EP 10
「悪に、子がいた」
掟を、結んでから。
龍魔呂の、日々は、変わった。
朝は、リベラの台所で、料理を、習う。包丁の握り方。火の入れ方。ダイヤの打った、本焼きの包丁は、龍魔呂の手に、驚くほど、馴染んだ。昼は、事務所の、用心棒。そして、夜——
「龍魔呂さん」
ある夜、リベラが、一枚の、書類を、机に、置いた。
「仕事じゃ」
その目は、弁護士の、目だった。
「最近、村の周りで、人攫いが、出とる。子供や、若い娘が、攫われとるんよ。村の自警団じゃ、手に負えん。……アジトの場所は、うちが、調べた。ここじゃ」
リベラは、地図の、一点を、指した。村から、半日ほどの、廃坑。
「掟に、照らして、どうじゃ?」リベラが、龍魔呂を、見た。「こいつらは——」
「悪だ」龍魔呂は、即答した。「カタギを、攫ってる。掟の、第四条。"悪は、根絶やしにする"」
「ほうじゃ」リベラは、頷いた。「行ってきんさい、執行人。……ただし」
彼女は、龍魔呂の目を、まっすぐ、見た。
「忘れんな。第五条を」
龍魔呂は、懐の、羊皮紙に、手を、当てた。
『一、悪人に子がいたなら、手を引くべし』
「……ああ」龍魔呂は、頷いた。「忘れねえ」
廃坑は、闇の中に、口を、開けていた。
龍魔呂は、音もなく、内部へ、侵入した。鬼神流の歩法。気配を、完全に、消す。
奥へ、進むと——いた。
十数人の、人攫いたち。そして、檻の中に、攫われた、村人たち。怯えた、子供。泣いている、娘。
龍魔呂の中で、静かに、闘気が、滲んだ。
だが——あの夜のような、赤黒い、暴走では、ない。
掟に、照らされ、制御された、冷たい、執行の、闘気だった。
「——誰だ!?」
見張りが、気づいた。
次の、瞬間。
風が、吹いた。
龍魔呂が、動いた。鬼神流の、体捌き。見張りの、首筋に、手刀を——峰打ちのように、当てる。当て身。見張りは、声もなく、崩れ落ちた。死んでは、いない。ただ、意識を、刈り取られただけ。
「な、なんだ!?」「敵襲——ぐぁっ!」
一人、また一人。
龍魔呂は、殺さなかった。
関節を、極め、当て身で、沈め、急所を、突いて、行動不能にする。鬼神流の、技は——殺すためだけでなく、生かしたまま、制圧することにも、長けていた。
血は、一滴も、流れなかった。
掟が、龍魔呂の刃から、死を、削ぎ落としていた。
数分後。
人攫いたちは、全員、地に、伏していた。誰一人、死んでは、いない。だが、誰一人、立ち上がれも、しない。
龍魔呂は、檻を、開けた。
「……もう、大丈夫だ」
囚われていた、村人たちが、おそるおそる、出てくる。
そして——龍魔呂は、気づいた。
自分が、今、「もう大丈夫だ」と、言えたことに。
あの、最初の夜。荒野で、子供たちを助けた時。言えなかった、その言葉が——今は、自然に、口から、出た。
掟を、持ったからか。料理を、覚えたからか。憂と、出会ったからか。
わからない。だが——龍魔呂は、少しずつ、「救う」ということを、思い出し始めていた。
ピコン。
『囚われた人々を、救出しました』
『+200 P』
二百。これまでの、どの善行より、大きな、数字。
人を、救うことは、人を、沈めることの、二十倍。
その、揺るがぬ事実を。神具は、また、龍魔呂に、教えた。
だが、まだ、終わっていなかった。
廃坑の、最奥。
そこに、この人攫いどもの、頭目が、いた。
でっぷりと、太った、醜悪な男。逃げ遅れたか、あるいは、最後まで、金を持って逃げようとしたのか。男は、龍魔呂を見て、引きつった顔で、後ずさった。
「ひ、ひぃっ! く、来るな! 化け物!」
龍魔呂の、目が、冷たく、光った。
この男が、元凶だ。子供を攫い、娘を売り、何人もの人生を、踏みにじってきた。掟の、第四条。悪は、根絶やしに。生かして、リベラに、引き渡す。それでいい。
龍魔呂は、男に、歩み寄った。
その、手刀を、振り上げ——一撃で、沈めようと、した。
その、瞬間。
「——とうちゃんを、いじめるなぁっ!」
小さな、影が。
龍魔呂と、頭目の、間に。
割って、入った。
幼い、女の子だった。
四つか、五つか。頭目の、後ろに、隠れていたのだろう。ぼろぼろの、服。痩せた、頬。だが、その子は、龍魔呂を、キッと、睨みつけ、両手を、広げて、太った男を——父親を、庇っていた。
「とうちゃんを、いじめないで! いじめないでよぉ!」
その子の、目から、ぽろぽろと、涙が、こぼれた。
「うわあああん! とうちゃん! とうちゃーん!」
——子供の、泣き声。
龍魔呂の、振り上げた手が。
空中で——止まった。
ぴたり、と。
凍りついたように。
『——うわあああん!! ママ! ママぁ!!』
あの夜の、憂の声が。
『にいちゃん! にいちゃーん!』
あの日の、ユウの声が。
そして今、目の前で泣く、この子の声が。
すべて、重なった。
龍魔呂の、心臓が、跳ねた。Death4の、扉が、軋む。あの、赤黒い衝動が、込み上げて——
(——駄目だ)
龍魔呂は、奥歯を、噛み締めた。
(掟を。第五条を)
『一、悪人に子がいたなら、手を引くべし』
リベラの、声が、蘇る。
