5話
よろしくお願いします
けたたましく鳴り響くモーター音はその音を更に大きくしていく。俺はポッドの中でどうすることもできずに立ち尽くしていた
ふと手前にあるガラス窓を見ると、そこには愛理の姿があった
(おお!! 愛理! ここから出してくれよ!)
俺は可愛らしい飼い主に縋り付くようにポッドの壁に手をかける。だが、モーター音は止むことはなく、その音を大きくする一方だった
先の見えない状況に不安は募る一方だった。見えない煙がもやもやと胸を覆い尽くす。そんな恐ろしさを止めることができずに、俺は不安からその場をうろつくように徘徊する
(ちくしょう。なんなんだよ!)
苛立ちから俺はポッドのガラスに体当たりをする。だが、ガラスは恐ろしく硬く、ひび一つ入ることはない
所詮、犬の力ではどうすることもできない。いや、例え人間の姿だったとしてもどうすることもできないだろう。こんな時に力があれば……
だが、そう悔やんでも仕方がないことだった
(ここまでか……)
恐怖が心のメーターを振り切る。もうどうしようもないことはわかりきっているのだ。すると今度は諦めにも似た感覚が生まれる
(なんか、今回はあっという間だったな。ここで死んだらまた別の世界に転生とかされないかしら?)
なんだかんだ言いつつも死ぬのは怖い。もうひと思いにすぱっとやってくれ
止まることのないモーター音が耳を突き抜ける。だが、一向に変わらない現状が余計に恐怖を駆り立てる
「何をしてるんだ?」
不意にかけられた声に俺は顔を上げる。そこにはポッドのガラス越しに俺を見るアシュリーがいた
(アシュリー!!!)
「なんだこれ? ここには不思議なものがいっぱいあるな。なあ、これは何の為の道具なんだ? あ、そういえば、あっちで面白いものを見つけんだよ。変な箱にひとが閉じ込められてるみたいだった。あれって誰かに封印でもされてるのかな?」
現状とは似つかないほど、あっけらかんとした態度に俺は唖然とアシュリーを見る
(いやいや! 助けてくれよ!)
「助ける? なんだ、何かされてるのか?」
(見りゃわかるだろ!!)
アシュリーは顎に手を当てると、じっと俺を見つめる
「見てもわからんぞ?」
(だぁ! いいから、ここから出してくれ!)
「なんだ? 入っておいて出方がわからなくなったのか? おっちょこちょいだな」
なんだろう。俺が必死になってるのが馬鹿らしくなるほど、アシュリーはマイペースだった
「しょうがないな。これどうやって開けるんだ?」
そう言われると俺もわからない。どこかにボタンがあるのだろうが……恐らく、あちらの部屋から操作しているのだろう。それを説明したところでアシュリーには通じないかもしれない
(割ってでもいいから! 頼む!)
そう言いつつ、アシュリーに壊せるのだろうかと疑問になるが、それどころではない
「うん? 壊していいのか?」
(いい! いい! 頼む! 早くしてくれ!)
「はいはい、まったく……」
呆れるような口調でアシュリーがポッドへと手を伸ばす
(なんとかなりそう?)
頼んだものの、本当にアシュリーに壊せるのだろうか?
「ん、なんか、結構な量の魔素っぽいのが、その中に溢れてるから、それを使えばいけるんじゃないか?」
——ッビシィ!!
鈍い音とともにポッドのガラスに一筋の亀裂が入る
「お、いけるな」
アシュリーはそう言うと、気持ち体に力を入れる仕草をした。次の瞬間、バリンという音と共にポッドのガラスが粉々に砕け散る。それはまるで宝石をちりばめたような光景だった
「ほれ、開けてやったぞ」
(アシュリー!!! 大好き!!!)
ようやく解放された俺は、ドヤ顔で俺を見つめるアシュリーに飛びついた
ガラス越しに映る愛犬の姿を見て、愛理は胸が締め付けられるような思いだった。ポテトを拾ってまだ数日ほどではあったが、愛理は自分でも気づかないうちにポテトへの依存度が高まっていたのだ
念願の弟ができたような。まるで初めて付き合う恋人のような感覚でいた。その大切なものが目の前で自分の思いとは裏腹に好き勝手にされる
言いようのない不安、怒り、悲しみに愛理は心の中を掻き回されているようだった。その感情は愛理の瞳から涙を溢れさせる
「貴様!!!」
所長が怒りに身を任せ、白衣の男の胸ぐらを掴み、そして拳を打ち付けると、ガタンという大きな音を立てながら男は倒れこんだ
「所長!!」
数人の男が所長を止める
「そいつを独房に放り込んでおけ!!」
肩で息を切らしながら、所長が怒鳴る。数人の男に連れられて白衣の男は独房へと向かわせられる
「実験は成功だ! 後で泣きながら俺の元へと来るのが目に見えるぞ!」
男は暴れるように叫びながら部屋を連れ出された
「止められないのか!?」
「止めることはできますが……結果は今より最悪になるのだけは確かです」
所長が他の研究者達を問い詰めるが、全員が押し黙り顔を伏せた。その様子を見た愛理は顔を手の平で覆い、その場に崩れ落ちた
モーターの音が大きくなっていく。ポッドの中にはポテトと、もう一方のポッドにはコウモリが入っている。いずれもが外へと出たいのだろう。だが、それを透明な壁が阻んでいた
