団体客
「団体予約ですか?」
翌日の放課後。
杏柚たちは事務所の応接スペースで、旅行会社の担当者・高橋と向かい合っていた。
三十代半ばほどの男性で、穏やかな笑顔を浮かべている。
「テレビを拝見しました。」
高橋は名刺を差し出しながら頭を下げる。
「実は来月、親子向けの日帰りスキーツアーを企画しているんです。」
「ありがとうございます!」
杏柚も慌てて頭を下げる。
心臓は今にも飛び出しそうだった。
テレビの影響とはいえ、旅行会社から正式な相談を受けるなんて思ってもいなかった。
「大型スキー場も候補にありました。」
高橋は続ける。
「ですが、テレビを見て考えが変わりました。」
「え?」
「小さいお子さんが安心して遊べる場所を探していたんです。」
その一言に、杏柚たちは顔を見合わせた。
今まで弱点だと思っていた「小さなスキー場」が、今度は選ばれる理由になっていたのだ。
「そこでお願いがあります。」
高橋は資料を一枚差し出した。
「親子二十五組、約六十名を受け入れていただけませんか?」
「ろ……六十人!?」
杏柚は思わず立ち上がった。
白銀スノーパークでは、普段なら一日を通してもそこまでの人数が来ないことも珍しくない。
「大丈夫かな……。」
思わず弱気な声が漏れる。
すると、しげが静かに言った。
「できる。」
「しげさん?」
「今まで準備してきただろ。」
その言葉に、杏柚はハッとした。
食堂の改善。
受付の見直し。
イベント運営。
SNSでの情報発信。
全部、この日のためだったのかもしれない。
「……やります!」
杏柚は勢いよく頭を下げた。
「ぜひ白銀スノーパークへ来てください!」
◇ ◇ ◇
担当者が帰ったあと、すぐに作戦会議が始まった。
「六十人かぁ。」
千春がホワイトボードに予定を書き込む。
「食堂だけでも大変そう。」
「ポタージュは百杯くらい作る?」
胡桃が真剣な顔で計算している。
「そんなに飲むかな?」
杏柚が苦笑する。
「念のためなのです!」
風夏はノートを開いた。
「まずは役割分担を決めましょう。」
全員がうなずく。
「受付は私が担当します。」
「写真撮影とSNSは私。」
千春が続く。
「私は食堂なのです!」
胡桃はエプロンを抱きしめる。
「じゃあ私は……。」
杏柚は少し考えてから笑った。
「案内係!」
「それが一番似合うね。」
千春が笑う。
◇ ◇ ◇
そして迎えた当日。
朝九時。
大型バスがゆっくりと駐車場へ入ってきた。
「来た……!」
杏柚は深呼吸をする。
バスのドアが開くと、小学生くらいの子どもたちが元気よく飛び出してきた。
「雪だー!」
「広いー!」
「早く滑りたい!」
その姿を見て、杏柚の緊張はどこかへ飛んでいった。
「ようこそ!」
大きく手を振る。
「今日はいっぱい楽しんでね!」
子どもたちも元気よく手を振り返してくれる。
◇ ◇ ◇
初心者向けレッスンが始まった。
「転んでも大丈夫!」
杏柚が笑顔で声をかける。
「雪はふかふかだから!」
最初は怖がっていた子も、少しずつ笑顔になっていく。
「立てた!」
「すごーい!」
「次は滑ってみよう!」
その横では、しげたちがリフトの安全確認を行い、千春は楽しそうに滑る子どもたちの写真を撮っていた。
「この笑顔は絶対使える。」
SNS用の写真も次々に増えていく。
◇ ◇ ◇
昼食の時間。
「いただきます!」
食堂は満席だった。
「ポタージュおかわり!」
「僕も!」
「私も!」
あっという間に大鍋が空になる。
「なくなっちゃうのです!」
胡桃が慌てて次の鍋を温め始める。
風夏は手際よく配膳し、お客さん一人ひとりに声を掛けていた。
「熱いのでお気をつけください。」
「ありがとうございます。」
そんな何気ない会話が、食堂を温かな空気で包んでいく。
◇ ◇ ◇
午後は自由時間。
子どもたちは雪だるまを作ったり、ソリ遊びをしたり、それぞれ思い思いに雪を楽しんでいた。
すると、一人の女の子が杏柚の袖を引っ張った。
「お姉ちゃん。」
「ん?」
「また来てもいい?」
杏柚はしゃがみ込み、笑顔で答える。
「もちろん!」
「約束だよ!」
「うん!」
女の子は満面の笑みで走っていった。
その後ろ姿を見送りながら、杏柚は小さくつぶやく。
「また来たい……か。」
自分が目標にしてきた言葉を、子どもの口から聞けた。
それだけで胸がいっぱいになる。
◇ ◇ ◇
夕方。
バスが出発する時間になった。
「ありがとうございました!」
親子連れが次々に手を振る。
「今度はおじいちゃんたちも連れてきます!」
「夏も遊べますか?」
「友達にも教えます!」
そんな言葉が飛び交う。
杏柚たちは、バスが見えなくなるまで手を振り続けた。
◇ ◇ ◇
営業終了後。
事務所では売上の集計が行われていた。
「……すごい。」
風夏が目を丸くする。
「今日一日だけで、先月の平日三日分の売上があります。」
「本当!?」
杏柚も帳簿をのぞき込む。
「食堂も売店も、過去最高を更新しています。」
しげは静かに笑った。
「数字も嬉しい。」
「でもな。」
「え?」
「今日一番嬉しかったのは、お客さんが笑って帰ってくれたことだ。」
その言葉に、全員がうなずいた。
売上も大切。
黒字も目指したい。
だけど、それ以上に「楽しかった」と言って帰ってくれる人を増やしたい。
それが今の杏柚たちの目標だった。
すると、事務所の電話が鳴る。
しげが受話器を取ると、驚いたように杏柚へ振り返った。
「杏柚。」
「どうしたの?」
「今日来た旅行会社だ。」
「はい!」
「『春休みにもう一度ツアーを組みたい』そうだ。」
「えぇっ!」
さらに受話器の向こうから聞こえてきた言葉に、しげは思わず笑みをこぼした。
「それだけじゃない。」
「今度は二台のバスで行きたい……だそうだ。」
杏柚は思わず空を見上げた。
父がいなくなったあの日。
「お小遣い五百円になる!」と泣きそうになっていた自分が、今では懐かしい。
もちろん、まだ赤字は完全には解消されていない。
課題だって山ほどある。
でも、一歩ずつ前へ進んでいる。
白銀スノーパークには、笑顔が増えている。
その笑顔こそが、この場所の一番の宝物なのだと、杏柚は少しずつ気づき始めていた。
そして、その夜――。
遠く離れたカナダの雪山で一本の電話を受けた男が、大笑いしていたことを、杏柚はまだ知らない。
「はははっ! あいつ、本当に社長やってるじゃねぇか!」
受話器の向こうで叔父が苦笑する。
「そろそろ帰るか?」
「いや。」
父は満天の星空を見上げながら笑った。
「もう少しだけ任せてみよう。」
「きっと、俺なんかよりいいスキー場を作ってくれる。」
父のその言葉は、雪山を渡る風に乗って、遠く日本へと運ばれていくのだった。




