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番外編:間もなく雨は降る


 くたびれた敷布団を抱えてベランダへ向かう。足元が見えないので、何かを蹴散らしながら進むことになるのは仕方ない。さっき蹴飛ばしたのは妹のおもちゃだろうか。


「あーやば腕もげそう。つばめ、パス」

「パスじゃねーよ俺も両手塞がってんだわ」


 苦労しながら布団をベランダにかけ、つぐみとつばめはふうと息をついた。


「お母さんの布団は?」

「母ちゃんまだ寝てる。夜勤明け」

「起こしたらキレるかな」

「でも明日雨だろ? 今日干すしかねーよ」


 顔を見合わせ、2人は無言でジャンケンをする。6回のあいこののちつばめが勝利し、つぐみは深いため息をつく。



「お母さんおはよ。布団干すからどいてー」


 盛り上がった掛け布団を叩きながらつぐみが言うと、「うーん」と不機嫌そうな声が返事をした。


「何ぃ? 寝かせてよォ」

「いや布団カビるって。ソファで寝れば良いじゃん」

「はーもう、うっさ……」


 舌打ちはされたが、怒鳴りはしない。思っていたよりも母の機嫌を損ねずに済んで、つぐみは心の中で「セーフ」のジェスチャーをする。



「あー腰いてー。あれ?」


 頭を掻きながら起き上がり、母親はぼんやりと室内を見回す。


「チビどもは?」

「今日土曜だよ。朝からじいじとばあばんち行ってる」

「あそっか、土曜……」


 母親が起き上がったところでサッとシーツを剥がし、布団を干しにかかる。

 久々の晴天だ。風も乾いていて、布団を干すには絶好の土曜日。



「つか、あんたたちは行かなくて良いの?」


 ジャムトーストをかじりながら母親が言う。じいじとばあば、すなわち母方の祖父母の家は同じ都内にあり、昔はつぐみとつばめもたびたび遊びに行っていた。


 しかし高校生ともなれば、祖父母の家に行って何が楽しいということもない。

 中学くらいまでは、母親に内緒で握らされる小遣い目当てに行っていたが、ダンジョン免許を取ってからというもののそれすら旨味ではなくなった。同じ時間、ダンジョンに潜っていた方が余程面白い。


「行かね。俺ら今日ダンジョン行くし」

「またダンジョン?」


 母親の声のトーンに不穏なものを感じ取り、つばめは顔をしかめた。何を言われるかは予測がつく。


「ほどほどにしなさいよ。あんたら2人合わせてようやく人並みなんだからさ」

「…………」

「てかつばめ、あんたまだ武器変えてないの? 良い加減、もっとちゃんとした」

「お母さん! ホットケーキミックス余ってんだけど、焼こうか?」


 つぐみの助け舟が話を遮り、つばめはホッと息をつく。そして、ホッとしてしまった自分に嫌気がさした。




 ――嫌気がさす。平成も30年を過ぎたというのに、世の中は案外変わり映えしない。


 相変わらず川は泡立って澱んでいるし、空き缶は車の窓から投げ捨てられるし、ヤンキーは中年親父を殴って金品を巻き上げるし、男も女も面倒な価値観をずるずると引きずっている。



「つばめもさ、いちいち気にしなきゃ良いじゃん」


 つぐみの無責任な言葉に、つばめは口を尖らせる。


 適当な低難易度ダンジョンに潜って、適当にモンスターを倒してアイテムを収集して、そうこうしているうちに正午をたっぷり過ぎてしまった。早く何か胃に入れなければ、今にも低血糖で倒れてしまいそうだ。


 目の前には、揚げてから少し時間が経っているのか、やや萎びてしまったフライドポテト。1本摘むと、力無くだらりと垂れ下がるさまが情けない。つばめは、ポテトはカリカリ派だ。



「さっきのダンジョンにいた奴らでしょ? あれどこの制服だろ。男のくせに魔法武器〜? とか、マジうざかったね」

「お前は気楽だよな、言われない方だから」

「うちに八つ当たりすんなって。ダルいわ」


 それはその通りだった。つぐみに当たったところで何の解決にもならないし鬱憤晴らしにすらならない。



 結局、どうしようもないことなのだ。


 中学を卒業してすぐにダンジョン免許を取得して、最初は剣を使った。初心者向けのチープなもので、他所に女を作って出て行った碌でもない父親が捨てて行ったものだ。

 剣を振るうのは楽しかった。けれど、いくら使えど斬撃系のスキルは一向に開花しなかった。


 適性が違うのかも知れない。そう思って、中学の先輩からお下がりを貰い、槍を使ってみた。しかし、これもまたいくら使い込もうと、刺突系スキルを得るには至らなかった。


 先輩や友人に借りて、時には厳しい財布事情と相談しながら、武器レンタルサービスや中古武器屋を利用して、あらゆる武器を試してみた。日ごとに増してゆく、嫌な予感を噛み潰しながら。


 努力はしたのだ。それでも駄目だった。人並み、いや、人並み以上の経験値をいくら積んでも、物理攻撃スキルだけが一切獲得できない。


 自分には物理攻撃の才能がない。認めざるを得なかった。



「言わせときゃ良いんだよ。お母さんだってあんなこと言うけど、うちらの実力知らないだけじゃん?」

「まーなー……」


 気にしなければ良い。言わせておけばいい。正論だ。どちらも、つばめが息苦しくなるほどの正論だ。


 実際、「男は物理武器じゃないと恥ずかしい」などという偏見に、気にするほどの価値があるのかは確かに疑わしい。

 こういった固定観念は意外なほど沢山ある。「女は回復魔法を持ってて当たり前」とか、「パーティ限定免許しか持ってないのは恥ずかしい」とか。

 或いは「高校生にもなってダンジョンに入ったことないなんてあり得ない」とか。


 沢山ありすぎて、他人からどう見られているかなんて、いちいち気にしても仕方がない。



 それにつぐみの言う通り、たとえ物理攻撃の才能がないとしても、2人の実力は恐らく同級生の中でも頭ひとつ飛び抜けている。これは自惚れなどではなく、ダンジョン探索成績から見ても明らかな事実だ。