『これは、あんたを、守るための、条じゃ。悪党の子供が、泣いたら、あんたは、また、壊れる』
龍魔呂は、ゆっくりと——振り上げた手を、下ろした。
闘気を、鎮める。深く、息を、吐く。
そして、太った頭目を、見下ろして、言った。
「……お前は、まだ、だ」
「な……?」
「お前を、裁くのは、今じゃ、ない」龍魔呂は、低く、言った。「そいつには——泣く、子供が、いる」
龍魔呂は、その子の前に、膝を、ついた。
子供の、目線に、合わせて。
できる限り、優しい声を、作って。
「……怖い思いを、させて、すまなかった」
女の子は、龍魔呂を、警戒しながらも、その声の、優しさに、少しだけ、泣き止んだ。
「お前の、父ちゃんは……悪いことを、した。たくさんの、人を、泣かせた。だから、罰を、受けなきゃ、ならねえ。だが——殺しゃ、しねえ」
龍魔呂は、頭目を、見た。
「立て。お前は、村の、役人に、引き渡す。罪を、償え。……その子のためにも、な」
頭目は、呆然と、龍魔呂を、見上げていた。
殺されると、思った。化け物に、八つ裂きにされると。だが——この男は、自分の、娘の涙、一つで、その手を、止めた。
「……な、なんで」頭目が、震える声で、言った。「なんで、殺さねえ。俺は、こんなにも——」
「掟だ」
龍魔呂は、それだけ、言った。
「俺の、掟が。お前の、その子を、守れと、言ってる」
頭目を、縄で、縛り、村へ、連行する。
その道中。
女の子は、龍魔呂の作った、握り飯を——食べていた。龍魔呂が、廃坑を出る前に、携帯していた、握り飯。ダイヤの包丁で、米を握り、塩を、効かせた、不格好な、握り飯。
「……おいしい」
女の子が、ぽつりと、言った。
ずっと、まともな飯を、食わせてもらえなかったのだろう。痩せた頬で、夢中で、頬張る。
その様子を、縄に縛られた頭目が、見ていた。
「……すまねえ」
頭目が、俯いて、言った。
「俺は……娘に、まともな飯も、食わせて、やれなかった。攫った金で、贅沢しても、娘は、いつも、腹を、空かせてた。……俺は、最低の、父親だ」
「ああ。最低だ」龍魔呂は、容赦なく、言った。「だが——」
龍魔呂は、女の子が、握り飯を食べる様を、見て。
「その子は、お前を、庇った。"とうちゃんを、いじめるな"と。……お前は、最低だが。その子にとっては、たった一人の、父親なんだ」
「……っ」
「罪を、償え。出てきたら——今度こそ、その子に、まともな飯を、食わせてやれ。それが、お前の、罰であり、贖罪だ」
頭目は、声を殺して、泣いた。
龍魔呂は、それ以上、何も、言わなかった。
ただ、夜空を、見上げた。
二つの月が、静かに、廃坑の道を、照らしていた。
ピコン。
懐で、板が、鳴った。
『掟を守り、子を持つ者の罪を、裁かずに委ねました』
『救われたのは——あなた自身かもしれません』
『+300 P』
龍魔呂は、その、メッセージを、見て。
静かに、目を、閉じた。
第五条は、正しかった。
もし、あの時、手を止めなければ。龍魔呂は、また、子供の前で、父親を、殺していた。あの子を、自分と同じ——目の前で、家族を、奪われた子に、していた。
掟が、龍魔呂を、救った。
そして、龍魔呂は——掟によって、人を、救った。
村に、戻ると。
リベラが、待っていた。
龍魔呂は、頭目を、引き渡し、廃坑であったことを、すべて、話した。第五条が、発動したことも。子供を、庇った頭目を、殺さずに、連れ帰ったことも。
リベラは、黙って、聞いていた。
そして——ふっ、と、笑った。
「……ようやった」
その声は、温かかった。
「殺さず、連れ帰った。子供を、守った。あんたは——天災じゃ、なくなった。ちゃんと、執行人に、なった」
「……リベラ」龍魔呂は、聞いた。「あの、頭目は、どうなる」
「うちが、裁く」リベラの目が、すっ、と、弁護士の、目に、なった。「法に、則ってな。あいつは、相応の、罪を、償う。じゃが——あの子は、孤児院に、入れる。ちゃんと、飯が食えて、学校に、行ける、孤児院に。あんたが、寄付しとる、あの孤児院に、な」
龍魔呂は、目を、見開いた。
掟の、第三条。『悪党より奪いし金は、孤児院へ寄付すべし』。
その金が——今、あの女の子を、救う。
すべての、掟が。繋がっていた。
悪を、裁き。子を、守り。奪った金で、その子を、救う。
リベラの、作った掟は——龍魔呂を、縛る鎖であると同時に、誰かを、救う、糸でも、あった。
「……よく、できた、掟だ」
龍魔呂は、ぽつりと、言った。
「じゃろ?」リベラが、得意げに、笑った。「うちは、弁護士じゃけぇ」
だが——その、平和な、夜の、裏側で。
闇は、確実に、村へと、忍び寄っていた。
廃坑の、人攫いは。
その、ほんの——末端に、過ぎなかった。
その背後に、いる、巨大な、影。
希少種族を、狙う、大陸規模の、人身売買シンジケート。
その、冷たい目が。
今、ポポロ村の、希少種族たちを——月兎族の村長キャルル、人魚のリーザ、天使のキュララ、エルフのルナを。
「商品」として、見定め、始めていた。
龍魔呂が、掟の、本当の試練に、立たされる時が。
すぐ、そこまで——迫っていた。




