09:モーゼ
陽が落ち、本日の業務を終了した。
仕事を片付けて終わるのではなく、時間で終わると言うのは屈辱この上ないが、問題点は深く広く、改善に時間を要するものばかり。一朝一夕で終わる量ではない。順序良く計画的に進めることの方が大切だろう。
異世界人の俺には当然、帰る家なんて無い。一応、魔王城が勤務先でもあり家でもあるようだが、そう言われてもな……
洒落の意味では城暮らしに憧れはしたが、実際にそうなるとやはり一般市民で広すぎて逆に落ち着かない。
それに同じく魔王城に暮らしているのは、魔王ジークリンデとその従者の執事だったりメイドだったり……
「そうだ、メイドだ!」
「メイドがどうかしたか?」
「本職のリアルメイドですよね」
「りあると言う名のメイドはいないぞ」
「すみません興奮しました。メイド喫茶なんて久しく行ってませんので」
専門学校時代、友人に誘われてイヤイヤ行ったメイド喫茶。まさか乗り気な友人より、しぶしぶ付き合った俺がどっぷり嵌るなんて思ってもいなかった。
専門学校を卒業し、勤務先が遠くなったことで徐々に疎遠に。『かおり』ちゃん元気かな、いや流石にもう居ないか。今となってはオムライスにハートを書いて貰ったのも良い思い出だ。
昨日ジークリンデに案内された部屋へ、今日はメイドさんが連れて行ってくれた。俺は方向音痴ではないはずだが、どうにもこの城の廊下は分かりにくくて迷うのだ。
ぶっちゃけ夜に一人でトイレに行けやしない。
楽な服に着替え再び案内されながら食堂へ向かう。
広っ!
案内された食堂には、片面二〇人は座れるだろう大きなテーブルが置かれていた。そしてこれだけ大きなテーブルの端っこ二席にだけ、カトラリーの準備がされている。
なんと無駄なことか。部屋を照らすランプの燃料代、冬になれば暖炉の薪も多分に必要となるだろう。
二日目の感想としては不適切だが、昨日は部屋で食事を取ったのでここを利用するのは、今日が初めてなのでご容赦願いたい。
「すまない待たせたか」
ほぼすれ違いでジークリンデが入ってきた。
服装は変わらず民族衣装だと聞いたマーメイドドレスだが、公の昼と私の夜とではやはり細かな、いや大きく装いが違っていた。
昼のに比べ明るい生地で、胸元を飾る宝石も職務に支障が無い落ち着いたものに比べれば少し派手さが増した。そして北緯だって変わっていない。様々な地球を神の視点から見てきた俺が間違う訳がない。
変化が無いって?
実は……、海が割れているんだ。数本の橋によって左右が繋ぎ合わされているが、中央部は丸見えで、もはやその引力は凶悪の一言。イベント地平線を越えたら最後、光は二度と戻らない。
「いいえ俺もいま来たところです」
引力に抗いに贖い視線は顔に固定、平静を装いつつ何とか返す。
言っておいてなんだが、甘酸っぱい。まるでデートの待ち合わせのような言葉を交わしてしまったな。
ジークリンデが俺の彼女……
いい、アガるぞ。
彼女は活発そうだからデートの場所はスポッ○ャなんてどうだろう。定番のボーリングは、……うん駄目だな。後ろからじゃあ翼しか見えん。むしろ俺はピンになりたい気分だ。投げる瞬間の前傾姿勢はきっと絶景に違いない。
だがエアポリンとロデオは絶対にやる。きっとすごいことになるだろう。エアポリンは一緒に揺れ、ロデオは一観客として応援したい。
「どうしたジロー」
「失礼、少々見惚れていました」
「っ!? お、お世辞は止めてくれ」
こういうことに慣れていないのか。ジークリンデはたちまち赤面してしまった。そして俺の視線を避けるように身を捩る。左手は頬に右手は左手の二の腕に。
ああっそんな位置に腕を持っていったら……、大地が歪み大きく形を変えた。
地殻変動だ!