 ただそれには「2人でいれば」という注釈がつく。

 双子にはありがちなことらしいが、2人揃わないと発動しないスキルや、2人で発動した時のみ威力が増幅される魔法なんかが多いのだ。


 いつも妹と一緒にダンジョンに潜る。妹と一緒じゃないと戦えない。物理武器が使えないだけでなく、そういった制約が多いこともまた、つばめが外聞を気にする要因となっていた。


 ダサいと思われていないだろうか? 恥ずかしいと嗤われていないだろうか? 

 嗤われたくない。見下されたくない。それを気にすることはおかしいことだろうか?



「……やっぱ単独中級、持っときたいよな」


 つばめが呟くと、つぐみはすかさず「えー!」と反論する。


「うちら単独になると全然じゃん。中級は無理くね? それよりさ、どうせ受験するならパー限中級取ろうよ。ほら、こことか入れるようになるし」


 スマートウォッチに、ダンジョン情報が共有される。ここから近く、ドロップアイテムがかなり美味しいと評判のダンジョンのようだ。

 画面をスクロールしつつ、しかし情報はつばめの脳を素通りしていく。羅列してある文字が、そこに書いてある全てが、つばめを馬鹿にしているようにしか思えなかった。


 曰く、推奨武器は刺突系。斬ったら増えるモンスターが出てくるので、斬撃系の人には合わないかも。

 曰く、このダンジョンを攻略した人の使用武器ランキング。刺突系が60%と最も多く、次いで打撃系。グローブ武器が活躍するチャンス! ……


 所詮、魔法はサポート止まりなのだ。

 右手で剣を振るい、左手で魔法を放つ。世の中はそれがスタンダード。どう言い繕っても、つばめは「男のくせに」中途半端なのだ。



「はーあ、つまんね」


 ダンジョン情報詳細ページの下部にある「類似のダンジョン」リンクをタップする。

 都内にあり、土日も開いていて、2人組でも探索可能なダンジョン……あまりない。


「あ、ここも。やっぱパー限だと、3人以上って条件付きのとこが多いね」

「パー限なんて所詮、単独じゃ潜れねー雑魚ばっかだからな。2人ぽっち集まったとこで雑魚は雑魚ってことだろ」

「それ自虐? てかうちもディスられてる?」

「俺らは……違うだろ」


 どう違うのか説明出来る気はせず、つばめはそのまま黙りこくった。

 つぐみは「意味わからん」と一言、不貞腐れたつばめを気にする様子もなく、スマートウォッチの画面をすいすいスクロールする。


「パーティの人数増やすって手もあるけど」

「俺そういうの無理。仲良くできる気がしねー」

「あっそ。じゃー良いや」

「チッ」


 無性に苛立った。つぐみのつれない態度はいつものことだ。そうではなく、もっと他の何かが、つばめをどうしようもなく苛立たせた。


 パーティの人数を増やす? そんなことをしたら、この苛立ちは更に増幅され、収拾がつかなくなるのは明白だ。


(誰と組んでも、馬鹿にされるに決まってる)


 これまでも、ずっとそうだった。

 同級生、先輩、後輩、ネット掲示板で気の合ったやつら。色んな人間とパーティを組んでは、その場限りで解散した。どいつもこいつも、つばめを馬鹿にする態度を隠そうともしなかった。


 男のくせに魔法しか使えない。パーティ限定しか持ってない。双子の片割れがいなければ使い物にならない。


 時に心配や気遣いの言葉に乗せて、彼らは巧みにつばめを見下した。それが我慢ならなかった。



「ね、良いじゃん別に。これからもうちら2人でやっていこ?」


 拗ねたつばめを一応は気にしていたのか、つぐみがポテトの最後の1本を差し出す。すっかりくたびれてしんなりと曲がっているそれは、見るからにまずそうだ。


 つばめが身を引いて拒否の意思を示すと、しなびたポテトは「んじゃ、もーらい」と笑うつぐみの口へと消えていく。


「……取り敢えず受けるか、パー限の中級」

「良いね。古本屋寄ってから帰ろ。受験料どうする?」

「ばーちゃん出してくれねーかな」


 油で汚れた指を紙ナプキンになすりつけ、トレイを持って立ち上がる。

 隣のテーブルでぎゃーぎゃーと騒いでいる男子中学生たちは、ダンジョン免許を取ったら何の武器を使いたいかを話し合っているようだ。


「お前はどうせ魔法だよ、魔法!」


 グループの中で一番冴えなさそうな男子が、背中を叩かれ笑われている。


 ――気にしない。気にしなければ良い。


 ほつれた糸を引きちぎるように、男子中学生の一団から視線を剥がす。



(どうせパーティメンバー増やすなら、俺より『下』のやつなら良いな)


 そんなことをふと思う。その発想の理非など考えもしないままに、ゴミを捨てて店を出る。


 例えば、自分より『上』だとしても、見下したり嘲笑ったりしてこない奴もいるかもしれない。

 例えば、上だ下だなんていちいち考えなくても良いような友達だって、出来るかもしれない。


 薄っすらと浮かんだそんな仮定を大切に抱きしめられるほど、つばめは無垢ではない。



「あー……のどかわいた」


 ポテトを食べ過ぎたせいかも知れない。

 身体の内側を蝕むような渇きは、清涼飲料を飲んだ程度では癒えそうにもなかった。


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