閑話 マグナス・アシュリー
よろしくお願いします
かつてアクアホルンという世界に降り立った二人の原初の女神がいた。二人の女神は混沌とした世界に理を与え、そして神と人を生み出した
順調に思えた創生は片割れの女神の一言で終わりを告げる
世界を作り直すと宣言した女神と、それに反対した女神。互いに譲らない主張の末、二人は争うこととなった
熾烈を極めた戦いに大地は疲弊する。それを見た女神は手を緩めるが、世界を作り直したい女神は手を緩める事はなかった。その結果、世界を作り直す事に反対した女神は敗れ、不死の世界へと追いやられてしまう
結果、女神は裏切りの神マグナスと呼ばれ、もう片方の女神は創生の女神アカリウムと呼ばれるようになった
マグナスはそんな汚名を着せられつつも、いつかまたアカリウムと共に世界を見守る日を夢見て不死の世界で傷を癒していた
だが、再びアカリウムと対峙した時、その夢は無残にも崩れ去った。アカリウムの意思はあの時から変わっていなかったのだ。それどころか、英雄と呼ばれる者達を引き連れ自分と戦う意思を見せたのだ
再び、不死の世界へと戻ったマグナスは、もはや夢は叶わないと悲観に暮れる
そんな時に思いもよらない訪問者が現れる
アカリウムとの戦いに敗れたマグナスは自分の殻に閉じ篭るように、自室に引き篭もっていた。誰も入る事は許さず、必要であれば自分から呼ぶだけの生活はその訪問者により一方的に終わりを告げさせられた
訪問者の姿にも驚いた。自分を慕うデーモンでもない、メイド達でもない。ただの犬だったのだ。それ以上に驚いたのがその体質だ。魔素を一切持たない存在だったのだ
アクアホルンに存在する全てのものは、この魔素の恩恵を少なからず受けている
魔素の大小こそはあれど、魔素がないと言う事はあり得ない
その犬はカールと名乗り、自身の生い立ちを語った
その生い立ち、体質を知ったマグナスは心の中で歓喜に酔いしれた。この犬とならばアカリウムをどうにかできるかもしれない。もう一度考えを変えさせ、アカリウムを振り向かせられるのではと考えた
その考えは的中した。だが、それと同時にアカリウムの覚悟を思い知らされたのだ
アカリウムの暴走を止められなかったマグナスが見たのは、アカリウムとカールが対峙する姿だった。その時にマグナスは思い知らされる。自分だけが何も決断していないのだと。覚悟をしていないのだと……
アカリウムは世界を作り直す覚悟をした。その為ならばなんでもする。それだけの覚悟を持っていたのだ。そしてカールもまた同様だった。大切な誰かを守る為に最後までアカリウムに抵抗する。その覚悟が見て取れた
ならば自分は? かつて、アカリウムと二人きりで世界を作り、穏やかだったあの日々を懐かしみ、縋り付いているだけだった。自分だけが前に進めていないという事を思い知らされた
世界を守るという事がしたかったわけじゃない。アカリウムと一緒に居たかった。だが、アカリウムの考えは間違っている。それだけは確かな自分の意思だった。ならば覚悟を持って自分もアカリウムを止めよう。このカールという男と共に
「お前には俺の本当の名前を知っておいてもらおうかな」
唐突な提案にマグナスは事態が飲み込めずにいた
アカリウムと俺達、どちらの覚悟が強いかを確かめる為の重要な局面で、この男は何を言っているのだろうか
もちろん言っている事自体はわかっていた。マグナスにも名前はある。誰も知らない自分の名前が。それはアカリウムも同じだ
マグナスとアカリウムという名は自分達を崇拝する人間や神達が勝手につけたものだ
だが、本当の名は自分だけが知っているだけで、アカリウムさえも知らない。もちろんアカリウムの本当の名前も俺は知らない。それは当たり前の事で、本当の名を伝える事は普通はしない
自分の本当の名を伝えるという事は、自分の存在を伝えるという事だ。存在を相手に委ね、意義を持たせ、意味を持つ。それがどれだけ重要な事かをこの男は理解しているのだろうか?
「祐一って言うんだ」
男はまるでそれが当然とも言えるように、あまりにもあっけなく自分の真実の名を俺に告げる。その目は真実の名を告げる意味を全て理解した上での覚悟を表していた
この男は命を賭けた戦いの中で、俺を信頼するという証明を行動で示したのだ。自分の真の名を俺に教える事でその存在を俺に委ねた。それは何物にも変えられぬ絶対的な信頼という名の証だ
ならば俺もそれに応えるべきだ。出会ったばかりの俺を無条件で信頼し、その存在を委ねてくれた男に俺も全てを委ねよう
アシュリー。誰も知らない俺だけが知る俺だけの名前。その名を俺はユーイチに告げる。その瞬間、俺の存在意義、存在理由、存在価値はユーイチと一つになった
アカリウムとの戦いの後、目を醒ますとそこは見知らぬ土地だった。見た事もない景色、聞いた事もない単語がユーイチから教えられ、俺は混乱する。かつて自分の居たアクアホルンではない場所に放り出された俺は最初こそ混乱したが次第に慣れた
場所が問題ではないのだ。ユーイチと共にある限り、俺は俺でいられる
気がつけば俺とユーイチは、とある女の家で世話になる事になった。女は愛理というらしい。見た事もない家や物を見た俺は圧倒されつつも、自分の知らない世界に感動すら覚えた
そんなある日、愛理がとある組織に属し戦っている者だという事が判明した。ユーイチは何やら悩んでいるようだったが、正直、俺にはよく分からない
ユーイチは愛理に手を貸すかどうかを真剣に悩んでいるようだった。なんでも愛理は悪者かもしれないと……それに手を貸すのは間違っているのではないかと悩んでいた
愛理が悪者なのではないかという理由が俺にはよく分からなかった。どちらかと言うと、どっちでも良いというほうが正しい。俺にとって重要なのはユーイチがどうするかだけで、俺はそれに手を貸すだけだ
ユーイチは悩んだ挙句、愛理に手を貸す事を選んだ
目の前で戦う愛理と黄色い服を着た女との勝負に割って入る事を決断したのだ。正直、この世界に来てから日も浅いので、どこまで力を使えるか心配ではあったが……
その心配は的中してしまった。ユーイチが相手の攻撃を受けて負傷してしまったのだ
悲鳴にも似たユーイチの叫びを聞いた時、俺の中に感じた事のない黒い感情が沸き起こった
ユーイチは俺の存在価値であり、存在意義だ。そのユーイチを傷つけるという事は俺の存在を否定する事と同義なのだ
そんな存在は誰であろうと消し去ってやる——
そう思いユーイチの傍に近づくと、あまりにも拍子抜けの状況に肩透かしを喰らった気持ちになった
体を伏せこちらを見上げるユーイチの鼻先から一筋の血が流れている。猫に鼻先を引っかかれたのだ。傷口を塞ぐように必死に前足で鼻先を抑えようとしているが、短い手足のせいでジタバタしているだけのユーイチを見て吹き出しそうになってしまった
かつて世界を創造するほどの力を持ったアカリウムや俺と対等に渡り合った男は、こんな些細な事でも大騒ぎする。この落差はなんなのだろうか
そうこうしているうちに、気がつけば敵はその場を去って行ってしまった。残された愛理を隠し、この後の事についてユーイチと話し合う
だが、俺の答えは最初から出ている。例え何があろうとも、この先に待ち受ける結末が如何なるものだろうとも、俺はユーイチと共にあり続けるだけだ




