第7話「豊穣の風」
東の稜線から顔を出した太陽が、薄桃色の光でシルバ村の畑を照らし出していた。
乾いてひび割れていた赤茶色の土は、今はしっとりと水分を含み、黒々とした肥沃な土壌へと姿を変えている。
前日の夕方、ルリアが自動攪拌の釜から取り出した灰色の粉末を撒いた場所だ。
ルリアは小屋の窓を押し開け、眼下に広がるその光景に目を細めた。
土の湿った匂いと、朝の清冽な空気が入り混じって鼻腔をくすぐる。
「ルリア。これは一体、どういう魔法だ」
背後から低い声が降ってきた。
振り返ると、ジルが窓枠に手をつき、畑を見下ろしている。
彼の金色の瞳が捉えているのは、黒い土を割って一斉に芽吹き、すでに大人の膝の高さまで伸びた無数の緑の葉だった。
「魔法じゃありません。錬金術で作った特製の肥料です。土の中の養分を活性化させて、植物の成長速度を少しだけ早めているんです」
ルリアが事もなげに答えると、ジルは深い溜め息を吐いた。
「一晩で作物が育つことを、少しだけとは言わない」
二人が外へ出ると、すでに村人たちが畑の周りに集まっていた。
誰もが目を丸くし、声も出せずに豊かに茂る葉を指差している。
村長のガランがルリアの姿を認めるなり、弾かれたように駆け寄ってきた。
「ルリア先生。あの粉を撒いただけで、麦がこんなにも青々と……。わしは長いこと土を触ってきたが、こんな奇跡は初めてだ」
ガランの太い手は小刻みに震え、皺の深い目元にはうっすらと涙が浮かんでいる。
ルリアは村長の手をそっと握り返した。
ごつごつとした硬い掌から、長年の厳しい労働の痕跡が伝わってくる。
「奇跡ではありません。村の皆さんが毎日丁寧に土を耕してきたから、肥料がよく馴染んだんです」
ルリアの言葉に、周囲の村人たちからどっと歓声が上がった。
男たちは互いの肩を叩き合い、女たちはエプロンの裾で涙を拭っている。
「よし、この勢いで村の北側も開墾しよう。森の境目にある岩場を砕けば、もっと畑を広げられるぞ」
ガランの号令で、若者たちがクワやスキを手に走り出す。
ルリアも手伝おうと一歩踏み出した背中を、ジルが無言で掴んで引き留めた。
「お前はここにいろ。か細い腕で岩を叩いてもクワが折れるだけだ。俺が行く」
ジルはルリアの頭にポンと手を置くと、長い脚で広場を横切り、村の北側へと向かった。
ルリアはその背中を見送りながら、彼が何をするつもりなのか首を傾げる。
北の岩場には、大人が数人がかりでも動かせないような巨大な岩がいくつも転がっているはずだ。
数分後、村の北側から地鳴りのような重い衝撃音が連続して響き渡った。
驚いたルリアと村人たちが駆けつけると、そこには信じがたい光景が広がっていた。
ジルが素手で巨大な岩の表面を殴りつけている。
彼の拳が触れた瞬間、硬い花崗岩が蜘蛛の巣状にひび割れ、次の瞬間に粉々に砕け散った。
舞い上がる石の粉塵の中で、ジルは涼しい顔をして次の岩へと向かい、片手で軽々と持ち上げては森の奥へと放り投げている。
岩が木々にぶつかり、太い幹がへし折れる凄まじい音が響く。
「……あの兄ちゃん、一体何者なんだ」
クワを握りしめた若者の一人が、ぽつりと呟いた。
ルリアは苦笑いを浮かべるしかない。
古竜の化身であるジルの身体能力は、人間の常識をはるかに超えている。
彼がわずか数十分で岩場を平坦な土地に変えてしまったおかげで、村の開墾作業は数年分も前倒しで終わってしまった。
「よし、これで肥料を撒く場所が増えましたね。さっそく釜を動かしてきます」
ルリアは弾むような足取りで小屋へ戻る。
誰かのために錬金術を使い、その結果が目の前で笑顔に変わっていく。
王城では決して得られなかった充足感が、ルリアの胸の奥底を温かく満たしていた。




