渋谷駅ダンジョン ③
一歩、足を踏み入れる。ダンジョンらしい薄暗さに加え、各所に張られた灰色の防音シートが、全体の陰気さに更に拍車をかけている。
渋谷駅ダンジョンの浅層は、低い天井に狭い通路と、集団戦にはとうてい向かない構造をしている。
駅というよりも、地下道と表した方が適切だ。
「駅ビルの工事してる最中に、ダンジョン化したんだと」
ついさっきパンフレットから仕入れた知識を披露する。カレンは刀の先で防音シートを引っ掻きながら、「ふーん」と興味がなさそうだ。
――渋谷駅ダンジョン。東京駅や新宿駅に次いでダンジョン化した駅舎型異空間。
通常、ひとつのダンジョンは建物丸ごと一気にダンジョン化するが、ここ渋谷駅はその点が少し特殊だ。
まるで拡張工事をするかのように、いくつかのエリアに分けて段階的にダンジョン化し、今に至るまで少しずつ異空間エリアを広げ続けている。
当然、異空間管理庁も指を咥えてそれを見ていたわけではない。
ダンジョン化していない場所に抗ダンジョン化処理を施した――らしいが、ダンジョン化速度を多少遅らせるだけで、完全な阻止には至っていない。
と、成り立ちは少々特殊なダンジョンだが、実は難易度はそれほどでもない。
汎用性の高いアイテムや、難易度の割に高品質の魔石の獲得が見込める、初心者にも人気のダンジョンだ。
「渋谷駅って、駅の歴史も古いし利用者も多かったんだろ? その割にショボいよな」
確かに。と、つばめの意見に相槌を打つ。
ダンジョンは、食った人間の数に応じて強力になる。
ダンジョンが出現するようになってすぐの頃は、人間側に対策も何もなかったために多くの犠牲者を出すこととなり、それがダンジョンの強化に繋がってしまった。
逆に、ダンジョン関連法が成立して以降に出現したダンジョンは、食った人間の少なさから低難易度を維持しているものが多い。
渋谷駅は、かつては都内屈指の巨大ターミナル駅だったという。
段階的にダンジョン化したとはいえ、中心エリアはダンジョン関連法が成立するより前にダンジョンに呑み込まれている。
さぞや混乱も大きく犠牲者も多かっただろうが、こうして初心者が気軽に入れるくらいの難易度なのはなぜだろうか。
「難易度を上げるより、ダンジョン拡張の方に力を入れてるからかも知れませんね」
興味なさそうな顔をしていたカレンが、話に加わってくる。「え、どゆこと?」とつぐみが訊く。
カレンはまっすぐ前を見て歩きながら「余剰リソースをどう使うかって話ですよ」と答えた。
つぐみもつばめも、まださっぱり分かっていなさそうだ。だが俺は何となく理解する。
普通のダンジョンの場合は、人を喰って得たエネルギーはダンジョン難易度を上げるために使うんだろう。
ところが渋谷駅ダンジョンは、難易度はほとんど上げず、ダンジョンエリアを拡張する方にエネルギーを割いている。
理由は分からない。ダンジョンの性質というべきか、性格というべきか……。
「あ、難易度といえば」
ふと、さっきのチンピラが言っていたことを思い出す。
「誰か、魔犬の呪いって知ってるか?」
尋ねると、カレンは「呪い?」と首を傾げたが、双子は「あー、アレね」と頷いた。
カレンが知らないことで、双子が知っていることがあるとは。
カレンも同じことを思ったらしく、不満げに「そんな話、データにないですよ」と口を尖らせる。
「データとかじゃなくてさ、最近よく聞くウワサだよ」
噂か。だったら友達が少ない、もとい一匹狼タイプのカレンが知らないのも無理はない。ややニヤけながら、つぐみが噂を説明する。
「なんかさ、渋谷駅ダンジョンに行った人が時々行方不明になるんだって。で、行方不明になった人はみんな、渋谷駅ダンジョンで魔犬を見たんだって」
「魔犬? 犬型のモンスターか?」
「それが、分かんないの。モンスター説もあるし、明らかにモンスターとは違ったって話もあるし。とにかく、渋谷駅ダンジョンで魔犬を見た人は、数日内に行方不明になるってウワサ。コンビニに行ったまま帰ってこないとか、部屋で寝てたはずなのにいつの間にかベッドが空っぽになってたとか……」
怖い話じゃねーか。
「お、何だいづるん。怖い話苦手か?」
「うるせーな。理屈が通用しねえモンが苦手なんだよ」
「気にすんなって。渋谷駅ダンジョンなんて、毎日すげー数のパーティが潜ってんだぜ? そりゃ失踪するやつの1人や2人くらいいるって。ただのこじつけ、だろ?」
「……お前、案外論理的なんだな」
「案外って何だ、案外って!」
つばめが軽く振りかぶった魔杖をひらりと避けると、右肩が壁の防音シートをかすめた。まったく、狭くて敵わない。
「何にせよ、油断は禁物ですよ」
ふざけ合っている俺たちを咎めるように言って、薄闇の中でカレンが振り返る。ダンジョン内の景色に馴染むように、桜色の髪がいつもよりもくすんで見える。
「本来なら、超高難易度でもおかしくないダンジョンです。どんなイレギュラーが発生してもおかしくない」
「……免許試験の時みたいに、か?」
「そうです。難易度なんて、所詮は人間が人間の物差しに当て嵌めて勝手に決めたランクに過ぎません。絶対的な評価というわけではないんですから」
『――その通りだ』
脳裏に声が響く。ピリッと、頬に電撃が走る感覚があった。
「え、……は、嘘だろ?」
この感覚は知っている。もう3度目ともなればさすがに分かる。
だが――早すぎる。
「やばい、来るぞ!」
叫ぶと同時に、足元が大きく揺れた。
地震――いや……
(空間分離振動だ!)
その揺れ方は凄まじく、とても立っていられない。倒れ込むように床に手をつき、頭をかばいながら周囲を見回した。
視界がブレる。低い地鳴りの音が、何もかもを塗り潰していく。
「はぐれるな!」
轟音に負けじと声を張った。俺とカレン、そして双子たちは、互いの相棒に向かって手を伸ばす。
指先がカレンの服に触れた――と、同時に、天地がひっくり返った。
(あ――やばい、これは……)
咄嗟に、手に触れたものを鷲掴みにして、ぐいと引き寄せた。腕の中に囲い込み、身体を丸める。
そこからは――……何も分からなくなった。




