それぞれの理由 ④
「ただいまー良い匂いするー」
あわいさんが帰ってきた。夕飯の支度がギリ間に合ったことに、俺はひそかに胸を撫で下ろす。
「おかえり、あわいさん」
「ただいま。何の匂い?」
「肉味噌ナスビの匂い」
「肉味噌ナスビー!」
仕事用カバンを玄関に放り出して、あわいさんは「やったーおいしそー」とバンザイをする。
長い付き合いなので分かるんだが、あわいさんがこういうテンションの時は、めちゃくちゃ疲れてる時だ。
「仕事、忙しい?」
肉味噌ナスビをよそいながら尋ねると、あわいさんは洗面所から「まあね」と答える。手を洗ったあと、うがいはしっかり3回以上。我が家の鉄則だ。
今日の夕飯は肉味噌ナスビに、スーパーで買った袋入りサラダ。それに白米。
疲れてるあわいさんのために、デザートにプリンまでついている。
「……イヅル君、なんか良いことあった?」
「うっ……いや別に」
誤魔化すと、あわいさんは「あったんだな」という顔でにこりと笑う。
俺があわいさんの疲れを見抜けるように、あわいさんも俺のあらゆる感情を見抜いてくる。
とかく付き合いが長いのだ。もう10年以上も経つ。
父さんと暮らした年月よりも、あわいさんと過ごす日々の方がすっかり長くなってしまった。複雑な思いではある。
こうして食卓を囲みながら他愛のない話をする日常にも、すっかり馴染んでしまった。
ただ、変わったこともある。
「つーわけでさ、次は渋谷駅に潜ろうって話になってて、色々準備中」
「渋谷駅か。あそこは人が多いよ。一応当日枠もあるけどまず取れないから、ちゃんと予約して行きなね。ネットで出来るから」
いつまでも変わらないと思ってた日常は、ゆっくりと、しかし着実に変化している。
ダンジョンに入れるようになってから、特にその変化は著しい。
毎日が苦痛じゃなくなった。
同世代との差を痛感しなくても良くなったし、そういえばあれから学校に来ていない――辞めたなんて噂もある――国木やその仲間たちにいじめられることもなくなった。
目標が出来て、それに向けて努力する喜びも知った。
父さんにまた会えるんじゃないかという希望も生まれた。
同じように見えて、何もかもが違う……ほんの数ヶ月の間に、たくさんの変化があった。
だからだろうか。ふと、思うことがある。
訪れるのは、良い変化だけだろうか? ……と。
「あ、そうそう」
ダンジョンの話題の延長で、思い出したようにあわいさんが言う。
「再来週また何日か帰らないから、留守番お願いね。通しの探索任務が入ってさ」
「分かった。詳しい日程決まったら教えて。どこ探索?」
「東京駅」
箸の間から落ちたナスビが、べちゃ、と音を立てて皿の上に着地した。
一瞬放心したのち、落ちたナスビをつまみ直して口へ運ぶ。さっきまで充分に美味しかったはずなのに、なんだか妙に味気なく感じる。
「……そっか」
「久々の大規模探索だよ。もちろん、樹さんも探索対象に入ってる」
「……」
東京駅。父さんが行方不明になった、最難関ダンジョン。
ここで「俺も連れて行ってくれ」と言えたらどんなに良いか。
異空間管理庁の公的な探索業務は、非公務員の公募参加枠もいくつか準備されている。
が、東京駅の探索ともなれば、倍率は死ぬほど高いし条件も厳しい。俺なんか、まだまだ逆立ちしたって無理な話だ。
「……気を付けて」
「ありがとう、油断しないで行ってくる」
あわいさんは強い。これまでも何度か東京駅探索に駆り出されて、そのたびに無事に帰ってきてくれる。
ぐにぐにと柔らかいナスビを口に運び、機械的に咀嚼して飲み込む。
不安は口にはしない。噛んで飲み込んで――以前はそれで終わりだった。
だけど今は……俺には希望がある。不安を不安のまま飲み込むだけじゃなく、それを血肉にすることができる。
いつか――いつか俺も、あわいさんと一緒に東京駅に潜れるくらい、強くなろう。
大切な人が帰ってくるのをただ待っているだけじゃなくて、すぐ側で大切な人を守れるくらい、強く。
「ごちそうさま」
箸を置いて手を合わせると「早食いはよくないよ〜」と、茶化し混じりの叱責が飛ぶ。
汚れた食器をシンクに運びつつ、俺はそれを軽やかに無視した。




