渋谷駅ダンジョン ④
『とうとう我らを捕食するニンゲンが現れたと、同胞たちが騒いでいたが』
『どんな奴かと思えば、何ともまあ……』
『あの小僧っ子、彼奴の匂いがぷんぷんするなあ』
『不快、不快だ。だが……』
『あの小僧を喰ろうてやったら、彼奴はどんな表情をするだろう』
「う……うう、」
腰と背中が痛む。どうやら壁か床かに、したたかに打ち付けたらしい。
目を開けると、心配そうに俺を覗き込むカレンの姿があった。
「先輩?」
「カレン……怪我ないか?」
「はい、お陰様で。あの、……」
珍しく歯切れが悪い。いつものカレンなら、これくらい受け身を取れるようにならないと駄目だとか、気絶してるようじゃまだまだだとか、好き勝手な駄目出しをしてくるところだが。
なんにせよ、文句が少ないのは良いことだ。「どうした?」とカレンを気にかけつつ、視線は素早く周囲に巡らす。
そこは、異様な空間だった。
灰色の通路。天井からは吊り蛍光灯がまばらにぶら下がっており、ジジジと不快な音を立てながら弱々しい光を放っている。
少し離れた先に、非常口を示す緑色のランプがある――が、その下に見えた扉は、黒と黄のトラテープで厳重に封印されている。
いや、異様なのはそんなものではない。
何よりも異様なのは……電話。
通路の壁いっぱいに付いているのは、真っ赤にベタ塗りされた受話器だ。古めかしい字体で『非常電話』と白抜きしてある。
それがひとつやふたつではない。足元にもあれば天井すれすれにまで――いたる所に設置してある。
無数の真っ赤な受話器。
「これは、なんつーか……ヤバいな」
「ヤバいですね。この感じ、上級ダンジョンの最深層ですよ」
「は!?」
上級ダンジョン? 渋谷駅ダンジョンは、そんなに難易度は高くなかったはずだ。最深層でも中級に毛が生えた程度のレベル……と、パンフレットには書いてあったが。
「まさか……また、ダンジョン難易度が変わったのか」
「難度変化した上に、いきなり最深層に突き落とされましたね」
「…………」
確かに今回もまた、あの感覚があった。皮膚がピリつくような……空気感が丸ごと変わるような、あの感覚。
これまでの経験から分かってきた。あの感覚が来ると、その直後にダンジョンが大きく変化する。
あれは多分、ダンジョンが意思を持って何かする時の合図のようなものだ。
だが……早過ぎる。
今までの奴らは、ある程度深層に到達して、ダンジョンが危機を感じた時にようやく動き出した。
今回は、俺はまだ何もしていない。ダンジョン喰いの発動どころか、モンスターと戦ってすらいないのだ。
それなのに、なぜ……。
「……あ、先輩」
黙って何かに集中していたカレンが、俺を呼んだ。
「今、『追跡』スキルで双子の位置を確認してたんですけど、あの2人は浅いとこに留まってるみたいです。ていうか……元の場所にそのままいるのかな」
「そうか、それはひとまず良かった」
上級ダンジョンの最深層ともなれば、ダンジョンギミックもモンスターも一筋縄ではいかないレベルばかりだろう。
こっちはカレンがいるから何とかなる率も高いが、あの双子の実力ではどうなることかと心配していた。
「なにか通信手段は……あ、そうだ。おーい、モノ。モノちゃーん、いるか?」
呼び掛けると、天井付近を飛んでいたモノがするすると降りてくる。
あの騒ぎでも、ちゃんとはぐれずに俺についてきていたらしい。優秀だ。
「双子のスマートウォッチと通信できるか?」
『少々お待ち下さい…………通信不可。電波環境が不良です』
「またですか。じゃあどうせ、外部との通信も遮断されてるんでしょうね」
『通信中…………通信不可。電波環境が不良です』
だろうな、という感じだ。
突然のダンジョン構造変化、イレギュラーな出来事、そして外部との通信遮断。いつものパターンだ。
「しかし……今回は早いですね」
「だよな。俺もそれが気になってた」
それに、あの声。
ダンジョン構造が変化する直前、そして深層へ落とされた直後。俺たちじゃない誰かの声が聞こえたような……気がする。
「まあ何にせよ、ここに突っ立ってても危険なだけですね。脱出しましょう。まずは地図作成で場所を把握して……」
カレンの言葉を遮るように、プルルルル、と音が鳴った。
俺たちが持ってる通信機じゃない。ダンジョン内に設置された赤電話が鳴っているのだ。
薄暗い通路に反響し、電話の呼び出し音はそこかしこから聞こえてくるように思える。
しかし、実際に鳴っているのはただひとつ。ご丁寧に、俺が手を伸ばせば一番取りやすい位置にある赤電話だ。
「……これは、」
「電話を取れってことでしょうね。聴覚による精神デバフをかけられるかも知れませんから、防御しときましょう」
カレンにデバフ防御をかけてもらってから、恐る恐る受話器に手を伸ばす。
「……もしもし?」
耳を澄ませる。受話器からは、かすかにジーと唸る雑音が聞こえてくるばかりだ。
意味のある音や声なんかは何も聞こえない。受話器を置こうとした、その時だった。
――ふふ、あはは、
あーっはははは! ひひひ、ひゃははははは!
ふっはははは!あーっはっはっはっは!!!
あっははははははは!!!
「うわっ!」
大勢の人が――いや、「何か」が一斉に笑う声に、思わず受話器を取り落とす。
ガチャン、ガチャン。笑い声に混じって音がする。通路の至る所にあった赤電話の受話器がひとりでに外れていく音だ。
外れた受話器からは、やはり狂ったような笑い声が聞こえてくる。
思わず耳を塞いだ。無数の笑い声は反響し大きなうねりとなり、まるで頭をガンガンと殴られているようだ。
(頭が割れる……!)
耳を塞ぐ程度では太刀打ちできない暴力的な哄笑に、脳が破裂するのではないかという恐怖すら覚える。
カレンの方を見ると、カレンもまた両手で耳を塞いで、この音の暴力になすすべがないようだ。
どうにかこの笑い声を止める方法は。ぐらつく視界の中、手探りで受話器を戻そうと手を伸ばす。
――……と、声が止んだ。
全ての笑い声が、示し合わせたかのようにぴたりと止まる。急に静かになったせいか、高い耳鳴りが内耳を満たす。
「た、助かった……」
だが、安堵する余裕はなかった。狂った笑い声は、始まりの合図に過ぎなかったのだ。
ぼたり、ぼたり。
気味の悪い音が響く。何事かと周囲を探る必要はない。異常事態はまさに目の前で起きつつあった。
天井からぶら下がっているのは――人間の手脚だ。
それが左右に揺れたかと思うと、ぼたりと音を立てて床に落ちる。
手は二の腕、脚は太腿の辺りで切断されている。
いや、切断というより――何か強い力で引き千切られたかのようだ。肉は裂かれ骨は砕け、悲惨な有様の脚がいくつも……天井からぶら下がり、落ちてくる。
床に落ちた手脚は、数秒の間もぞもぞと意味なく蠢くが、やがてむくりと立ち上がり、俺たちの方へにじり寄ってくる。
「すげーどうでもいいことに気付いた」
剣を抜き、じりじりと後退りながら言う。
「あいつら全部、右手と右脚だ」
背後で身構えるカレンが「ほんっとどうでもいい!」と吐き捨てた。




