届く(妃戦・後編)小学生編
息を止めたまま、俺は、開きかけた蓋に、手をかけた。
いつもの能力は、「重さを移す」だけだ。ある場所から、別の場所へ。総量は、変わらない。借りてきて、返すだけ。
でも、今、俺の中で起きているのは、それじゃなかった。
なにも、ない。なにも、ないところから──重さが、生まれようとしている。
借り物じゃない。どこからも、移していない。ゼロから、生み出された、まっさらな重さ。
そんなの、この世界のルールじゃ、ありえない。能力ってのは、息を止めて、自分の中の力を出すだけのものだ。無から、何かを作るなんて、誰にもできない。
なのに、俺は、それを、やっていた。
「な……」
妃の顔から、余裕が、完全に消えた。
「何それ。重さを……生み出した? そんなの、ありえない。この世界の能力は、そういうものじゃない……っ、コピー、できない、読めない、なんで、なんで──!」
妃が、混乱したまま、手をかざす。俺の力を、読み取ろうとして。でも、できない。当たり前だ。この世界に、前例のない力なんだから。
俺は、生み出したばかりの重さを、握りしめた。
ずっしりと、手のひらに、確かな重みがある。俺だけの、誰からも借りていない、重さ。
*
「悪いけど」と俺は、止めていた息の奥から、声を絞り出した。「音也を、守らなきゃいけないんだ」
俺は、生成した重さを、妃の足元の空間に、丸ごと、叩き込んだ。
何もなかった場所に、突然、何十キロもの重さが、出現する。空気が、ずんっと沈んだ。
妃の体勢が、崩れる。コピーした能力で受け止めようとするが、できない。読めない力は、防ぎようがない。
その隙に、俺は走った。鼻血を流しながら、視界を白くにじませながら、それでも、走った。
妃の、かざした手。その手の「重さ」を、生み出した重りごと、地面に縫いつける。
妃が、膝をついた。手が、上がらない。コピーも、撃てない。
「うそ……わたしが、押さえつけられてる……? 才能で、何でも、手に入れてきた、このわたしが……ハズレなんかに……」
ハズレ。
その言葉を、俺は、もう、否定しなかった。
ハズレでいい。ハズレのまま、こいつに、勝つ。
*
決着は、あっけなかった。
俺は、最後に生み出した重さを、妃の背中に乗せた。立っていられなくなった妃が、屋上の床に、崩れ落ちる。コピーの力も、特異体質も、もう、関係なかった。読めない力の前では、才能なんて、無力だった。
俺は、ふらつきながら、妃を見下ろした。
たぶん、今ので、寿命を、何年ぶんも、削った。立っているのが、やっとだった。無から重さを生むのは、移すのとは、比べものにならないくらい、命を食う。
「……強いのね」妃が、倒れたまま、つぶやいた。さっきまでの傲慢さが、消えていた。「あんたは、自分の力を、持ってる。自分だけの。──わたしには、なかった」
妃の目が、夕日を映して、揺れた。
「施設じゃ、何も持ってなかった。身寄りもない。才能だけが、唯一の取り柄だった。でも、その才能だって──ぜんぶ、誰かの、コピー。借り物。わたしには、自分のものなんて、最初から、一つも、なかったのよ」
俺は、何も言えなかった。
才能だけで、生きてきた。誰かを真似て、生きてきた。それは、強さに見えて──たぶん、いちばん、寂しい生き方だった。
倒れた妃は、もう、ただの、寂しい子どもに見えた。
*
「妃さま!」
常世会の連中が、駆けつけてきた。今度は、見捨てなかった。妃を、丁寧に運び出していく。“皇帝”と同じ。最強格は、まだ、捨てない。
去り際、妃が、運ばれながら、こっちを見た。
「ねえ、ハズレ。──あんたのこと、“あの人”に、報告しなきゃ」
「あの人?」
「組織の、本当のてっぺん。わたしたち四天王なんて、ただの、手足。本体は、別にいるの」妃は、薄く笑った。「“データのない子ども”のこと、きっと、いちばん知りたがってる。──だって、あの人も、“この世界の外”から来たんだから」
この世界の、外から。
その言葉が、俺の中で、鐘みたいに、鳴り響いた。
妃は、それ以上、何も言わずに、運ばれていった。
*
「……っ、いってぇ……」
背後で、声がした。音也が、フェンスにもたれて、目を覚ましていた。
「音也!」
「うるせえ、でかい声出すな、頭にひびく……」音也は、顔をしかめながら、半身を起こした。「で? 勝ったのか、おれたち」
「ああ。──お前のおかげだよ」
「そりゃそうだろ。おれがかばわなきゃ、お前、ぺしゃんこだったぞ」音也が、にやりと笑う。「で、なんか、すげえことしてなかったか? お前。最後のほう、記憶がぼんやりしてるけど──なんか、空気が、ずんって重くなった気がした」
「……さあ。気のせいじゃね」
「ぜったい気のせいじゃねえだろ」
くだらない言い合いをしながら、俺は、自分の手のひらを、見つめていた。
さっき、ここに、ゼロから重さが生まれた。この世界の、どこからも借りていない、俺だけの力。
なんで、俺だけ、そんなことができる。
答えは、もう、半分、見えていた。
俺は、この世界の「外」から来た。だから、この世界のルールの、外側にいる。だから、データがない。だから、コピーできない。だから──総量の枷を、超えられる。
そして、組織の本体も、「この世界の外」から来た。
俺と、同じ。
モヤモヤの正体に、初めて、輪郭が見えた。同時に、もっと深い、もっと大きな何かが、その奥で、待っている気がした。
*
夕日が、完全に、落ちた。
屋上に、俺と音也だけが、残された。十一歳の、ハズレと、減らず口。たった二人で、四天王の最強格を、退けた。
「なあ、零」音也が、空を見上げて言った。「お前が何者でも、関係ないって言ったろ。あれ、本気だからな」
「……知ってるよ」
「でも、もし、お前が”自分を知りたい”なら──おれも、付き合ってやる。相棒だからな」
俺は、ちょっとだけ、笑った。
自分が何者かを知る旅は、たぶん、ここから始まる。組織の本体。この世界の外。記憶のない、俺の過去。
全部、これからだ。
でも、一人じゃない。隣に、減らず口が、一人いる。
それだけで、なんとか、なる気がした。
(小学生編・第一部 完)