い、いまのは危なかった。
視線制御は散々繰り返してきたから問題なかったが手は違う。普段意識していない分、無意識で、俺の両手が『隕石落とし』するところだった。
ふぅ引力が強すぎるのも考え物だな。
おっと危ない。
ここに来る途中の廊下でメイドから、『ジークリンデ様を席までエスコートしてください』と言われていたのだ。
すっかり忘れていたが、ジークリンデの後ろに控えていた別のメイドが身振り手振りを駆使して教えてくれた。
ところで親指で首をかっ切るポーズ、いま必要だった? あと顔が怖いです。顎を斜め上に上げてガン飛ばすのやめて。
塩対応なんてもはや生ぬるい、メイドの殺気に満ちた表情。
そっか~メイド喫茶のメイドさんはアルバイトだから、お客様を『萌え』で守ってくれたんだな。しかし本職のメイドさんは城の、いやジークリンデの『守護者』だ。役目を果たさない俺なんて他人、いやゴミ以下かも。
エスコートのやり方は先ほど習っている。右腕を軽く持ち上げジークリンデの前に見せる。あとは心得たもので、ジークリンデはその腕に自らの手を添えてくれた。
あれ?
なんで俺はジークリンデの後ろにいるはずのメイドさんの姿が見えていたんだ?
本来なら彼女の翼が邪魔をして……
「あーっ! 翼が無いぞ!? どうした、落としたのか?」
……静まり返る食堂。
メイドさんの指が再び首筋に添えられる×3。これはジークリンデの視界に入らないメイドの数と同数である。
……すみません、テイク2お願いします。
何ごとも無かったかのように歩を進めてジークリンデを席まで誘導。椅子を引き着席を促す。
「ありがとうジロー」
笑みを浮かべつつジークリンデが席に座った。
テイク2は無事終了。
……本職のメイドさん、マジ怖かったです。
最初の品はスープだ。キャベツか白菜か、薄緑の葉野菜だけが入った簡素なスープ。
そして二人の中央には黒パンが入った籠が置かれている。ご自由にどうぞと言うことだろう。
パンに手を伸ばし一つ取ると、ジークリンデの後ろに控えるメイドさんが両手を顔の位置に上げた。右手は指を四本立て、左手の指は一本立っている。
一体なんの合図だろう……
食事が始まるとジークリンデは先ほど中断した話をしてくれた。
なんと天魔族の翼は出し入れできるそうだ。正装的な意味合いがあるので職務中に仕舞うことは無いそうだが、家に帰ってまで出しっぱなしにはしないらしい。
ネクタイみたいなものかな?
「気づいていないようだが、ここのメイドたちは全員天魔族だぞ」
「えーと職務中に翼は仕舞わないのでは?」
俺たちはオフだが、メイド中の彼女たちは違うよね。
「確かにメイドたちは職務中だが、彼女たちが翼を出しているとわたしが落ち着かん」
その言葉に、背後のメイドの視線がさらに鋭さを増した。
なるほど。翼を仕舞うのは魔王終了のサイン。それを俺のデリカシーのない発言で邪魔されるのが、彼女たちは我慢ならないわけだ。
翼と一緒に、その殺気もどこかへ仕舞ってくれませんかね……?
「つまり天魔族にとって翼が出ていない方が自然体と言うことでしょうか?」
「そんなこと考えたことも無かったぞ。ジローは面白い着眼点を持っているな。
お前たちはどう思う?」
メイドたちが顔を見合わせるが、共に首を傾げているから今まで誰も気にしなかったのは明白だな。
どっちが楽なんてことは実は無く、きっと慣習になっているのだと想像した。
そう結論づけて俺はスープを口にした。
うん?
野菜の甘味が感じられる優しいスープと言えば聞こえが良いだろうか。否定的に言うならば最低限の塩味が施された薄いスープである。
パンを食べ終え二つ目を手にする。
後ろのメイドさんの左手の指が二本に変わった。
もしや2/4でしょうか……?
食事が終わった。
食事は結局、野菜が一種類だけ入ったスープと四つまで食べ放題な黒パンだけだった。ちなみに三つ目に手を伸ばそうとしたところでメイドさんの目が血走った気がしたのでやめた。
魔王の食事でこの様子か……
魔王国の食糧事情は予想以上に逼迫しているようだな。




