第8話「王都の異変」
◇レオンハルト視点
分厚い絨毯が敷かれた王城の作戦会議室に、重苦しい沈黙が沈殿していた。
円卓の上座に座るレオンハルトは、苛立ちを隠すこともなく、革張りの肘掛けを指先で強く叩いている。
その規則的な音が、部屋の空気をさらに硬く縛り上げていた。
「どういうことだ。たかが西の森のゴブリン討伐に、我が国が誇る第一騎士団の半数が重傷を負うなど、あり得ない」
レオンハルトは低く唸るように声を絞り出した。
円卓の向かい側には、騎士団長が立っている。
彼の銀色の甲冑はあちこちがひしゃげ、濃い血の跡が黒くこびりついていた。
右腕は白い布で太く巻かれ、首元から流れる汗が顎を伝ってテーブルに落ちる。
「殿下。前線に支給された新しいポーションが、全く使い物にならないのです。剣で裂かれた傷口に振りかけても、痛みがわずかに引く程度。血は止まらず、傷口も塞がりません。以前のポーションであれば、あのような浅い傷など一瞬で治り、すぐに戦線に復帰できたはずです。治療が追いつかず、次々と兵が倒れていく有様で……」
「馬鹿なことを言うな。マリアベルの作るポーションは、魔力が豊富に込められた最高品質のものだ。ルリアが作っていた泥水のような代物とは格が違う」
レオンハルトの怒鳴り声に、騎士団長の背後に控えていたピンク色のドレスの女が、身をすくませて前に進み出た。
マリアベルだ。
彼女の美しい顔は青ざめ、両手を胸の前で固く握りしめている。
「そ、そうですわ。私のポーションは見た目も香りも完璧に仕上げています。ただ、少しだけ効果が現れるのに時間がかかるだけで……」
「時間がかかるだと。戦場で悠長に効果を待っている暇などない。貴様の作った色水のおかげで、部下たちが何人も命を落としかけているのだぞ」
騎士団長がマリアベルに向かって一歩踏み出し、鋭い怒気をぶつける。
マリアベルは悲鳴を上げてレオンハルトの背後に隠れた。
「やめろ。マリアベルを責めるな」
レオンハルトは立ち上がり、騎士団長を睨みつけた。
しかし、彼の胸の内にも冷たい疑念が広がり始めていた。
ルリアが宮廷錬金術師だった頃、騎士団からの苦情は確かにあった。
だがそれは「味が酷い」「匂いが最悪だ」という文句ばかりで、「傷が治らない」という報告はただの一度も上がってこなかった。
どんなに重傷を負って帰還した兵士でも、翌日にはけろりとした顔で訓練に参加していた。
レオンハルトはそれを、騎士たちの体力が優れているからだとばかり思っていた。
『まさか、あの泥水が……』
レオンハルトの脳裏に、数日前に自分が床に投げ捨てた濁った緑色の液体が蘇る。
見た目は最悪だったが、あれこそが前線の命を繋ぎ止めていた生命線だったというのか。
いや、そんなはずはない。
あの見すぼらしいルリアが、この華やかなマリアベルよりも優れた技術を持っているなど、認めるわけにはいかなかった。
「殿下。このままでは第二、第三騎士団も同じ運命を辿ります。早急にルリア殿を呼び戻していただきたい」
騎士団長の悲痛な叫びが、レオンハルトの思考を現実に引き戻した。
王都の防衛網は今、大きな穴が開いている。
もしこの隙を突いて強力な魔物の群れが襲ってくれば、国が滅びかねない。
レオンハルトは奥歯を強く噛みしめ、拳をテーブルに叩きつけた。
「分かった。すぐに探索隊を出せ。あの女が向かったと言っていた北の辺境……シルバ村だ。そこへ急使を飛ばし、何としてでも連れ戻せ」
マリアベルがレオンハルトの袖を強く引く。
「殿下、お待ちください。私でも必ず強いポーションを作ってみせます。もう少しだけ時間を」
「黙れ。お前はもう下がらなくていい」
レオンハルトは冷たく言い放ち、彼女の手を払いのけた。
彼にとって、錬金術師など国のための便利な道具にすぎない。
役に立たないのであれば、切り捨てるだけだ。
今はただ、ルリアの作るあの不格好なポーションが喉から手が出るほど欲しかった。
「私が自ら赴く。第一騎士団の動ける者を集めろ。あの生意気な女に、王国の偉大さを思い出させてやる」
レオンハルトの瞳には、焦燥と歪んだ自尊心が暗く渦巻いていた。
彼がどれほど急いで辺境へ向かおうとも、ルリアの心はすでに王都から遠く離れていることに、彼はまだ気づいていなかった。




