王妃陛下の驚愕。
※ローゼマリーのお母様の視点となります。
夫から呼び出され、すぐに向かわなかった事にさしたる理由はない。
お茶会の招待客名簿や席順の確認、招待状のデザインの監修など、日々の業務はもちろんある。再来月には隣国の親善大使が訪問予定である為、そちらの準備でも忙しい。
けれど、どれも急ぎと呼ぶほど余裕がない状態ではない。近日中に終わらせるべき仕事とはいえ、一分一秒を争うものではなかった。
それでも、夫の召喚を後回しにしたのは単に億劫だったから。
夫の事が嫌いな訳ではない。ただ、一緒にいて楽しいと思えないのも事実。常に無表情で、会話も弾まない夫との時間など、必要最低限でいい。
だから、言伝に添えられた『手が空いたら』という建前を、わざと額面通りに受け取った。
いつでもいいなら、今でなくていい。
ただ、流石に日付を跨ぐ訳にもいかない。
辺りが暗くなり始めてから、漸く私は重い腰を上げた。
「失礼致します。お呼びと聞きましたが、何の……」
憂鬱な気分で訪れた夫の執務室には先客がいた。
「あら、ヨハンもいたの?」
「ええ、僕も呼ばれまして……」
先客である下の息子の言葉が、途中で切れる。
彼は短く息を呑み、不自然に笑みを浮かべた。まるで何かを取り繕うかのような笑顔に、不信感を抱く。
ヨハンは一見、人当たりが良いが、実際は合理主義者だ。
無意味に愛嬌を振りまくような子ではない。何かしらの利益を得るか、損害を回避出来るかでもなければ、笑顔の安売りはしないはず。
怪しむ私をよそに、ヨハンは席を立つ。
「では、父上。用が済みましたので、僕は失礼しますね」
「お待ちなさい」
そそくさと逃げ出そうとするヨハンを、私は止めた。
ビクリと跳ねた肩にそっと手を添え、押し戻す。隣に腰掛けるのに合わせて、再び彼も座らせた。
「せっかく訪ねてきたのだから、陛下とゆっくりお話ししなさいな」
「……いえ、お邪魔でしょうし」
「私の事なら気にしないで。話が終われば、すぐに辞去するわ」
ヨハンの企みが何なのかは分からないが、彼が留まる方が私にとって都合がいい。夫と二人きりの時間は、少なければ少ないほど、私の精神的負荷が減る。
「それで、陛下。私にどのようなご用です?」
嫌な事は済ませてしまおうと、早速、話を切り出した。
久しぶりに正面から見た夫の顔は、相変わらず整っている。
年を重ねても全く衰えを見せない美貌に感心はするけれど、娘時代のように胸が高鳴ることはなかった。
顔が綺麗だから何だというのか。
そんな事よりも人柄の方が余程重要だと、若い頃の自分に教えてやりたい。もっとも、視野の狭い十代の小娘に、そんな忠告をしても聞きやしなかっただろうけれど。
その点、ローゼは私の娘とは思えない程、男性を見る目がある。
あの子が一途に想いを寄せていた相手は、容姿だけでなく、人間性も優れている。誠実で人望もあり、あの子のことも、とても大切にしてくれているらしい。
妊娠が判明してからは、より過保護になったと手紙にあった。
困ったような、嬉しいようなローゼの気持ちが文面からも伝わってきた。自分に厳しいあの子のことだ。きっと甘やかされ過ぎて駄目になるなどと、いらぬ心配をしているのだろう。
母親としては、寧ろ、そのくらいの方が安心する。
身重の娘の傍に、頼りになる婿がいてくれて良かったと心から思う。
そろそろ出産も近い。来週あたりだろうか。
一日も早く孫に会いたいけれど、それ以上に、娘の体の方が気掛かりだ。母子共に健康でいてくれれば、他に何も望まない。
「孫が生まれたそうだ」
「……? どなたのです?」
物思いに耽りかけていた私は、夫の言葉に意識を引き戻される。
説明の足りない言葉に首を傾げると、何故か、隣のヨハンが慌てて言葉を挟もうとした。
「ち、父上」
「私達の孫に決まっているだろう。他に誰がいる」
「……は?」
夫はこともなげに、サラリと告げる。
唖然とする私の視界の端で、ヨハンが頭を抱えた。
相変わらず、何を考えているのか分からない無表情の夫と、嵐が過ぎるのを待つ人のように小さくなっている息子を順番に見る。
それから夫の言葉を頭の中で繰り返していると、少しずつ、水が染み込むように意味を理解し始めた。
私達の孫が産まれた。つまり、愛娘のローゼが出産したということ。
驚きと喜びがこみ上げてくるのに、とある疑問がそれらに待ったをかける。
どうして私は、全て終わってから、娘の出産の報告を聞いているの?
「は、母上。気持ちは分かります。ええ。凄く、とても、痛いくらいに。ですが、どうか落ち着いてください。ね?」
今の自分は、よほど恐ろしい顔をしているらしい。
蒼褪めたヨハンは両手をつき出し、暴れ馬でも宥めるみたいな動作をした。
「大丈夫よ。落ち着いているわ」
「それは良かった」
「ところでヨハン。当たるとそれなりに痛いけれど、命を落とすほどではない物に心当たりはある? あまり大きくないと尚良いわ」
「……何かの謎掛けですか?」
「いいえ。貴方のお父様にぶつけようかと思って」
「お願いですから落ち着いてください」
純然たる暴力に訴えようとした私を、ヨハンは疲れた顔で止めた。
それから彼は、私とヨハンが同じ理由で呼び出され、同じ罠に嵌ったことを教えてくれた。悔しい気持ちは分かるけれど、自分達にも落ち度があると息子に説得されては、拳を下ろさざるを得ない。
私達がそんな遣り取りをしている間も、夫は気にする素振りを見せない。平時と変わらぬ涼しい……、いや、迷惑そうな顔でこちらを観察している。
この男には人の心とかないのだろうか。
「なんとか、合法的に殴る方法ってないのかしら……」
「物騒な独り言はお止め下さい。ですが万が一、その方法が判明した場合は、僕にもご一報くださいね」
「ええ、もちろんよ」
私達が真顔で頷き合うと、夫は呆れ顔で息を零す。
溜息を吐きたいのはこちらの方だ。




