離した手、繋がるもの ③
熱風が皮膚を焼く。熱い。ただひたすらに熱い。
自分が今どんな体勢になっているのかも分からない。たぶん倒れているんだろう。雑魚触手からの反撃を覚悟したが、攻撃される気配はない。
(やったのか……?)
本体を倒せたのだろうか。だから、雑魚触手たちも消えたのか?
考えようとするが、頭が回らない。頭が割れるように痛い。気が遠くなっていく。
(駄目だ……まだ、終わってない……カレンの所に戻って、手を……)
手を繋がなければ。カレンは、ダンジョンの奥底へと誘われてしまう。
(カレン……手を…………)
必死に身体を動かそうとするが、指先ひとつ動かせない。四肢の感覚が失われていく。
完全に意識を失う瞬間、視界に青い光が弾けた。そして……
「――イヅル先輩……ッ!」
カレンの声が、聞こえた気がした。
――夢を見た。
庭に開けた和室にいる。いま住んでいる家じゃない。ここは……爺ちゃんと婆ちゃんの家だ。
畳の上に寝転がって、俺は画用紙にクレヨンを滑らせる。昼間だというのに遊びにも行かず、こうして大人しく絵を描いているのは、今日は家にいなさいと婆ちゃんに言われたからだった。
ダイニングの方から、大人たちが話しているのが聞こえてくる。低い声をひそめながら、何やら怖い顔で話す彼らを、俺は何となく不気味に思う。
その不気味さに圧し潰されまいと、俺は一心不乱に絵を描き続ける。黒と赤のクレヨンが、みるみるうちにすり減っていく。
――イヅルくん、こんにちは。
ふいに、頭の上から声が降ってきた。身体を捻って見上げてみると、女の人が――逆光で顔は見えないが、そう、この時話しかけてきたのは、確かあわいさんだった。
――少しお話、していいかな?
こくりと頷く。一体何の話をされるのか、この時の俺はまだ知らない。
だけど……ああ、聞きたくない。
――あのね、イヅルくん。イヅルくんのお父さんのことなんだけど、お父さん、しばらく帰ってこられないんだって。
幼い俺に出来る限りショックを与えないように、柔らかく偽装された言葉。この時すでに父さんの捜索が打ち切られていたことを知ったのは、中学に上がってからだった。
――それでね、イヅルくん。私と一緒に……
わたしといっしょに。
その言葉に、あわいさんではない別の声が重なる。
鈴を鳴らしたような、可愛らしい少女の声。
――私と一緒に、ダンジョンに潜りませんか?
弾かれるように、目を開いた。同時に身体を起こした――つもりだったが、上半身がびくりと痙攣しただけにとどまる。
その動きに気付いてか、傍らにいた誰かが俺の上体を抱き起こす。
「おはようございます、先輩」
「……カレン」
視界がぼやけている。滲んだ水彩画の中心に、綺麗な桜色が揺れている。頬が冷たい。風が吹いているのだ。
どうやら俺は、ダンジョンの外にいるらしい。
辺りが騒がしい。大勢の人の声や足音が入り乱れている。
「おい、受験者が目を覚ましたぞ!」
誰かの声が聞こえた。どかどかと、慌ただしい足音が近付いてくる。遠くから、救急車のサイレンらしき音が聞こえてくる。
「きみ、大丈夫か? 自分の名前は言えるか?」
もちろん、それくらい言えるに決まってる。
自分の名前を告げると、その声があり得ないほど掠れていることに気がついた。
手渡された水を飲み、何度かまばたきをすると、ようやく視界がクリアになってきた。
カレンが、いつもの微笑みを浮かべたまま、俺の顔を覗きこんでいる。
「先輩、すごかったですよ」
「あ、ああ……そう、だっけ?」
「そうですよ! バッチリ、作戦通りでしたね」
カレンに助けられながら身を起こし、周囲を見渡す。
辺りは騒然としており、ダンジョン免許の試験官だけでなく、もう少し偉い立場にありそうなスーツの大人が走り回ったりどこかへ電話をかけたりと、大わらわだ。
俺たちが死ぬ思いをしている間、どうやら外もおおごとになっていたらしい。
その辺にいた試験官を捕まえて話を聞くに、事の経緯はこうだ。
突然――本当に突然、ダンジョン内外の通信が遮断した。試験監視のためにダンジョン内に飛ばされていた録画用単眼全機が連絡不能になったのだ。
その時点で異常事態とみなされ、俺たちの緊急用通信機に試験中止の連絡を入れようとした……らしいが、それもまた不通だった。
試験官がダンジョンに入ろうとしたが、入り口が閉ざされていて誰も侵入できない。
異空間管理局の応援を呼んだが、彼らの持つ異空間破断装置(ダンジョン空間を無理矢理切断して開口部を作り、強行突破を可能にする装置)をもってしても救助活動は難航したのだという。
「一時はどうなることかと思ったけど……いや、とにかく無事で良かった。こうなった原因が全く分からないというのが、不気味なところですけどね。でも、死人が出なくて良かった」
人のよさそうなその試験官は、疲れた笑みを俺たちに向ける。
死人が出なくて良かった。その言葉に、心から同意する。
良かった、誰も死ななくて。あの双子も、カレンも、俺も。
「先輩の功績ですよ」
カレンが妙ににやにやしている。
「よく言う。お前の馬鹿みてーなバフと防御がなけりゃ、絶対死んでただろ」
「馬鹿とは何ですか馬鹿とは! ん、あれ? 褒めてる?」
褒めてる褒めてる。
遠くから、救急車のサイレンが聞こえてくる。もしかして俺が乗るんだろうか。
「ああ、ようやく救急車が来た」
試験官が言う。やっぱ俺が乗るのか。まあ確かに、意識はハッキリしているが、自力で歩いて帰れるかと言われると危ういところだ。
「君は、取り敢えず短期入院することになります。検査もしなくちゃいけないし、中で何があったか詳しい話も聞かれると思うので、その際は協力をお願いします」
「分かりました」
「では、お大事に」
軽く頭を下げると、試験官はちょうど到着した救急車の誘導に向かった…………かと思いきや、「そうだ」と言いながら俺たちを振り返った。
「こんなことになってしまったので、今日の試験は残念ながら中止扱いになるでしょう。もしかしたら再試験になるかもしれませんが、その際は再試験受験料や手数料などは免除されるでしょう。詳細はまた後ほどご連絡しますので、ご確認のほど宜しくお願いします」
「わかりました」と頷く。実際、この状況じゃ試験も何もないだろう。
……と、俺は納得したのだが。
「…………!!!」
隣にいるダンジョン狂は、もちろん絶句している。
「さ、再試験……? それっていつ……」
「再試験になると確定したわけじゃありませんが……もし再試験をやるとしたら、少なくとも彼が回復して、事情聴取がひととおり終わってからになると思います。免許センターも、しばらくごたごたするでしょうし。目安としては2週間から、遅くて1ヶ月……」
「1ヶ月!? あと1ヶ月もダンジョン我慢しなきゃいけないんですか!?」
カレンが絶望的な顔をする。というか、まさしく絶望している。
「むりーーー!!!」
叫ぶカレン。困惑する試験官。俺は「やれやれ」と首を振りながら、カレンの肩を叩くのだった。




