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弦食イヅルはダンジョンに嫌われている  作者: 深見萩緒
第3章:ダンジョン・イーター
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呼びごえ


 ――イヅル、おいで。



 誰かが俺を呼ぶ。どこから聞こえてくるのか……そもそも、ここはどこなのか?



 俺は黒いクレヨンを握って、一心不乱に画用紙を擦っている。赤と黒、2色で塗りつぶされた紙は、何度も打ち付けられるクレヨンの筆圧に負け、ふにゃふにゃによれてしまっている。



 ――イヅル、おいで。イヅル……。



 誰かが俺を呼んでいる。意識ではその声に気が付いているのに、身体は何も反応しない。黒いクレヨンで、画用紙いっぱいの赤を塗りつぶそうと必死になっている。



 ――イヅル、父さんのところにおいで……。


(……父さん)


 誰に呼ばれているのかが分かった途端、身体が動いた。俺は立ち上がり、辺りを見回す。

 闇、闇、どこまでも続く闇……。


(父さん、どこにいるんだ?)


 クレヨンを放り投げ、闇の中へと当てずっぽうに走り出す。父さん、あれは父さんの声だ。



 ――イヅル、おいで。父さんのところにおいで……。


(行くよ、父さん。行くから、どこにいるのか教えてよ。父さん……)


「イヅル」


 とん、と肩を叩かれた。振り返るが、誰もいない。


(父さん?)



 ――イヅル、父さんはここにいる。


 ――ここで、お前が来るのを待っている。



 風が吹いた。生温かく、なにか大きな生き物の吐息のような、不快な風。

 風はどこから吹いてくるのか……風上に目をこらすと、暗闇の中に巨大な影が見えた。


 荘厳な、レンガ造りの建物。


――東京駅。





「うわっ!」


 弾かれるように飛び起きた。真っ暗な部屋の中、荒く繰り返される呼吸の音だけが響いている。


(夢……を、見ていた?)


 スマートウォッチで時間を確認する。午前3時を少し過ぎたくらいだ。変な時間に起きてしまった。


 脂汗に濡れた額に、前髪が貼り付いて鬱陶しい。手の甲で汗をぬぐい、手櫛で髪をとかす。



「……嫌な夢だ」


 何の気なしにそう口にしてから、疑問に思う。

 嫌な夢? あれは、嫌な夢だっただろうか?


 父さんを助けに行く夢なんて、これまでに数え切れないほど見てきたし、そのほとんどが悪夢だった。

 焦り、苛立ち、虚しさ、絶望――あらゆる負の感情に追いかけられ、押し潰され、飲み込まれる。父さんが夢に出てきた時は、大抵そうなる。


 だが、今日の夢は少し違っていた。焦りでも苛立ちでも、虚しさでも絶望ですらない、それでいて「嫌な夢」だとは確信できる感情。


 ――た(・)だ(・)ひ(・)た(・)す(・)ら(・)に(・)不(・)快(・)だ(・)っ(・)た(・)。



 具体的に何が不快だったのか、言葉にしようとすると難しい。

 こちらを執拗に撫で回してくるような、あの生温かい風だろうか? それとも、暗闇からこちらを凝視してきていた視線か。


 あるいは、もしかして。



 ――おいで、イヅル。



 俺の名を呼んだ、父さんの声が――不快だったのだろうか? まさか……。



 東京駅の奥深くから、俺を呼ぶ声。


「……父さん、なんだよな?」


 深夜の自室、俺の独り言に応えるものはなにもなかった。



 

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