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ゼログラム  作者: M氏
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まっすぐ(修学旅行)小学生編


 妃と戦ってから、半月が過ぎた。


 あれ以来、俺は、自分の手のひらを、ときどき見つめるようになった。あの日、ここから、何もないところに、重さが生まれた。借り物じゃない、俺だけの力。


 でも、それきり、二度と、出せていない。出し方が、分からない。あれは、音也を守らなきゃっていう、必死さの中で、勝手に開いた力だった。


 俺は、自分のことが、前より分からなくなっていた。


「おーい、ハズレ。また辛気くさい顔してんぞ」


 修学旅行のバスの中。隣の席で、音也が、つるりとしたガイドロボットの説明を聞き流しながら、言った。


「考えごとだよ」


「どうせ、自分は何者かー、とか、また悩んでんだろ。バスん中でまで悩むな。せっかくの旅行だぞ」


 行き先は、古い寺と石畳の街並みで有名な、観光地だった。大人がいないこの世界でも、修学旅行はある。引率は、ぜんぶロボット。旅館の仲居も、土産物屋の店員も、つるんとした白い頭の連中だ。


 子どもだけで、ぞろぞろと、古都を歩く。なんだか、変な光景だった。


「ま、お前が何者でも、相棒なのは変わんねえけどな」音也が、窓の外を見ながら、ぽつりと言った。


 こいつは、ときどき、こういうことを言う。減らず口の合間に、ふっと。


 ──このときは、まだ、よかった。


  *


 事件は、旅館に着いた、その夕方に起きた。


 大浴場へ続く廊下で、俺たちは、別の小学校のグループと、鉢合わせした。別の学区の連中だ。修学旅行先が、たまたま被ったらしい。


 その先頭にいたのが、そいつだった。


 日に焼けた、がっしりした体。短い髪。目つきが、やたら、まっすぐで、ギラギラしている。


 ぶつかった、わけじゃない。ただ、すれ違おうとした、そのとき。


「おい」と、そいつが、俺を見て言った。「お前、なんか、弱そうだな」


「……は?」


「いや、勘でな。おれ、強いやつの匂いが分かるんだよ。で、お前は、弱そう」


 失礼すぎる第一声だった。


 俺が答える前に、音也が、すっと前に出た。


「おーい、そこの脳みそまで筋肉のゴリラくん。初対面でいきなり喧嘩売るとか、育ち悪すぎだろ。その勘とやら、自分の頭の悪さには働かねえのか? あ、働く脳みそがそもそもないか、ご愁傷さま」