あの二匹は自分の命が尽きるということもわからず、もがいているのだ。そしてその時は来た。モーター音が最大音量になる中、ポッドの上につけられたチューブからニャーゴの霧が噴出される
コウモリは羽ばたく力を強め、必死に逃げ出そうとするが、もはや逃げ場はない。ニャーゴの霧に包まれたコウモリは次第に飛ぶ勢いを失い、そして冷たいポッドの地面に落ちる
最後の力を振り絞り這いずるコウモリはそれでも生を求めていた。だが、無情にもその命は尽きる。そして体から泡状のようなものが溢れ、その体は蒸発した
ニャーゴによる分解と結合。それが今まさに行われているのだ。ポッドの上についているチューブは先ほどまで噴出していたニャーゴの霧を止めると、今度はポッド内の空気を一気に吸い込み始める
もう一方のポテトと混ぜ合わせ、そして新たな生命を生み出すのだ
その様子を見ていた者は、次に愛理の飼い犬がそうなる未来を思い描き顔を伏せる
「愛理……」
その最悪の結末を見せないように。せめてもの情けとばかりに母は愛理の肩を抱き、ポテトの最期が見えない部屋の手前へと促した
一方の研究者と所長はその様子を片時として目を逸らさずに眺めている。人道に反したこの行為は決して褒められた行為ではない。だが、研究者としての性分なのだろう。この実験の結果はとても興味があるのも事実だった
コウモリの性質と、犬の性質を併せ持った生物の誕生をこの目で見るということはこの先一生ない
羽を持った犬が生まれるのか、それとも想像もしない生物が生まれるのか。その答えはもうじき出る
「おい、おかしくないか?」
一人の研究者がぼそりと呟く
「ああ、長いな」
それに別の研究者が答えた
「どういうことだ?」
研究者達の疑問の声に所長が尋ねる
「いえ、コウモリはすでに分解されているのですが……あちらには変化がありません」
すでにコウモリは分解され、その命は機材の中へと吸い込まれた。だが、ポテトには一向に変化が起きないのだ
「失敗したのか?」
「いえ、仮に失敗だったとしても、その……」
そう言うと研究者は愛理を見る
「なんだ」
その意味を察した所長は研究者に近づき小声で聞く
「ニャーゴの霧を被った以上は、正常でいられるのは無理です。溶けた上で融合が失敗します」
「たしかか?」
「はい、研究報告は全て読んでいます。被検体に変化が起きないということは有り得ません」
「どういうことだ?」
ありえない現実に研究者達は首を傾げる
「お母さん……大丈夫」
愛理は母の手をぎゅっと握り、涙を拭う
「愛理……」
「見届ける。大切な家族だもの」
泣いた所で結果は変わらない。ならばせめてその最期は見届けよう。例え目を逸らしたくなる光景だっとしても。それがせめてもの、ポテトへの償いになる——
愛理は決意の元、再び、ポテトがいる実験室へと目を向ける。ゆっくりと歩き出し、ポテトの最期を看取るのだ。だが、恐怖で足が震えてうまく歩けない。可愛らしかったポテトがどのようになってしまうのかを想像するだけで涙が溢れ出す
「お、おい、うそだろ……」
ガラス越しに実験室を見ていた研究者達の顔が見る見るうちに変わっていく。それほどまでにひどい状況なのだろうか・・
「まさか……おい! 止めろ!」
明らかに雰囲気がおかしい。恐怖よりも不安が勝った愛理はガラスへと駆け寄った
——ッビシ!
こちらにまで聞こえてくるかのようにポッドに一筋の亀裂が入る
「早く止めろ!! ニャーゴの霧が漏れ出すぞ!!」
研究者達は慌てて、ボタンを押し、装置を止めた
——ッバリン!
ポッドのガラスはその透明度を無くし、無数の亀裂が張り巡る。そして、粉々に砕け散った
その光景に誰もが驚愕し、声を発せずにいた
「ポテト!!!」
静寂を打ち破ったのは愛理だった。砕け散ったガラスの向こう側には何一つとして姿が変わっていないポテトが居たのだ
ポテトは飛ぶようにポッドを飛び出した。何やら地面の匂いを嗅いでいるようだったが、愛理はすぐに実験室へと行こうと、二つの部屋をつなぐ通路へと駆け出す
だが、その扉は堅く閉ざされていた
「お願い!! 開けてください!!」
ポテトが無事だった! 一秒でも早くポテトをその手に抱きしめたい、その一心で愛理は叫ぶ
「おい! 開けろ!!」
所長が怒鳴る
「は、はい!」
プシューと奥から空気が漏れるような音がする。実験室側の扉が開いたのだろう。そして次の瞬間、愛理の目の前の扉が開く
「ポテト!!!」
駆けだそうと足を出そうとした時、その愛くるしい顔が目の前に飛び込んだ。扉が開いたことでポテトはこちらまで来ていたのだ
「ポテト! ポテト!」
言葉にならず、愛理は愛犬の名前を何度も口にする。そして手を広げ愛犬の無事を確認する為にぎゅっと力強く抱いた
「あぁ……よかった……」
その感触は以前と変わらず、暖かく柔らかい。その温もりが大切な人がいなくなることの恐怖を思い出させる。そして、大切な人が戻ってきてくれた幸せを愛理はその全身で感じていた




