第10話「手のひら返し」
ルリアの姿を認めた瞬間、レオンハルトの顔に安堵の色が広がった。
彼はジルの横をすり抜け、ルリアの元へと歩み寄る。
「ルリア。探したぞ。こんな辺境の薄汚い村に隠れているとはな」
レオンハルトは尊大な態度を崩さず、ルリアを見下ろした。
1ヶ月前、王城の謁見の間にいた時と全く変わらない傲慢な目つきだ。
ルリアは表情を変えず、ただ静かに彼の言葉を待った。
「お前が宮廷からいなくなって、少しばかり困ったことになっていてな。マリアベルの作るポーションでは、前線の騎士たちの傷が治りきらんのだ。仕方がないから、お前を宮廷錬金術師に復帰させてやる。今すぐ荷物をまとめて、私と共に王都へ戻る準備をしろ」
レオンハルトは、ルリアが喜んでその提案に飛びついてくると信じて疑っていない様子だった。
ルリアがどれほど王都での生活を望んでいたか、彼なりに都合よく解釈しているのだ。
しかし、ルリアの口から出た言葉は、彼の期待を完全に打ち砕くものだった。
「お断りします」
短く、迷いのない拒絶。
レオンハルトは一瞬、自分の耳を疑ったように目を瞬かせた。
「……なんだと。お前、自分が何を言っているのか分かっているのか。これは第一王子である私からの命令だぞ」
「私はすでに、宮廷を追放された身です。あなたの命令を聞く義理はありません」
ルリアの声は静かで、感情の波一つ立っていなかった。
『今さら何を言っているんだろう。私を追放したのは、他でもない彼自身なのに』
ルリアの冷静な態度に、レオンハルトの顔が怒りで赤く染まる。
「いい加減にしろ。お前が作ったあの泥水のようなポーションがなければ、騎士団が壊滅するのだ。国家の危機だというのに、個人の感情を優先するなど許されると思っているのか」
「見た目も匂いも最悪で、拷問のようだと言っていたのはあなたたちです。それに、私にはもうこの村での生活があります。村の人たちを置いて王都へ戻る気は、一切ありません」
ルリアがきっぱりと言い切ると、村人たちから安堵の吐息が漏れた。
レオンハルトはギリッと奥歯を鳴らし、腰の剣に手をかけた。
「……あくまでも逆らうというなら、実力行使に出るまでだ。騎士たちよ、この女を捕らえろ。馬に縛り付けてでも連れ帰る」
レオンハルトの命令に従い、黒甲冑の騎士たちが一斉に剣を抜き、ルリアに向かって包囲の輪を狭め始めた。
鋭い刃が西日に反射し、冷たい光を放つ。
村人たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、ルリアは一歩も引かずに騎士たちを見据えていた。
彼女の指先には、いつでも錬金術を発動できるように魔力が集められている。
しかし、彼女が術を展開するよりも早く、重い空気を引き裂くような獣の咆哮が広場に響き渡った。
「俺の女に、その薄汚い鉄くずを向けるな」
ルリアの前に進み出たジルの全身から、黒い靄のような濃密な魔力が噴き出した。
彼の金色の瞳が、獲物を狩る竜の目へと変貌する。
その瞬間、騎士たちが乗っていた軍馬がパニックを起こし、暴れ始めた。
訓練されたはずの馬たちが、悲鳴のような嘶きを上げて騎手を振り落とし、一目散に広場から逃げ出していく。
重い甲冑を着た騎士たちは次々と地面に叩きつけられ、身動きが取れなくなった。
レオンハルトもまた、ジルの放つ圧倒的なプレッシャーに膝を折り、土の上に手をついていた。
「な、なんだ、貴様は……ただの人間ではないな……」
レオンハルトは顔を青ざめさせ、ガチガチと歯を鳴らしながらジルを見上げる。
ジルは冷酷な眼差しでレオンハルトを見下ろし、低く響く声で宣告した。
「失せろ。ここはルリアの居場所だ。次に足を踏み入れたら、その首をへし折る」
ジルの言葉は、逆らうことを許さない絶対的な力を持っていた。
レオンハルトは恐怖に顔を歪ませ、這いつくばるようにして広場から逃げ出していく。
落馬した騎士たちも、武器を投げ捨てて彼の後を追うように村から走り去っていった。
あっという間に静けさを取り戻した広場で、ルリアは小さく息を吐き出した。
ジルの背中を見つめ、彼女の顔に自然と柔らかい笑みが浮かぶ。
もう、誰もルリアの自由を脅かすことはできない。
彼女の居場所は、間違いなくここにあるのだ。