 ぴき、と、そいつのこめかみに、青筋が立った。


「……てめえ」


「音也」と俺は、ため息をついた。「煽るな。めんどくさいことになる」


「もう、なってる」


  *


 外の中庭に、引っぱり出された。


 子どもだけの旅館。止める大人は、いない。ロボットの仲居は「危険な行為はおやめください」と棒読みで言ったきり、奥へ引っ込んだ。


速水はやみじん」と、そいつは名乗った。「覚えとけ。お前らを、ぶっ飛ばすやつの名前だ」


 名乗ってから殴る、律儀なやつだった。


 次の瞬間、迅の姿が、消えた。


 ──いや、消えてない。速い。ただ、速いんだ。


 すうっと息を止めた迅が、爆発的に加速して、俺の懐に、飛び込んできていた。拳が、来る。


 俺は、とっさに、足元の石の重さを、迅の足へ移す。重くして、止めようとした。


 でも、届かなかった。速すぎて。重さを乗せる前に、迅は、もう、別の場所にいた。


 拳が、俺の頬をかすめる。後ろの植木が、吹き飛んだ。


「おー、よけたか」迅が、楽しそうに笑う。「やるじゃん。でも、おれの加速に、ついてこれんのか?」


 速い。けど──まっすぐだ。


 加速して、突っ込んで、殴る。それだけ。直線的で、馬鹿正直。動きが、全部、読める。


 俺の、頭の悪くないところが、回りはじめた。


「音也」


「おう」


 音也が、高い音を放つ。迅が、思わず、耳をかばう。その一瞬、加速が、途切れた。


 今だ。


 俺は、迅の「次に踏み込む足」の位置を、読んだ。そこに──ほんの少しだけ、重さを置く。


 いや。置く、んじゃない。


 俺は、息を止めて、その一点に、ゼロから、小さな重さを、生み出した。


 ほんの、握りこぶしくらい。あの日の、全力の何百分の一。加減して、ちょっとだけ。


 迅の踏み込んだ足が、見えない重りに、つんのめる。爆速のまま、迅が、前のめりに、すっ転んだ。


 派手に。中庭の砂利に、顔から。


  *


「っ、いってぇ……!」


 迅が、鼻を押さえて、起き上がる。


 俺は、自分の手のひらを見た。さっき、確かに、生み出した。今度は、必死さじゃなく、自分の意思で。ほんの少しだけ、加減して。


 まだ、全力では出せない。でも──少しずつ、手懐けられそうな気がした。


 あの力は、たぶん、これから、俺の武器になる。


「……お前ら」迅が、鼻血を垂らしながら、こっちを見た。怒ってる、と思った。


 でも、そいつは、笑っていた。


「すげえな! 今の、何したのか全っ然分かんねえ! おれの加速、止められたの、初めてだ!」


 ……怒ってない。むしろ、目が、キラキラしている。


「お前ら、強えじゃん! さっきの”弱そう”、撤回するわ! いや〜、いいもん見た!」


 あまりに、まっすぐだった。さっきまで殴り合ってたのに、負けた瞬間、すっきりした顔で、相手を褒める。こんなやつ、初めて見た。


「……変なやつ」と俺は言った。


「変なのはお前だろ、よく分かんない能力しやがって!」迅が、笑いながら、立ち上がる。「速水迅だ! お前、名前は?」


「……衡零。零でいい」


「ジン! こっちは、ゴリラに脳みそうんぬん言った減らず口!」


「鳴海音也だ。ゴリラはお前だろ」


 迅は、がはは、と笑った。憎めない、馬鹿みたいな笑い方だった。


  *


 別れ際、迅が、振り返って言った。


「なあ、お前ら、どこの中学行くんだ?」


「……まだ決めてないけど。たぶん、地元の」


「おれもこの辺、引っ越す予定なんだよな。学区、変わるかも」迅は、にかっと笑った。「もし同じ中学だったら、今度こそ、勝つからな! 覚えとけよ、零!」


 そう言って、迅は、自分のグループのほうへ、走っていった。加速もしてないのに、やたら速かった。


「……なんなんだ、あいつ」


「バカだろ、完全に」音也が、肩をすくめる。「でも、まあ……嫌いじゃねえタイプだな」


 俺も、同じことを思っていた。口には出さなかったけど。


  *


 その夜、旅館の窓から、古都の夜景を見ながら、俺は、また、手のひらを見つめた。


 ゼロから、重さを生む力。少しずつ、慣れてきた。


 でも、慣れれば慣れるほど、思う。なんで、俺だけ、こんなことができる。なんで、この世界のルールの、外にいる。


 妃の言葉が、また、よみがえる。「本体も、この世界の外から来た」。


 そして──常世会は、まだ、消えていない。四天王を退けただけ。その上にいる、本当のボスは、まだ、どこかで、何かを企んでいる。


 穏やかな修学旅行の夜の裏で、何かが、静かに、動きはじめている気がした。


 でも、今夜だけは。


 隣で、音也が、土産物の木刀を振り回して、ロボットの仲居に叱られている。明日は、迅とは、別の道を行く。たぶん、また、どこかで会う。


 そんな、なんでもない時間が──少しだけ、悪くないと、思えた。


(第八話 了)

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