継ぎ目 小学生編
轟と戦ってから、三日が過ぎた。
あの日のことは、誰にも言っていない。攫われかけた子は無事に帰したが、轟がどうなったかは知らない。組織に置き去りにされた、あの大男のことを思い出すと、今でも胸の奥が少しざらつく。
放課後の校庭は、もう誰もいなかった。俺と音也だけが、ジャングルジムの影に座って、だらだらと時間をつぶしている。
「なあ零」音也が、地面に小石を転がしながら言った。「常世会、しばらく静かだな」
「いいことじゃねえの」
「逆だよ。静かなときほど、次のでかいのが来る」
音也の勘は当たる。こいつは常世会のことになると、妙に鼻が利く。なんでそんなに詳しいのかは、相変わらず教えてくれないけど。
そのときだった。
校舎のほうで、ガラスの割れる音がした。
*
旧校舎の三階。普段は使われていない、空き教室の並ぶ廊下。
そこに、二人組がいた。
一人は、背の高い、おとなしそうなやつ。腕を組んで、壁にもたれている。もう一人は、その前で、ニヤニヤ笑いながら、震える子どもを見下ろしていた。攫われかけているのは──同じ学年の、能力持ちの子だ。
「またお前らか」と俺は言った。「常世会も、ヒマだな」
ニヤニヤ笑いのほうが、こっちを見た。
「お、噂のハズレちゃんだ。轟をやったって?」笑いながら、そいつは言う。「皇かい。で、そっちのつまんなそうなのが──」
「帝りく」と、背の高いほうが、静かに言った。「兄だ」
「で、二人合わせて」かいが、両手を広げる。「“皇帝”。四天王の、上から二番目。──轟みたいな脳筋と、いっしょにすんなよ?」
兄弟。それも、息の合った。
音也が、小声で耳打ちしてくる。
「気をつけろ、零。轟が”いちばん下”だぞ。こいつらは、その上だ」
*
先に動いたのは、俺だった。
かいに向かって駆けながら、足元の瓦礫の重さを、あいつの肩へ移す。崩せ──そう思った、瞬間。
俺の能力が、見えない壁に、はじかれた。
「無駄無駄」かいが笑う。「兄ちゃんの中じゃ、お前の能力は通らねえよ」
兄──りくのまわりに、うっすらと、空気のゆがみのようなものが見えた。ドーム状の、何か。あれの内側では、外からの干渉が、すべて無効になる。重さも、たぶん音も。
そして、かいの拳が、振られた。
その拳が、りくのドームの中を通った瞬間──ぶわっと、空気が膨れ上がるように、威力が跳ね上がった。
俺は、とっさに転がってよける。背後の壁が、ぶち抜かれた。轟の比じゃない。
「分かったか?」かいが、舌なめずりをする。「兄ちゃんが”守り”。おれが”攻め”。兄ちゃんのドームの中なら、おれの攻撃は何倍にもなる。お前の能力は、ドームに弾かれて、届きもしねえ。──完璧だろ?」
完璧。たしかに、隙がない。守りながら、攻める。攻めながら、守られている。
「おい音也、何か読めるか」
「……だめだ」音也が、舌打ちした。「あのドームの中、音まで遮断されてる。あいつらの呼吸も、筋肉の音も、何も聞こえねえ」
俺の重さも、音也の耳も、通用しない。
二人がかりで、手も足も出ない。
*
「零、右だ!」
「分かってる──いや、左!」
かいの攻撃をよけながら、俺と音也の指示が、ぶつかった。動きが、噛み合わない。当然だ。組んで、まだ三日。俺たちは、口だけのコンビだ。
「はっ」かいが、嘲笑う。「見ろよ兄ちゃん、にわかコンビが慌ててるぜ」
「……ああ」りくが、静かに答える。「俺たちとは、違うな」
俺たちとは、違う。
その一言が、やけに、引っかかった。
こいつら兄弟は、十年以上、二人でやってきた。声をかけなくても、互いの動きが分かる。施設で──たぶん、二人きりで、生きてきたんだ。だから、噛み合う。だから、強い。
でも。
俺は、転がりながら、目を凝らした。かいが攻める。その直前、必ず、ちらっと、りくのほうを見る。りくが、小さくうなずく。それから、かいが動く。
声には出さない。出さなくても、伝わる。──いや。
