隣の減らず口 小学生編
翌朝、教室に入って、俺は三秒で回れ右した。
「待て待て待て、なに無言で帰ろうとしてんだよ」
聞き覚えのある減らず口が、背中に刺さる。振り返らなくても分かる。昨日、路地で攫われかけていたくせに、口だけは一秒も止まらなかった、あいつだ。
『──静かに。本日より、このクラスに転入生を迎えます』
教壇の担任ロボットが、つるりとした頭でそう言った。その横に、しれっと立っているのは。
「鳴海音也です。よろしくね」
愛想のいい笑顔。昨日の毒舌はどこへやら、という猫のかぶりよう。クラスのやつらは「転校生だ」とざわついているが、俺は一人、机に突っぷしたくなっていた。
なんで。なんで、よりによって、五年三組に。
しかも。
「衡くんの隣、空いてますね。鳴海くん、そこへ」
担任ロボットが、容赦なく、俺の隣の席を指した。
音也は、隣に座りながら、誰にも聞こえない声で言った。
「奇遇だな、ハズレ」
「……お前、ぜったいわざとだろ」
「さあ?」
猫をかぶった顔のまま、そいつは笑った。
*
奇遇は、そこで終わらなかった。
その日の放課後、だるい足どりで、子どもたちの暮らす古い団地に帰ると、向かいの部屋のドアが、ちょうど同じタイミングで開いた。
音也だった。
「……は?」
「奇遇だな、ハズレ」
「二回目だぞ、それ」
昨日まで空き部屋だったはずだ。俺の部屋の、ちょうど真向かい。せまい廊下をはさんで、目と鼻の先。
同じ学校に転校してきて、同じクラスで、隣の席で、住んでいるのが向かいの部屋。
偶然にしては、できすぎている。
「お前、なんなんだよ」と俺は言った。「昨日の今日で、ここまで重なるのは、さすがに変だろ」
音也は、ドアにもたれて、ちょっとだけ笑うのをやめた。
「変なのは、お前のほうだろ」
「……は?」
「ハズレのくせに、かたくなる能力のやつを一発で沈めた。しかも勝ちかたが、わけ分かんなかった。あれ、何したんだ?」
俺は答えなかった。答えようがない。重さを、ちょっと動かしただけ。そう言ったって、信じやしない。
「まあいい」音也は肩をすくめた。「言いたくないなら、いつか吐かせる。──おれ、お前のこと、けっこう気に入ってんだぜ。命の恩人だしな」
そう言い残して、向かいのドアは閉まった。
残された俺は、廊下で一人、ため息をつく。
胸の奥のモヤモヤが、また少し、形を変えた気がした。
*
それから、音也は当たり前のように、俺の隣に居座るようになった。
朝はいっしょに登校し、給食は勝手に俺の机にうつってきて食い、放課後は誰に頼まれたわけでもなく俺についてくる。追い払っても、減らず口で、すぐ戻ってくる。
「お前さ、友達いないだろ」
「うるさい。お前だっていないだろ」
「おれは選んでるんだよ。お前は、選ばれてないの。この差、分かるか? ハズレ」
「……一発殴っていい?」
うるさくて、口が悪くて、面倒くさい。でも──不思議と、嫌いになれなかった。一人でいるのが当たり前だった俺の隣に、ずっとしゃべっているやつがいる。それは、悪い気分じゃなかった。
たぶん、こいつも似たようなことを思っている。口にはぜったい出さないだろうけど。
*
そんな毎日に影がさしたのは、一週間後のことだった。
『──また一人、能力を持つ子どもが行方不明に。今月で、八人目です』
給食の時間、教室のスピーカーから流れたニュースが、淡々と告げた。八人目。先月は五人だった。増えている。
そしてその日、学校で噂が回った。
うちのクラスの隣のクラスの、能力判定が高かった子が、昨日から学校に来ていない、と。
「……“常世会“だな」
パンをかじりながら、音也がぽつりと言った。
「とこよかい?」
「知らねえのか。最近、コソコソ動いてる連中だよ。能力を持った子どもばっか攫ってる。昨日のお前を襲ったのも、たぶんそこの下っぱだ」
俺は、音也の横顔を見た。妙に、くわしい。
「お前、なんでそんなこと知ってんだよ」
音也のパンを持つ手が、一瞬止まった。
「……さあな」
はぐらかした。けど、その目の奥に、一瞬だけ、笑っていない色が見えた。減らず口の裏に、何かある。こいつにも、こいつの事情が。
深くは聞かなかった。俺だって、聞かれたくないことの一つや二つはある。
*
その夜だった。
団地の下で、悲鳴が上がった。
窓から見下ろすと、街灯の下、あの隣のクラスの──いや、また別の子が、黒い影に囲まれていた。能力者狩り。常世会。こんな、団地のすぐ下で、堂々と。
「行くぞ」
いつのまにか、俺の部屋のドアを勝手に開けて、音也が立っていた。
「……は? なんで俺が」
「あの時みたいに、また見過ごせないんだろ。お前、そういうやつだ」
図星だった。腹が立つくらい、図星だった。
「俺は、ハズレだぞ」
「知ってる。だから、おれがいる」音也はにやりと笑った。「お前が黙って殴る。おれがしゃべって崩す。昨日、それでうまくいったろ? ──組もうぜ、零」
俺はしばらく、そいつの顔を見ていた。
それから、ため息を一つ。
「……めんどくさ」
そう言いながら、もう、くつをはいていた。
*
下に降りると、子どもを囲んでいた影は、もう散ったあとだった。
間に合わなかった。攫われた、ということだ。
代わりに、地面に、奇妙な痕が残っていた。
アスファルトが、まるで内側から殴られたように、まるくへこんでいる。表面はきれいなのに、中だけが、くだけて沈んでいる。
「……なんだ、これ」
音也が、痕のふちを指でなぞって、低くつぶやいた。
「衝撃だけが、中を通ってる。表面は無事なのに、内側だけ、こわれてる。──こんなの、下っぱの雑魚にできる芸当じゃねえ」
俺は、そのへこみを見下ろしながら、背中が少し冷たくなるのを感じた。
昨日のかたくなる男は、四人がかりで子ども一人を取りにがした。
でも、こいつは──たった一発で、誰にも気づかれず、確実に攫っていった。
格が、ちがう。
「常世会の、本気の駒だ」音也が立ち上がる。声から、いつもの軽さが消えていた。「名前は知らねえ。でも、こいつとはいずれ当たる。──お前の”ハズレ”が、通用するかどうか、ためされるぞ」
夜の街に、サイレンが遠く鳴っていた。例によって、遅い。
俺は、内側だけがくだけた地面を、もう一度見下ろす。
モヤモヤは消えない。世界のことも、自分のことも、何ひとつ分からないまま。
でも、一つだけ、はっきりしたことがある。
隣に、減らず口が一人、増えた。
それだけは、たぶん、悪くない。




