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番外編:だから、私が守る。


 有楽町の飲み屋街ともなれば、週末でなくとも人でごった返している。とはいえ、高架下の飲み屋に付きものだった電車の轟音と振動がない分、かつてよりはまだ静かだというべきなのかもしれない。



 1999年8月、世界中のあらゆる建物にダンジョンが出現するようになって以来、世界のあり様はすっかり変わってしまった。


 東京に存在する駅舎のほとんどがダンジョンに呑み込まれ、鉄道網は完全に麻痺し、やがてなすすべなく死んでいった。

 かつて東京を縦横無尽に走り、その機能の基軸を支えていたインフラは、今はもう形だけしか残っていない。


 しかしさしもの人類も逞しいもので、形だけしか残っていないインフラをすっかり使い倒している。

 戦前から存在する高架下の店々は、ダンジョン禍に屈することなく連綿とその文化を保ち続け、それどころか、鉄道が走らなくなった高架()にまで商いの手を広げた。


 今日(こんにち)、街は何事もなかったかのように賑わっている。



「私、ここ好きなんだぁ」


 お通しの明太ポテサラをつまみながら、あわいが言った。

 錆びたフェンス越しに街の明かりが煌めく。高架上に居を構える赤提灯の居酒屋は、風通しと見晴らしの良さが人気のひとつだ。


「そうだな、良い店だ」


 独り言に近いようなあわいの呟きに、吉野は律儀に返事をする。


 若い店員が、中ジョッキをひとつと大ジョッキをひとつ、「ったせしゃしたー」と気だるげに言いながらテーブルに置いた。

 ゴトン、と重い音。あわいは慣れた手つきで、自分の前に置かれた中ジョッキを吉野の前に置かれた大ジョッキと交換する。


「じゃ、取り敢えず乾杯」

「ああ、乾杯」


 ジョッキ同士を軽く合わせ、キンキンに冷えたビールを飲み下す。

 喉を鳴らしているうちに、注文していた焼き鳥盛り合わせと枝豆、冷奴が出てくる。注文してから物が来るまでほぼ待ちがないのが、こういった店の良いところだ。


「で、なんか話があるんでしょ? 吉野くん」


 店のスピード感に倣ってか、あわいもまた前置きなしに本題に切り込んだ。「いや、その」と言い淀む吉野に「だって吉野くんの方から飲みに誘ってくる時って、込み入った話がある時だけじゃん。しかも平日に」と追撃する。


 大ジョッキに残ったビールをひと息に飲み干して、若い店員に追加のビールを注文してから、あわいは「なに? 話って」ととどめの一言を刺す。


 これはもう丁寧な前置きを試みるだけ無駄だろう。そう判断した吉野は、中ジョッキの残りをあおった。



「木崎、君が保護している少年についてなんだが」


 あわいの追加したビールとホッケが届いてから、吉野が話を切り出す。


「ダンジョン受付のバイトの話が来ているだろう。保護者の許可が得られないといって断られたんだが、本人はかなり前向きのようだ。許可してやってくれないか?」

「……やっぱり総合監視課(きみたち)の差し金だったんだ」


 許可を出さなくて正解だった。あわいはそう言って、ねぎま串にかぶりつく。「あ、おいし」と呟いた彼女につられて、吉野も串に手を伸ばす。


「悪い話ではないはずだ。ここで管理庁と接点を作っておけば、将来的に就職も有利になるかもしれない。このご時世にダンジョンに全く入れないのでは、彼もこれから大変だろう」

「冗談。将来的に搾取されるの間違いでしょ。総合監視課の不透明さは、ただでさえ清濁混淆の管理庁(ウチ)でもトップクラスだし、そんなところに大切な恩人の息子を放り込めるわけない」

