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鬼神龍魔呂のスローライフ生活  作者: 月神世一


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EP 3

「悪人専門の弁護士」

ポポロ村は、奇妙な村だった。

まだ朝だというのに、街道沿いのファミレスは煌々と光り、畑では人の背丈ほどの巨大なネギが、農夫を相手に、何やら理屈っぽく演説を打っていた。

「いいかね君、そもそも"収穫"とは何か。労働価値説に基づけば——」

「やかましいわ! ネギのくせに! 抜くぞ!」

のどかなのに、何でも、揃っている。そして、騒がしい。

龍魔呂は、その狂騒の中を、無言で歩いた。良樹とロードは、配達の途中だからと、村の入口で別れた。「リベラさんの事務所なら、村の真ん中の外れや。看板ですぐわかるで」と言い残して。

やがて、一軒の建物の前で、龍魔呂の足が、止まった。

木造の、こぢんまりとした、品のある事務所。その看板に、こう書かれていた。

——「どんな人にも、最初から悪人なんていなかった」

龍魔呂は、その一文を、しばらく、見つめた。

人を、何百と沈めてきた男には、その一文が、ひどく、遠く、眩しく、見えた。

(……最初から悪人なんて、いなかった、か)

(だとしたら、俺は、何だ)

胸の奥が、ざらりと、した。

——その時だった。

「離せ! 離せって言ってんだろうが!」

事務所の前の通りが、騒がしくなった。

一人の男が、村の男たちに、取り囲まれていた。

薄汚れた服。荒んだ目つき。腕には、消えかけた古い刺青。一目で「堅気ではない」と、わかる風体だった。

「こいつだ! こいつが村の食料庫から金を盗んだんだ!」

「半グレ崩れが流れてきたと思ったら、これだ!」

「役人を呼ぶ前に、ぶちのめしちまえ!」

村人たちの手には、鍬や棒が、握られていた。男は壁際に追い詰められ、それでも、牙を剥いて、抵抗しようとしている。

龍魔呂の目が、すっと、細くなった。

その風体。その目つき。その、荒んだ気配。

——悪党だ。

五年間の闘技場と、流浪の日々が、龍魔呂に、そう告げた。あの目を、あの匂いを、龍魔呂は、数え切れないほど見てきた。人を傷つけ、奪い、嗤ってきた者の、目。

身体が、勝手に、動いた。

すっ、と。龍魔呂が、追い詰められた男の正面に、滑り込む。村人が気づくより、早く。男の鳩尾へ——当て身を、放とうと、腕を引いた。当たれば、男は、一撃で、意識を失う。

「!?」男が、息を呑んだ。

「——待ちんさい!!」

声が、響いた。

凛とした、けれど、地の底から響くような、芯のある声。

龍魔呂の腕が、空中で——逸れた。

逸らしたのは、龍魔呂自身では、なかった。彼の手首に、いつの間にか、しなやかな指が、添えられていた。力ではない。技だった。鬼神流の達人である龍魔呂の一撃の軌道を、完璧に読み、最小限の力で「流した」——合気の、技。

龍魔呂は、自分の手首を捉えた相手を、見た。

女だった。

三十歳ほど。黒髪を後ろで束ね、仕立ての良い、けれど動きやすそうな服を着ている。涼やかな目元と、意志の強そうな口元。そして——龍魔呂の殺気を、真正面から受けてなお、まったく揺らがない、据わった、眼差し。

その足元に、巨大な犬が、いた。

いや、犬では、ない。頭が、三つ、あった。黒い毛並みの、ケルベロス。知性を湛えた六つの目が、龍魔呂と、追い詰められた男を、静かに、見比べている。

女は、龍魔呂の手首を、握ったまま、静かに、言った。

「あんた、ええ腕しとるね」

岡山の訛りが、わずかに、混じっていた。

「人を、沈める目をしとる。それも、たくさん、やってきた目じゃ。……じゃけど」

女は、龍魔呂の目を、まっすぐ、見上げた。

「その男、まだ『悪人』と、決まっとらんで」

「……何?」

「アモン。どうじゃ」

女が、足元のケルベロスに、声をかけた。

すると——その三つ首の魔獣が、喋った。

「ふむ」

右の首が、気だるげに、口を開いた。

「右だ。聞こえる。この囲まれてる男の心音——毎分七十二。乱れなし。汗腺からの分泌も平常。恐怖はしているが、それは"囲まれているから"の恐怖だ。嘘をつく人間特有の匂いは——出ていない」

