで、彼女もまた、誰かを、こうやって、止めようとしたことが、あるかのように。
そして、リベラは、足元の、震えるアモンに、囁いた。
「アモン。憂を、探して、守りんさい。……ここは、うちが」
「右だ。——だが、リベラ。あの闘気は」
「ええから。……これは、うちの、仕事じゃ」
アモンが、一声、悲痛に鳴いて、人混みへ、駆けていった。
リベラは、一歩、また一歩と、赤黒い嵐の中へ、踏み込んでいく。
服の裾が、肌が、闘気に灼かれ、ぴりぴりと、焦げ始める。
それでも、彼女は、退かなかった。
「龍魔呂さん」
リベラが、口を、開いた。
赤黒い闘気の、轟音の中で。
その声は、不思議なほど、はっきりと、響いた。
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