第二王子の衝撃。(2)
※引き続き、ヨハン視点となります。
僕が睨み付けても、父上は欠片も気にする素振りを見せない。
それどころか、こちらを嘲笑うような、ふてぶてしい顔をしている。
こみ上げて来る怒りを、深く吐いた息と共に逃がす。
怒るな。取り乱すな。そんな事をすれば逆に思う壺だ。
そう己に言い聞かせながらも、頭の中では父上をボコボコにしている。無駄に整った顔に拳がめり込む想像をすると、少しだけ怒りが収まった。
そこで漸く自分が立ち上がったままだった事に気付き、再びソファに腰掛ける。
「当然だが、暫くはプレリエ公爵家への訪問を禁ずる」
「…………はい」
不本意ながらも了承する。
今すぐにでも駆け付けたい気持ちは山々だが、あちらの邪魔になるだろう事も理解しているから。
出産という大仕事を終えたばかりの姉様に、無理はさせられない。
医学書によると、出産から一か月くらいを産褥期と呼ぶらしい。体が元に戻るための大事な期間らしいので、極力、安静に過ごす事が推奨されている。
身体的なことはもちろんだが、精神的にもストレスの少ない環境が好ましい。つまり、来客など以ての外。
そして、哀しい事に僕等は王族だ。
家族として気軽に訪問したくとも、体面と警備上の問題がそれを許さない。仮にプレリエ領で怪我でもしようものなら、姉様に迷惑がかかる。
姉様と甥っ子の平穏を願うのなら、そっとしておいてあげることが正解。
とても辛いけれど、少しの間は我慢だ。
一年くらい経てば、あちらも落ち着くはず…………。えっ、一年? 一年も姉様に会えないの? えっ、甥っ子にも?
自分で計算したはずなのに、突き付けられた数字に愕然とする。
一年って何日だっけ? さんびゃくろくじゅうごにち?
嘘だろ、五十日くらいじゃなかった? いや、むり。無理だから。三百六十五日も姉様に会えないとか無理―!!
頭では冷静に判断を下していても、心が嫌だと反論する。僕の中の三歳児が、びたんと床に転がって、駄々を捏ね始めた。
ヨハン少年が泣きべそをかきながら、「イ゛ィーーーー!!」と高音を発している。僕も泣きたい。
「それにしても、男か」
絶望する僕には構わず、父上は独り言を零す。
ふむ、と首を傾げる仕草はどこか楽しそうで、苛立ちが募る。目の前に悲愴な面持ちで項垂れている息子がいるというのに、見えていないのだろうか。
「衣類も家具も足りていると言っていたな。しかし、祝いの品は贈るべきだろう」
うん、見えていないらしい。
もしくは息子の嘆きなど、娘と孫への贈答品の選別に比べたら、取るに足らないことなのだろう。何だコイツ。
「男児の欲しいもの……」
薄青の瞳が、そこで漸くこちらを見る。
「お前はどう思う?」
「は?」
「お前の子供の頃の話だ」
三歳のヨハン少年なら、僕の中で泣き喚いているが。
床をゴロゴロ転がって埃に塗れながら、きったない顔で音波を発しているが?
「子供の頃に欲しかった物はなんだ? もしくは、貰って喜んだ物でもいい」
「ああ、そういう……」
他にどういう意味がある? という父上の視線を黙殺する。
「子供の頃に貰って嬉しかったもの、ですか……」
頭上に視線を逃がしながら、思い出す。
王族に生まれた為、物に困ったことは一度もない。何かを欲しいと願うほど、強い執着心もなく、与えられた物を惰性で使っていた記憶しかない。
……ああ、でも。
「本、ですね」
擦り切れるほど読んだ本があった。
幼い姉と弟が主人公の冒険譚。
特に物珍しい内容でもなく、希少な本でもなかったが大好きだった。寝る前に姉様に読んでもらうことが、僕にとって一番幸せな時間。
何にも代えがたい贅沢だった。
「なるほど、本か」
「あ。ですが、個人差はあると思います。読めるようになるのも、ずっと先でしょうし」
我に返った僕は、慌てて付け加える。
まさか父上が、僕の案を素直に採用するとは思ってもみなかった。
「だが、本ならローゼマリーも好きだろう。あって困るものではない」
「それは、そうですが」
姉様は読書家だ。
しかも、ご令嬢方に人気の恋物語だけでなく、歴史書や植物図鑑、他国の文化史など、分野は幅広い。喜んでくれる可能性は高いと思う。
「ちなみに、どのような本をお考えで?」
姉様が読み聞かせるにしても、贈る相手は甥っ子だ。
果たして父上は、児童書という概念を理解しているのだろうか。
一抹の不安を抱きながら訊ねると、父上は顎に手を当てて考える素振りを見せた。
「確か数年前に献上された本があったはずだ。共通語で書かれたものではないが、アレなら読めるだろう。挿絵もあるから、幼子でも楽しめるのではないか?」
「稀覯本を幼子に与えるのは止めてあげてください!!」
思わず大きめの声が出た。
姉様は王族の生まれとは思えないほど、慎ましい。
堅実な暮らしを好む姉様ならば、きっと喜ぶよりも先に恐縮するに違いない。我が子が汚したり、傷付けたりすることを想像して、胃を痛めると思う。
「姉様も困りますから」
「文字だけでなく、絵もネーベルの技法とは全く違う本だぞ。アレなら興味を持ちそうだが」
「…………」
それはそう。
姉様は控えめだが、知識欲は旺盛な方だ。
その稀覯本にも関心を寄せるだろうけれど、それはそれとして、困るのもおそらく事実。
「…………ひとまず、保留で」
長考した後、僕は声を絞り出した。
どちらにせよ、今の姉様には心穏やかに過ごすことを優先してほしい。本を受け取るか否かは、心身ともに健やかである時に判断すればいい。
「そうか」
不服そうな顔で、父上は頷いた。
何だ、コイツ。
不満なのは寧ろ僕の方だぞ。
再び心の中でボコボコにしていると、扉が鳴った。
暫くして現れたのは、苛立ちを隠しもしない母上だった。僕と同じく、『忙しい時に呼びつけやがって』と言わんばかりの顔をしている。
「失礼致します。お呼びと聞きましたが、何の……。あら、ヨハンもいたの?」
目を丸くすると、少しだけ表情が柔らかくなる。
そういう顔をしていると、姉様との血の繋がりを実感するなと他人事のように思った。
「ええ。僕も呼ばれまして……。……!!」
僕はある事に気付き、息を呑む。
同じ理由で呼び出され、似たような思考回路でこの時間になったとするのならば。この後に起こるであろうことも予想出来た。
「では、父上。用が済みましたので、僕は失礼しますね」
余所行き用の笑みを貼り付け、素早く立ち上がる。
しょうもない夫婦喧嘩に巻き込まれてたまるかと決意するが、人生は思うようにはいかないのだと、その後の僕は痛感するのだった。