「左ぃ! オレも嗅いだぜ!」

左の首が、勢いよく、吠えた。

「人間ってのはな、嘘をつくとよ、体ん中で"コルチゾール"ってストレスの匂い物質が、ぶわっと増えんだ! それと一緒に手汗、脇汗! 匂いが一気に変わる! だがこの男からは、それが一切出てねえ! シロだ! オレが保証すらぁ!」

「まんなか〜……補足するねぇ」

真ん中の首が、のんびりと、続けた。

「人はねぇ、嘘をつくと、呼吸が浅く、速くなるんだぁ。心拍も上がる。指先の血の流れも変わって、匂いが変わるんだよぉ。僕ら三兄弟は、その全部を、同時に、嗅ぎ分けられるからねぇ。……この人、嘘ついてないよぉ。むしろ、必死に、本当のことを、言おうとしてるねぇ」

龍魔呂は、思わず、その三つ首を、まじまじと見た。

(……喋る、魔獣)

(しかも、人間の身体の仕組みから、嘘を、暴いている)

「うちのアモンはね」リベラが、当然のように、言った。「人が嘘をつく時に出る、汗やら、息やら、心臓の乱れやら——その匂いを、人間の数万倍の鼻で、嗅ぎ分けるんよ。誤魔化しは、効かん。法廷より、よっぽど正確じゃ」

「……ほうか」リベラは、男に向き直った。「アモンが、シロ言うとる。じゃが、念のためじゃ。あんた、あの晩、どこで何をしとった。正直に、言いんさい」

男は、最初、警戒して、口を閉ざしていた。だが、女の——敵意も、侮蔑もない、ただ、まっすぐな視線に、やがて、ぼそぼそと、口を開いた。

「……俺は、確かに昔、半グレだった。前科もある。だが、足を洗ったんだ。この村で、真面目に、日雇いやって、やり直そうとしてた。あの晩は、村外れの納屋で、一人で寝てた。誰も、見てねえ。だから……証明、できねえ。前科者の言うことなんざ、誰も、信じねえ」

「右だ。——心音、乱れず。声の震えは、悔しさによるもの。嘘の匂いは、ない」

「左ぃ! 真っ白! 雪みてえに真っ白だぜ、こいつぁ!」

「まんなか〜……うん、ほんとのことだねぇ。この人、ずっと、頑張ってたんだねぇ」

「……決まりじゃね」

リベラの目が、すっ、と、村人たちの方へ、向いた。

「ほな、次は、あんたらじゃ」

リベラが、村人たちに、歩み寄った。

「食料庫の鍵を、最後に閉めたんは、誰じゃ。帳簿を、管理しとったのは、誰じゃ。——アモン」

「左ぃ! 任せろ! ……お? お、お、お? いるぜリベラ! この中に、さっきから汗だっくだくの奴が一人いる! コルチゾールの匂いがプンップンだ!」

「右だ。——あの男。後列の、帽子の男。心拍が急上昇している。呼吸も浅い。典型的な、嘘をつく者の生理反応だ」

「まんなか〜……あらら。あの人、さっきから、目も合わせないねぇ。逃げる準備、してるねぇ」

帽子の男の、顔が、さっと、青ざめた。

「ち、違う! 俺は——」

「往生際が悪いのぅ」リベラは、ふっと笑った。「うちが村長に頼んで、食料庫の出入りの記録を調べりゃ、一発じゃ。今、正直に言うた方が、減刑を、考えてやれる。……どうする?」

男は、がくり、と、膝をついた。

「……す、すみません……つい、出来心で……あいつなら、前科者だから、誰も庇わねえと、思って……」

通りに、沈黙が、落ちた。

壁際の男が、呆然と、その様子を、見ていた。自分を沈めかけた大男も。自分を救った女と、喋る魔獣も。罪を白状した村人も。すべてが、信じられない、という顔で。

龍魔呂は、引いたまま止まっていた腕を、ゆっくりと、下ろした。

(……沈めて、いたら)