「それは俺も同じだ」


 街明かりへと向けられていたあわいの視線が、吉野へと向けられる。


「樹さんは俺にとっても大恩ある人だ。だから、彼のスキルが監視候補に挙がった時、自分から担当に立候補したんだ」

「……そう」


 だから? と言いたげな挑戦的な瞳に、吉野はその挑発に乗ることなく、「頼む」と頭を下げる。


「ダンジョンの撤去技術確立は管理庁の悲願だ。分かるだろう? 建物という建物に抗ダンジョン処理をするのにも限界がある。ダンジョンを発生させないだけでなく、発生したダンジョンを消滅させる方法が必要なんだ。

 彼のスキルは可能性に満ちている。今はまだ何の役にも立たないかもしれないが、いずれは、もしかしたら……」

「……」


 何も言わず、あわいは再び視線を外へと向けた。


 どこまでも続いていくかのように思える賑わい。人いきれ、笑い声。グラスと皿のぶつかる音。誰かの怒号が飛び、またそれを諫める誰かの声が聞こえる。



「私はさ、この店が好きなんだ」


 先ほどと同じことを、あわいが言った。その紫色の瞳は、街の喧騒の更に向こうを透かし見ている。


「高架上に飲み屋が建つなんて、電車が走ってた頃だったらあり得なかったよね。ダンジョン禍があったからこそ、この店は生まれたんだ」

「……」

「どんな悲劇があっても、どんな理不尽に晒されても、人間はその上に生活を立て直していく。何事もなかったみたいにお酒を飲んで、笑えるようになる……それってすごく強いなって思えるから。だから……この店で飲むのが好き」

「ああ、分かる気がする」

「でも……でもさ、何が何でも生活を立て直そうとする意志が、時に新たな悲劇を生んでしまうこと、吉野くんも知ってるよね? 未来への礎を築くのは大事だよ。でもそれは、未来(この先)を生きていく子供たちに顔向けできるようなものじゃなきゃ駄目だ」


 長い沈黙があった。ゴールデンタイムを迎えた店内はいっそう騒がしく、向かい合って会話するにも声量を上げなければならないほどだ。そうにも拘らず、2人の間には沈黙が満ちていた。


