離した手、繋がるもの ①
その絶叫に、ダンジョン全体がびりびりと震えた。
――……いや、違う。逆だ。ダンジョン全体が震えて、それでこの音が出ている。
目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。壁が、ぐねぐねと波打っている。
「な、んだ……これ」
固いはずの壁が、まるで生きているかのように動く。それも、呼吸や鼓動……そういったものを連想させる、いやに有機的な動きだ。
「やっぱり……」
カレンが、彼女にしては珍しく真剣な顔で呟く。
「このダンジョンそのものが、モンスターの本体なのかも」
「まさか」
思わず反射で反論してしまうが、カレンは文句のひとつも言わない。彼女自身、荒唐無稽な説だと思ってはいるのだろう。
ダンジョンは、あくまで「空間」だ。
モンスターという異形を発生させ、スキルや魔法といった異能力を可能にする特殊な空間。そのダンジョンそのものが生きたモンスターだなんて、見たことも聞いたこともない。
だが俺の殺気追尾は、確かにダンジョンそのものを焼いたのだ。
波打つ壁は、間もなく静けさを取り戻していく。しかし同時に、硬直していた触手が再び動き始めた。
怒り――……触手には表情もなく顔すらないにもかかわらず、その全身から怒りが伝わってくる。「本体」にダメージを与えられ、触手は猛烈に怒り狂っている。
「うっ……これ以上は、まずいかも……!」
カレンが呻いた。つぐみの所と、俺たちの所。同時に2か所も厚いバリアを貼っているのだ。触手の攻撃は徐々に激化しており、さすがのカレンでも、もはや幾分の余力もない。
「あっちと合流して、バリアを1か所に絞ります」
カレンの提案に、頷くしかなかった。
つぐみの元へと駆け寄ると、つぐみは安心したように脱力する。もうほとんど魔力が残っていない。魔力とはすなわち精神力――魔力が尽きると、意識を保つだけでも困難なのだ。
ふたつのシャボン玉が合わさってひとつになるように、バリアが合成される。これでカレンの負担が少しでも減るかと思いきや、そう上手くはいかない。
「私が回復に回らないと、死んじゃいますね、この人」
横目でつばめを指して、カレンが言う。
つぐみにはもう、つばめを回復するための魔力が残っていない。大量の魔石から作り出した回復薬も底をついた。
「……さて、では問題です」
カレンが、口調こそふざけているものの、表情は全く真剣なままに言う。
「この状況を打破するために、最適な作戦は?」
――考える。
触手は、つばめから体力を吸い取ってダメージを回復する。放っておけばつばめは死んでしまうが、つばめを回復させ続ける限り触手は弱らない。
つばめを助け出そうにも、物理攻撃は丸きり無効化されるし、回復手段も限られてきている。
この状況を打破するためには……。
「……相手の回復が追いつかないくらいのダメージを、一気に与えて倒す」
「半分正解、半分不正解です。即死ダメージを与えたとして、もし敵の体力吸収が自動発動だったらどうなります? その瞬間、こっちの」
カレンが、つばめの方を顎で指す。
「あほたれも一緒に即死します。つまり、敵に即死ダメージを与えるのと、そのダメージを補って余りあるほどの回復をこの人にかけるのと、同時にやる必要があるんです。体力吸収には必ずラグがあります。敵を殺し続け、体力源を生かし続ければ、ラグの蓄積によって敵は必ず死にます」
確かに、その通りだ。
納得すると同時に、少し意外にも思う。
正直に言って、他人の命を優先する価値観が、こいつに備わってるのが意外だった。かなり失礼な話ではあるが。
色々ぶっ飛んでるこいつのことだ。弱肉強食だ〜とか、ダンジョン内の命の危機は自己責任だ〜とか何とか言って、自分が面倒になったらあっさり見捨てるんじゃないかとか……そんな印象だった、のに。
「なんですか、その顔は」
どうやら表情に出てしまっていたらしい。「いや」と誤魔化すが、カレンは拗ねたようにつんと唇を尖らせる。
「すずめだかめじろだか、あいつにはしっかり生き延びてもらって、『舐めた口きいて申し訳ありませんでした』って謝罪してもらわなきゃいけませんから」
「……ああ、そうだな」
半分本気、半分照れ隠しといったところか。
触手の攻撃はいよいよ激しく、バリアの表層を何度も何度も叩きつける。
このままでは、俺たちもジリ貧になっていく。
「分かってます? 先輩」
「ああ、分かってる」
そうだ。俺は回復魔法を持っていない。つばめの回復には、必然的にカレンがあたることとなる。
つまり、俺が攻撃役だ。
敵を一撃で倒すほどの攻撃を、俺が、叩き込まなきゃならない。それも物理攻撃が全く効かないとなれば、攻撃手段もただひとつ。
殺気追尾で、最大火力の炎魔法を浴びせかける。やるべきことは、ただそれだけだ。
「本体は、あの暗闇のどこかに必ずいる」
暗がりになっている方を指差す。殺気追尾をしたときに、糸は向こうから漂ってきていた。
追尾攻撃は、対象が複数になればなるほど攻撃力が減衰する。それと同時に、対象からの物理的な距離も重要だ。標的との距離を縮める必要がある。
「私はここを動けませんよ。回復魔法ってあんまり得意じゃなくて。回復対象の近くにいないと発動しないんです」
「……分かった。俺ひとりで行く」
どうやって? と、カレンの表情が問いかけてくる。
俺とカレンは、互いのスキルを打ち消し合うために、手を繋いでいなければならない――……が、すぐにその手段に思い当たったらしい。
そう、ひとつだけ手段がある。
「……俺とお前に、状態共有をかける」
俺のアンチ・ダンジョンとカレンの祝福を、互いに共有する。
カレンへの共有状態は、アンチ・ダンジョンがデバフと認識されるがために、およそ3分しか続かない。共有が切れると俺は即座にダンジョンの外へ放り出され、カレンはダンジョンの深層へと誘われる。
正直、ハイリスクだ。俺はともかく、カレンにとって危険すぎる。
だが、もうこれしかない。
3分以内に、あいつを倒す。
決意した胸が熱くなる。比喩表現ではない。カレンがバフをかけてくれたのだ。
――魔法威力増強。
「ありがとう」
「タイミングは、どう合わせますか?」
「通話しながら戦う。時間も計れるだろ」
互いのダンジョン用スマートウォッチで通話をかける。画面に表示される通話時間が、カウントアップを始める。
俺は手早く、左手の戒めを解いた。固く握った手の内側には、じわりと不快な汗をかいている。
「通話時間が1分になった瞬間に共有をかける。最大火力を叩き込むタイミングで合図をするから、つばめの回復を頼む」
「分かりました」
画面の数字が増えていく。00:56、00:57……。
そして、01:00と表示された瞬間。
「行くぞ! 『状態共有』!」
俺のステータスに「状態:祝福」が、カレンのステータスに「状態:アンチ・ダンジョン」が追加される。
たった3分きりの間、俺たちを繋ぐ不可視の絆。それを信じて、カレンの手を離した。