冷たいものが、背筋を、伝った。

やっていた。間違いなく。あの女が止めなければ、龍魔呂は、あの男を、打ち倒していた。罪のない男を。やり直そうとしていた男を。「悪党の目をしている」という、ただ、それだけの理由で。

五年間、龍魔呂は、自分の「勘」を、疑ったことが、なかった。Death4が断つものは、悪に決まっている。そう信じて、そう信じなければ、立って、いられなかった。

だが、今——その「勘」が、間違えた。

「……あんた」

女が、龍魔呂に、向き直った。

身構えた。罵倒されるか、捕らえられるか。当然だ。自分は今、罪のない男を、害しかけた。

だが、女は——龍魔呂を、静かに見て、こう言っただけ、だった。

「人を沈めるのが、よっぽど、染みついとるんじゃね」

責める声でも、哀れむ声でも、なかった。

ただ、見抜いている、声だった。龍魔呂が、どれほどの地獄をくぐって、その習性を身につけたのかを、一目で、見透かしたような。

「……止めて、くれて、助かった」龍魔呂は、ぽつりと、言った。本心、だった。「俺は、間違えた。あんたと、その魔獣が、いなけりゃ……罪のねえ男を、打ち倒してた」

「ええんよ」

女は、ふっと、表情を、緩めた。

龍魔呂が、この世界に来て、初めて向けられた——警戒でも、恐怖でもない、笑みだった。

「最初から、間違えん人なんて、おらん。大事なんは、止まれるか、どうか、じゃ。あんたは……ちゃんと、手を、止めた」

その時、龍魔呂の懐で。

ピコン、と。

板が、鳴った。

『冤罪の人を、救う手助けをしました』

『+20 P』

沈めて、+10。

沈めずに、救って——+20。

またしても、この世界は、龍魔呂に、同じことを、教えていた。奪うより、傷つけるより、救う方が、ずっと、重いのだと。

「お、なんだその板」左の首が、鼻をひくつかせた。「……ん? 兄ちゃん、お前、いい匂いに変わったぞ。さっきまで血と鉄の匂いしかしなかったのによ。今、ちょっとだけ……あったかい匂いがすらぁ」

龍魔呂は、答えなかった。

ただ、その板を、そっと、懐に、しまった。

女は、書類鞄を持ち直し、名乗った。

「桜田リベラ。この村で、しがない弁護士をしとる。困った人を、見過ごせん。ただの、お節介じゃ。……で、この子らが、アモン。嘘を嗅ぐのが、得意でね」

「右だ。よろしく」

「左ぃ! お前、強そうだな! 今度オレと相撲取ろうぜ!」

「まんなか〜……よろしくねぇ」

「……鬼神、龍魔呂」

龍魔呂も、名乗った。久しぶりに、誰かに、名乗った。

リベラは、その名を聞いて、わずかに、目を細めた。何か引っかかるような、けれど、それ以上は踏み込まない、目だった。

「龍魔呂さん、ね。……あんた、行くアテは、あるん?」

彼女は、事務所の看板を、親指で、指した。

——どんな人にも、最初から悪人なんていなかった。

「うちの事務所、ちょうど、用心棒が要るところでね。腕の立つのが。どうじゃ?」

龍魔呂は、その看板の一文を、もう一度、見た。

この女の隣にいれば——もう二度と、さっきのような間違いを、犯さずに、済むのかもしれない。罪のない誰かを、害さずに、済むのかもしれない。

「……ああ」龍魔呂は、頷いた。「世話に、なる」

遠巻きに見ていた村人たちは、まだ、龍魔呂を、恐ろしげに、見ていた。よそ者。得体の知れない、危険な男。その警戒の視線を、龍魔呂は、背中に、感じた。

(当然だ)

(俺は、まだ、何も、返しちゃいねえ)

その夜。

事務所の二階、用心棒用にあてがわれた、小さな部屋。

階下から、ことり、と音がした。リベラが、まだ起きているらしい。それから——何かを、煮るような、甘く、優しい匂いが、二階まで、漂ってきた。

龍魔呂は、その匂いを、知らなかった。

誰かのために、誰かが、台所に立つ。その匂いを。

そして、龍魔呂は、まだ、知らなかった。

——明日、この事務所に、帰ってくる、小さな存在のことを。

その子の名前が、「ユウ」だということを。


お読みいただきありがとうございます!


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