「音也」俺は、息を切らしながら言った。「あいつら、声に出さずに合図してる。目線と、うなずきで。“今から攻める”って」
「だから?」
「お前、音を出せるよな。声を。──あいつらの、合図に、割り込めるか」
音也の目が、見開かれた。
「……声を、操れって?」
「お前、ただ煽るだけのやつじゃないんだろ。さっきから、ずっと黙って聞いてた。──こいつらの声、もう、覚えただろ」
音也が、にやりと笑った。さっきまでの焦りが、消えていた。
「……上等だ。一回しか言わねえぞ、零。──ちゃんと、合わせろよ」
*
かいが、また、りくを見た。りくが、うなずく。攻める合図だ。
その瞬間。
「兄ちゃん、下がれ!!」
かいの声が、響いた。──いや。
それは、音也が出した、かいの声だった。寸分たがわぬ、弟の声。
りくの体が、反射的に、後ろへ動いた。弟の声に、反応して。
ドームが、ずれた。
ほんの、一歩ぶん。でも、りくが動いたことで、ドームの中心が、わずかに横へ流れた。
その一歩ぶんの隙間に──俺は、息を止めた。
りくの足元。そこにある、割れたガラスと瓦礫。その「重さ」を、ぜんぶ、りくの体の片側へ移す。
りくの右半身が、ぐん、と重くなった。
立っていられず、りくが、ドームの外へ、つんのめる。
ドームが、消えた。
「兄ちゃん!?」
かいが、振り返る。守りを失った、ただの子どもの顔で。
守りがなければ、かいの攻撃は、ただの拳だ。攻めがなければ、りくは、ただの的だ。
二人で、一人。
なら──引き離せば、ゼロになる。
「音也!」
「おう!」
音也が、耳をつんざくような高い音を放つ。かいが、思わず耳をふさいだ。その隙に、俺は、かいの足の重さを抜いて、後ろへ転ばせる。兄と弟の間に、距離ができた。
離れた二人は、もう、何でもなかった。
*
俺と音也が、肩で息をしながら、立っていた。
倒れたかいが、地面を這って、りくのほうへ、手を伸ばす。
「に、兄ちゃん……っ」
「いい」りくが、重さで動かない体のまま、弟を見て、小さく言った。「……かい。お前だけでも、逃げろ」
「やだよ! 置いてけるか!」
兄弟は、地面の上で、互いに手を伸ばし合っていた。届かない距離で。
俺は、何も言えなかった。
こいつらにとって、能力なんて、たぶん、おまけだ。二人で生きてきた、その時間こそが、本当の”力”だったんだ。施設で、二人きりで、互いだけを信じて。それを、俺たちは、引き裂いて、勝った。
勝ったのに──やっぱり、晴れなかった。
「……零」
音也が、ぽつりと言った。いつもの減らず口じゃない、静かな声で。
「おれたち、勝ったんだよな」
「ああ」
「なのに、なんで、こんな顔してんだろうな。おれたち」
俺は、答えなかった。答えは、たぶん、音也も分かってる。
*
常世会の連中が、また、回収に来た。今度は、兄弟二人とも、連れていった。轟みたいに、見捨てはしなかった。“皇帝”は、まだ使える駒、ってことだ。
去り際、黒い影の一人が、俺を見て、足を止めた。
「……お前、登録のないガキだな」
どきり、とした。
「妃さまが、興味を持っておられる。“データのない子ども”にな。──じきに、会えるさ」
そう言い残して、影は消えた。
妃。四天王の、最強格。そして──”データのない子ども”。
俺の、ことだ。
なんで、組織が、それを知っている。なんで、俺は、この世界に「登録されていない」。モヤモヤが、また一つ、重くなる。
でも、今日は、一つだけ、確かなことがあった。
「なあ、零」夕日の中で、音也が言った。「さっきの合図、ぴったり合ったよな」
「……まあ、一回だけな」
「一回でも、合ったんだよ」
口だけのコンビが、初めて、本物みたいに、噛み合った瞬間。
兄弟の絆には、まだ、ぜんぜん届かない。でも──俺たちには、俺たちの、継ぎ目の合わせ方が、あるのかもしれない。
そんなことを、ちょっとだけ、思った。