「……そうだな」


 沈黙を破ったのは吉野だった。


「木崎も俺も、酷い目に遭った。あんな思いをする子供を増やしたくはない……それは俺も同じだよ。だから……だからこそ、なんだ。頼む、あの子を俺に託してくれないか」


 吉野が、テーブルの上で拳を握る。細い細い糸を決して離すまいとするように、関節が白く浮くほどに強く握る。


「必ず守る」


 あわいが眉根を寄せる。一瞬のその表情の変化を、吉野は見逃さなかった。しかし吉野が何か反応をする前に、あわいは元の飄々とした態度に戻ってしまう。


 あわいの指が枝豆をつまみ、豆だけをぷつりと口に放り込んだ。それをビールで流し込んで、それはつまり「この話はここでお終い」という分かりやすいサインだった。




 煉瓦造りの瀟洒な高架に街明かりが反射して、視界全体が橙色を帯びたように温かい。アルコールが入って身体が火照っているせいもあるかもしれない。

 吉野は酒に弱くもなく強くもないが、己の限界を把握しているため酒に飲まれることはほとんどない。


「吉野くんは相変わらずきっちりしてるねえ」


 人波を縫って歩きながら、あわいが言う。


「全然酔ってないじゃん。もっとギリギリを攻めてみたら?」

「明日も仕事だぞ。節操を持って当たり前だろう」

「ねえねえ、監視課って普段はどんな仕事してるの? 他部署の仕事に首突っ込む以外で」

「さりげなく棘を混ぜるな。そうだな、今はスキル探索と若手の育成がメインだ。俺が受け持っている子も優秀でな。ただ……典型的な『今時の子』だが」

「あー、ダンジョンに対する危機感薄めのタイプかー。あはは、今時の若い子はだいたいそうだよね」


 笑いながら、あわいは周囲に視線を巡らせる。

 すっかり夜も更けているが、繁華街はまだまだ眠らない。飲み屋から出ては次の飲み屋へ向かう人の群れ。誰も彼もがほろ酔い気分で、陽気な笑い声を上げている。


 今現在、飲酒をできる年齢にある人間のほとんどは、かつてあの惨たらしいダンジョン禍を経験した。

 彼らはみな、親を、兄弟を、配偶者を、子供を、恋人を、友人を亡くした当事者たちだ。


「もしダンジョンがなかったら、この世界は……東京は、どんな所になってたんだろうね」


 あわいの呟きに、吉野は答えない。途方もない禍いの上に成り立つこの街で、それを考えることはどこまでも無意味だ。

 それぞれが乗るべきバスのバス停まで、2人は無言で歩く。



 目的地が近付いた頃、先を歩いていたあわいが軽やかに振り返った。彼女も適度に酔っているらしい。


「じゃ、またね。また飲みに誘ってよ」

「ああ。今度は用もないのに誘おう。いちいち警戒されたんじゃ敵わない」

「あはは」


 ブザー音と共にバスのドアが開く。乗り口のステップに片足をかけて、完全に乗り込む前に、あわいは吉野を振り返った。


「吉野くん、信じてるからね」


 そう一言だけ投げると、あわいはバスに乗り込んだ。吉野が一歩下がると、扉は音を立てて閉まり、バスが発進する。


「……つまり、俺は信用されてないってことか」


 夜景に紛れていく赤いテールランプを見送りながら、吉野は目を細め、彼女をあんな瞳にしてしまった全てを呪った。





「ただいまー」


 玄関のドアを開けると、渦中の少年が待ってましたとばかりに立っていて、コップ1杯の水をあわいに手渡す。


「おかえり、あわいさん。はいこれ、水」

「ありがと、イヅル君。ご飯ちゃんと食べた?」

「うん、定食屋で」


 そう答えるイヅルの態度に、あわいは何か引っ掛かりを覚える。少し考え、観察し、そして思い当たる。彼が後ろ手に隠しているもの、1枚の紙。


「帰ってきて早々で悪いんだけどさ、こないだ話したバイトのことで……」


 予想通りだ。どうやら、あわいが気分よく酔っているうちに丸めこもうという魂胆らしい。

 その小賢しさを嬉しく思う。彼が「良い子」なだけの少年にならなかったことが、これまでの彼への接し方の、答え合わせのような気がした。


 ダンジョンの受付でバイトをするメリットについて、イヅルはつらつらと論理的に説明する。


「だからさ、将来のことを考えると、今のうちに少しでも実務経験を積んでおくことは……」

「イヅル君、」

「ん?」


 話の腰を折ると、イヅルはきょとんとあわいを見た。

 ここ数年でぐんぐんと背が伸びてきて、もうとっくにあわいの身長を追い越している、少年。


「……時給、もっと上げてもらうように言ってみて」

「は? 時給?」

「うん。バイト代は全部イヅル君のお小遣いにしな。時給上げてもらえたら、良いよ。バイトしても」

「え、マジ? よっしゃ聞いてみる」


 喜びと困惑とを滲ませながら、イヅルは腰のあたりでガッツポーズをする。

 その様子を見ながら、あわいはいたずらっぽくほくそ笑んだ。



 時給アップを交渉されて、吉野はどんな顔をするだろう。あわいの差し金だということはすぐに見抜くだろうが、文句のひとつでも言ってくるだろうか?


 いや、彼のことだ、そのために苦労をすることになっても、大した文句は言わないだろう。次に2人で飲む時、「やってくれたな」くらいは言われるかもしれないが。


「ま、良いよね。これくらい」


 大義のために大切な家族を委ねるのだ。これくらいの意趣返しは許されても良いだろう。

 そんなことを考えながら、あわいはコップの水をぐいと飲み干す。


「……必ず守るなんて、出来っこないくせに」


 呟いた言葉は、透明なガラスに溶けていった。




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