第1話 ハズレの重さ 小学生編
五年三組の朝は、ロボットの「起立」の号令から始まる。
つるりとした白い頭の担任ロボットが、教壇で出席を取っていく。返事をするのは、椅子の横にランドセルをかけた、十一歳の子どもたちだけだ。当たり前だ。この世界に、大人はいない。
先生も、ロボット。給食を作るのも、横断歩道で旗を振るのも、保健室で熱を測るのも、全部ロボット。大人がやるはずの仕事を、こいつらが代わりにやっている。
なんで大人がいないのか。なんでロボットばかりなのか。誰も不思議に思わない。みんな、それが当たり前だって顔で、笑って、ケンカして、給食をおかわりして──そして、二十歳になる前に、いなくなる。
俺は、それがずっと気持ち悪い。
まあ、気持ち悪いと思ったところで、眠いものは眠いし、授業はだるいし、世界は何も変わらないんだけど。
「衡くん。衡 零くん。返事は?」
「……はい」
だるそうに手を挙げると、担任ロボットのレンズがこっちを向いて、ちかっと光った。窓の外はよく晴れている。午後の理科より、昼寝が似合う天気だ。
*
その日の休み時間、教室はいつもより静かだった。
いつもなら廊下でドッジボールのチーム決めをしているやつらが、今日は机に集まって、ひそひそ話をしている。
「ねえ、聞いた? 六組のミナミちゃん、昨日から帰ってきてないって」
「えっ、また?」
「能力者狩りだよ、ぜったい。ミナミちゃん、判定すごく高かったもん」
能力者狩り。最近、よく聞く言葉だ。能力を持った子どもが、いなくなる。今月で何人目だろう。先月よりも、ずっと多い。
「衡は平気そうだよね」隣の席の子が、こっちを見て言った。「だって衡、ハズレでしょ。能力」
ハズレ。
この世界の子どもは、小学校に上がるころ、一度だけ「能力判定」を受ける。息を止めて、機械に手をかざす。止めていられるあいだだけ、自分の中の「力」が外に出る──そういう仕組みらしい。
俺の判定結果は、こうだった。
『物の重さを、わずかに動かせます』
わずかに。それだけ。消しゴムの重さを、隣の鉛筆にちょっと移す。何の役にも立たない力だ。判定したロボットも、結果を読み上げたあと、一秒ほど黙っていた。なんと言えばいいか、分からなかったんだと思う。
だから俺は狙われない。攫うなら、もっとマシな能力の子を選ぶに決まっている。
それに──もし俺がいなくなったって、たぶん誰も困らない。
俺には家族がいない。というより、七歳より前の記憶が、まるごとない。気がついたら施設にいて、「衡 零」という名前だけ教えられて、それで終わり。自分がどこから来たのかも、なぜ覚えていないのかも、誰も教えてくれなかった。
胸の奥に、いつも小さな穴が空いている。何か思い出さなきゃいけない気がするのに、それが何かは分からない。
モヤモヤ、と呼んでいる。心の中で。
その正体が分からないまま、俺は今日もだるそうに生きている。
*
放課後。
俺はいつもの近道を通って、施設に帰ろうとしていた。子どもたちが暮らす古い団地の、せまい路地。誰も通らないから静かでいい。
──はずだった。
「いってぇな、放せよ! その手で触んな、菌がうつる!」
路地の奥から、声がした。
子どもが一人、黒い服を着た、やたらでかい男たちに囲まれている。たぶん十八か十九。もうすぐ消える年の連中だ。その大きな手が、子どもの腕をつかんで、袋のようなものに押し込もうとしている。
攫われかけているその子は──こんなときなのに、口だけは一秒も止まっていなかった。
「うわ口くっさ! お前、その能力よりさきに口のにおいどうにかしろよ、半径三メートル生物兵器か?」
……いや、煽るな。今そういう場面じゃないだろ。
男の一人が、こっちに気づいて振り返った。
俺はランドセルを背負ったまま、その場に立っていた。
頭の中では、もう答えが出ている。関わるな。見なかったことにしろ。お前はハズレで、あいつらはでかくて、勝ち目はどこにもない。回れ右して、別の道を帰れ。それが正解だ。
正解、なんだけど。
「……あー」
自分の口から漏れたため息を、聞いた。
「めんどくさ」
そう言いながら、足が、勝手に一歩、前に出ていた。
*
「おい」
声をかけると、男たちの視線がいっせいにこっちを向いた。四人。全員、俺よりずっとでかい。
「その子、放してやってよ。俺、早く帰りたいんだけど」
われながら、何を言っているんだと思う。勝ち目の計算はとっくに終わっている。ゼロだ。
「……ガキが」
袋を持っていた男が、子どもを地面に放り出して、こっちへ歩いてくる。残りの三人は動かない。こいつ一人で十分だ、と思われている。
男が、すうっと息を吸った。
そして、止めた。
次の瞬間、男の腕が灰色に変わっていく。コンクリートのような、かたい色に。能力だ。息を止めているあいだだけ出る、こいつの「力」。
男は何も言わない。言えない。息を止めているからだ。代わりに、その拳を、ぶん、と振り上げた。
俺は横に転がってよけた。男の拳が、さっきまで俺がいたブロック塀にめり込む。塀が、ばりんと砕けた。
かたくなる能力か。殴られたら終わり。そして、たぶん俺が殴っても、あのかたい体には効かない。重さをちょっと動かせるだけのハズレ能力で、石のかたまりをどうしろというんだ。
詰んでいる。普通に考えれば、詰んでいる。
でも──俺の、頭の悪くないところが、勝手に動きはじめていた。やる気はないが、頭だけは止まらない。昔からそうだ。
──こいつ、能力を出しているあいだ、息を止めている。
ずっとは止めていられない。かたくなった体は、たぶん重い。動きも、さっきからまっすぐにしか来ない。そして何より。
息を止めているあいだは、しゃべれない。
「おい、そこのうるさいやつ」と、地面に転がったままの子に声をかけた。「お前、口だけは達者なんだろ。手伝え」
その子──攫われかけていたくせに、もう半身を起こしていたそいつは、俺をじろりと見た。
「は? 誰が、ハズレなんかと──」
「いいから煽れ。お前の得意なやつ。思いっきり」
一瞬の沈黙。それから、そいつはにやりと笑った。理解が、はやい。
「……ま、攫われるよりマシか」
そして、男に向かって、大きく息を吸い込んだ。
「おーいセメント野郎ォ! そんなに体カッチカチにして、頭の中まで固まってんじゃねえの? 四人がかりでガキ一人つかまえそこねてる時点で、能力よりさきに脳みそきたえろよ! あ、もうすぐ二十歳? じゃあ、きたえるヒマもねえか、ご愁傷さま!」
ぴくり、と男の灰色の肩がふるえた。
「だいたいさあ、その能力で何がしたいわけ? かたくなるだけ? カメかよ。カメのほうがまだかわいげあるわ。お前のは、ただの動く墓石──いや、墓石は静かなぶんマシだな──」
「──だまれ!!」
男が、吼えた。
吐いた。息を。
その瞬間、灰色だった体が、ほんの一拍、もとの肌色に戻りかけた。かたさが、ゆるむ。しゃべるために、息を吐いたからだ。
今だ。
俺は息を止めた。
地面に転がっていた小石。男のすぐ足元の、にぎりこぶしほどの石ころ。その「重さ」を──つかんで、引きはがして、男の頭の、ずっと上へ移す。
石ころは軽くなった。羽根みたいに。
代わりに、男の頭が重くなった。
石ころ一個ぶんの重さ。たったそれだけ。でも、たったそれだけが、前のめりに踏み込みかけた巨体の、てっぺんに乗った。
重心が、ぐらりと上にずれる。
かたくて、重くて、もう自力では立て直せない体が、自分の重さに引っぱられて、前へ──
ごぎ、と鈍い音がして、男が顔から地面に倒れた。受け身もとれず、かたいまま、まっすぐに。そのまま、動かなくなった。
俺は、ふう、と止めていた息を吐く。
たぶん、寿命が少し減った。能力を使うと、そのぶん命が削れる。ハズレ能力の俺は、減りも少ないらしいけど。安い命だ、と思う。
*
「は?」
地面に座り込んだままの、口の悪いやつが、間の抜けた声を出した。
「……今ので、勝ったの? お前、何したの?」
「さあ」と俺は肩をすくめる。「勝手に転んだんじゃないの」
「いやおかしいだろ、なんで急に前のめりに──」
残りの三人の男たちが、倒れた仲間と俺を見くらべて、じり、と後ずさった。
「……予定外だ」
一人が、低く言った。
「この区は、もういい。引くぞ。──”集め”は、まだ始まったばかりだ」
集め。その言葉が、やけに耳に残った。
三人は、路地の奥のうす暗がりへ、けむりのように消えていった。追う気にはならない。というか、足ががくがくして、それどころじゃない。
*
しばらくして、サイレンの音とともに、警察ロボットが二体、路地に入ってきた。遅い。いつだって、こいつらは全部終わったあとにやってくる。
一体が、倒れた男を回収する。もう一体が、つるんとしたレンズを俺に向けた。
『──能力者を確認。スキャンします』
青い光が、俺の体を上から下へなでた。
『……照合中』
『……照合中』
『該当データ、なし』
ロボットのレンズが、一瞬、ちかちかと点滅した。何かに詰まったみたいに。
『該当データ、なし。登録外個体。──再スキャンします』
でも、俺はその言葉をちゃんと聞いていなかった。がくがくする足と、少し減った寿命と、まだ路地に残る「集め」という言葉のことで、頭がいっぱいだったから。
自分が、この世界のどこにも「登録されていない」なんてことには──まだ、気づかない。
*
「おい、ハズレ」
立ち上がったそいつが、ズボンのほこりを払いながら、こっちを見ていた。さっきまでの減らず口が、少しだけ静かになっている。
「鳴海。鳴海音也。……一応、礼くらいは言っといてやる」
「衡零。零でいい」と俺は答えた。
音也は、しばらく俺をじっと見ていた。値踏みするみたいに。それから、ぽつりと言った。
「……お前、なんか変だな」
「うるさい。もう帰る」
でも、その「変だな」は、悪口にしては、やけにまじめな声だった。
俺は気づかないふりをして、路地を出た。
夕方の空が、やけに赤い。
モヤモヤは、いつもより少しだけ、大きくなっていた気がした。




